第四十五話 村の寄り合いを利用した策略
翌日、王軍警備隊のフィーロ本部。
隊長室でシェントロッドが書類を書いていると、ノックの音がして、ベルラエルが案内されてきた。
「こんにちは、お邪魔するわ。アザネ村の隊舎よりはマシだけど、やっぱりちょっと狭苦しいわね」
「まあな。寮は一応、リーファン族専用の建物がある。そちらは天井も高い」
彼は顔を上げずに、書類の続きを書く。
ベルラエルは例によって、さっさと執務机の前のソファに座った。
「で、どうなの、シェントロッド。界脈調査部に戻る決心はついた?」
「その前に、今はやることがある」
シェントロッドはインクペンを置くと、両手で持って上から下まで読み直し、確認した。そして、それをひらりと返し、ベルラエルの方へ向ける。
「『ディンフォラス査察団』に参加するつもりだ」
「はぁ?」
ベルラエルは、長いまつげの目を瞬かせた。
ディンフォラス、というのは、ナファイ国の南隣の国である。ナファイと同じように、いくつかの種族が共存している国だが、リーファン族が多い。
二国の間には、対岸が霞んで見えるほど広い大河・レド川が横たわっていた。ここの界脈は、どういうわけか古来より常に乱れているため、川も渦巻き荒れている。人間族は自力ではまず渡ることができない。
今から五十年ほど昔、ディンフォラス国のリーファン族が、大河を操ろうと試みた。界脈士の力を用いて、乱れた界脈からレド川の流れを逸らし、川の行き来を支配しようと考えたのだ。もしもこれに成功すれば、レド川沿岸の国を勢力下に置くことができる。
ナファイのリーファン族を筆頭として、レド川の北側に暮らすリーファン族たちはその行為に異を唱え、川を挟んで戦争状態になった。
以前、ルドリックが、界脈士同士の戦闘とはどんなものかとシェントロッドに尋ねたことがある。
シェントロッドは、
『界脈に沈んだままで戦いになることもある。昔、隣国のリーファン族と戦ったことが……人間族には説明が難しい』
と途中で話をやめたが、『レド川の戦い』というのがその時の話だった。
(ちなみに五十年も経つと、リーファン族でも『昔』と表現する程度には、そこそこ昔という感覚である)
結局、ナファイ連合軍側がディンフォラス側を退け、レド川に監視の界脈士を置いたので、ディンフォラス側は計画を断念。
戦闘によって沿岸の国に被害が出たため、ディンフォラスは賠償金の支払いと、数年おきの査察を受け入れることになった。
『ディンフォラス査察団』というのは、その査察のために数年おきに編成される。構成員には、『レド川の戦い』に参加した界脈士が数名、必ず加わることになっている。
「身体が治って、気脈に乗れるようになったからには、大河を渡れるからな。俺も今回の査察団に参加できる」
「それはそうだけれど、どうしてわざわざ……」
シェントロッドから書類を受け取ったベルラエルは、内容に視線を走らせた。
「あら、イズルディア様の推薦なの……じゃあ断れないわね」
湖の城ゴドゥワイトに住むイズルディアは、シェントロッドと同じソロン家の血筋だ。彼がシェントロッドを査察団に加えたいと言ったなら、その意向はまず反映される。
「でも、査察はほんの一ヶ月ほどよね。レド川周辺の界脈を調査するだけだもの。界脈調査部に戻るのを、ちょっと先延ばしにするだけじゃないの」
ベルラエルは執務机に書類を置く。
シェントロッドは、他の書類に目を通しながら、言った。
「まあ、見ていてくれ。……それより、この後、少し時間はあるか」
「なぁにそれ、イヤミ? あなたを説得する以外は、どうせ暇よ」
相変わらず、ベルラエルは機嫌が悪い。
シェントロッドは書類を揃えて置き、立ち上がった。
「昨日、レイの話をしただろう。レイはいなかったが、アザネ村には腕のいい薬湯屋がいる」
「ああ、そうなんですってね。さっき聞いたのよ、あなたが回復してからも足繁く通ってるって」
ベルラエルが答えると、シェントロッドは軽く口角を上げる。
「イライラを解消する薬湯が欲しいんだろう? 行こう。ついてこい」
そして彼は、背後の窓を開いた。
