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第四十四話 自ら広げた世界

 レイゼルは夕方、森から店に戻ってきた。

 十日連続、シェントロッドにスープを作る約束の、八日目である。スープ作りで出た野菜くずがたくさんあるので、今日は野菜だしを取って、キノコを何種類か入れたスープにするつもりだ。


「キノコ、たくさんとれたなぁ。半分は干そうかな」

 ボードを回収して店に入り、背負い籠を下ろす。上着を脱いで奥の部屋に置いてから、さっそくスープを作り始めた。ガリクの球茎を少しだけ入れると、コクも出る。


 いい香りがし始めた頃、シェントロッドがやってきた。

「入るぞ」

「あ、こんにちは、隊長さん」

 レイゼルは挨拶をすると、薬湯の準備をしようと薬草棚に近寄った。

「今日、ちょっと薬湯の配合を変えてみたいんです」

「なぜだ」

「秋仕様といいますか……乾燥してきて、喉を痛めやすくなるので、身体が潤う薬草を入れようと」

「そうか。わかった」

 短く答え、ベンチに座るシェントロッド。レイゼルは土瓶をかまどにかけた。

「よし。しばらくお待ちください」

「うん」

「スープも、身体を潤すものにしますね。秋は白い食材がいいんです。ちょうど白いミミキノコを干したものがあるので、キノコスープにこれも入れましょう」

「うん」


 しばらく、店の中は鍋がコトコトいう音と、水車が回る音だけになった。


「そろそろお祭りの時期ですね。隊長さん、今年もいらっしゃるんでしょう?」

 レイゼルが尋ねると、シェントロッドは「あ? ああ」とうなずく。

「そうだな。今年は何か、俺も持ち込むものを考えよう。蜂蜜酒がいいか」 

「皆、喜ぶと思います! 私も今年はちゃんと、リーファン族がお酒を気持ちよく飲めるような薬湯を用意しておきますから」


 彼女がそう言ったとたん、シェントロッドが軽く背筋を伸ばしたような気がした。


「リーファン族といえばだな」

「はい?」

「今日、珍しく王都からリーファン族が訪ねてきた」

「えっ」

 レイゼルは目をぱちぱちさせる。

「お知り合いですか?」

「ああ。前の職場の同僚だ」


 ぎくっ、と、レイゼルは動きを止めた。

(まさか、ね……)

 シェントロッドの前の職場と言えば界脈調査部で、真っ先に思い浮かぶのはベルラエルの顔だ。もちろん、ベルラエル以外にも職員はいたので、そのうちの誰なのかはわからないが。


 ふと気づくと、シェントロッドはじっと、レイゼルを見つめている。

 彼女は気を取り直して言った。

「ええと、じゃあその方は、隊長さんに会いに来られたんですね」

「ああ。用件だけ言ってさっさと帰ったが、明日またフィーロで会うことになっている」

「そうですか」

(じゃあ、もうアザネには来ないのかな?)

 密かに少しホッとしたものの、シェントロッドはレイゼルを見つめたまま言った。

「店主の薬湯は、フィーロでも評判を聞くことがある。もしかしたら俺以外にもリーファン族の者が、ここに来ることもありえるかもしれないな」

「そ、そうでしょうか? こんな村にまで?」

「界脈士ならすぐだ」


(そうだった。ある日突然、店の前に現れる……ってこともあるんだわ)

 レイゼルは不安になった。

(別に、リーファン族が来るのが嫌なわけではないけど……例えばベルラエル部長が、明日フィーロに行って……そこで私の薬湯の噂を聞いて興味を持って、なんて可能性も……)


「おい、店主。薬湯はそろそろいいんじゃないか」

「あっ! すみません」

 レイゼルはハッと我に返って、土瓶から慎重に薬湯をカップに注いだ。

「どうぞ」

「うん」

 カップを受け取り、シェントロッドは一口飲む。何か考え込み、さらに一口。

「……そういう意味でも、俺は警備隊を離れられないな」


「え?」

 スープの鍋を見ていたレイゼルは、驚いて振り向いた。

「な、何の話ですか? 警備隊を離れるって」

 声がうろたえてしまった。

 彼女の様子を見て、シェントロッドも少し驚いた表情になる。

「ああ……王都に戻ってこないかと誘われただけだ。何だ、そうなったら嫌なのか?」


「そ、えっ、あ、当たり前じゃないですか!」

 レイゼルは前のめりに答えた。

 レイゼルにとっては、もはやシェントロッドもアザネの一部、自分の一部のような感覚である。嫌なのか、などと彼に聞き返されること自体、心外だった。


「そうか。嫌なのか」

 シェントロッドは何やら噛みしめるように繰り返し、またグビッと薬湯を飲む。

「それならよかった」

「? ……ええと、今日来られた方は、そのお話を持ってこられたんですか?」

「ああ。それで、明日返事をしなくてはならない。俺は今の職が気に入っているから、元々断るつもりではあったんだが、お前のこともあるしな。後腐れなく、関係者が今後もこの話を持ってこない形でスパッと断るにはどうすればいいだろう、と思っていた」

