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第四十六話 出発の前日の村祭り

 村祭りの日は、雲一つない晴天だった。

 その年も、夏の名残と秋の味覚が、村人たちによって美味しく調理された。突き抜けるような青空に、煮炊きの煙と食欲をそそる香り、歓声と笑い声が上っていく。


 串に刺さった川魚は美味しそうな焦げ目をさらし、網で焼かれた肉は薄焼きのパンに挟んでかぶりつけば、溢れる肉汁をパンが受け止めてくれる。焼いたカショイモは蜜のように甘く、バターをのせて食べると格別だ。もちろん、毎年恒例の野菜と腸詰めの煮込み料理やチーズもあった。


 レイゼルも今年は火脈鉱があるので、石の器でリツの実を焼いたものを提供している。割れた殻の間から濃い黄色がのぞく、ほっくほくのリツの実は大人気で、あっという間になくなった。


「今年はリュリュがいないから、寂しいな」

 新しいリツの実にナイフで切れ目を入れながら、心にも秋風が吹くのを感じてしまうレイゼルである。

「そうだなー。あー、えっと、そうそう」

 レイゼルの気分を変えようとしてか、ミロが話を逸らした。

「孤児院に新入りが来たんだって。あ、ほら、あの子」

 見ると、三歳くらいの小さな男の子が走り回り、年長の子が追いかけ回している。

「あと、次の春には一人卒業するけど、村に残るつもりらしいよ」

「あ、僕も聞いた。木工職人の弟子になるって」

 トマが料理の器を持って、話に加わる。

「へぇ、村に残るんだ! みんな喜ぶね!」

 レイゼルが答えると、ミロがふと言った。

「レイゼルもいつかは、弟子をとるのかなぁ」


「へ? 弟子?」

 レイゼルはポカンとし、そして時間差でびっくりした。

「……か、考えたこともなかった!」

 しかし改めて、考えてみる。

「そっかぁ、そうだよねぇ。私が仕事できなくなったら、またこの村には薬湯屋がなくなっちゃうものね。村のためには、後のことも考えないと」


「でも、誰かに教えようにも、レイゼルの知識を受け継ぐことのできるほど賢いヤツなんているか?」

 話に加わってきたルドリックに、ミロがうなずく。

「確かにそうだよねー。でももったいないじゃん、せっかく王都の薬──」


 ガバッ、と、トマがミロの口を塞ぐ。

 ミロはどうやら、せっかく薬学校で学んだ知識を誰かが受け継がないともったいない、と言いたかったらしい。


 皆、こっそり、チラッと、同じ方を見た。


 村の大人たちが囲むかまどのところで、シェントロッド・ソロンが何か食べ物の器を手に、村長ヨモックと何か話をしている。うかつなことを言うと、レイゼルがレイとして王都の薬学校にいたことが、彼にバレてしまうのだ。

「ごめんっ」

 ミロがささやきながら肩をすくめ、レイゼルはちょっと笑った。

「ふふ、大丈夫」


 正直、最近のシェントロッドの様子を見ていて、レイゼルは以前と違うものを感じていた。

『それ』が何なのか、うまく言葉にすることはできない。けれど、『それ』があるから、最初に思っていたような恩返し──シェントロッドがレイゼルに三十年労働をさせるという──は要求しないのではないか、と、レイゼルは何となく思うのだ。

(どうしてそう思うのかしら? 王都時代と、今とで、私と隊長さんは何が変わったんだろう?)

