第三十三話 春爛漫のお花見スープ
非番の日のシェントロッドは、基本的に外をぶらぶらしている。
月に一度くらいは湖上の町ゴドゥワイトに出かけることもあるが、リーファン族の中でも界脈士は、町よりも界脈を感じられる場所にいることを好むのだ。特にシェントロッドは、森か水場にいることが多い。
そんなわけで、アザネ村の東の森を散策していたシェントロッドは、ふと足を止めた。
小川の岸辺、萌え出ずる水辺の植物の鮮やかな緑の中に、大きな背負いカゴが置かれている。中にはヤマノイモが入っていた。
「…………」
耳をピンと張り、ぐるりとあたりの木陰をすかし見るが、誰もいない。
しかし意外にも、少し奥まった場所の上の方、シェントロッドの身長よりも高いあたりで、何かが動いた。
「あっ、隊長さん」
薬湯屋の店主レイゼルが、木の上にいたのだ。太い横枝に伏せて、手も足も使ってしがみつくようにしている。
「……何をしている」
「収穫です、この木の若芽がいい薬草になるんです」
見れば、木の下にも小さめのカゴが置かれていて、その中や周囲に緑の葉が落ちていた。木の上で摘んだ葉を、カゴ目がけて落としているのだろう。
「わー、なんだか新鮮です、隊長さんを見下ろしてるなんて」
のんきなことを言うレイゼルを、シェントロッドは腕を組んで見上げた。
「必死にしがみついているようにしか見えない。手伝ってやるから降りろ、俺なら若芽に手が届く」
「あ、ありがとうございます、大丈夫です、もうだいたい……降りますね」
木の上、といっても長身のシェントロッドの頭よりやや高い程度だが、その枝から、レイゼルは後ろ向きにずりずりと後退し始めた。
しかし、枝にかけた足がズリッと滑る。
「わっ」
ぐるん、と身体が回転しそうになったところを、シェントロッドは大きく一歩踏み込み、スマートに彼女の腰のあたりを支えた。
「そのまま手を離せ」
「ひえっ」
「足も、離せ。足だけでぶら下がりたいか」
あわてて言うとおりにしたレイゼルを、シェントロッドはストン、と地面に下ろした。
レイゼルはズバッ、とシェントロッドの手から抜け出して下がる。
「あ、ありがとうございます!」
ささっ、とエプロンとスカートの裾を直すレイゼルに、シェントロッドは少々呆れて言った。
「お前、寝込みがちな上に怪我までしたら、命がいくつあっても足りないぞ。……このあたりにはよく来るのか? 前もこの近くで会ったな」
「界脈が通っているのがわかったので、このあたりなら薬草も豊富ですし、私も疲れにくいかなと思って」
森の中で偶然行き会ったと思ったが、シェントロッドも界脈をたどって散策していたので、出くわしたのは必然といえば必然だった。
「これから帰るのか」
「あと一つ、ナフワ花を摘んだら帰ります」
「ナフワ花?」
「野菜なんですけど、花がつぼみのうちに食べるんです。種からは油も採れるんですよー」
若芽入りのカゴを背負いカゴに入れたレイゼルは、
「摘んで帰って、お花のスープにしようと思って」
といいながら背負い、シェントロッドを見上げてにこりと笑った。
「隊長さんも召し上がりますよね?」
「うん」
スープに関しては素直に、かつ速やかにうなずくシェントロッドである。そしてレイゼルも、彼が否と言わないことを当たり前のように理解しているのであった。
そのままなんとなく、連れだって歩き出す。
小川を越え、少し行った場所の木々が切れていて、その向こうに斜面が見えた。
木々を抜けたところで、二人は立ち止まる。
「わあ、きれい!」
レイゼルが明るい声を上げた。
斜面を、黄色い花々が埋め尽くしている。一本の茎にいくつも小さな黄色い花がついており、それが一面に咲いているのだ。白い蝶がひらひらと、花の上を飛んでいる。
