第二十三話 リリンカの実のシロップ
さて、そもそもトラビ族のペルップがなぜ行き倒れていたのかというと、彼が旅程を見誤ったためだ。西の山の中に住む親戚を訪ね、山を降りて東の自分の村まで帰る途中だったのだが、思ったよりも道が険しく、回り道をして時間がかかってしまった。
アザネ村に出たのも、当初の予定にはなかったらしい。
「冬眠の季節だからさー、居眠り旅行みたいになっちゃって」
「居眠りしながら歩かないでよ……」
レイゼルも人のことはいえないほどののんびり屋だが、さすがに少々呆れる。
けれど、彼女の薬湯を飲みスープを食べて二日経つと、ペルップはすっかり元気になった。
「冬の間、アザネにいた方がいいよ」
レイゼルは勧めたのだけれど、ペルップも彼の村で薬湯屋を営んでいる。
「みんな冬眠してるからこそ、何かあったときにオレがいた方がいいしさ。帰るよ。村長と、例のリーファン族隊長にも言ってきた」
「そう……。気をつけてね、本当に。もし眠くなったら、フェイカを噛んで」
レイゼルはスッキリする作用のある薬草をペルップに持たせた。
「知ってるよね、あんまり使いすぎちゃだめだよ」
「うん、ありがとな。レイも達者でなー。ソロン隊長の件、はっきりするといいな」
「う、うん」
「オレの村にも、いつか遊びに来いよ!」
ペルップはひらひらと手を振り、長い耳もひらひらさせて、アザネ村を旅立っていった。
店の外に立ち、レイゼルは笑顔で彼を見送った。
王都の学校時代の思い出話ができる相手がいなかったので、ペルップと過ごした数日はとても楽しいものだった。
「……さて、と」
数日後。
レイゼルは、作業台の前で腕組みをしていた。台には、レイゼルの拳二つ分ほどの大きさの黄色い実が三つ、ごろりと置いてある。
リリンカの実だ。ペルップが旅の途中で見つけたもので、世話になった礼にと置いていったのだ。
リリンカの実は緑色の状態で木から落ち、それからしばらくして熟する。ようやく熟したそれは、濃い黄色の皮から蜜がにじんで少しべたついていた。香りも強く、口に入れていないのに甘く感じるほどだ。
この実でシロップを作ると、喉にとてもいい薬になる。せっかくペルップがくれたものでもあり、小さく切って煮てシロップにしたかった。
が。
「……私に、切れるかな」
レイゼルはひとまず実をきれいに洗ってから、包丁を手に取った。
素晴らしい効能のある実なのは確かなのだが、リリンカはとにかく、固いのだ。
とりあえず二つに割ろうと、レイゼルは包丁を当てた。
左手で布巾を持ち、包丁の背に載せる。
「てや!」
ぐっ、と包丁を押し込んだ。
指二本分くらい、包丁がリリンカの実に切り込まれる。しかし、そこで止まってしまった。
「くっ。んぐっ。んぎっ」
包丁を前後に揺するようにしながら、レイゼルはリリンカの実に立ち向かう。
しかしとうとう、実のど真ん中あたりで、包丁は動かなくなってしまった。
「…………」
包丁を持ち上げると、実がそのままついてくる。もはや抜くこともできない。
「どうしよう、これ」
レイゼルが途方に暮れていると、声がした。
「なんの香りだ」
「ひえっ!?」
あわてて彼女が振り向くと、店の入り口からシェントロッド・ソロンが入ってきたところだった。
「それはなんだ」
「あ、ええと、リリンカという実です。切ってから煮たいんですけど、固くて」
「ふん。貸してみろ」
「えっ!?」
レイゼルは目を丸くした。
「た、隊長は、料理はなさらないのでは」
「鉈で薪を割るようなものだろう。この程度、料理とも呼べない」
シェントロッドは無造作にレイゼルから包丁を奪うと、ぶん、とまな板の上に振り下ろした。
ダン、と音がしてリリンカがまっぷたつに割れ、吹っ飛ぶ。
「あああ」
あわてて実を追いかけ、二つとも拾って戻ってくるレイゼル。シェントロッドは包丁を置きながら、ふん、と軽く鼻を鳴らした。
「これでいいのだろう」
「ありがとうございます、ええと……もう少し、そう、一口大に切りたくて」
「……一口大?」
「これくらいです」
レイゼルは人差し指と親指で輪を作った。
「…………」
シェントロッドはリリンカの実をまじまじと見つめると、つぶやいた。
「それは……料理だな」
この辺は人によって基準が分かれるところだろうが、シェントロッドの基準では、まっぷたつに割るだけなら『料理』ではない。しかし、調理しやすいような、あるいは食べやすいような大きさに切るのは、『料理』だと思う。
そして、シェントロッドは料理ができない。しかし、一度手を出してしまったものを放り出すのも、彼の主義に反した。
「……『切る』だけならやってやる。他はすべて店主が準備しろ」
「他、といいますと」
「どう置いて、どの幅で、どう切るかとか、全部だ」
「は、はいっ」
レイゼルは、眉を寄せて考え込んだ。
誰かに料理を教えるなど、初めてのことだ。自分でできるからといって、人に教えるのもすんなりできるかといえば、そうではないのが料理である。
(お手本を見せればいいのかな……?)