 ただ、そう思っているのはレイゼルだけかもしれない。彼女がこれからも、アザネ村で村人たちのために働いていきたい以上、秘密は明かさない方がいいのだろう。


「ま、まぁ、レイゼルの薬湯が評判になったら、どこか遠くから弟子入り志願の人が来るかもしれないよな」

「そっか、モーリアン先生みたいによそから来てくれても助かるな!」

 その話は結局、そんな風に落ち着いた。


 しかし、レイゼルは思う。

(村の人たちが隊長さんと親しくなればなるほど、何だか……今みたいに私のために気を使わせて、申し訳ないな……)



 食事が一段落し、酒が進み始めると、皆あちこち移動しては各所で話の花を咲かせる。シェントロッドが持ち込んだ蜂蜜酒も、村人たちに好評のようだ。

 そのシェントロッドは、いつの間にか、レイゼルのいる場所の近くでミロと話をしていた。

「へぇ、じゃあ査察って、レド川のあたりで一ヶ月も過ごすんですかぁ」

「ああ。ここよりずっと南だからまだ暖かいが、雨が多い場所だ」

 シェントロッドが出張についてミロに話す内容に、レイゼルは何となく耳を傾ける。

「ソロン隊長、どうやってやるんですか? 査察って」

「地表から調査する班と、界脈に潜って調べる班と、同時に両面からやる。界脈に潜りっぱなしは消耗するから、交代交代でだな。川に繋がる支流も調べる。ディンフォラスの要人も立ち会う」

「調査だけじゃないんだ。そういう、偉い人同士の話し合いのお供もするってことですよね」

「……」

 シェントロッドは言葉に迷う様子を見せてから、言った。

「お供というか、俺が話す。今回の査察団の団長になったからな」

「えっ!? そうなんだ! さすがソロン隊長! 隊長で団長!」

 助けられて以来シェントロッドを尊敬しているミロは、瞳をキラキラさせた。


 シェントロッドは少々居心地が悪そうな面もちになり、「さてと……」とか何とか言いながら立ち上がった。

 振り向いた彼の目と、レイゼルの目が、合う。

「店主」

「あっ、はい!」

「確か、酒飲み専用の薬湯があると言っていたな」

「酒飲み専用というか、二日酔い防止ですね。はい、あります」

「俺は先に抜けるから、今もらっていく」

「はーい」


 レイゼルは立ち上がった。

 広場の隅へ行き、切り株の上に置いてあった籠からリーファン族用に調合した薬種の袋を取り出す。そしてもう一つ、小さな巾着袋も取り出した。

 シェントロッドのところに戻ろうと振り向くと、彼の方からやってきていた。

「これです。今日、眠る前に煎じて飲むといいですよ」

「うん」

「それから……隊長さん、明日出発ですよね。これも」

 レイゼルは、手のひらに隠れるほど小さな巾着袋を渡す。


「何だ?」

 シェントロッドが開けてみると、中には赤い玉をいくつも繋げて輪にしたものが入っていた。

 いかにも装飾品といった感じだが、よく見ると玉は実であった。固く艶々していて、穴が開けてあり、細い枝を通してある。

「ええと、お守りです。魔除けになるジゼの枝と実を輪にしたもので、アザネ村では長い旅に出る人に渡すんです。輪になっているのは、無事に戻ってこれるように、っていう」

「ふーん」

「あっ、一緒には渡しましたけど、これは煎じちゃだめですよ、身体に入れると毒なので。そのくらい強い植物じゃないとお守りにならなくて」

「そうかもな。リーファンにも似たような魔除けがあるが、トゲのある植物を使う。……持って行く」

 彼はジゼの輪を袋にしまった。

「店主も、無理はするな。レド川のあたりは界脈が乱れているから、お前から呼ばれても気づけない。駆けつけることはできないだろう」

「お、お仕事の邪魔をするつもりはないです、もちろん! ちゃんと気をつけます!」

「怪しいものだ」

 軽く口角を上げて、シェントロッドは笑う。

「お前にこそ、守りが必要かもしれないな」

「ううー」

 前科がありすぎて、言い返せないレイゼルである。


 シェントロッドはそんな彼女を見つめ、微笑みながら小さくため息をつくと、

「ではな」

 と片手を上げ、フッと姿を消した。


「あ……行ってらっしゃいませ」

 声をかけたレイゼルは、しばらくその場で立ち尽くしていた。

(一ヶ月、かぁ……)


 誰かが弾き始めた弦楽器の音が、レイゼルの耳にはやはり寂しく聞こえてしまうのだった。


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