第二十二話 トラビ族のペルップ
冬の森で、食べられるものを収穫でき、レイゼルは足取り軽く家に向かっていた。
肩から斜めに紐をかけ、籠をぶら下げている。中には、山菜のリセと、キノコの一種であるクツリタケが入っている。冬が旬なのだ。
モリノイモとクツリタケのスープに、リセのシャキシャキ食感が加わったところを想像しながらご機嫌で店の前まで戻ってくると、中から顔を出した人物がいる。
「……レイゼルだよな?」
「ナックス隊長。いらっしゃい」
レイゼルは、こもった声であいさつした。
防寒のために重ね着しまくってマフラーに顎をうずめ、頭にも帽子をかぶっているので、一見誰だかわからないのである。
ロンフィルダ領警備隊の、前隊長、ナックスは、しわ深い顔をほころばせた。
「ああ、待っていたぞ」
「お待たせしてごめんなさい! 膝の具合はどうですか?」
「うん、おかげでずいぶんいいんだが、今日は私の用事ではないんだよ」
ナックスは少々、気が急いている様子だ。
「レイゼル、君はトラビ族に会ったことがあるそうだね」
「え? はい。王都の学校で、同じクラスにいたので」
レイゼルがうなずくと、ナックスはこう言った。
「一緒に来てくれんか? モーリアンのところに、トラビ族が一人来ておるんだ」
「え、先生のところに?」
レイゼルは、マフラーと帽子の隙間からのぞいた目を丸くした。
モーリアンというのは、アザネ村唯一の老医師である。
ナックスは続けた。
「行き倒れていたようなんだが、さすがのモーリアンもトラビ族のことは詳しくないようでね。レイゼルならもしかして、と」
「わかりました、行きます!」
レイゼルは籠を下ろし、ナックスと一緒に店を出た。
モーリアン医師の家は、アザネ村のちょうど中央にある。
若い頃、ロンフィルダ領の中心部フィーロに住んでいた彼は、アザネ村に移り住むにあたってちょっとオシャレな家を建てた。入り口にはブリキのランプが下がり、扉にはめ込んであるガラスはステンドグラスである。
「こんにちは」
レイゼルとナックスが扉を開けて入っていくと──
──そこには、三人の人物がいた。
目立つのは、現在の警備隊隊長、背の高いシェントロッド・ソロンの隊服姿である。一人だけ立っているので、よけいに背の高さが際だった。
椅子に座っているのが、つやつや頭に眼鏡がトレードマークのモーリアン医師。白衣だ。
そして、その向かいの椅子に腰かけていたもう一人が、ゆっくりとレイゼルの方を振り向いた。
後ろにぺったりと寝かせた長い耳、突き出た鼻面、目立つ前歯。
毛むくじゃらのその顔は、トラビ族である。
さすがのレイゼルも、トラビ族の顔の見分けはつかない。身長であったり、毛の色であったり、何かわかりやすい特徴があれば見分けはつくが、それは他の人間族が見ても同じである。
しかし。
眉毛のあたりに小さな傷跡があるのを認めた瞬間、レイゼルは思った。
(うそっ)
「おお?」
そのトラビ族は、レイゼルを見てフンフンと鼻をうごめかせた。
「お前……えっと、名前なんだっけ。そうだそうだ、思い出した! レ」
「だ、大丈夫ですかっ!?」
レイゼルは急いでトラビ族に駆け寄り、片手で額に触れながらもう片方の手で口をふさいだ。
「もがっ」
「熱はないみたいですね! 行き倒れたって聞きましたけど、起きあがれるならよかった!」
「あ、ああ、レイゼルかい」
のんびりした口調のモーリアンが、ちょっと不思議そうに二人を見比べる。
「今日はまた、ずいぶんと着込んでいるね。……彼は、山から村への道で倒れているのをシェントロッド隊長が見つけてね。ここへ連れてきてくれたんだよ。風邪気味なのと、疲れている様子なので、薬を飲んで休んでもらった。今起きたところだ」
「あの、私、トラビ族に効く薬湯の調合を思い出しました! 歩けそうなら、私のお店に来ませんか? ねっ」
レイゼルはトラビ族の彼(雄である)の服を引っ張って、立ち上がらせる。
「モーリアン先生、いいですよね?」
「あ? ああ、それではレイゼルに任せよう。頼んだよ」