「ええと、切り口を下にして置いて」
「なぜだ」
いきなり質問が飛ぶ。
「あ、安定するからです」
「なるほど。言われてみればそうだな」
「包丁はこう当てて、固いので手が痛くないように、上から布巾でこう」
レイゼルは一度包丁を受け取り、動作をやってみせた。
シェントロッドは腕組みをしながら観察している。
「で、端からこのくらいの幅で切っていきます」
「切る幅は、お前の小指一本分くらいか」
「別に、隊長さんの指の幅でもいいです」
「決めろ」
「あう、じ、じゃあ、私の小指くらいで……」
そこまで決めてようやく、シェントロッドは包丁を受け取った。
ざく、ざく、とリリンカの実が小さくなっていく。ここは意外と問題なく進んだ。
大きな状態から皮をむく、という動作はおそらく無理だろうと判断したレイゼルは、一切れ一切れからナイフで皮を切り落とした。それくらいなら彼女にもできる。
そして種と皮を先に鍋に入れ、水を入れて煮始めた。
「種まで煮るのか」
「身体にいい成分が、特に種に多いんです」
レイゼルは説明する。
「『アズの実一益、シーナの実二益、リリンカの実百益』といって、リリンカは色々な効能がある実なんですよ。すごいんです」
「ふん。次を貸せ」
「はいっ」
三つのリリンカが、すべて一口大の大きさになった。
「あ、種と皮、とろみがついてきましたね。そうしたら、実を入れてください」
「うむ」
切るだけでなく、その先へ――自然に延長戦に入っていることに、お互い気がつかない二人である。
シェントロッドの手によって、一口大のリリンカの実が鍋に加えられた。
レイゼルなら、まな板からザラーッと入れるところだが、シェントロッドは一つかみずつ入れている。
料理において、どんなところを手抜きしても大丈夫か、どんなところは丁寧にやらないといけないか、そういった大事な部分もある一方で、単に本人のやりやすさや習慣の関わる部分も多い。
(料理って、本当にひとりひとり、違うなぁ)
そんなことを思いながら、レイゼルは砂糖を入れた。
「このくらいかな」
「決まってるんじゃないのか」
「決まっていますよ。だいたいは」
「計らないのか」
「ああ、目分量です。普段、色々煮ていると、なんとなくわかってくるんです」
話しながら、レイゼルは水も追加する。
「あとは、ひたすら煮るだけです。ありがとうございました!」
にこにことお礼を言うレイゼルに、シェントロッドは軽くうなるような返事をし、ベンチに座った。
「薬湯をもらいにきた」
「あ、はい。今日の分は今、煎じますね」
レイゼルは彼の薬湯に使う薬草を準備し始めた。
薬湯の匂いと、リリンカの実の匂いが、薬湯屋の中で混じり合う。
土瓶と鍋の中でくつくつと、草や実から薬効が湧きだす音がする。
シェントロッドは黙って香りをかいでいたが、時々立ち上がっては、シロップの鍋をのぞきにいった。
「順調なのか」
「はい、大丈夫ですよ?」
レイゼルも座って一息ついている。
しばし、くつくつという音と、外を時折風が吹き抜ける音だけが、店を包み込んだ。
「あの、リ」
「店主は、北」
同時に口を開きかけて、二人は同時に言葉を切る。
こういう時の切り返しが早いのは、もちろんシェントロッドの方である。
「なんだ」
「あっ、いえあの、この間のトラビ族が言っていたんですけど……リーファン族は、色々十倍にするって……そうなんですか?」
「ああ」
