第二十八話 早春の山菜とキノコのかき玉スープ
シェントロッド・ソロンが一週間ぶりに薬湯屋を覗いたとき、レイゼルはかまどの前に立って鍋をかき回していた。
「……………………はっ」
戸口に立っているシェントロッドにようやく気づいたレイゼルが、驚いた様子で振り向くと、背中で三つ編みがピョンとはねる。
「こ、こんにちは、隊長さん。今、スープを作ってるところです」
「今日はなんだ」
彼は戸口に頭をぶつけないよう、中に入る。レイゼルは鍋に向き直った。
「雪の合間からユキモネギが生えているのを見つけて、摘んできたんです、春が近いですねー。今、干しキノコから出汁をとってるので、それで煮て……ミロが卵を持ってきてくれたし、かき玉スープにします!」
「ふむ」
「あ、でも薬湯を先に煎じますね」
「空腹の方が効くのだったな」
「そうです、そうです」
レイゼルが棚に向かい、シェントロッドの薬草を調合し始めた。集中している彼女を、彼はじっと見つめる。
やがて、レイゼルは土瓶をかまどにかけると、ようやくシェントロッドの方を向いた。
「どうぞ、近くへ」
彼がベンチに腰掛けると、土瓶から立ち始めた香りが彼を包んだ。
レイゼルはスツールを少しずらし──彼から少し離して──座った。
そのタイミングで、彼は声をかける。
「済まなかったな」
「えっ、何がですか?」
目を丸くするレイゼルに、シェントロッドは続ける。
「俺が知らなくていいことを知ったために、少し誤解をした。お前はそれで、話さざるをえなくなった」
「ああ、いいんです。本当は、隠しているのもしんどかったので。特にリュリュに話せてよかった……大事な人に隠し事をするのは、なんだかモヤモヤしますから」
目を細めて微笑むレイゼルの頬は、いつもなら口の端が上がるのと同時にふんわりするのに、今日はそうならない。少し、頬がこけているようだ。
「……店主、痩せたか?」
「えっ」
また目を見開き、片手を頬にあてるレイゼル。
「見た目にわかりますか!? ここ数日、ちょっと寝込んでしまって。季節の変わり目って弱いんです」
「それ以上痩せたら、溶けて消える」
「そ、そんなことは……えっと、しっかり食べて戻しますね」
やがて薬湯ができあがり、シェントロッドはカップを受け取ると、少しずつ飲んだ。
その間に、レイゼルはネギのあく抜きをする。ユキモネギはさっと茹でて水に晒すだけであく抜きできるのだった。山菜は、ものによってはあく抜きが大変だが、このネギはレイゼルにも扱いやすい。
干しキノコの出汁にネギの茎を入れ、コトコト煮て、溶いた卵を回し入れてかき混ぜる。仕上げにふさふさしたネギの葉を刻んで入れた。
「よし。山菜とキノコのかき玉スープ、できあがりましたー」
レイゼルが、スープの器をトレイに載せて運んでくる。食欲をそそる香りが立ち上った。
トレイを受け取ったシェントロッドは、それをベンチの隣に置き、器を手に取った。
レイゼルも自分の分をよそり、スツールに戻る。
特に声をかけ合うでもなく、二人は同時にスプーンを器に入れ、食べ始めた。少し癖のあるネギの香りが、その香りで味に深みを与えている。早春のごちそうだった。
レイゼルはご機嫌で解説する。
「春の山菜の香りや苦味は、冬の間に溜め込んでいた悪いものを出してくれるし、身体を目覚めさせてくれるんです」
「うまい」
シェントロッドは短く答えた。
「前の冬は、孤児院で過ごしたそうだな。シスターが言っていた」
食べながら、淡々とシェントロッドが話を振る。
レイゼルは少し気まずそうな表情になった。
「あの時は、完全に寝込んでしまったので、仕方なく……」
「かつての『家』でなら、毎冬過ごそうと思わないのか。あそこで商売できなくもないだろう」
「孤児院で薬湯屋をやるのは、怖くて」
レイゼルはスープに視線を落とす。
「身体にいい薬草も、多すぎると毒になります。孤児院の子たちが口にしないように気をつけることはできるんですけど、もしも、って想像しただけで私、恐ろしくなってダメなんです。それが冬の間、続くなんて。……心配をかけているのはわかっているんですけれど」
「それなら、冬の間は仕事をしないとか、思い切った対策をとったらどうだ」
「い、色々、考えてくださってありがとうございます。隊長さんは、人間族にも親切ですね?」
「…………」
シェントロッドは少し黙ってから、再び口を開いた。
「お前のことは、ちょっとした理由があって、気になっていた」
「え」
理由? と顔を上げるレイゼルに、彼は視線を向ける。
「俺が、このロンフィルダ領を任地に選んだ理由を教えよう。レイという少年が、領内のアザネ村にいると聞いていたからだ」
「…………」
久しぶりに『レイ』の話題が出て、レイゼルは内心ギョッとし、思わず視線を逸らした。
(うわっ。やっぱり、レイを見つけて借りを返させるつもりで来たんだろうなぁ……)
「どうした」
「あっ、いえ! ええと、人間族が理由だなんて、って驚いて!」
「そうだな。確かに俺は、それまで人間族にはあまり興味はなかった」
シェントロッドはうなずき、続ける。
「レイは、王都ティルゴットの薬学校に通っていた人間族だ。副業として、リーファンの界脈調査部で俺の助手をしていた。卒業と同時にアザネ村に帰ると言っていたんだ。そいつがいるなら、行ってやらんでもないと思った」
「こ、こき使えるから……ですか」
「ああ?」
低く聞き返し、片方眉を上げるシェントロッドに、レイゼルは少しビビって「スミマセン」と言う。彼は少し考えるようなそぶりを見せた。
「まあ、『使える』とは思ったな」
「やっぱり……あ、いえ。隊長さんがそれだけおっしゃるなら、王都でもこき使われ……よ、よく働いていたんでしょうね!」
「確かに、仕事をよくこなしていた。少々事情があって、あいつには多少の無茶振りもしたが、それでもやり遂げていたな」
(……事情?)
