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第三十四話 火脈鉱を買いに(1)

 春の肌寒さはすっかり遠のき、ロンフィルダ領にもうすぐ夏が訪れようとしていた。

 気温の変化に弱いレイゼルも、今の季節はあまり体調を崩さずに済む。薬湯は続けているものの、畑の世話をしたり、森にベリーを摘みに出かけたりして、毎日を過ごしている。


 店の方も順調で、医師モーリアンの紹介で他の町にも常連客ができた。村長の息子ルドリックが、様々な取引をしに村の外のあちらこちらに行くので、素材を調合しては彼に託し、届けてもらっている。

 そんな時に、ルドリックにはいつも買い物を頼んでいるのだが――


 こんな季節だからだろうか、ふとレイゼルは思った。

「そうだ。フィーロ、行こう」


「は?」

 ベンチで薬湯を飲んでいたシェントロッド・ソロンが、眉を上げた。

 作業台の前にいたレイゼルが、彼の方を振り返ってニコニコする。

「だいぶお金が貯まったので、そろそろ火脈鉱が欲しいな、と思ってたんです。フィーロに、鉱石の大きなお店があるそうなので」


 火脈鉱、とは、この世界の界脈と呼ばれるエネルギーの流れとつながっている鉱石の一つである。地底の火のエネルギーを引き出し、石が発熱するのだ。いちいち薪を燃やさなくていいし、繰り返し使えるので、毎日火を使うような店には必需品である。

 薬湯をコトコト煎じるための熱なら、子どものこぶし大の火脈鉱があれば十分なのだが、掘り出すのに技術がいるのと産出量が少ないため、値段が張る。そのため、レイゼルは火脈鉱を買うために少しずつお金を貯めていたのだった。


「それに、たまには薬草のお店も自分の目で見たいですし。新しい薬草と出会えるかも。本も買いたいし、レース編みの糸も好きな色を選びたいし」

 考えているうちにワクワクしてきてしまったレイゼルは、頬を上気させている。


 シェントロッドは眉間にしわを寄せながら、薬湯をもう一口飲み、そして口を開いた。

「お前は、この村を出たことはあるのか?」


「えっ」

 ぎくっ、とするレイゼル。

「あ、ありますよ? フィーロには一度行きましたし」

(リーファンの薬学校の地方試験を受けに)

「フィーロの学校で薬のことを学べるところがありますし」

(って村の人が言ってたわ。私は通ってないけど)

 心の声の部分は省略しまくるレイゼルである。

(それに、王都ティルゴットに行ったどころか、三年間いたなんて、もちろん言えない。あっ、でも一度も行ったことがないってことにしてしまうと、うっかり王都の話とかしちゃって、ボロが出そう)

 彼女にしては素早く考え、そして付け加える。

「あと、ええと、実は王都にもちょっと、行ったことが」


「王都?」

 シェントロッドは珍しく、意外そうな表情になった。 

「何をしに行ったんだ」

「し、知り合いがいるので」

(行ってからできた知り合いだけど)

 じわじわと汗をかきはじめるレイゼル。彼女は嘘をつくのには向いていない。


「ああ……そういえば、お前はトラビ族にも知り合いがいたな……」

 何やら勝手に納得したシェントロッドは、容赦なく質問を続けた。

「どうやって行ったんだ」

「どう、って、馬車で。商人さんに乗せてもらったんです」

「人間族は、王都まで何日もかかるはずだ。店主、具合は悪くならなかったのか」

「……なりました……けど、一度寝込んだだけでたどり着けました!」

(帰りはね! 行きは三回寝込んだけど!)

