第四十二話 ナンプカンのポタージュスープ
シェントロッドが川から上がると、西の山は黒々とした陰になり、山際は茜色に染まっていた。水車のパシャパシャと回る音に、虫の声がリリ、リリ、と混じっている。
昼間の暖かさがほんのりと残る中、薬湯屋の扉はまだ開け放され、中から灯りが漏れていた。
シェントロッドは、いつもここを訪れる時と同じように、まっすぐ店に近づいた。戸口に手をかけ、頭をぶつけないようにくぐり──
ぎょっとして目を見開いた。
レイゼルが、頭にすっぽりと布をかぶっている状態で、作業台に突っ伏して動かないでいる。
「おい! どうした!?」
シェントロッドは長い足を大股に踏み出して一歩で近づくと、がっ、と彼女の腰に手を回して抱き起こした。勢いで、レイゼルの足が浮く。
「きゃあ!?」
悲鳴が上がり、レイゼルが彼を振り仰いだ。華奢な手でとっさに彼の腕につかまり、バランスをとる。
「た、隊長さん!?」
「何をしている!?」
シェントロッドは彼女を抱え上げたまま、作業台に視線を走らせた。
浅い桶から、ふんわりと湯気が上がっている。桶の中には何種類かの葉や花が入っているが、とにかく湯が入っている。
「湯に顔をつけて……? 死ぬだろう!?」
虚弱なレイゼルが湯に顔をつけたままじっとしている、という、もうそれだけで、シェントロッドの目には死にそうに見える。
「つ、つけてません!」
頬を上気させたレイゼルは、あわてた様子で説明した。
「薬湯を煎じる時と同じです! 体にいい薬草をお湯に入れて、蒸気を吸い込むんです」
「あ?」
「ええと、胸の中が潤うし、お肌も綺麗になるし、血行も良くなるんです。最近ちょっと、薬湯だけでは体調が回復しなかったので、試してみようと」
「そ、その布はなんだ」
「こう、桶ごと頭を包んで、蒸気を逃がさないように……」
「……そうか」
シェントロッドはようやく、彼女の身体を下ろし、放した。
レイゼルは頭にかかった布を肩に落とし、ぱちぱちと瞬きをしていたが──
──やがて、にこ、と微笑んだ。
「心配してくださって、ありがとうございます。私、隊長さんに心配かけてばっかりですね」
「…………」
シェントロッドは、そんな彼女の顔をじっと見つめた。
そして、ふと、微かな笑みを浮かべる。
「そうだな」
「え?」
驚いたように見つめるレイゼルに、彼は言う。
「いや。お前の言う通り、俺はお前をしょっちゅう心配している気がする」
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要はない。俺にとっては、自然なことだ」
シェントロッドは、悟っていた。
レイゼルが、彼に隠し事をしていようがしていまいが、彼の方の気持ちは変わらないのだ。
シェントロッドは、レイゼルを、いつも気にかけている。
レイゼルは改まった様子で、言った。
「隊長さん、この間も、ありがとうございました。おかげで、命が助かりました」
「俺の方が、何かあったら呼べと言ったんだ。まあ、その通りにならない方が良かったがな」
少々呆れたように鼻を鳴らしつつ、シェントロッドは何となく、黒の皮手袋をしたままの手を伸ばす。半分無意識で、蒸気で額にはりついたレイゼルの前髪をよけた。
「とっさの時に、よく俺を思い出してくれたな」
レイゼルは、されるがままになりながら、また目をぱちぱちさせた。
上気していた頬の赤みが、ぶわっと広がり、顔全体が真っ赤になる。
「は、はい……」
「おかげでお前は、俺に恩返しができるわけだ。何やら礼をしたいと聞いたが」
「そっ、そうですっ! 十倍……にできるかどうかはわかりませんけど」
「スープ十食」
「へ?」
「俺にとって、お前の作る食事は命の糧だ。今日から十食、連続で食わせろ」
「……はい!」
レイゼルは髪をササッと整えると、早速、作業台の下の籠から野菜を取り出した。濃い緑色で、ゴツゴツした外見をしており、レイゼルの頭くらいの大きさがある。
「頂き物のナンプカンです。割ると、中はジオレン色なんですよ。これでスープを作りましょう」
「固そうだな。割るくらいはやる」
シェントロッドは手袋を外す。
「あっ、ありがとうございます」
いつかのリリンカの実のように、シェントロッドはレイゼルを手伝った。彼がナンプカンを一口大に切っている間に、レイゼルは先に彼の薬湯を用意している。
