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第二十五話 草木染めがあなたを守る

 王都の薬学校で教わった技術を試してみようと、レイゼルは冬に入るまでに材料を揃えていた。

 草木染めである。

 植物の中には、染めた布を身につけることで皮膚から薬効を吸収できるものがあるのだ。


「そろそろ、乾いたかな。……うん、よし。いい色!」

 店の中に渡した紐に、エプロン大の布が数枚、かかっている。布は青みがかったピンク色に染まっており、レイゼルは満足げにそれを眺めてうなずいた。


 レイゼルが染めるのに使ったのは、ロックデーという木の樹皮だ。

 この木には、とある虫がつく。その虫が分泌する成分が樹皮に染み込んでいて、それが色の決め手になるという、なかなか特徴的な草木染めだった。


 乾燥した樹皮を、水車の臼を使って細かくし、鍋で煮出して漉す。

 この染液に布を浸し、染め、いったん洗う。

 染液とは別に、色がしっかり定着するように媒染液というものも用意しておき、今度はそちらに浸す。また洗う。

 濃く染めるためには、染液に浸すのと媒染液に浸すのを繰り返すのだが、レイゼルにとっては体力的にキツいので、ほどほどで良しとする。

 絞って、干す。と言ってしまえば一言だが、濡れた布の扱いは大変である。重労働であることはわかっていたので、最初から小さめの布にした。


 乾くと色が違って見えるし、時間が経つとまた風合いが変わってくるだろうが、ひとまず布はレイゼルにとって満足な色になった。

「一枚は、少し切って……」

 正方形に切り取った布の縁を処理し、自分で編んだレースを縫いつけていく。レースは、秋から何度も練習してようやく見られるものが編めるようになった(とレイゼルは思っているが他の人から見ると以下略)。


 落ち着いたピンクの布に、白いレースの縁取り。ハンカチの完成だ。


「できた! やっとリュリュに贈れるわ」 

 染めた他の布も、手元に一枚だけ残してリュリュに贈るつもりでいる。ロックデー染めにした布を身につけると、血の流れを界脈と繋げて巡らせてくれる効果があると言われていた。リュリュの好きに使ってくれればいいと、レイゼルは思う。


 

 モコモコに着込んで、レイゼルはリュリュの暮らす農家に出かけた。彼女が住み込みで働いている果樹園は、アザネ村の北にある。

 その日は穏やかに晴れており、柔らかな青空を背景に雪をかぶった西の山脈が浮かぶように横たわっていた。鳥がゆっくりと、高みで円を描いている。


 冬は土作りの時期で、農家の人々が畑の土を起こして寒ざらしにしていた。土に空気を行き渡らせたり、害虫を寒さでやっつけたりするためだそうだ。

 村人たちはレイゼルに気づくと、軽く手を挙げたり、あいさつしてくれたりする。レイゼルも、着膨れしすぎてなかなか上がらない肩をどうにか動かし、手をぶんぶんと振ってあいさつする。

 あぜ道で行きあえば、もちろん世間話だ。

「干しジオレンがそろそろいいから、持ってって」

 レイゼルに何か持たせようとするおばさんを、

「荷物を増やすとレイゼルがしんどいから。帰りに寄りなさい」

 とおじさんが止める。色々とわかっているおじさんである。

 

 家や店の多いあたりまで来ると、道が左右に分かれていた。村の大通り、というほど大きくはないが主要な道で、右に行くと警備隊の隊舎からフィーロ方面へ、左に行くと果樹園から山道の方へと続いている。

「あ」

 ふと右の道を見ると、何か仕事でもあったのか、シェントロッド・ソロン隊長が向こうへ歩いていく背中が見えた。

 背が高く、髪も緑色、まとう雰囲気からして人間族と異なる彼は、どこにいても目立つ。

 行きあった村の人が、軽く会釈をしている。シェントロッドも、歩く速度こそ緩めないものの、うなずくようにして応えていた。


 少し、レイゼルは寂しいような、申し訳ないような気持ちになる。

(ナックス隊長の時は、隊長がアザネの巡回にくると賑やかだったなぁ。村の人が話しかけたり、店先で何か食べたり。隊長さんはなかなかそうは行かないよね。リーファン族だし、それに……私が隊長さんのこと警戒してるって、みんなが気にしてるし)

 申し訳なく感じるのは、自分のことさえなければ彼ももう少し村に溶け込んでいたかもしれない……などと考えたからだ。

(『レイ』だったことを隊長さんから隠すくらいなら、村の人の前でも隊長さんのこと知らないふりをするべきだったのかも)