「はい! ソロン隊長、この人が元気になったらお知らせしますね!」
レイゼルは、呆気にとられているナックスの横を、ぐいぐいとトラビ族の彼を引っ張って医院から出た。
農道に出たところで、彼女の手が彼の口から一瞬はずれ、トラビの彼はレイゼルを見ながら言う。
「おうい、レイ? レイだよな? オレだよ、学校で同じクラ……」
「しっ! 静かにして!」
レイゼルはすばやく、医院の方を振り返った。シェントロッドは耳がいいので、あまり無防備に話すと聞こえてしまう。この距離なら大丈夫だろう。
「そう、僕だよ、レイだよ。でもちょっと静かにして! うちに連れて行くから」
急ぎ足で医院から離れながら、レイゼルは彼に話しかけた。
「あれからずいぶん経ったし、僕、こんな格好なのに、なんで僕だってわかったの!?」
「そりゃお前」
のほほんと、彼は言う。
「匂いでわかった」
「あああああ」
レイゼルは一瞬、脱力する。トラビ族は鼻がいいのだった。
彼女は苦笑しながら、どうにか身体を立て直す。
「ごめん、バタバタして。久しぶりだね、ペルップ」
『レイ』の王都での同級生、トラビ族のペルップは、目を細めて笑った。
「ええ!? 僕が女だって、気づいてたの?」
レイゼルは思わず振り向いた。
薬湯屋の中である。ペルップはベンチにちょこんと腰かけていた。トラビ族は比較的小柄で、立派な成年男子であるペルップも身長はレイゼルと同じくらいである。
「そりゃ、気づくさ」
ペルップは、レイゼルにもらった木の実をポリポリと食べながらうなずく。
「女の人は色々あるだろ。毎月」
「あああああ」
レイゼルは脱力する。なるほど、人間族やリーファン族はごまかせても、トラビ族の鼻はごまかせない。
「知ってて、黙っててくれたの?」
「レイが男のフリをしてるみたいだったから、何か事情があるんだろうと思ってさ。別にオレは、レイが男だろうと女だろうと、どっちだっていいし」
それを聞いて、レイゼルは何となくジーンとしてしまった。
「ありがとう……」
「スカート穿いてるレイ、新鮮だなー」
ペルップはまた目を細め、歯をむき出した。これが彼らの笑顔である。
レイゼルも笑った。
「もう、やめてよ。あ、それでね、さっき診療所にリーファン族の男の人がいたでしょ」
レイゼルは三十年労働の話を、ペルップに聞かせた。
「そんなわけで、あの人には私がレイだってこと、隠しておきたいの。お願い、しゃべらないで」
「りょーかい。ぐひ、それでか、あんなにあわててたのは! ぐひひ!」
ペルップは独特な笑い方をしながら、おなかを抱えた。
「『熱はないみたいですね!』だって。毛の生えたオレの額に触ったって、熱なんかわからないのにな! ぐひ!」
「とっさのことだったんだってば!」
「わかったわかった」
レイゼルの作った薬湯を受け取りながら、ペルップはうなずく。
「しかし三十年労働かー。あれだよな、リーファン族ってそうやって色々と十倍にするよな」
「そうなの?」
レイゼルが聞き返すと、ペルップは薬湯を一口飲んで、髭をぴこぴこさせた。
「知らないの? リーファン族って金に関しては合理的だけど、恩とか恨みとか、金の絡まない部分はとりあえず十倍にするんだってさ。リーファン族がレイに、三十年分恩返しをしろって言ったなら、その十分の一──三年分、何か恩を受けたんじゃないの?」
「ええ……?」
レイゼルは戸惑う。
三年間、シェントロッドの元で働いたが、それはペルップの言う「金に関して」の部分だ。十倍にしろなどと言われるようなことではない。
「一度、苦手な上司から助けてはもらったよ。それは確かに、恩だと思う。でも、それ以外は心当たりがないんだけど」
「レイが気づいてないだけかもよ」
「えええ……わからない」
レイゼルは頭を抱える。
ペルップはぽんぽんとレイゼルの肩を叩いた。
「まあまあ、わかったらそのとき考えればいいじゃない。それよりさ」
ペルップは話し始めると長い。学校時代の友人の消息や、彼の故郷の様子など、話は夜まで続いた。
メリークリスマス!




