第五十一話 トラビ族のレッシュレンキッピョン村
上着と帽子と毛布ですっぽりくるまれたレイゼルは、小さな馬車の荷台で揺られていた。
「大丈夫かレイゼルー、休憩したかったら言えよ」
御者台で振り向いたルドリックが言った。
「大丈夫!」
マフラーを指先で軽く下ろして口元を出し、レイゼルは答える。
晩秋を迎えた、ナファイ国。
柔らかな日差しを透かした紅葉のトンネルの下、山の中腹を緩やかに上りながら回っていく道だ。
アザネ村を馬車で出発したルドリックとレイゼルは、途中の村で一泊してから、さらに南東を目指しているところだった。
アザネから途中の村までは、用事のある村人が一緒だったが、今は二人。アザネに戻る時はまた、誰かを乗せるかもしれない。
あちこちの町や村と取り引きしているルドリックは、同じ方向に行く旅人や商人に声をかけて、しょっちゅう乗せている。
「色々な話が聞けて面白いぜ。お礼に、って、珍しいもんくれたりな」
物怖じしないルドリックは、一期一会を楽しんでいるようだ。
「他の種族の人を乗せることもあるの?」
「それはないなー。まぁ、リーファン族は元々あまり交流を楽しむ種族じゃないからともかくとして、トラビ族も意外と乗せたことないんだ。やっぱり種族が違うと、通る道も行動時間も違うんだろ」
「なるほど」
「だから、レイゼルを送るついでに村が覗けるなら楽しみだ。トラビの村がこの辺にあるのは知ってた。目立つからな」
「目立つ?」
レイゼルが首を傾げた時、ルドリックが前方を指さした。
「ほら、見えてきた」
林を抜ける上り坂の先が明るく開け、そこから尾根道になっているようだ。ジオレンの木が何本か、陽の光を受けて立っているのが見える。いくつもの実が、緑色から黄色に、そしてジオレン色に変化しつつ生っていた。
(そろそろ旬だものね、ジオレン。でも、目立つ、って?)
レイゼルが思っているうちに、馬車は尾根道に出た。
「……わぁ」
レイゼルは思わず、荷台の縁につかまって景色を眺めた。
尾根道の谷側の斜面が、一面、ジオレン畑だったのだ。濃い緑の葉の合間に、鮮やかなジオレン色が見え隠れする景色が続いている。
「反対側の山から、トラビ族のジオレン畑がよく見えるんだ。な、目立つだろ。」
ルドリックは言い、やがて少し開けた場所で馬車を止めた。
彼に手を借り、レイゼルは馬車から降りる。
「アザネよりあったかい気がする。さすが、火脈が近いだけあるね」
レイゼルはマフラーと帽子を取った。
ルドリックが荷物を下ろそうとしているところへ、声がかかる。
「あっ、人間族だ!」
するするっとジオレンの木の間を抜けて、一人のトラビ族が上ってきたのだ。まだ小さい。
「もしかして、ペルップ先生の友達のレイゼル・ミル?」
「そうです、こんにちは」
名前を知られていたらしいことに少し驚きながら、レイゼルが挨拶すると、彼(彼女?)は答えた。
「知らせてくるから、下りてきて! そっちの人も!」
そして、また向きを変えると、ピュッとジオレンの木の間を下りていってしまった。
「下りるって、えっと」
見回すと、すぐそこから丸太を埋め込んだ木の階段の降り口がある。
「やった、俺も行っていいんだ? まぁ、荷物運ぶつもりだったけど」
ルドリックが荷物を持ち直す。レイゼルも一つ荷物を背負うと、初めての地にどきどきしながらうなずいた。
「行ってみよう!」
階段を、ゆっくりと下りていく。
両脇に続くジオレンの木々は、それほど高くなく、ルドリックの背丈くらいだろうか。
(隊長さんだと、頭が出るかも)
レイゼルがそんなことを思っているうちに、やがて木々が途切れ、畑に出た。段々畑になっているそこは、さらに下っている。
あぜ道をトラビ族の姿がちらほら行き来しており、何か野菜を収穫している姿もあったが、下の方の畑ではどうやらひなたぼっこをしているようだ。
「収穫した後の畑でひなたぼっこかー、面白いな」
ルドリックが面白そうに笑う。
その景色の中を、こちらに向かって上ってくる姿があった。
「レイ!」
王都の薬学校で着ていた制服。目の上の傷跡。
「ペルップ!」
レイゼルは手を振る。
「お言葉に甘えて、来たよ!」
ペルップは目を細め、歯をむき出して、彼ら独特の笑顔を見せる。
「ぐひひ、よく来たな! レッシュレンキッピョン村にようこそ!」
名前長いな! とレイゼルとルドリックは思ったが、口には出さない。
ペルップはひげを動かしながら言う。
「体調悪いんだろ、大丈夫だったか?」
