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第三十六話 火脈鉱を買いに(3)

 シェントロッドが宿を訪ねたとき、レイゼルはベッドにいた。


「やはりか」

 衝立の上から覗くと、ベッド脇のスツールにルドリックが座っており、ギョッとして彼を見上げる。

「うわ、びっくりした」

「熱を出したのか」

「ああ……そうです。話は聞きました、引ったくりに遭ったって」

 ルドリックが立ち上がってスツールを勧めたので、シェントロッドは衝立を回り込んでベッド脇に行った。

 レイゼルが赤い顔をシェントロッドに向ける。

「すみません……びっくりしすぎたみたい……」

「あいつは牢に放り込んであるから安心しろ」

 座りながら言うと、レイゼルは熱で潤んだ目を細めて微笑む。

「はい、ありがとう、ございます。隊長さん、どうして、あそこに」

「今日、お前がフィーロにいるのは知っていたからな。見回りついでに火脈鉱の店に立ち寄ろうとしたら、ちょうどお前が出てきたところだった」

 あの後、シェントロッドが鉱石店の店員に声をかけ、レイゼルを店員に宿まで送ってもらったのだ。

「あの引ったくりは、店から出てくる客を狙っていたらしい」

 シェントロッドが言うと、レイゼルはしゅんとなった。

「ルドリックにも、気をつけろって言われてたのに、ごめんなさい」

「悪いのは引ったくり犯に決まってるだろ! レイゼルみたいなやつを狙いやがって。くそ、俺もついて行けばよかった」

 ルドリックは立ったまま、犯人と自分にイライラして片足をタンタンと何度か床に打ちつけた。


 シェントロッドは軽くため息をつく。

「最近、フィーロで窃盗が増えていると報告を受けたところだった。鉱石店も、客が無防備にならないように対策するそうだ」

「私の件がきっかけで安全になるなら、よかった」

 そんなことで浮上して微笑むレイゼルに、ルドリックは呆れる。

「よくはないだろ、怪我したんだから」

「そうだな、よくはないな。寝込みがちな上に怪我までしたら、命がいくつあっても足りないと、前にも言っただろう」

 シェントロッドにも言われ、レイゼルはベッドの中で「はい……」と肩を縮めた。

「まあ、悪いのは犯人だというのは同感だが、店主のような人間が無防備でいるのは命取りだ。俺がそばにいれば守るが、そうでない時は気をつけろ」

「え」

 ルドリックが声を漏らしたので、シェントロッドは彼を振り向いた。

「……何だ」

「あ、いえ。レイゼル、また出かけるなら、誰かと一緒に行動した方がいいかもな」

 ルドリックの言葉に、レイゼルは熱で少しボーッとしながらうなずく。

「うん」


 警備隊の隊長殿、しかもリーファン族に、レイゼルが個人的に「そばにいれば守る」などと言われたことに、ルドリックは少し驚いていたのだ。

(ソロン隊長、すごく自然に、レイゼルを大事にしてるよな)

 二人の関係が変わってきたことを、ルドリックが薄々感じ取った瞬間だった。


 シェントロッドが軽く身を乗り出し、レイゼルに話しかける。

「店主。俺の薬湯だが、界脈流が繋がったから変えるのか」

「あ、はい……サキラは減らしましょう。それから、回復期に必要なのが……」

 レイゼルがいくつかの薬草の名前を挙げ、シェントロッドがうなずきながら質問する。


 ルドリックは、発熱中のレイゼルにあまり話しかけない方が……とチラッと思ったが、ふと気づいた。

(もしかして……) 