 だんだんこの会話が辛くなってきたレイゼルは、首を傾げる。

「でも、どうして村を出たことがあるのかお聞きに?」


「簡単に『フィーロに行く』などと店主が言うからだ。無事にたどり着けるとは思えん」

 あっさりとシェントロッドは言い、立ち上がって作業台に歩み寄ると、空になったカップをレイゼルに差し出す。

「また商人の馬車に乗せてもらうのか」

「ルドリックに頼もうと思っています。彼はよくフィーロに行くので」

 カップを受け取りながらレイゼルが答えると、シェントロッドは彼女を見下ろしてうなずいた。

「あいつがいるなら大丈夫か。……俺もフィーロの、守護軍警備隊の隊舎にいることが多い。何かあれば訪ねろ」

「あ」

 心配されているのだ、と気づいたレイゼルは、彼を見上げてニコリとお礼を言った。

「はい! ありがとうございます」

 シェントロッドは軽く鼻を鳴らすと、代金をレイゼルに渡して店を出て行った。


 レイゼルは、ふう、とため息をつく。

 そして、拳を握った。

「よし、そうと決まれば、ルドリックに頼まなくちゃ。それで、お店のお休みのお知らせを出して、買うものを書き出して、っと。忙しくなりそう!」



 それから十日後、レイゼルはルドリックと、フィーロに取引に行く村人二人とともに馬車に乗り、フィーロへと出発した。

 朝早く出発した馬車は、アザネを出ると東へと進む。途中、丘陵地帯を通るため多少揺れるのだが、それ以外はこれといって障害のない道行きだ。


 フィーロに到着したのは夕方だった。

「ここ、俺がいつも使ってる宿」

 開かれた門の中にルドリックが馬車を入れると、厩舎の前の広場に止める。そこには他の客の馬車も置かれていて、広場は乾草の匂いと馬のいななきに満ちていた。


 宿の使用人が馬を外してくれている間に、ルドリックと村人たちはレイゼルに手を貸して馬車から下ろした。

「大丈夫か?」

「な、なんとか……」

 レイゼルは白い顔で答える。全く大丈夫そうではない。

「まあ、今日はもうこの時間じゃどこにも行かないだろ。ベッドで休めよ。大部屋だから落ち着かないかもしれないけど」

 ルドリックはレイゼルの荷物を持ってやると、慣れた様子で宿の中に入った。

 そこは三階建てで、一階は大部屋になっており、ベッドが衝立で区切ってある。二階と三階は個室だ。

「俺たちは取引先と用があるから、行ってくる。薬湯、これ? 厨房に頼んどいてやるから」

「ありがとう、助かる」

 レイゼルはベッドに腰かけて、ルドリックたちを見送った。


 やがて宿の使用人が、煎じた薬湯を持ってきてくれる。

 レイゼルはお礼を言って受け取り、一口、すすった。胃がむかむかしていたのが、ようやく落ち着いてくる。


 ゆっくりと薬湯を飲みながら、レイゼルは衝立の隙間から見える大部屋の様子を観察した。

 ちょうど、店の使用人が大部屋のランプに火を入れているところだ。声を潜めた会話、板張りの床を踏むコトコトという足音、衣擦れの音。

(あ。トラビ族がいる)

 とぼけた顔のトラビ族が二人連れ立って、旅姿でトコトコと部屋の中央を横切るのが見えた。

 レイゼルはペルップを思い出す。

(元気かな。あの後、ちゃんと無事に家にたどり着けたかしら。……リーファン族はやっぱりいないのね)

 群れないリーファン族は、こういった宿では個室を利用するし、食堂も好まないので来ない。食べないで済ませるのだろう。

(フィーロは人間族の町だから、リーファン族が少ないのはもちろんだけど……人間族と似ているところが多いのに、お互い触れ合う機会が少ないのは、そういう文化の違いもあるのよね)

 王都という、二つの種族が暮らす場所で過ごした時間は、とても貴重な機会だったのだな、とレイゼルは思う。

(隊長さんと会えたことも、良かったな……なんて)

 フィーロの隊舎に、シェントロッドがいる。そう思うだけで、不思議と心強い。

 そう思った直後に、ふとレイゼルはモヤモヤしてしまった。

(隠し事をしてるくせに、図々しいな、私。そりゃリーファン族はすごいし、何かあれば訪ねろと言ってもらったけど、頼らなくて済むようにしなきゃ)

 そのためには体調を整えなくては、と、レイゼルは寝支度をして早々にベッドにもぐりこんだのだった。

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