「ナンプカンは、真ん中の方は煮て潰して、トロトロのスープにすると美味しいんです。どこかの地方の言葉で、ポタージュっていうそうなんですけど。皮に近い方は、明日にでも別のスープの具にしようかな。ワタも刻んで入れてしまえばいいし、種は煎ってお茶にできます。ナンプカンは捨てるところがないんです」
機嫌良く説明しながら、土瓶をかまどにかけるレイゼル。
その様子は、シェントロッドから見て、彼に隠し事をして後ろめたいといった風には見えなかった。
手伝いを終え、ベンチに腰かけたシェントロッドは、レイゼルを眺めながら考える。
(毒薬師エデリの件も、レイゼルは村の大人たちのために、ずっと俺には秘密にしていた。こいつは、他人のために何かを抱え込む。『レイ』だったことを俺に秘密にしているのも、裏に事情があるはずだ)
繰り返すが、実際にはたいした事情はない。しかし、リーファン族のシェントロッド・ソロン149歳は、さらに考え込む。
(もし、彼女がまだ何かを抱え込んでいて、それが俺に関わることだとしたら……俺のために彼女が苦しんで寿命が縮むのは本意ではない。ただでさえ短命な人間族だ)
「隊長さん?」
「あ?」
声をかけられて、深い思考の底から浮上すると、レイゼルが薬湯のカップをトレイに載せて差し出していた。
「どうぞ。スープももうすぐできるので」
「ああ」
カップを受け取り、一口すする。
しばらく飲んでいなかったそれが、身体に染み渡っていく。
(……隠している事情だけでも、どうにかして知っておきたいものだな。俺が知ったことを彼女に言うかどうかは別にして、だ)
「……隊長さん?」
眉間にしわを寄せている彼に気づき、レイゼルは心配そうに顔をのぞき込んだ。
「味、変ですか?」
「いや。いつもの味だ」
(今のこいつは、俺が来たことを喜んでいるように見える。しかし、それは礼をしたいと待ちかまえていたからで、隠し事をしている以上、秘密を暴かれることを良しとはしないはずだ。あまり彼女に踏み込むことなく、距離を保ちつつ、調べるべきだろう。そう……近づきすぎないように)
シェントロッドは元々、物事をやや深刻に考える癖がある。レイゼルについてはエデリの件もあり、悪い想像をしてしまった。
(もし、隠し事の理由が俺、もしくはリーファン族が原因だった時は……。俺はいつか、店主の店に通い続けることは、できなくなるのかもしれないな)
「はい、できましたー。『ナンプカンのポタージュスープ』です!」
トレイの上で、濃いジオレン色のスープが湯気を立てている。シェントロッドがスプーンを入れると、荒くつぶれて粒の残ったスープが、ランプの灯りにつやつやと光った。
「……ん。美味い。甘いな」
「よかった。……あれ?」
レイゼルは胸元を押さえ、首を傾げている。
「どうした」
「いえ。このところ、胸がつかえるような感じがしてたんですけど、急に取れたなって……」
えへへ、とレイゼルは笑った。
「あ、さっきの、蒸気のが効いたのかも」
「ずいぶん効果があるものだな」
「隊長さんもやってみますか?」
「……まあ、そのうち……。しかしあれは、知らない者が見たら驚くぞ」
「そ、そうでしょうか。そういえば、どうしてしばらくおいでにならなかったんですか? お忙しいのかと思ったら、本部の隊員さんが、今は忙しくないって」
「……あいつめ……」
「はい?」
「いや。別に、仕事でなくとも俺にも用事はある」
「! ですよね、すみません!」
『レイ』だったことを悟られないよう、ひっそりと人間族なりの方法で、王都時代の恩を返していこうと思っているレイゼル。
レイゼルが『レイ』だったことを知ってしまい、しかしそれを口にすることなく、裏事情を調べようと思っているシェントロッド。
二人は薬草の話や村の話などしながら、穏やかに、秋ならではの甘いポタージュを楽しんだのだった。
ナンプカン=パンプキン+ナンキン+カボチャ、です(笑) 日本の一般的なカボチャは、本当は英語でパンプキンではなくてスクワッシュというらしいですが。
レイゼルがやっている蒸気のアレに興味のある方は、フェイシャルスチームとかハーバルスチーム、薬草スチームなどの言葉で検索してみてください!