シェントロッドはうなずく。
……話が終わってしまった。
(まさか、『レイ』の何を十倍にして三十年って言ったのか、なんて聞けないし)
レイゼルは目を泳がせ、それから向かいのシェントロッドを見上げた。
「あ、えっと、隊長さんもさっき何か」
「ああ。北西の山のふもとに、珍しい薬草の生えている場所があるが、行ったことはあるか」
はっ、と、レイゼルは息を呑んだ。
「……あそこは、立ち入り禁止で」
「そうらしいな。薬湯屋のお前が薬草を取るのも禁止か」
「そう……です」
「ふん。それならいい。何か欲しい薬草があるとき、あそこまで取りに行くのは面倒だろうと思っただけだ」
再び、沈黙が戻る。
「……薬湯はまだか」
「あっ、はいっ、もういいと思います!」
レイゼルはあわてて立ち上がり、薬湯をカップに注いでシェントロッドに出した。
彼がそれを飲み終わる頃、レイゼルはリリンカの鍋をかまどから降ろした。
「煮詰まりましたね。こっちももう、いいと思います」
ざるに布巾を敷き、鍋の中身を漉していく。そうしてできたシロップを、小皿にとってシェントロッドに差し出した。
「疲れにも効きますし、特に喉にいいですよ。まだ熱いので気をつけて」
「なんでこんな色なんだ」
皿を受け取ったシェントロッドが、まじまじと見つめる。
皿の中のシロップは、夕焼けのような茜色をしていた。鍋は黒っぽいため、白い皿に取るまで色がわからなかったのだ。
「面白いですよね! リリンカの実って、皮は黄色いし実は白いのに、煮るとこんな色になるんです」
「ふん……」
シェントロッドは、シロップを口に含んだ。
「……美味い」
「美味しいですね」
レイゼルも一口、飲む。
「お客さんが来たら、少しずつ飲んでもらおうと思うんですが、いいですか?」
「なぜ俺に聞く」
「え? だって」
レイゼルは首を傾げる。
「私だけで作ったんじゃないし……隊長さんに一緒に料理してもらったシロップなので」
「料理」
「はい」
レイゼルがうなずくと、シェントロッドは何やら顎を撫でて考えていたが、立ち上がった。
「好きにしろ」
「?」
レイゼルは背の高いシェントロッドを見上げる。
彼は無表情のまま、薬湯の代金を無造作にレイゼルに渡した。
「ありがとうございました」
「また来る」
彼は、持ち帰り分の薬草を持って店を出ていく。
入れ替わりに、眼鏡のトマがやってきた。
「やあレイゼル。養父母の薬湯を取りに来たよ」
「あ、いらっしゃい! 用意してあるよ」
レイゼルが棚から包みを取り出すのへ、トマは話しかけた。
「ソロン隊長、どうしたんだ? なんだか珍しくひとりごと言ってたぞ。『俺が料理なんてな』とか言って」
「……もしかして、嫌だったのかしら」
「何が? なんか、機嫌良さそうだったよ」
「え、じゃあ楽しかったのかしら。なんて、ふふ、まさかね。そうだ、トマも飲む? 喉にいいリリンカのシロップ。さっき隊長さんと一緒に作ったの」
「は?」
トマは一瞬固まり、そして眼鏡を直しながら身を乗り出した。
「え、あの、レイゼル。まさか料理って、一緒に料理したって意味? なんでそんなことになったの?」
「そういえば……なんでだろ?」
なりゆき? とつぶやきながら首を傾げるレイゼルだった。
『杏一益、梨二益、かりん百益』
お久しぶりです。
書き忘れていましたが、トラビ族は耳の長いカピバラみたいな顔をしています。




