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第二十九話 落盤事故

 事故の一報が入ったのは、あぜ道に春の花が咲き乱れ、森に仔をつれた動物たちが姿を現し始めたころだった。

 アザネ村から北の谷を挟んだところにあるハリハ村は、火脈鉱などいくつかの鉱石の採掘を生業にしている。ロンフィルダ領の一部だ。

 そこで、落盤事故が起こった。


「……ちっ」

 すっかり埋まってしまっている坑道の入り口を前に、シェントロッドは思わず舌打ちをした。

 フィーロの町にいた彼は知らせを受け、彼一人で水脈を通って駆けつけたのだ。

(鉱山の見回りはしていたが、もし俺が万全の体調なら、鉱脈もくまなく通り抜けて確認していたものを。そうすれば、小さな異変にも気づけたかもしれない)

 しかし、後悔しても仕方ない。振り向くと、村の警備隊の人々がいて、怪我人の救助や行方不明者の確認をしている。

「ソロン隊長、中に四人、閉じこめられているようです」

「そうか」

 彼は一呼吸の間だけ考え込むと、おもむろに坑道の入り口に近づいた。

 入り口脇の山肌に片手を当て、目を閉じる。


 触れた場所の岩の感触が、明瞭になった。

 シェントロッドはそこから、山の中へと意識を伸ばしていく。鉱脈を探り当てたら、それをたどってさらに奥へ。

 一瞬、火脈鉱の鉱脈をかすめた。枝分かれしたそちらへと不用意に突っ込むと、熱にやられる。気をつけなくてはならない。


(……行けるか?)

 すっ、と引き寄せるように意識をたぐり寄せ、彼は目を開いて山肌を見上げた。

(いや、行くしかない。閉じこめられている場所によっては中の酸素が持たないかもしれないし、ここの鉱脈について頭に入っているのが確実で、すぐに動ける界脈士は俺くらいだ)


「おい、誰か」

 呼ぶと、警備隊の一人が駆け寄ってきた。

「はい!」

「俺はこれから、生存者の確認のために鉱山に潜る。その間に警備隊の隊舎へ行って、界脈図を調べろ。ハリハ村の図を作成したリーファンの界脈士が誰なのか、知りたい」

「界脈士、ですか」

「そいつなら、ここの鉱脈について詳しいはずだ。もし俺が陽が落ちるまでに戻らなかったら、次はその界脈士に鉱山内部の調査を頼め。ゴドゥワイトに使いを出して、そこから王都の界脈調査部に連絡するのが早いだろう」

「は、はい。ええと、界脈図を見て界脈士を調べ、ゴドゥワイトのリーファン族経由で王都に連絡してもらう……ですね」

「そうだ。頼んだぞ」

 そう言うなり、シェントロッドは再び山肌に触れ──


 次の瞬間には、彼の姿は消えていた。



 光の玉と化したシェントロッドは、鉱脈、山の中を流れる水脈、そしてより曖昧な存在である界脈を通り抜けて、鉱山の奥へと向かった。

 先へ進むにつれ、まるで岩肌にこすれて削り取られるかのように体力を消耗する。本調子の時なら、ここまでにはならないのだが……

 幸い、自分以外の生き物の存在を感じ取るまで、それほど時間はかからなかった。すぐにそちらへと向かう。


 ふっ、と開けた空間に出た彼は、思わず一歩二歩と前に出てから膝をついた。

「わっ、な、何だ!?」

 暗闇の中から声がする。

「……守護軍警備隊だ。鉱夫たちか? 生きてるか」

 シェントロッドは軽く頭を振りながら、顔を上げる。

 そこは坑道ではあったが、前後がすっかり埋まり、部屋二つ分ほどの広さしかなかった。シェントロッドはある程度は暗くても見えるが、人間族には彼が見えていないはずだ。

「その声は、ソロン隊長ですか!? ああ、助かった、ここに四人います。一人怪我をしていて」

「灯りはどうした」

「ありますが、空気が悪くなるので消していました」

「そうか。待て、今、脱出口を探す。道具はあるな?」

「はい!」

 金属音。ツルハシなどの道具を手にしたのだろう。

 シェントロッドは再び山の『中』の様子を読み、崩れやすい場所を避け、落盤でできた別の空間に繋がる方向を指示した。


 ようやく鉱山の外に出られた時には、空は茜色に染まりつつあった。

「ああ、無事だったか!」

「よく戻った!」

 わっ、と外で待っていた村人たちが沸く。

「隊長、ありがとうございました!」

「もうゴドゥワイトに使いを出す寸前でした! ……あっ、大丈夫ですか?」

 近くの岩に座り込むシェントロッドに、隊員が声をかける。

 彼は軽く手で空間を払った。

「いいから、怪我人の手当を。他の生存者もだいぶ弱ってるぞ」


(くそ、頭がガンガンする。まだ鉱脈を通り抜けるのはキツかったか)

