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第三十七話 大事なヒゲ

 アザネ村の大通りから南へ延びる道へと入り、少し行ったところに、一軒の商店がある。

 トマは、その商店の跡取りだ。

 種々雑多なものを扱う雑貨屋だが、郵便業も兼ねていて、色々な町や村との間を行き来する際に手紙も運ぶ。取引先も多岐にわたり、トマには覚えることが山ほどあった。


 子どものいない主人夫婦が、孤児院からトマを引き取ったのは、彼が計算に強かったからだ――トマはそう思っている。商家の跡取りに計算力は必須だ。

 そして、トマは今のところ、養父母の期待に応えていた。


「レイゼル」

 トマが薬湯屋の入り口を入っていくと、レイゼルは台所の作業台で、シロトウコモの葉を剥いていた。

「あ、トマ! いらっしゃい。見て、シロトウコモをもいできたんだけど、今年はすごく立派にできたの!」

「ああ、うん、美味しそうだね」

 トマは眼鏡を直しながら、レイゼルの手元をちらりと見た。


 シロトウコモはイネの仲間で、軸にびっしりと薄黄色い実が成る。

 葉が剥けたところから、はちきれそうな小さな粒がずらりとのぞき、艶々と光った。ヒゲと呼ばれる細長いものが、ふさふさと先から垂れている。


「去年は先っぽの方があまり実ができなくて。ちゃんと受粉しなかったんだろうね。でも今年はいい感じ! あっ、おじさんおばさんの薬湯を取りに来たんでしょ、ちょっと待ってね」

「うん。いいよ、急いでないからゆっくりで」

 トマはベンチに腰かけた。


 レイゼルは今剥いていた分だけ剥き終えると、脇に置いて冷ましてあった土瓶からカップに茶を注ぎ、トマに渡す。 

「お茶飲んで待ってて」

「ありがとう。火脈鉱の使い心地はどう?」

「もう、ほんっと、買ってよかった! 便利!」

 レイゼルは「ほんっと」のところで両手を握って力を込め、笑った。


 彼女は保管用の棚のところに行って、薬草類の包みを取り出し、数を数えた。トマの養父の分と養母の分、それぞれ内容が異なるそれを分け、トマが持ってきた二つのカゴにそれぞれ入れる。

「トマ、シロトウコモも少し持って行く?」

「あー……」

 一瞬、口ごもってしまったトマに、レイゼルは振り向いて首を傾げた。

「どうしたの?」

「はは、あのさ、レイゼル」

 トマはベンチに座ったまま、視線を落とす。

「僕、あまりシロトウコモにいい思い出がなくて」


「何かあった?」

 レイゼルはトマに向き直った。

「うん……聞いちゃったんだよね、去年」

 ぽつぽつと、トマは話す。

「去年の夏、僕、ちょっと長いこと体調崩してたの覚えてる?」

「あ、うん。お腹の具合が悪いのが、なかなか直らなかったよね」

「そうそう。それで何日か寝込んでたんだけど、そんなある日、養母(はは)が近所の誰かから、たまたまシロトウコモをもらってきたんだ」


 トマはその時のことを思い出す。

 彼は寝台にいたけれど、扉の隙間から見えた机の上に、養母が大きなシロトウコモを乗せるのを見ていた。

 美味しそうだな、と思った。

「養母が、きっと美味しいわ、トマにも食べさせましょう、って言った。そうしたら、養父の声が聞こえて……」


『あいつにはヒゲでもやっておけ』


「……だって」

 顔を上げたトマは、ごまかし笑いを浮かべる。

「まあ、わかってたけどね! 僕が商家の跡取りに向いてる頭をしてるから引き取られただけだって。今さらこの年で、可愛がってくれ、なんて言うつもりはないけど。でも、ちょっとショックだった」

 すっかり打ち明け、トマはひとつため息をついてから、顔を上げる。

「しゃべったらスッキリしたよ、ありが……」

 ギョッとして、トマはレイゼルを見た。


 レイゼルが、手を止めたまま、目も口も丸くしてトマを見つめていたのだ。 


「……トマ!」

 彼女が彼を呼ぶ勢いに、トマは少し顔を引く。

「え、何、何」

「おじさんは、トマを大事に思ってるからそう言ったのよ!」

 レイゼルは、サッ、と彼の隣に座る。

「まず、お腹の具合の悪いときに、シロトウコモは食べてはいけません。繊維が多くて消化が悪いから!」

「そ、そうなの?」

「そうです。そして、シロトウコモのヒゲ!」

 また両手を握って、レイゼルは力説した。

「いい薬になるのよ!?」

「えっ」

 今度はトマが目を丸くした。

 うなずいたレイゼルが続ける。

「むくみのある人とか、お腹に石ができやすい人は、ヒゲを干したものを煎じてお茶にして飲むといいの。ちなみにそれ、ヒゲ茶です」

「えええ!?」

 トマは手にしていたカップを見た。

「……美味しい」

「でしょう」

 にこ、と、ようやくレイゼルは表情を緩める。

「おじさん、シロトウコモが食べられないトマに、せめてヒゲをって思ったんだよ。だって私、この話、おじさんにしたことあるもの」


「…………」

 トマは黙って、カップを両手で包む。

(そう、だったんだ……)

 養父自身、立派なヒゲを生やしている。その顔を、彼は思い浮かべた。


「ずっともやもやしてたの? もう」

 レイゼルは立ち上がると、薬草を入れたカゴにシロトウコモを一本ずつ突っ込んだ。

「軸にも薬効があるから、スープを作るとき一緒に煮出してね。はい」

「あ、ええと、うん」

 立ち上がったトマは、胸元に突き出されたカゴをあわてて受け取る。

 そして、眼鏡の奥の目を細めて微笑んだ。

「――ありがとう」

「おじさんおばさんによろしく!」

 レイゼルの声に送られて、トマは薬湯屋を出た。


 歩きながら、トマはカゴの中を見た。

 大きなシロトウコモは、さっき作業台の上に置いてあった時より、ずっと美味しそうに見える。


「スープか。いいな」

 足取り軽く、トマは彼の家に向かって、夏の夕暮れのあぜ道を歩いていった。 

いわゆるワンライ(1-hour writing)に挑戦してみました。このお話は校正を含めてちょうど1時間くらいで書いてあります。誤字脱字はおそらく見逃してる……! 見つけたら教えてください。

いつも誤字報告ありがとうございます、感謝しております!


トウモロコシのヒゲ茶って、もしかして有名なの? とも思ったんですけど、知らない人もいらっしゃるだろう、そして知ったらこんな反応かも、と思って書いてみました。私もコーン茶は知ってたんですがコーンのひげ茶は知らなくて、今回調べて「へぇ〜」ってなりました。

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