その言葉に、レイゼルはひっかかる。
(私に仕事を山ほどやらせた事情が、あった?)
詳しく聞きたかったが、突っ込むのもおかしいかとレイゼルが思っているうちに、シェントロッドは話を先に進める。
「それはともかく、彼が仕事に集中していると、こう……彼を中心にした一帯が、調和していた」
「調和、ですか」
「界脈の一部になるというか、世界と界脈を彼の存在がつなぐというか……落ち着くところに落ち着く。そういう奴なんだろう。俺が人間族の多いところに行っても、そいつがいれば『つなぎ』になりそうな気がした。それもあって、ここを任地に選んだ。まあ、奴はいなかったんだが」
レイゼルは戸惑う。
『使える』とは思った……といいつつ、レイの住む土地にやってきた理由は借りを返させるためではないようなニュアンスだ。
シェントロッドは、レイゼルをじっと見つめた。
「お前は、そいつに似ている。ああ、いや、人間族の顔が似ているかどうかは、俺にはよくわからないが。もしかしたら、調和を律する者はみな、お前やレイみたいな雰囲気を持っているのかもしれない」
以前、リュリュが「リーファン族には人間族の顔の細かい違いなどわからないだろう」というようなことを言っていたが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない、とレイゼルは思う。
シェントロッドはまとめるように言った。
「まあとにかく、お前のことが少々気になるのは、以前気にかけていたレイに似ているからかもしれない、という話だ。雇った側と雇われた側という関係の範囲で気にかけていたつもりではある。しかし、お前とは店主と客という関係のはずが、どうにも距離がつかみにくい。店とはいえ、ここはお前の家だ。家に踏み込んでいるわけだし、アザネ村という土地柄のせいもあるんだろうがな。迷惑なら言え」
「め、迷惑だなんて、そんな。あ、隊長さんを呼んだら来てくださるって、ルドリックに聞きました。ありがとうございます」
「ルドリックがそれを話したか」
シェントロッドは器を置き、トレーに代金を置いて立ち上がる。
「恋人が納得した上でならいいだろう、何かあったら呼ぶがいい。ではな」
「へ?」
レイゼルは呆然と、シェントロッドが戸口から出ていくのを見送った。
「……恋人って、何の話?」
(やはり、似ているな)
小川に向かいながら、シェントロッドは思う。
もちろん、レイとレイゼルのことである。
界脈調査部で働き始めたレイは、部隊に溶け込むのが非常に早かった。初めのうち、彼はシェントロッドに命じられた仕事をこなして時間が余ると、他の隊員たちの手伝いもしていた。
そしてベルラエルに気に入られ、彼女から仕事を続けるように誘われたことがある。
「アザネには何もないでしょ。王都に残って、ここで働かない?」
しかし、レイはにっこりと断る。
「アザネ村は、僕の一部のようなものなんです。ううん、僕がアザネの一部なのかな。帰るのは、当たり前のことなんです」
それを聞いていたにも関わらず、正直、卒業間際にはシェントロッドもレイを引き留めたくなったものだ。
(レイと同様、レイゼルも、繋がった者に心地よさを覚えさせる人間なのだろう。もし彼女に何かあって、彼女が失われたらと思うと、不思議と自分の一部まで傷つく感じがする。まるで、界脈の流れから引きはがされるように)
「だから、いちいち何かしてやらねばと思うのだな」
ほどほどにしなくては……と首を振りつつ、シェントロッドは水脈に乗ったのだった。




