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第三十八話 ソロン隊長はあの子の何なのよ

「ソロン隊長! ソロン隊長!」

 大声で呼ばれて、シェントロッドは振り向いた。


 夏の昼下がり、アザネ村の大通りは強い日差しに照らされ、時折白い砂ぼこりが風に吹き散らされている。

 シャツにベストという警備隊の夏服を着ていても、暑いものは暑いはずだが、シェントロッドは涼しい顔で村を見回っていた。


 そんな彼を呼びとめたのは、金物屋の店先から出てきた小太りの女性。ここのおかみのジニーだ。

「見回り、お疲れ様! 美味しいレドグリンがあるのよ、食べてって!」

 ほらほら、と手招きしたジニーがさっさと店の中に入ってしまったので、断る暇もなかったシェントロッドは仕方なく、後に続いた。


 明るい外から店の中に入ると、その落差でひどく暗く感じる。しかしすぐに目は慣れ、土間の両側にある棚に金属の鍋やザルやカゴ、工具などが所狭しと並んでいるのが見えた。

 棚の間を抜けると、奥に台所があり、店の主人である男が椅子に座っている。彼はシェントロッドを見て、無言で会釈した。

 ジニーは台所の調理台で包丁を握ったところだ。

「さあさ、座って! 今、切るからね」

 まな板の上には、子どもの頭ほど大きな、丸い緑の果実レドグリンがあった。

 彼女は手際よく、レドグリンを八つに割る。鮮やかな赤い果肉が、汁を滴らせた。


「はいどうぞ! 川の水で冷やしてあるよ」

「……いただこう」

 勧められた椅子に横向きに腰かけ──背が高く足が長いので、まっすぐ腰かけると膝が机に当たるのだった──、シェントロッドは一切れ手に取った。

 かぶりつくと、しゃくっ、という音とともに、爽やかな甘さとたっぷりの果汁が口の中に溢れる。

「美味いな」

「でしょ!? やっぱり夏はコレよねぇ。ほら、あんた、食べるでしょ」

 ジニーは寡黙な夫の前にもレドグリンの皿を置いた。それから、シェントロッドの向かいに腰かける。

 しかし、彼女自身はレドグリンには手を着けずに、両肘をついて彼をまじまじと見つめた。


「…………」

 視線の強さに負けて、シェントロッドは横目で彼女を見る。

「……金物屋のジニー。俺に何か、用事があったのか」

「用事ってほどじゃあないけど、ソロン隊長とおしゃべりしたくてさ」

 さばさばと、ジニーは言う。

「ねぇ、ソロン隊長は、誰かと結婚の予定はあるのかい?」

 いきなりの質問に、シェントロッドは「あぁ?」と眉を軽く上げた。

(なぜ、そんな質問を?)

 しかし、最近リュリュが結婚したばかりでもあり、リーファン族の結婚事情に興味を持つ村人がいてもおかしくない、と考えて答える。

「今のところ、予定はないな」

「そういうお年頃じゃないのかい?」

「リーファン族は家族という形を重視しないから、結婚することはそこまで重要ではない。当然、年頃という考え方もない」

「へぇー、そうなの! じゃあさ」

 ジニーはニコニコと続けた。

「ソロン隊長は、レイゼルのこと、どう思ってる?」


「……は?」

 結婚話とどう繋がるのかと、眉間に皺を寄せたシェントロッドだったが、ジニーはひるまずに軽く身を乗り出す。

「人間族とリーファン族が、同族みたいに仲良くなることって、あるの?」

「それはもちろん、ある。王都では人間族とリーファン族が共に仕事をしている。俺も今まさに、警備隊で人間族と働いているだろう」

「それは同僚ってだけじゃないか。ソロン隊長って、レイゼルの何? ただの店主と客には見えないんだよ」

「む……何、と言われてもな……」


 シェントロッド自身も、レイゼルが彼にとってただの『村人その一』でないことくらいは自覚している。

 しかし、それが『何』なのかと聞かれると、名前をつけるのは難しかった。


「……俺は、あの店と店主を気に入っている。彼女の薬湯は効くし、店も居心地がいい」

 考え考え、シェントロッドは語り出した。ジニーは相づちを打つ。

「ふんふん」

「身体が弱い彼女があの仕事を続けていけるように、助けてやりたいとも思う。だから、同族のように思っているかと言えば、そうかもしれない。彼女がどうしているかは、常に気にかかるしな」

