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第五十話 久しぶりの薬湯とスープ

 東から昇る朝日が、西の山肌の紅葉を鮮やかに照らし、山はまるで金色に燃えているかのようだった。

 アザネ村は、秋まっさかりである。


 レイゼルは、日が昇り、気温が上がってきて、ようやくベッドから起き出した。

(まるで冬眠中の動物みたい)

 自分にちょっと呆れるレイゼルである。


 流行り病の対策に駆け回って以来、なかなか疲れが抜けないのだった。本人はイマイチ自覚していないが、リュリュもシェントロッドもいない秋を迎え、憂鬱になっているのも響いている。心身ともに復活するには、時間がかかりそうだった。

 無理せず店を続けたいレイゼルは、朝の遅い時間から夕方の早い時間だけ、薬湯屋を開店することにしていた。村人たちもそれがいいと賛成し、用がある者はその時間帯にやってくる。

 

 私室を出てみると──

「ふあっ!?」

 レイゼルは思わず、足を止めた。


 警備隊の隊服をまとった長身の男が、かまどの前に立って鍋のふたを開け、中をのぞき込んでいたのだ。

 振り向いたのは、緑の髪と緑の瞳。

 一ヶ月ぶりの、シェントロッド・ソロンである。


「……た、隊長さん!」

 つんのめりそうになりながら、レイゼルは小走りに駆け寄った。

「お帰りなさい、いつ戻られたんですか?」


「昨夜遅くだ」

 シェントロッドは何食わぬ顔で鍋のふたを戻し、背筋を伸ばした。そして、彼女をまじまじと見つめて眉をひそめる。

「店主が仕事で疲れをためていると聞いて、ここで開店を待たせてもらったが……何だ、そのやつれっぷりは」

「あ、これはちょっと、うーん、色々大変だったんです」

「無理はするなと言ったはずだが?」

「これでも無理はしなかったつもりなんですっ」

 レイゼルはうろたえ、そして今度は彼女の方がシェントロッドの顔に目を止めた。

「あっ。隊長さんこそ、一ヶ月前と何だか違いますよ? 余裕をそぎ落としたみたいな、硬い雰囲気。何をなさってたんですか!?」


「…………」

 シェントロッドはなんとなく、顎を撫でる。

「まあ、あれだ、界脈が大きく乱れているところにしばらくいたからな」

「一応お聞きしますが、あちらでお食事は」

「果物を、少し……」

「はいっ、薬湯とスープ、両方作りますね」

「うん。すまん」


 レイゼルはシェントロッドの様子を見て、いつもの薬湯と処方を少し変えたものを土瓶に入れると、火脈鉱を使って煎じ始めた。

「起きていていいのか」

「日中は大丈夫です。スープも簡単なものにしますし」

 レイゼルはかまどに火を熾した。そして、先ほどシェントロッドがのぞき込んでいた鍋の蓋を開ける。中の水には、干した海藻と、同じく干したキノコを一晩、漬けてあった。

「お出汁は取れてるので……あとは葉野菜と、卵と」

 海藻とキノコも細切りにして鍋に戻し、煮えるのを待つ間、菜園に葉野菜を取りに行った。


 戻ってみると薬湯の香りが立ち始めており、シェントロッドは土瓶のそばで深呼吸している。香りに癒されているのだろう。

 レイゼルは微笑ましく思いながら、葉野菜を洗い、刻んだ。


「あ、薬湯、そろそろですね」

「自分でやるから、スープを頼む」

 シェントロッドは自分で、土瓶から木のカップに薬湯を注いだ。

「ふー……」

 立ったまま一口飲んで、ため息をつく。そして、ポロッと言った。

「これがない一ヶ月は、さすがにしんどかった」

「……そうですか」

 レイゼルは微笑む。


 彼女の横顔を見つめながら薬湯を飲んでいたシェントロッドが、思い出したように言った。

「そういえば、ジゼの実が役に立った。礼を言う」

「へ? 役に立った?」

 彼を見上げると、シェントロッドは視線を逸らしながら答えた。

「あー、いや、お守りと言っていただろう。俺は何事もなく戻ってきたからな」

 レイゼルは「なぁんだ」と笑う。

「役に立ったって、そういう意味ですか……あんな毒の実を何かに使ったのかって、びっくりしたじゃないですか」


 彼の隣で、別の器にチャッチャッと卵を溶く。そして、鍋に細く垂らしながらぐるりと流し入れた。

 ふわあっ、と柔らかな黄色が、スープの中に雲のように広がる。雲間から覗く緑が鮮やかだ。


 ふと気づくと、シェントロッドは彼女のすぐそばに寄り添うように立ち、薬湯を飲みながら作業をじっと見下ろしていた。そんな様子も何だか可笑しい。


 スープは最後に、塩で味を調える。

「『野菜のかき玉スープ』、出来上がりです」

 二つの器から、美味しそうな香りが立ち上った。