「私のこと? 私が何か……?」

「スープは?」

「あっ、はいっ」


 レイゼルはまたもやハッとなって、鍋に向き直った。スープを器によそる。細いキノコはくったりと、短く太いキノコは汁気をたっぷり含んで艶めき、白いミミキノコは花のようにひらひらと咲いている。

「どうぞ。えっと、『潤いのキノコスープ』です!」

 レイゼルは器をシェントロッドに渡すと、向かい合って自分もスツールに座った。いつもの位置で、食べ始める。


(お腹が温まったら、少し落ち着いたけど……。何だか色々なことが急に来た感じ。ベルラエル部長のこと、それに隊長さんが王都に戻る話……)

 半分ほど残った器の中身を見つめながら、レイゼルは口を結ぶ。

(ううん、それは断るんだっけ。それに、店にリーファン族が来るのは意外でも何でもないんだから、ベルラエル部長が来る可能性は今までだってなくはなかったわけだし。私が考えていなかっただけで)

 視線を上げ、黙々とスープを食べているシェントロッドを見る。

(何だか、不思議。王都に行かなければ、私の世界はアザネ村の中だけで終わって、リーファン族と知り合うこともなかったかもしれない)

 けれど、アザネの人たちに元気でいてもらいたいと、リーファンの薬学校に行くのを決めたのは、レイゼル自身だ。世界を自分で広げ、そして今、夢を叶えつつある。

(自分のやりたいことは、自分で守らなきゃ。だよね)

 決意を新たにするレイゼルである。

 が、ベルラエルが店に来た場合の想定問答を脳内でぐるぐると考えているうちに、スープをそれ以上食べ進めることはできなくなってしまった。


 ふと、シェントロッドと視線が合う。

 彼はちらりとレイゼルの器を見てから、自分の食べ終えた器をトレイに戻し、言った。

「一応、言っておくが」

「あ、はいっ」

「もし、リーファン族がらみで困ったことがあったら、遠慮せず話せ。お前が悩んで仕事に支障が出ると、俺も困るし村人にも恨まれる」

「? えっと、はい……ありがとうございます」

「ではな。美味かった」

 シェントロッドは立ち上がると、店を出ていった。


 

 シェントロッドは界脈には乗らず、村を見回りがてら、農道を歩いていった。

 考え事をしたかったのだ。


 実は彼は、王都に戻る話を断る方法は、もう思いついていた。残るは、レイゼルとベルラエルのことである。

(とりあえずベルラエルをアザネから引き離そうと、明日はフィーロで会うことにしたが……さっき店主に言った通り、何かのきっかけでベルラエルが薬湯屋の評判を聞き、俺のいないときにやってくることも考えられる。その事態を避ける手はあるだろうか。つまり、ベルラエルが薬湯屋に行こうと思わなくなるような……)

 都合が良すぎるか、と、シェントロッドは苦笑しつつも、さらに考える。


 村の中央を北上し、やがて東西を貫く通りにぶつかるあたりまで来た。この小さな村でも、それなりに家々が立ち並んでいる。

 通りを右に折れると警備隊の隊舎方面だが、そこへ左の方からランプを手に歩いてくる人影があった。

「あ、ソロン隊長。こんばんは」

 村長の息子、ルドリックだ。

「ルドリック。こんな時間から出かけるのか」

「ちょっと、村の皆に伝えて回ることがあって。もうすぐ村祭りなんで」

 彼もだいぶ、シェントロッドと打ち解けている。

「明日の午後にでも、集会所に集まって打ち合わせをしようって、親父が。これからあちこち声をかけて回るんです」


(打ち合わせ……)

 ぱっ、と脳内が明るくなるかのような閃きが、シェントロッドに訪れた。

(これだ)


「ルドリック。その打ち合わせだが、場所を変えるわけにはいかないか」

「え? まあ、別に話ができればどこでもいいんですけど……どこです?」

「薬湯屋だ」

 シェントロッドの返事に、ルドリックは軽く目を見開く。

「薬湯屋? それは、うーん、レイゼルに聞いてみないと」

「今、俺が話してくる。すぐに戻るからここにいろ。それと、俺もその打ち合わせには途中から顔を出す」

 言うなり、シェントロッドは姿を消してしまった。


「はぁ? 何なんだ、一体」

 ぽつーん、と取り残されたルドリックは、仕方なくその場で突っ立って、シェントロッドを待ったのだった。

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