 お人好しのレイゼルは、そんな風に思う。

 しかし、動揺が体調に出てしまうレイゼルにとって、隠し事はなかなか難しいことなのだった。


 果樹園にたどり着くと、何人かがハサミを片手に剪定作業にいそしんでいた。

「こんにちは」

 レイゼルが手前にいた果樹園主人夫妻にあいさつしていると、リュリュが気づき、梯子を降りて駆け寄ってくる。

「レイゼル! ここまで歩いてきたの? 大丈夫? ほら、こっち入って」


 母屋の裏口から入ると、そこはすぐ厨房だ。作業用のテーブルと椅子が置かれている。

 かまどにはやかんに湯が沸いていて、リュリュが手際よくムムの葉茶を淹れた。

「はい、熱いよ」

「ありがとう。あのね、前に言っていたハンカチができたから持ってきたの。あと、こっちの布も……好きに使って」

 包みを広げて中を見せると、リュリュはただ口をひき結んだまま、じっとロックデー染めのハンカチと布を見つめた。

 レイゼルは彼女の表情を伺いつつも、薬効を説明する。

「悪いものがつかないし、身につけていると血の流れと界脈が繋がりやすくなるからね。リュリュが隣村に行って、なかなか会えなくなっても、この布がリュリュを守りますように。……あの、もしかして、違う色の方がよかった?」


「…………」

 リュリュは黙って首を横に振る。

 そして、言った。

「ありがとう。この色、好きなの。うれしい」

 その声が、震えながら続ける。

「でも、さびしいわ。レイゼルに、あまり、会えなくなるのね。このハンカチを見るたびに、あたし、どんな気持ちになるんだろう」


「リュリュ……」

 レイゼルも一瞬、言葉を詰まらせた。あわてて、深呼吸する。

(ここで泣いたら、熱が出ちゃう。迷惑をかけないようにしないと)

 意識して心を穏やかに保ち、レイゼルはにっこりと笑った。

「どんな気持ちになっても、旦那様が受け止めてくれるよ、きっと。結婚って、そういうものじゃないかと思ってるんだけど、私は。想像だけどね」


「そうね。そうかもね」

 リュリュは、素早い動作でエプロンの裾を持ち上げ、目元に押し当てた。すぐに、ぱっ、と手を下ろすと、微笑む。

「ねえ、覚えてる? レイゼルが王都に行く少し前に、孤児院で一緒に寝たの」


「もちろん覚えてるよ」

 レイゼルはうなずく。

 王都に行くと決めたのは彼女自身ではあったが、友人たちに三年間会えないと思うと寂しくなった。そこで、出発直前、孤児院でリュリュと一緒の寝台で眠ったのだ。

 実際のところ、寂しさで心を乱されたせいでレイゼルは熱を出しており、リュリュが心配して付き添ったという方が正しいのだが。


「あたしがいなくなっても、村の人たちがきっとレイゼルを護ってくれるから、遠慮なく甘えるのよ。いい?」

「うん」

「ソロン隊長の件も、もうここまでくれば大丈夫とは思うけど、気をつけなさいよ。最近はあの人、前ほど来ないでしょ?」

「え、うん。……あれ? どうして知ってるの?」

 不思議に思ったレイゼルが聞き返すと、リュリュは真顔で答えた。

「あんたは知らなくていいの」

「ハイ」

 反射的にうなずいてしまったものの、レイゼルは心の片隅がちくりと痛むのを感じた。

(リュリュ、何かやったのね、隊長さんに。私のために)


 あまり村に溶け込んでいない様子のシェントロッドの背中を、思い出す。

(まあ……隊長さんの方も飄々としたものだけど。リーファン族らしいといえばそうかな。お祭りの時はそれなりにみんなと話してたし)


 リュリュの方は、もうこの話は終わったとばかりに、ハンカチを広げて見ている。

「レース、きれいに編めてるよ、すっごく可愛い!」

「ほんと? 何度もやり直したかいがあった」

 いつまでも話していたかったが、リュリュには仕事があり、レイゼルはまたゆっくり歩いて薬湯屋に戻るので時間を見計らわなくてはならない。

「気をつけるのよ! なるべく人のいる道を通ること!」

 リュリュに見送られ、レイゼルは元きた道をたどり始めた。


 畑の広がるあたりに出た頃、ふと空を見上げると、南の方の空に雲が出ていた。

「明日は、雪になるのかな。あまり降らないといいけど」

 レイゼルはつぶやきながら、立ち寄ると約束した農家に歩いていった。

次話、次々話がシリアスになる予定なので、ちょっと小休止……

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