 シェントロッドはしばらくそこでじっとしていたが、結局、隊員を呼んだ。

「おい、肩を貸せ。川まで連れて行け」

「川、ですか?」

「川から移動する方が楽なんだ。俺は戻って休む」

「はいっ」

 しかし、背の高いリーファン族に人間族が肩を貸したところで、正直歩きにくいだけである。

 結局、気の利く隊員が杖になる木を探し出してきて、シェントロッドはそれにすがるようにして山道を降りた。

(くそっ、情けない……)

 朦朧とする視界に、橋と、その下を流れる川が映る。

 シェントロッドは橋を途中まで渡ると、杖を放り出すように手放した。そして、そのまま手すりのない橋から足を踏み出し――

 後は、引力に身を委ねた。



 ドスン、という音に、食器の片づけをしていたレイゼルは振り向いた。

 春とはいえ、日が落ちると冷える。薬湯屋の扉は、冷気が入らないようにすでに閉ざしていたのだが、その扉に何かぶつかったようだ。

「どなた?」

 声をかけながら、扉を開ける。


 店から漏れる明かりが、外にいる大きな影を照らし、不気味に陰影をつけた。白い顔に長い髪は、昔話に出てくる幽霊のようだ。

 シェントロッドである。


「た、隊長さん……?」

 レイゼルは目を丸くした。

 現在、週に一度のペースで薬湯屋に通っている彼である。今日は来る予定はなかったはずだ。それに、いつもならもう少し早い時間に来る。

「どうなさったんですか?」

「…………」

 シェントロッドは黙ったまま、レイゼルを押しのけるように店の中に入ってきた。

「?」

 レイゼルは扉を閉め、急いで彼の前に回り込んだ。

 店内はランプの灯り一つとはいえ、彼の顔がそれなりに見える。さすがに、薬湯屋店主であるレイゼルは様子がおかしいことに気づいた。

「隊長さん、具合が……わっ!」

 シェントロッドはそのまま、ベンチに転がるようにして倒れ込んでしまった。


 レイゼルは一瞬迷ったものの、おそるおそる片手を伸ばし、彼の首筋に触れた。

「熱っ……」

 界脈を読まれないように短時間触れただけだが、それでもわかる。彼は高熱を出していた。脈も速い。


「大変」

 レイゼルは急いで行動を開始した。

 長身の彼の身体は、ベンチから盛大にはみ出している。そこで、とにかく楽な体勢をとらせようとベンチの横にスツールを並べて置き、ブーツを脱がせ、必死で片足ずつ抱え上げ、身体がまっすぐになるようにした。


 裏口から畑に飛んでいき、薬草を摘む。

「キバク草、サシーシの実、バシュ草」

 つぶやきながらすべて摘む。身体にこもった熱を冷ます薬草類だ。駆け戻り、鉢に入れてつぶし、布に塗りつけて湿布を作る。

「失礼しますね」

 シェントロッドの軍服の前をくつろげる。無駄なところのない、すらりとした身体だ。

自分よりも白い肌が目に入ったとき、瞬間的に「あっ、これ丁寧に扱わないといけない」と彼女は思った。

 例えば、触れたら消えてしまう雪の結晶や、角度を少し変えただけで見えなくなる虹色の光の屈折──そういったものを連想したのだ。


「意識がないみたいだし、もう、しっかり触っちゃえ」

 開き直ったレイゼルは、太い血管のある首もとと脇に丁寧に湿布を貼り付けた。そして服を軽く直すと、寝室から上掛けを二枚持ってきて、彼にかける(もちろん、一枚だと足がはみ出してしまうからである)。


「次は薬湯だわ」

 寝室に駆け込み、本棚から薬学校時代の帳面(ノート)を引っ張り出した。

 毎日飲む薬湯はさすがに処方を暗記しているが、こんな状態のリーファン族に飲ませる薬湯を調合するのは、学生時代以来である。

「何があって、こんなに熱が出たのかしら。リーファン族は界脈の影響を受けやすいけれど……」

 作業台に戻り、ランプの下で文字を追っていたレイゼルは、声を上げた。

「……あっ。サキラ……!」

 唇を噛む。

 

 紫色の根が薬効を持っているサキラは、傷ついた身体の内部を癒す効果がある。

 リーファン族には特に効き目があり、以前シェントロッドがゴドゥワイトから持ち帰ったものを少しずつ使っていたのだが……

「使い切ったばかりだわ、どうしよう」

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