そして斜面の上には、白に近い薄紅色の花をつけた大きな木が、まるで雨を降らせるように枝をしならせ垂らしていた。
「この花は……」
シェントロッドがつぶやくと、レイゼルが歩き出しながら説明する。
「黄色いのが、さっきお話ししたナフワ花です。上の大きな木はシダレチェルーですね。満開だわ、いい時に来れましたね!」
「ふん……二色の花が、美しいな」
「はい!」
レイゼルは軽い足取りでナフワ花畑に沿って歩き、奥の木陰になっているあたりまで行った。そのあたりのナフワ花は、まだ花が開いておらず、みっしりとまとまったつぼみと緑の葉をそよがせている。
小さな鉈を使ってナフワを何本か切り、カゴに入れたレイゼルは、シェントロッドに向き直った。
「終わりました、それじゃあ帰りましょう!」
二人はもう一度、その美しい光景を眺めると、元きた道をたどり始めた。
薬湯屋に戻ったレイゼルは、さっそくスープを作り始めた。
「出発前に海草を浸けておいたんです、いい出汁が出てると思いますよー」
出汁が熱くなったところで、そろそろ季節の終わるカブを加えて、コトコトと煮込む。ミルクを加え、さらに何か茶色のもったりしたものを溶き入れた。
「それはなんだ」
「ジニーさん手作りのロミロソです、豆と塩から作った調味料なので隊長さんも大丈夫だと思いますよ。ミルクに合うんです」
最後に、湯がいたナフワ花を食べやすく切ったものを加える。
さっと温めたタイミングで、レイゼルは木の器に注いだ。
「ナフワ花のスープです、どうぞ。血行をよくして、身体の中の古くなったものを出してくれます。お肌にもいいですよ!」
ロミロソが入って柔らかな色になったミルクに、カブと、ナフワ花の鮮やかな緑がのぞいている。
レイゼルはトレイに載せてベンチにいるシェントロッドに渡し、自分の分も器に注いだ。
ふと、シェントロッドが言う。
「花のスープか。こうして見ると地味だな。つぼみだから仕方ないが」
「花のスープと言ってしまうと、見た目に合わないかもしれませんね。でも、花が開いてしまうと茎が固くなって食べられないんです。……そうだ」
レイゼルは、器を持ってシェントロッドに向き直った。
「隊長さん、今日は外のベンチで食べませんか?」
裏口から出ると、そこはレイゼルの小さな薬草畑だ。
「ここも、春だな」
シェントロッドは壁際のベンチにトレイを置いてから、畑を眺めた。様々な薬草が、色とりどりの花をつけている。
レイゼルは畑に入り、しゃがみ込んでゴソゴソやったと思うと、立ち上がってベンチに駆け寄ってきた。
「はい!」
両手で、シェントロッドの器に何かをそっと入れた。
彼女が手をどかすと、ぱっ、と魔法のように器が華やかになった。
花だ。子どもの手のひらほどの大きさで、柔らかそうな一重の花弁の、黄色い花。白いスープにナフワ花の緑と相まって、鮮やかに映える。
「ちょうど咲いたところだったんです、コレンの花。これは食べられるお花ですよ。香りがあまりなくてさっぱりしていて、味を邪魔しないと思います」
レイゼルはシェントロッドの隣に座ると、自分の器にも花を咲かせた。
「いただきましょう!」
示し合わせたかのように同時にスプーンを口に運び、まろやかなスープを一口。
そして軽く、ため息。
「美味い」
「それに、綺麗ですねー」
二人は花咲くスープを楽しみながら、薬草畑の花々を眺めたのだった。
菜の花とか、ナスタチウム(キンレンカ)とか。ちょうど今の時期なので急いで書きました。
シェントロッドが花を口にしているところ、なんだか似合いそう……
村の人々がシェントロッドのことを「ソロン隊長」と呼ぶのに、レイゼルが「隊長さん」と呼ぶのは、「ソロン」の後にうっかり「副部長」と続けてしまうのを避けるためです。