 座った二人は向かい合って、温かいスープを食べた。

 ふわふわの卵が優しく喉を滑り落ち、細切りにしたキノコは汁をたっぷり含んで、噛むとうまみが染み出る。

「あー。……美味い」

 しみじみとシェントロッドが言うので、レイゼルは笑ってしまった。今日はたくさん笑っている気がする彼女である。

「これから、お仕事ですか?」

「いや、さすがに今日は休みだ。村の報告書にだけは目を通しておこうと思っているが」

「アザネ村は、流行り病が治まったところなんです」

 レイゼルは簡単に、事の顛末を話した。シェントロッドはうなずく。

「なるほどな。それだけの人数分の薬湯を準備するのでは、店主が疲れるわけだ」

「私もつい、気が急いてしまって……ダメですね、余裕がないと」

 少な目によそったスープを食べきって、レイゼルはため息をついた。


 シェントロッドの方は勝手におかわりしながら、レイゼルの様子を窺う。

「……店主」

「はい」

「報告書をここに持ってきて読んでいてもいいか? お前は奥で休んでいろ。客が来たら呼ぶ」

「そんな、大丈夫ですよ。かまどの前でぬくぬくしながら、ボーッとしてますから」

 レイゼルは言い、そして再び微笑んだ。

「やっぱり、隊長さんが隊長さんとして警備隊にいると、落ち着きます。ちょっと、不安だったのかも。戻ってくださって嬉しいです」


「…………」

 シェントロッドは、じっと、レイゼルを見つめた。

 レイゼルは軽く首を傾げる。

「何です?」


「レイゼル、俺も」

 何か言いかけた時、彼の耳が物音を捉えた。

「……誰か来たようだぞ」

「あ、そうですか?」


 待っていると、やがてノックの音がして、扉が開いた。

「レイゼル、入るぞー。……あ、ソロン隊長!」

 ルドリックだった。シェントロッドがいるのを見て、目を見張る。

「戻ってたんですね、出張、お疲れ様でした!」

「ああ。世話をかけたな」

「いえ、俺は何も。レイゼルはやりすぎなくらい、大活躍でしたけどね」

 ちょっと呆れた風に笑ってから、ルドリックは手に持っていたものをレイゼルに差し出した。

「お前に手紙が来てたぞ」


 ナファイ国では、手紙は物流のついでに運ばれる。他の町や村との取引を担っているルドリックは、商品とともに手紙も運んでいるのだ。


「ありがとう! 誰からかしら」

 レイゼルは受け取り、宛名に自分の名前があるのを確かめてから、封筒をひっくり返して裏を見た。

 そして、目を見開いてクスッと笑う。

「わぁ、ペルップだわ。えっと、去年の冬に村の近くで行き倒れてた、トラビ族の彼です」

 でっかい封蝋が押してあり、足跡がついている。トラビ族の習慣である。


 レイゼルは手紙を開き、読み始めた。その間に、シェントロッドはアザネ村であったことなどをルドリックに聞くなどしている。


「……へぇ、温泉……」

 つぶやいたレイゼルの言葉に、ルドリックが反応した。

「温泉って?」

「あ、えっとね、トラビ族って温泉が大好きなの。だから、火脈の近くに集落を作って暮らしてるのね。それで、温泉に薬草を入れるとすごく身体にいいから、雪が降る前に遊びに来いって。面白いなー」


 すると、何か考えていたルドリックが、言った。

「……いいじゃないか」

「え?」

「レイゼル、甘えさせてもらえよ。行けば? トラビ族の温泉」

「ええっ?」

 目をぱちくりさせるレイゼルに、ルドリックは前のめりに続けた。

「身体にいいんだろ? そういや、湯治って言葉を聞いたことがある。冬の間、ゆっくり身体を癒してくればいいじゃないか」

「でも、仕事が」

「まだ体調が戻ってないのに、これからさらに寒くなるんだぞ。お前、仕事以前に、動けんの?」

「ウッ」

 図星である。


 シェントロッドまで、うなずいた。

「……いいかもしれないな。俺がたまに様子を見に行ってやれば、アザネの村人たちも安心するだろう」

「えええっ?」

「ソロン隊長、それいいですね、お願いします。トラビ族の村って、南東のシナート村の方向だろ? 俺、来週ならそっちに運ぶ荷物があるんだ。その時でよければ馬車に乗せてってやる」

「いや、あの」

「そうと決まれば、今のうちに村の誰かに配合しておきたい薬湯があるなら手伝うぞ。採集もな」

 ルドリックが言えば、シェントロッドも言う。

「一応、モーリアン医師に診てもらってから行け。ああ、手紙の返事を書くなら、俺が届けてやる。トラビ族のペルップだったな」

「ええーっ」


 流されまくる内に、レイゼルのペルップ突撃訪問は、決定したのだった。

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