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第二十四話 十三年前の事件

 ふと思い立って、資料をめくり始めたのは、例によって暇だったからだ。


 王国守護軍ロンフィルダ領警備隊は、フィーロの町に本部を置いている。その隊長であるシェントロッド・ソロンはフィーロを中心に、ロンフィルダ領の村や町をあちこち巡りながら仕事をしていた。

 リーファン族、しかも界脈士が隊長なので、人間族のナックスが隊長をやっていた頃より、移動ははるかに楽だといえる。現在、表出した水脈しか移動できないシェントロッドも、特に移動を負担に思うことはなかった。

 前の町の仕事が早く終わり、アザネ村に移動してきたシェントロッドは、警備隊アザネ支部の隊長室で書類を片づけた後、時間が余ってしまったわけである。


「そういえば、あの廃屋……」

 彼はふと立ち上がると、隊長室を出た。

 廊下の奥の資料室に向かう。

 中には本棚が立ち並び、紐で綴じられた記録がぎっしりと詰まっていた。古い紙の匂いと、ほこりっぽい匂い。

 シェントロッドはその間を、ゆっくりと歩いていく。


 彼が気になっていたのは、北西の森にある廃屋の火事が、いつ、どうして起こったものなのかという点であった。

 三十年前に界脈図が作られたとき、あのあたりはまだアザネ村の領内だった。そして現在、若い隊員たちが話してくれたところによると、彼らが子どもの頃にはアザネ領ではなく保護領となっていたという。例の家も、すでに廃屋だった。

 そこから計算して、おおよそ十二年前から三十年前までの間にあそこに薬草畑ができ、そして火事が起こったと考えていいだろう。

 幸い、十年以上前の日誌は「何かあった日」の(ページ)だけ残して後は廃棄処分されている。そして、アザネ村は基本的に平和だった。シェントロッドが見るべき資料は、かなり少なくて済む。

「……十三年前の資料からさかのぼるか」

 彼がそう思ったのは、レイゼルの顔が頭に浮かんだからだ。


 薬草畑のある廃屋。

 そこに残されていた、小さな寝台の枠。

 薬湯屋に知識を教わったというレイゼル。


『レイゼルは六歳で孤児院にきたんで』

 そう言ったルドリックの話では、彼女の親も亡くなったらしいとのことだった。

 今、確かレイゼルは十九歳。つまり、彼女に何かが起こって孤児になったのは、十三年前なのだ。

(もし彼女が薬湯屋の娘なら、親は火事で死んだのだろうか……)


 目を引く事件の記録は、十三年前の棚からあっさりと見つかった。

 しかし、それは火事のものではなく、意外な内容だった。


 薬湯屋のエデリ・キコラなる人物が、逮捕されたと書いてあったのだ。しかも、最終的には王都に連行された、とある。


(王都で裁くほどの容疑だった……? この小さな村の薬湯屋が?)

 平和なアザネ村に似つかわしくない、物騒な記録だ。

 シェントロッドは、眉間にしわを寄せながら読み進めた。


 エデリ・キコラは当時四十歳。その五年前にアザネ村に移住してきて、薬湯屋を開いた。

 娘が一人いて──

(レイゼル・キコラ)

 やはりか、と、シェントロッドはその名を確かめる。


 レイゼルは、薬湯屋エデリの娘だったのだ。彼女の薬草の知識が豊富なのは、母に教わったからに違いない。エデリは腕のいい薬湯屋だと評判だった。

 しかし、母が逮捕されて王都に連れて行かれたため、レイゼルには身寄りがなくなり孤児院に預けられた──そういったいきさつだと考えられる。

 それからずっと孤児院で育ったようだし、名前も『レイゼル・ミル』に変わっている。エデリとは縁が切れたとみていいだろう。


 しかし、エデリが何をやったのかについて、そこには記されていなかった。

(変だな。この村で何かを起こしたわけではないのか?)