水車小屋の前に出現してみると、耳のいいリーファン族でなくとも聞こえるほど、小屋の中からは賑やかな声が溢れていた。
「……ここなの?」
ベルラエルは小屋を眺め、眉をしかめる。
「そうだ」
シェントロッドはスタスタと店に近寄り、開いたままの扉をくぐるようにして頭を入れた。
「店主。いるか」
「あっ、はい!」
三つ編みが跳ね、かまどの前でレイゼルが振り向いた。
続いて、小屋の中にいる人々が談笑しながら、入り口の方を振り向く。
「おっ、ソロン隊長!」
「隊長、お疲れ様です!」
レイゼルの両脇にはトマとミロ、ベンチには村長のヨモックと金物屋のジニー、他にもルドリックに揚げ物屋の主人に果樹園の主など村の主だった大人たちが集まり、店はいつになく大賑わいだった。
シェントロッドは戸口を塞ぐように立ったまま、レイゼルを軽く手招く。
彼女が人をかき分けてすぐそばまでやってくると、彼は賑やかな村人たちの声にかき消されないよう、軽く屈んで彼女の耳元に顔を寄せた。
「前に言っていた、リーファン族の同僚を連れてきたんだが、今は忙しそうだな」
「えっ」
一瞬、ギョッとした表情になったものの、レイゼルはすぐに一つ深呼吸をした。そしてまた、いつもの笑顔になる。
「私の方は大丈夫です。かまどは空いていますし」
「そうか」
シェントロッドは身体を起こすと、一歩引いてレイゼルからベルラエルが見えるようにした。
レイゼルは、いつも初めての客を迎える時のように、彼女に挨拶した。
「いらっしゃいませ! 店主のレイゼルです」
「こんにちは」
ベルラエルはレイゼルをじっと見て微笑んだが、中には入ろうとしない。近づこうともしない。
「ベルラエル」
シェントロッドは、淡々と説明した。
「この店主に、お前の身体について色々と相談すれば、お前に合った薬湯を作ってくれる。まずはゆっくり話してみたらどうだ」
「狭いところですが、どうぞ」
レイゼルも言う。
「…………」
ベルラエルはほんの一、二秒、黙っていたが、やがて改めて微笑んだ。
「評判の薬湯屋だと聞いて、どんなところか見に来ただけなの。お邪魔してごめんなさいね、もう失礼するわ」
「あっ、そうですか……?」
レイゼルは、すぐ横のシェントロッドを見上げてから、ベルラエルに笑いかけた。
「じゃあ、ご縁がありましたら、またぜひ!」
「ええ、それじゃ」
「……後でな」
シェントロッドはレイゼルに短く言うと、ベルラエルとともに店を離れた。
彼は歩きながら、ベルラエルに話しかける。
「何しろ、評判の店だからな。いつもあんな感じでにぎわっている。入らなくてよかったのか?」
すると、ベルラエルはバッサリ言った。
「嫌よ、あんな人間族だらけのところ」
「そうか。まあ、王都にもいい薬湯屋はあるしな」
さらりと答えるシェントロッドの口元には、薄く笑みが浮かぶ。
(人間族でいっぱいの店を見せれば、ベルラエルは嫌がると予想したが、当たりだったな。もうここには来ないだろう)
これが、彼の策略(?)であった。
ベルラエルは鼻息を一つ鳴らす。
「それにしても、あの店主、ちょっとレイに似てたわ。もちろん、彼女はいかにも女の子女の子してたけど、雰囲気がね。人間族の薬湯屋って、みんなあんな感じなのかしら」
いまいち人間族を細かく見分けられないベルラエルは、シェントロッドよりもさらに大ざっぱであった。
そして彼女は、シェントロッドを振り向く。
「私は王都に帰るわ。オルリオン・アグルに何か言われたら、あなたはディンフォラス査察に行く、戻ったら返事するってことでいいのね?」
「ああ。それでいい」
「戻ったらちゃんと返事しに行ってよ。じゃあね」
ふっ、と、ベルラエルは姿を消したのだった。
シェントロッドが店に戻ると、まだまだ賑やかな店の中から、ヨモックが声をかけてきた。
「ソロン隊長。村祭のそれぞれの担当が決まりましたよ、ぜひお越しください」
そう、今日この薬湯屋に人が集まっているのは、一週間後に迫った村祭の話し合いのためである。
シェントロッドはうなずいた。
「計画書があるなら、今もらっておく」
「あ、はい、もうできます」
書記役を務めていたトマが、書類を仕上げる。
ルドリックがちょっと不思議そうに、シェントロッドの横に来て小声で言った。
