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第四十一話 店主は隊長を待っている

 森でラルヒカの毒にやられてしまったレイゼルは、五日の間、モーリアン医師の診療所で過ごす羽目になった。

 幸い、処置が早かったのでじんましんはすみやかに引き、後遺症も残らなかったのだが、レイゼルは元々虚弱体質である。ちょっと寝込んだだけでも、そこから体力が回復するまでに時間がかかるのだ。


「今は一人になっちゃダメだよ、レイゼル!」

「食事なら差し入れるからね!」

「しばらく入院しな!」

 心配した村人たちは、レイゼルが水車小屋に帰りたがるのをなんだかんだ言って引き延ばした。

 彼らは、薬湯屋の棚のどこにレイゼル用の薬湯が調合して置かれているのか、知っている。それをちゃっちゃと持って来られて、

「ここで煎じてあげようね」

 と言われてしまえば、レイゼルも大人しく過ごさざるを得なかった。


 その間、シェントロッドは、診療所に顔を出さなかった。

(アザネ村は、一つの大きな家族のようなものだ。そんな人々がレイゼルを見ているなら心配ない。……俺など、いなくとも)

 微妙にいじけている感のある彼は、警備隊本部のあるフィーロで数日を過ごした。


 ここで思い出してほしいのが、本部の隊員たちはシェントロッドとレイゼルがいい仲だと誤解している、ということである。レイゼルが火脈鉱を買いにフィーロに来たとき、一緒に暮らしているかのような会話を彼と交わしたのがきっかけだ。

「隊長、すっごい不機嫌なんだけど」

「アザネに行かないしな。……あの、人間族の細い子と何かあったんじゃない?」

「普通に考えて、喧嘩したんだろうなぁ」

「腕のいい薬湯屋だって聞いたけど、どんな店かな」

 隊員たちは噂し合った。


 そして、さらにそれから数日。

 診療所から店に戻って三日目のレイゼルは、放ったらかしだった菜園から収穫すべきものを収穫し、煮たり干したりして過ごしていた。

「隊長さん、来ないなぁ……」

 干した薬草を薬草棚にしまいながら、レイゼルはつぶやく。


 来たらお礼を言おう、と、彼女はシェントロッドを待ち構えていた。森で助けてもらってから、彼とは一度も顔を合わせていないのだ。病み上がりの今は、さすがにフィーロまで訪ねて行くわけにもいかない。

 ふと振り向いて、ベンチを眺める。今、そこには誰も座っていない。

(そういえば、一週間を越えて会わないなんてこと、あったかしら? ……何だか、変な感じ)

 長い足を折り曲げてベンチに腰かける、あの姿がないことに、彼女は一抹の寂しさのようなものを感じた。

(存在感のある方だから、その分、こう……ぽっかり空いてしまったような感じがするのかも。きっと、お忙しいんだろうな。そういえば王都でも仕事仕事だったし。ここでゆったりしてる姿の方が珍しいもの)

 ここでしかゆったりしていない、ということに気づいていない、鈍いレイゼルである。


 そこへ──

 ふっ、と、戸口に影が差した。

 警備隊の、藍色の隊服。


「あ」

 隊長さん、と言いかけて、レイゼルは口をつぐんだ。

「どうも」

 人間族の、若い男だった。

 警備隊の隊員ではあったが、シェントロッドではない。アザネ村に常駐している隊員でもない。襟に、フィーロの市章をつけている。

「フィーロの本部の方ですか? こんにちは、お疲れ様です」

「あ、うん、そう。ちょっと仕事でアザネまで来たもんで」

 隊員は店の中を見回した。


 彼は、伝令役の隊員だった。シェントロッドがアザネ村の隊舎に行かないので、代わりに定期連絡に来たのである。

 そして彼は、隊長と噂になっている薬湯屋の店主に興味津々で、同僚たちを代表して(?)偵察に来たのだった。


「小っさ……」

「え?」

「あ、すいません、こぢんまりとした雰囲気のいい店だね!」

 隊員はニコニコと言ったが、内心では、

(こんな小さい店に、あの長身の隊長が、この子と暮らしてるのか……?)