「うん、馬車で送ってもらったの」
レイゼルがルドリックを示しながら言うと、ペルップは彼を見上げる。
「あ、アザネの村長んとこの! 名前は忘れた!」
「ルドリックだよっ、久しぶり」
昨年冬に顔を合わせている二人は、握手を交わした。
トラビ族は名前を覚えるのが苦手だけれど、匂いで個体を識別しているので、相手が誰なのかはわかっているのだ。界脈を読むリーファン族と、どこか似ている。
「そうそう、ルドリック! あんたも何日でもゆっくりしてってくれな!」
「よかったら一泊だけ、世話になりたいんだ。人間族のシナート村に行くついでにレイゼルを連れてきただけなんで、明日の朝に出るとちょうどいい」
「おう、わかった! よし、こっちだ」
二人はペルップの後について、さらに階段を下りた。
「ペルップだけ、服を着てるんだね?」
レイゼルが聞くと、彼は答える。
「真冬になると、寒いから上着を着るやつもいるけどな。普段は村長とか、教師とか、医者が着る。せっかくだからオレは制服をそのまま使ってる」
トラビ族にとって、服は身体を隠すものではなく、属性を表すものらしい。
「薬湯屋らしくていいと思うよ、ペルップ先生」
「よせやーい。ぐひひ! ほら、あそこがオレんちだ」
階段を下りきったところに、丸太小屋がいくつも見えてきた。ここが集落のようだ。そこから先は岩場で、その下を川が流れているのが見える。ペルップの家は上流側だった。
岩場の上には、草を編んで作った敷物が敷いてあり、何か小さくて平べったい茶色のものが大量に干してある。
「あれ、何だろ」
ルドリックがつぶやくと、レイゼルが答える。
「ジオレンの皮だよ。ああやって干したものが薬になるの。呼吸を界脈と繋げてくれるんだ」
「へぇ」
ペルップの家の前まで下りたところで、さらに上流の岩場から白い湯気が立ち上っているのが見えた。
「あのあたりから湯が沸いてるんだ。オレんちのすぐ外にも引いてるから、そこで入れるぞ」
言いながら、ペルップは開け放されていた扉から小屋の中に入る。
トラビ族は大柄な者なら人間族と同じくらいの身長があるので、建物の大きさは人間族の村と変わらない。
入ったところは土間で、かまどがあり、作業台や薬草棚が置かれている。あちらこちらから薬草の束が下がり、少々クセのある薬草の香りがする。
「レイゼルの薬湯屋と似てるな」
荷物を置いて、ルドリックが小屋の中を見回した。
土間から一段上がった板間はベッド三つ分くらいの広さがあり、積み上がった本やら食器、敷物に枕もある。
ペルップは、この空間で一日を過ごしているらしい。
板間に面して扉が二つあり、片方は開けっ放しになっていて、広い部屋が見える。ベッドがいくつかあり、衝立で仕切られていた。少しフィーロの宿屋と似ている。
「患者用ベッドで悪いけど、今は誰もいないから、好きなのを使ってくれ。あと、そっちの扉から出れば風呂」
「見たい、見たい!」
レイゼルとルドリックはさっそく、その扉を開けた。
すぐに外階段が始まっていて、下りたところが岩風呂だった。湯がひたひたと満ちている。
屋根はあるけれど壁はなく、湯気を透かして川の向こうの紅葉を眺め渡すことができた。
「初めて見たわ……これが温泉」
「すげー。え、でもこれ外じゃん。外で入浴?」
ルドリックが言うと、背後からペルップの自慢げな声がする。
「露天風呂っていうんだ。いつでも入ってくれ、気持ちいいぞ。あ、レイゼル、湯にこれ入れるか?」
レイゼルが振り向くと、彼は手に細長い大きな葉を何枚か持っていた。
「ピパの葉ね、学校でやった! 懐かしい」
「そうそう。あと、これと一緒にルチの実を入れるといいんだ」
「あぁ、そうか、ルチはオリスタの仲間だからピパの効果を高めるのね。ジオレンもお湯に使うんでしょ?」
「使う使う。でさ、ジオレンと一緒にトンコの葉を干したやつを試したんだけど──」
「それなら、もしかしてヌンティの木の皮の方が──」
王都薬学校他種族クラス同期の二人は、徐々に専門的な話を始め、ルドリックは置いてけぼりである。
彼はそーっと口を挟んだ。
「えーと、俺、さっそく湯に入ってもいい?」
「おう! いつでもいいぞ! レイゼルは少し休んでから入れよ。入浴は体力を消耗するからな」
「ありがとう。楽しみだけど、今日は休んで明日にさせてもらおうかな。あ、お土産に色々持ってきたよ」
彼女のお土産とは、もちろん薬草類である。
座って薬湯を飲みながら、また専門的な話に突入していく二人だった。