「なんかあったんですか? 話し合いを薬湯屋で、って」
「私もびっくりしました。いえ、私の方は全然構わないんですけれど」
レイゼルも言う。
シェントロッドはちょっと視線を逸らした。
「いや。俺は毎日ここに来るから、まあ書類も受け取れるし俺からも皆に話ができると思ったまでだ。……ああ、皆」
彼はぐるりと、その場の村人たちを見回した。皆が彼を見る。
「俺は村祭の後、ひと月の間、出張でロンフィルダ領を離れることになった」
「え、そうなんですか」
「お疲れ様です、お早いお戻りを」
村人たちは口々に言う。
レイゼルは少し驚いた様子を見せていたが、彼が続けて、
「副隊長には時々、アザネ村も見回るように言っておく。何かあったら彼が対処するだろう」
と言うと、小さくうなずいた。
「さて、それでは解散とするか」
「レイゼル、美味しいお茶をありがとう」
村人たちは後をすっかり片づけると、シェントロッドに「ごゆっくり!」などと言って、店を次々と出て行った。
やがて、水車小屋の中にはレイゼルとシェントロッドだけになる。
「……あの」
ためらいがちに、レイゼルが尋ねた。
「出張、ですよね。この間の、異動の話ではなくて」
「ああ。仕事が終わったら戻ってくる」
「ですよね」
レイゼルはニコニコと言い、「あ、薬湯、準備しますね!」と薬草棚に向き直った。
「さっき来た、リーファン族だが」
シェントロッドはベンチに腰かけながら、さりげなく言う。
「彼女は、人間族が大勢いる店は苦手だったらしい。もう来ないかもしれないな。悪いことをした」
「あっ、そ、そうでしたか! ふぅ」
レイゼルは一瞬手を止め、小さくため息をついた。そして、あわてて作業を再開しながら、口の中でもごもごとつぶやく。
「いやその、ホッとしてなんかないけど……」
当然、シェントロッドには丸聞こえである。彼は口角が上がってしまうのを、さりげなく片手で隠した。
(すぐに片が付いてよかった。こいつは思い悩むと体調を崩すからな。この件を片づけずに査察に行くわけにはいかなかった)
レイゼルは土瓶をかまどにかけながら、話を戻す。
「出張、ひと月って、ずいぶん長いですね」
「そうか?」
「えっと、人間族的には、長いと思います」
「そうか」
彼は、想像してみる。
「……確かに、しばらくお前のスープが食べられないと思うと、長いな」
それを聞いたレイゼルは、ぱっと振り向いてシェントロッドをまじまじと見つめ──やがて目をそらした。頬が、少し上気している。
「何だ」
「え、いえ、何も? ええっと、隊長さん、出張には薬湯を持って行かれますか?」
「いや、いい。煎じる場所がないと思う」
「そうなんですか?」
「出張とは言ったが、警備隊の仕事ではない。リーファン王軍の仕事に一時的に派遣される形だ。ずっとリーファン族と行動することになる」
「ああ、じゃあ、食事したり薬湯を飲んだりという時間を取りにくいのかしら……隊長さんだけ火を熾して、っていうわけには」
「いかないだろうな」
リーファン族の中、一人で薬湯を煎じている自分を想像すると少々笑えて、シェントロッドはその笑いをかみ殺した。
「戻ったらすぐ、ここに飲みに来る」
「わかりました。お待ちしてます」
レイゼルの微笑みは、柔らかい。
シェントロッドには元々、ディンフォラスの現在を確認しにいきたい気持ちがあった。それに加えて、界脈調査部の部長に据えられてしまうのを避けるために、査察団への参加が都合がいいことに気づいたのである。たった一ヶ月でも、である。
(アグル家のオルリオンを黙らせるには、これしかない)
イズルディアの推薦という形にはなっているが、実は推薦してもらえるように頼んだのはシェントロッド自身だった。
(まず、うまく行くだろう)
彼は薬湯の香りを楽しみながら、レイゼルを見た。
「さってっとー、この秋最初のモリノイモを掘ってきたし、これでスープにしようかな……」
包丁を手にスープ作りを始める彼女を、シェントロッドは飽きずに眺めるのだった
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