 といぶかしんでいる。

「えーと、その、疲れが取れる薬湯なんかあるかな」

「ええ、もちろん!」

 レイゼルはその隊員に色々と質問し、処方録(カルテ)に書き留めると、彼に合う薬湯を調合した。


 土瓶に入れて煎じ始めると、隊員は香りを吸い込み、そしてため息をつく。

「はー、なんか、気持ちいい。じんわりして……本当に疲れが取れる」

 レイゼルは気遣って、世間話をする。

「フィーロ本部、お忙しいんでしょうね」

 社交辞令に近いような言葉ではあるが、彼女の脳裏には、最近来ないシェントロッドが忙しくしている様子が浮かんでいる。

 隊員はさらっと、こう答えた。

「いや、そうでもないよ。最近、事件らしい事件もないし」

「……そうなんですか?」

 レイゼルは、何となくモヤモヤしたものを感じながら、首を傾げた。

「隊長さんがいらっしゃらないので、てっきり……」

「えっ、あっ」

 隊員は視線を泳がせる。

 その様子を見て、レイゼルは戸惑いを顔に出してしまった。

(じゃあ、どうしてお店に来なくなったのかしら。……あれ? もしかして私、何かしてしまった……?)


「あの……」

 彼女は言葉を選びながら、言った。

「薬湯屋が、お礼をしたがってるって、隊長さんに伝えていただけますか? 先日、助けていただいたんです」

「そ、そうなんだ? うん、わかった、伝えるよ」

 隊員は請け合った。

 レイゼルは微笑み、そして──

 ──物思いに沈んでしまった。

 土瓶の中で、くつくつと薬湯が煮える音だけが、店に満ちる。

 そこから話が弾むこともなく、隊員は彼女の様子をチラチラ気にしていたが、結局できあがった薬湯を飲んですぐ、帰って行った。


 レイゼルは菜園に出ると、ベンチに腰かけた。ぼーっと薬草の緑や花々を眺めながら、どこか、胸の奥が詰まったように感じる。

(何だろう、この気持ち……。まだ本調子じゃないせいかしら。それとも、秋だから? 秋は、何もなくてももの悲しい気持ちになるもの。ちょっと、薬湯の調合を変えてみようかな)

 けれど、色々と考えを巡らせてみても、しっくりくる調合を思いつくことができない。集中できない。

 彼女は結局、その日は早めに店じまいして、夜も早く床についてしまった。


 ロンフィルダ領の中心部、フィーロの町。夕方。

 警備隊隊長のシェントロッド・ソロンは、隊長室の椅子に腰かけていた。テーブルに両肘をつき、手を組んで、机の前に立っている隊員をじろっとねめつける。

「……今、なんと言った?」

「は……ええと……その」

 冷や汗をかき、口ごもりながら、隊員は答えた。

「アザネ村の、薬湯屋の店主から、伝言を頼まれまして……隊長に、お礼をしたいと、言っていました……」

「薬湯屋に行ったのか」

「は、はいっ……いやその、評判がいいので、どんな店かと」

「そして俺の話になったと。彼女はどう言っていた」

「た、隊長が最近いらっしゃらない、と」

「お前がアザネから戻ってきたのは、昨日だな。なぜ今日のこの時間まで、それを伝えに来なかった」

「う……」

 ちょっと偵察するだけのつもりが、警備隊が特に忙しくないのにも関わらずシェントロッドが薬湯屋に来ていないという事実を明らかにし、その結果、店主は落ち込んだ様子を見せた。

 隊員は、自分が失言をしたことを重々悟っており、なかなかシェントロッドに報告に来れなかったのである。

「た、隊長!」

 ここまでやらかしたのだから、もう破れかぶれ。

 隊員はビシッと背筋を伸ばして、言った。

「以前、店主がフィーロの隊舎に来た時とはずいぶん違って、塞いだ様子でありました! あまり彼女を知らない自分でさえ、心配になりました! 以上です!」

 ぎくしゃくと、隊員は回れ右をし、隊長室を辞した。


「…………はー…………」

 シェントロッドは、組んだ両手に額をつけ、ため息をついた。

 彼は知っている。レイゼルは、心の状態がすぐに体調に響いてしまうのだと。

(昨日、塞いだ様子だったなら、今日にはもう体調を崩しているかもしれない)

 考え込みながら、顎を撫でる。

(何をためらうことがある。俺はただの客だ)

 かつてレイゼルは、リュリュに「隊長はただのお客」だと言い聞かされたことがある。シェントロッドはそんなことなど知らないが、意図せず、同じことを自分に言い聞かせた。

(そう。客として、店主が体調を崩してしまっては困る。薬湯が飲めなくなるからな。スープもだ。店主が俺に助けられたことを気にしているなら、十倍の礼をさせてやればいい。それですっきりして、塞ぐこともなくなるだろう)

 レイゼルが彼に隠し事をしている理由がなんなのかは、ずっとずっと気になっていた。

 しかし、ただの客がそこに踏み入る必要があるだろうか。

(行こう。店主の具合を悪くさせないためには、早い方がいい。そして、薬湯を飲んで帰ってこよう)

 シェントロッドは立ち上がった。 

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