「ほおほお」

「しかし、アザネの大人たちは皆そうだろう? レイゼルは家族を持たないと言っているが、皆、彼女のことを家族のように思っていて、幸せになってほしいと思っている」

「そうだねぇ、本当にその通り。あたしにとっても、もう娘みたいなもんさ」

 ジニーはうなずき、そして言う。

「だから、もし、もしもだよ、レイゼルがちゃんとした誰かと結婚したいって言ったらすごく嬉しい、とは思ってたんだよねぇ。ソロン隊長はどう思う?」


「どう、とは」

 シェントロッドはまたもや、言葉に詰まった。 

 以前、レイゼルがルドリックと夫婦になって薬湯屋をやるかもしれない、と思った(思わされた)ことがある。その時のモヤモヤした感情が、心の奥の方でよみがえった。

 彼女の過去を掘り起こした身として、シェントロッドはレイゼルに関することにはまっすぐ向き合おうと考えている。彼は、その気持ちを言葉にすることにした。


「……………………うまく説明できないが」

 シェントロッドは咳払いをした。

「あの店に行くと不思議と、『帰ってきた』ような気持ちになる。あの店と彼女は、俺の一部になっているというか、界脈のように繋がっているように感じる。だから、そこに別の何かが横から入ってくると違和感があるし、例えば彼女の結婚によって店がなくなるかもしれないと考えてみると、俺の一部をもぎ取られるような気がする」

 そして、彼は視線を足下にやった。

「さっきは、俺の彼女に対する気持ちは、彼女を家族のように思っているアザネの大人たちと同じだというようなことを言った。しかしこうしてみると、そう言う資格は俺にはないのかもしれないな。彼女の結婚について、ジニーのようには思えないのだから」


 すると、ジニーはニカッと笑った。

「んふふ、まぁ、もしもレイゼルとソロン隊長が同じ気持ちなら、特に問題ないよねぇ」

 シェントロッドは視線を上げ、ジニーを見た。

「同じ気持ち、というのは?」

「ソロン隊長にとって、レイゼルが自分の一部だと思うみたいに、レイゼルの方が、ソロン隊長は自分の一部だと思うようになったらいいね、ってこと。あと、もしソロン隊長が警備隊を辞めてアザネを去ったら、レイゼルは自分の一部をもぎ取られるように感じる、とかね」

「それは」

 シェントロッドは思わず、軽く身を乗り出す。

「レイゼルが彼女の一部をもぎ取られたら、大変なことになるだろう。身体が」

「そうだよ、大変さ」

 そう言うジニーは、大変だという風ではなく、機嫌よくニコニコしている。

「だから、お互いに同じ気持ちなら離れずに済むんだから、一番いいだろ? それでまず、ソロン隊長の気持ちを聞いてみたんだよ」


「…………」

 シェントロッドはしばらく、ジニーのふくふくした顔を見つめていたが、やがて椅子に座り直して肩をすくめた。

「なるほどな。つまり、レイゼルを傷つけるなよ、と言いたいわけか」

「まあ、それもあるね。あの子が傷つくようなことを見過ごすわけには行かないからねぇ?」

 一瞬、金物屋のおかみの笑みが、妙に凄みを帯びた。

 しかしそれも本当に一瞬で、ジニーはまたニコニコする。

「あたしはレイゼルに幸せになってほしいけど、ソロン隊長にだって幸せになってほしいんだよ?」


「それは、ありがたいことだな」

 彼は立ち上がりながら続ける。

「心配しなくとも、彼女は薬湯屋の仕事に夢中だし、そもそも結婚とか家族とか考えてはいないだろう」

「だからぁ、リーファン族もそうなんだろ? その上で、ソロン隊長にとってレイゼルは特別なんだろ? あの子もそう思うようになれば、二人とも幸せになれるじゃない」

 見送りについてきたジニーは、高い位置にあるシェントロッドの肩をポンと叩く。

「頑張って! あたしは、協力は惜しまないよ?」

「わかったわかった。ああ、レドグリン美味かった、ありがとう」

 いい加減な返事をしつつ片手を上げて、シェントロッドは金物屋を辞した。

 すっかり存在を忘れていたが、台所では寡黙な金物屋の店主が再び、黙って会釈していた。


(やれやれ。……しかし、ふーん、そうか)

 シェントロッドは大通りを歩きながら、軽く顎を撫でる。

(家族という形を重視しないリーファン族の考え方と、レイゼルが家族を持ちたがらない考え方は、『合う』のかもしれない。これは新しい発見だな)

 レイゼルも、リーファン族の考え方を好ましく思うかもしれない。

(彼女にとっての特別……か)

 まるでセラの実とビスカの花の茶を飲んだ時のように、妙に甘酸っぱい気持ちがした。


 感情を消化しきれず、シェントロッドが口元をもにょもにょさせながら歩いていると、声がした。

「ソロン隊長! ソロン隊長!」 

 振り向くと、揚げ物屋の店先で主人が手招きをしている。

「美味しいレドグリンがあるんだよ、食べてってくれ!」

 何となく嫌な予感がして、シェントロッドは聞いた。

「……揚げ物屋。俺に何か、用事があるのか」

「いやー、用事ってほどじゃないけど」

 揚げ物屋の主人は、わはは、と笑う。

「ちょっと話してみたくてさ。ソロン隊長は、レイゼルのこと、どう思ってるんだい?」

「その話はたった今、金物屋でしてきた。そっちで聞いてくれ」

 シェントロッドは足早に、その場を逃げ出したのだった。

次話タイトル予告『レイゼル=レイ 前編』

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