 シェントロッドは前後の頁を探してみたが、エデリの容疑については書かれていなかった。


 続けて、彼は火事の記録を探した。逮捕までエデリがあの家に住んでいたなら、火事はその後ということになる。

 案の定、逮捕から一年後に、火事の記録が見つかった。しかし記録といっても、

「薬湯屋跡から夜更けに出火、全焼。原因不明。死者・怪我人なし」

 と書かれているだけだった。


 資料を元に戻し、隊長室に戻りながら、シェントロッドは思う。

(村人たちが長生きを実感するほど、天才的に腕のいい薬湯屋に育てられたのに、レイゼルはすぐに寝込む。薬湯が効かないほど身体が弱かったなら、親は苦労しただろうな。それとも、親と離れてから身体が弱くなったのだろうか)

 いや、待てよ、と彼は思い出す。

 前に、ルドリックとレイゼルの会話を立ち聞いたことがあった。その時に、ルドリックはこんな風に言ったのだ。

『お前の養母だった人は、今はどうしているんだ?』

(そうか。エデリは実の母親ではなく、養母か。しかし結局、養母とも離れて孤児院へ……)

 色々と、複雑な事情が隠れていそうだった。 



 それから数日して、シェントロッドは真白き都、王都ティルゴットに向かった。王国軍の本部で会議があったためである。

 会議が終わった後、彼は久しぶりに界脈調査部を訪れた。

「ソロン副部長」

 受付の若者が、かつての肩書きで彼を呼ぶ。半年会わない程度だと、リーファン族にはそれほど時間が経った感覚はない。

「会議で来られたんですか」

「ああ。ベルラエルはいるか?」

「ええ、奥に」


 部長室に行くと、ベルラエルは意外そうな顔を見せることなく待っていた。リーファン族は耳がいいので、受付での会話は聞こえている。

「当分あなたに会うことはないと思っていたわ。私に用かしら?」

 薄緑の巻き毛を揺らして、ベルラエルは微笑んだ。シェントロッドは彼女の机の前に立ってうなずく。

「確か、ベルラエルは界脈調査部に来る前に、裁判所の警備をしていただろう。十三年前、ロンフィルダ領アザネ村で何か事件があったかどうか、覚えていないか?」


「は? アザネ村って人間族の村でしょ、そんなところの事件なんて知らないわよ」

 ざっくりと答えるベルラエル。

「それもそうか」

「人間族の判事なら知ってるかもよ。まだ生きてると思うけど。紹介しようか?」

「いや……」

 そこまでして探り出すほどでもない、と、シェントロッドは思った。単に王都に来るついでがあったから、ベルラエルに聞いただけのことだ。

「人間族にしては有名な薬湯屋が起こした事件だったらしいから、少し気になっただけだ。ゴドゥワイトの薬屋が、アザネの老人は長寿だと言っていたから、その薬湯屋は相当な腕利きで有名だったのだろう。それだけだ、じゃあ俺は帰……」


「ん?」

 ベルラエルはふと、表情を変えた。

「腕利きの薬湯屋ってもしかして、毒薬屋(・・・)エデリの事件のこと?」


「……毒薬屋?」

 物騒な呼び名に、シェントロッドは眉を顰めた。

 ベルラエルはうなずく。

「一部では有名な名前ね。リーファンの貴族の仕事も請け負ってたから」

「なんの仕事だ」

「だから、毒薬よ。暗殺用の毒薬」

 あっけらかんと、ベルラエルは続けた。

「色々な種類の、しかもバレにくい毒薬を作るんで有名だったそうよ。人間族にもリーファン族にも、彼女の毒薬のおかげでライバルを殺して出世した客が結構いたわけ。何人かは捕まったみたい。エデリも、王都で裁判やった後、人間族の法律で裁かれて死刑になったはずだけど。何? アザネでは評判の薬湯屋だったの?」

「……そうらしい」

「田舎に隠れてたんでしょうね、捕まらないように。村に溶け込むためには、村人の役に立たないとね」

「…………ありがとう。参考になった」

「そう? ならよかったけど」

 ベルラエルは不思議そうに、部長室を出るシェントロッドを見送った。


 そういえば、ルドリックに「養母は今どうしているのか」と聞かれたレイゼルは、こう答えていた。

『亡くなったよ。あ、見たわけじゃないけど……シスター・サラがそう言ってた』


 六歳で養母エデリと別れたレイゼルは、エデリがどんな死に方をしたのか、知っているのだろうか。教会孤児院のシスター・サラは、どんな風にレイゼルに話したのだろう。


 仕事以外の部分で人間族には関わらないようにしているシェントロッドだったが、胸のあたりが重苦しくなるのを感じていた。

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