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第二十話 幼い頃の記憶

「おーい、レイゼル」

 背中に籠を背負ったルドリックが、薬湯屋にやってきた。

「頼まれてたもん、持ってきたぞ」

「わ、ありがとう! 寒かったでしょ、かまどのそばに来て」

 レイゼルは、棚からジャムの瓶を下ろした。黄色いキユの実を、皮も一緒に煮たジャムだ。

 スプーンでカップに入れると、かまどにかけっぱなしにしていた土瓶から湯を注いで混ぜる。柑橘のさわやかな香りが立った。

「はい、キユ茶」

「おう」

 ベンチに座って甘い茶をすすったルドリックは、ふー、と息をつく。

「今朝はいよいよ、霜柱が立ってたよ。……ほれ、籠の中を確認してくれ」

「うん!」


 レイゼルは籠の中身を一つ一つ、作業台の上に載せていった。ルドリックは他の村や町との取引に関わっているので、欲しいものを言っておけば見つけておいてくれることがあるのだ。 

「ああ、魚と海草、美味しそう。潮のにおいがする」

 内陸のアザネでは手に入らない海の食材が、まずは並んだ。もちろん、干したものだ。続いて、やはり干した果物が出てくる。

「こっちはムカカの実ね、消化を促してくれるんだ。あれ、これ、頼んでないよね。何だろう、真っ黒な豆……初めて見る」

「コクテン豆とか言ってたぞ。前にレイゼルが、冬は黒いものがいいとか言ってたから、試しに買ってみた」

「そうなの! 力を蓄える季節には、力を補ってくれる黒いものがいいの。サミセの実も白と黒があるけど、冬は黒を選んじゃう。コクテン豆、食べてみるね、楽しみ! ありがとう」

 レイゼルはいそいそと食材を棚や籠にしまうと、ルドリックに支払うお金を数え始めた。


 ルドリックは、キユ茶のカップを両手で包みながら店の中を見回す。

「色々干してあるなー。なんか、食材が一人分にしちゃ多くないか?」

「え? そ、そうかな」

 どきっ、とするレイゼル。

 週に一度はシェントロッドが来るので、その分が多いのだ。商売としてやっているので当たり前のことなのだが、なんとなく村の人には言い出しにくいレイゼルである。


 ルドリックは苦笑した。

「もうすっかり、冬もここで過ごすつもりでいるんだろ」  

「あ……うん。ごめんね、心配してくれたのに」

「いや、まあそうだろうと思ってたし」

 キユ茶を飲み干したルドリックは、じっとレイゼルを見つめた。

「リュリュも春には結婚しちまうし、まあ村には俺やトマやミロもいるけど……本当は今後、レイゼルが誰かと暮らすと安心なんだけどな」

「…………」

 戸惑ったように、自分の三つ編みに触るレイゼル。


 ルドリックは、聞いた。

「なんでそうしないのか、聞いてもいいか?」

「ダメ」

「あ?」

 口をぽかんと開けるルドリックに、レイゼルはにっこりと笑う。

「ダメ。聞かないで」

「お、お前なぁ」

 脱力ついでに、ルドリックはもう一言、突っ込む。

「アザネの大人たちがみーんな、お前に激甘なのも気になってるんだけど。それなのに、お前と誰かが親子になることもない。なんなんだ、いったい。それも秘密か?」


 すると、レイゼルは少し考えてから、答えた。

「ルドリックやみんなが、気にしてくれるのもわかる。じゃあ……私が誰かと暮らさない理由の方だけ、教えるね」


「え」

 自分から聞いておきながら、まさか答えが返ってくるとは思っていなかったルドリックは、少々ひるんだ。

 レイゼルはさらりと続ける。

「孤児院に入る前、私はある女の人と一緒に暮らしてたの」

「それって、実の母親……では、なさそうだな、その言い方」

「うん、養母って感じ。その人との生活がとても、なんていうか、普通じゃなかったんだって」

 まるで他人の話のように彼女が言うので、ルドリックは首を傾げる。

「『だって』って?」

「私には、普通じゃないってわからなかったの。子どもだったし、二人きりの暮らしだったんだもの、その生活が当たり前だと思ってた。その人と離れて初めて、とんでもない生活をしてたんだって知ったの」