 そのうち、レイゼルはウトウトとし始めた。やがて返事がなくなる。

「……眠ったか」

 シェントロッドは身体を起こし、スッ、と立ち上がった。ルドリックは、ニッ、と口角を上げてシェントロッドを見上げる。

「ソロン隊長、もしかしてレイゼルを平常心に戻してくれたんですか?」

「あ? まあ、一応そのつもりだ」

 前髪をかきあげ、シェントロッドは淡々と言う。

「店主は仕事をしていると、仕事に集中して、他へ気を散らすことがない。引ったくりに遭って衝撃を受けて熱を出したなら、そのことを忘れ、いつもの状態に戻した方がいいと思っただけだ」


「ありがとうございます。って、俺が言うのも何ですけど」

 礼を言うルドリックにうなずきかけてから、シェントロッドは聞く。

「アザネにはいつ戻る」

「レイゼルの体調次第ですが、明後日の早朝にこっちを出る予定でした」

「そうか。店主の火脈鉱は、火力が弱い小さな石だからそこまで高価ではないが、心配なら俺が預かってアザネに持ち帰ってもいい」

「あ、それじゃあ、お願いします」

 ルドリックは甘えることにした。

 道中、レイゼルが火脈鉱を持っていることで色々と心配したり思い出したりして、体調が悪くなる可能性があるからだ。彼女はとにかく、心の変化が体調に出る。


 布包みを渡しながら、ルドリックは言う。

「レイゼルから聞きました、ソロン隊長が界脈を通って、犯人の前にいきなり現れたって。やっぱりリーファン族はすげぇや」

「リーファン族の中でも、そういうことをするのは界脈士だけだがな」

 シェントロッドは肩をすくめる。

「戦争では便利に使われる能力だ。敵の背後を突いたり、本陣に突っ込んだり」


「あー」

 ルドリックはハッとなって言葉に迷う。

(不思議な感じだな。もしリーファン族が人間族を支配しようと思ったら簡単にできそうなのに、俺たちは平和に暮らしてる、っていうのが)

 彼は好奇心に負け、尋ねた。

「そうすると、界脈士同士が戦った時って、どうなるんですか」

「界脈に沈んだままで戦いになることもある。昔、隣国のリーファン族と戦ったことが……」

 シェントロッドは言いかけたが、結局途中でやめた。

「人間族には説明が難しい。……俺は隊舎に戻る、何かあったら来い」

 彼は軽く手を挙げ、ちらりとレイゼルを見てから、包みを持って去って行った。



 翌日の夕方。

 シェントロッドが警備隊舎の隊長室にいると、人間族の部下が「お客さんが来てます」と呼びにきた。

 隊舎の一階は、カウンターといくつかのベンチというシンプルな作りになっている。そこに降りてみると、ベンチにちょこんと座って待っていたのはレイゼルだった。

「あ、隊長さん」

 立ち上がった彼女に、シェントロッドは近づく。

「熱は下がったのか」

「はい、おかげさまで。昨日はありがとうございました」

 顔色の戻ったレイゼルは頭を下げると、手にしていた籠からいくつかの紙包みを取り出した。

「明日、アザネに帰るんですけど、今日、薬草屋さんだけは行けたんです。それで、色々買えたので、隊長さんの新しい薬湯用にと思って」

「調合したのか」

「はい。一日に一つ、食堂で煎じてもらってください」

 彼女は仕事をしていると心が落ち着くらしい、とシェントロッドが見抜いた通り、レイゼルは今日は仕事をして体調が戻ったのかもしれない。


「わかった」

 シェントロッドは紙袋を受け取り、そして言った。

「三日後には俺もアザネに戻る。待っていろ」

「あ、はい」

 彼が預かっている火脈鉱を持ってきてくれる件だと気づいたレイゼルは、嬉しそうに微笑んだ。

「楽しみにしてます!」


 その、二人のやりとりは、数人の隊員たちに聞かれており。


「『戻る』? 『待っていろ』?」

「え、隊長、あの子と暮らしてるの!?」

「へぇ、人間族とリーファン族が」

「戻るのを楽しみにしてますだって。うらやましい」


 ――色々と、誤解を招いていたのだった。

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