 レイゼルは立ち上がり、自分もキユ茶を飲もうと、ジャムの瓶にスプーンを入れようとした。しかし手が震えたのか、カチャン、と作業台の上にスプーンを落とした。

 そのまま、彼女は手を止めて続ける。

「自分は幸せだと思ってたのに、それは思い込みだったと知ったの。それから、親子っていうものが少し怖くなった」

 淡い灰色の目を細め、レイゼルは困ったような笑顔をルドリックに向ける。

「怖いと思わない? 子どもは、親の言うことを何でも信じちゃうのよ。……信じちゃいけない、と思いながら暮らすのも嫌だし、いつか自分が子どもを持ったとして、信じ切った目を向けられるのかなって想像すると、やっぱり怖かった」


(これってやっぱり、虐待されてたとかだよな、たぶん)

 ルドリックは思いながら、「でもさ」と身を乗り出す。

「それは、レイゼルがそういう大人と暮らしたからそう感じるようになっちまっただけだ。他の親子も、みんな同じようになるとは思ってないんだろ?」

「ああ、うん、思ってないよ」

 レイゼルはうなずき、そして再び、にっこりと笑った。

「あとは、聞かないでくれると嬉しい」


 ここから先は、先ほどの質問──アザネの大人たちがレイゼルに甘い理由──に関わってくるらしい、と、ルドリックは気づいた。

 彼は大きくため息をついてから、立ち上がる。そして、レイゼルのスプーンを取ると彼女の代わりにジャムをカップに入れ、湯を注いでやった。

「お前の親子観には、言いたいことは山ほどあるけど、まだまだ事情がありそうだな。それを知らないのにゴチャゴチャ言うのはやめておくよ。ほら、座れ」


「ありがとう」

 レイゼルはベンチに座ってから、カップを受け取る。

「ルドリックも優しいねー。私、アザネ村の人たちが大好きだよ」

「そりゃ何よりだな」

 ちょっと呆れたように笑ったルドリックは、空になった背負い籠を手に取った。

「一人で暮らすのはいいけど、この店、花火みたいなものを置いといたらいいんじゃねぇの?」

「へ? 花火?」

「冬の間、なんかあったらパーンと打ち上げれば、助けを呼べるじゃないか。いや、でもお前って不器用だから、店を火事にするのがオチか」

「ひどっ! でも、うん、自信ない」

 素直なレイゼルである。


 ルドリックは笑い、そして言った。

「ひとつだけ聞いてもいいか? その、お前の養母だった人は、今はどうしてるんだ?」

「亡くなったよ。あ、見たわけじゃないけど……シスター・サラがそう言ってた」

「そうか、わかった。じゃーな、暖かく過ごせよー」

 軽く手を挙げ、ルドリックは薬湯屋を出て行った。


「はー……」

 レイゼルは改めてカップを手に取り、背もたれにもたれる。


 目を閉じると、脳裏によみがえるのは、幼い頃に過ごした家と薬草畑だ。

 かまどにはいつも火が入り、ケッシーの皮の香りが漂っていた。

 そして、レイゼルに呼びかける声。


『私の薬草姫さん』


 パッ、と目を開くと、霧が晴れるようにその光景は消えた。

「話しちゃった。でも、全然話さないのも悪いなと思ってたし、ルドリックならいいや。……助けを呼ぶ方法かぁ、考えなきゃいけないかな」

 温かなキユ茶は、身体をリラックスさせる。

 ひとくち、ふたくちと飲むうちに、レイゼルはトロトロとし始めた。


 実は、二人の会話を聞いていた者がいた。

 耳のいいリーファン族、シェントロッドである。今日は仕事が休みの日であった。

 川からあがってすぐのところで、ルドリックの「ほら、座れ」が聞こえたので、リュリュに釘を刺されたこともあり、邪魔しないようにしばらく待っていたのだ。

(あの様子だと、店主の言ったとおり、二人が村長の家で一緒に暮らすことはなさそうだな)


 シェントロッドは、ルドリックの姿がすっかり見えなくなるまで待った。

 それから、薬湯屋の入り口に近寄る。昨日、ゴドゥワイトに行く用事があったので、薬草を買ってきたのだ。


「おい、店主」

 中をのぞくと──


 ──レイゼルはベンチで眠っていた。

「…………」

 シェントロッドはしばらくの間、彼女の寝顔をじっくり眺めていた。そしてため息をつくと、そばに置かれていた膝かけを広げ、ふわりと彼女の身体にかぶせる。

 作業台に無造作に薬草の包みを置くと、店を出た。


 ギィギィ、パシャパシャと鳴る水車を眺めながら、彼は少し考えた。

「時間が空いてしまったな。……そうだ、雪が積もる前に、あそこを見回っておくか」

 彼は再び、川の中を通り抜けて移動した。


 目指すのは、村の北西、山沿いの森。

 希少な植物や毒草が生えているという、保護領である。

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