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第十九話 人間族のぶどう酒

 小春日和のある日、アザネ村の村祭が行われた。

 人口の少ない村のこと、小規模なものではあるが、伝統は守り続けている。ずいぶん前から準備されていた、神々を模した張りぼての人形──この国では、かつて巨人の神々が存在したとされる──が広場に立てられ、その周りにいくつものかまどが作られ、村人たちは材料を持ち寄って料理をし、食べたり飲んだりする。


 人形を見上げながら、レイゼルは思う。

(背の高いリーファン族が、界脈を読む不思議な力を持っているのは、神々に近いからなのかしら?)

 そんな彼女も、今日はアザネの伝統衣装を着ていた。白いシャツに黒のベスト、赤のロングスカート。白いエプロンには赤と紫の花と緑の葉の刺繍が入っている。

「あらレイゼル、刺繍が完成したのね! とっても素敵!」

 金物屋のジニーが褒めてくれた。レイゼルは嬉しくなってうなずく。

「ありがとう! 去年は間に合わなかったから、シスターのエプロンを借りたんだけど、今年は自分で刺繍したのを着られたの」

 例によって、不器用なレイゼルである、刺繍は完璧にはほど遠い。しかし本人は満足しているし、周囲もそんなレイゼルを見て嬉しいので、これでいいのであった。


 かまどの周りに思い思いに集まっている人々も、民族衣装姿ではりきっている。

「さぁ、腸詰めとシロゲン豆の煮込みがそろそろいいよ!」

 真っ赤なメトメソースの鍋におたまを入れ、すくい上げると、たっぷりの野菜と豆がドロッと崩れる中からぷりぷりの腸詰めが顔をのぞかせる。

「子どもたち、串焼きがあるからおいで!」

 別のかまどでは、網の上で肉がじゅうじゅういっていた。脂がはじけ、縁が少し焦げているのも人々の食欲をそそる。

 赤ら顔の大人たち、はしゃぐ子どもたち。レイゼルはかまどを囲むベンチに座ってレース編みをしながら、人々をニコニコと眺めていた。


 こういった祭りの日、レイゼルは料理に多少は参加するものの、ほどほどのところでやめることにしている。疲れて具合を悪くしては、よけい迷惑をかけるからだ。

 実際、村の人たちも最初からレイゼルの席を用意していて、

「ここに座ってな!」

 と座らされ、彼女が動き回らなくていいようにしているのだった。


 かといって何もしないのは申し訳なく思うし、祭に参加できない寂しさもある。

 そこで、レイゼルは毎年、二日酔いや胃もたれに効く薬草を用意することにしていた。村の人に持ち帰ってもらって、その日の夜や翌朝に煎じて飲んでもらうのである。

 幸い薬草は大好評で、大人たちは

「レイゼルの薬草、今年もあるな? よし」

 と確認してから、安心して飲み食いを始めるのだった。

(それもどうかと思うけど)

 逆に心配になるレイゼルである。


「あれ、レイゼル、どうしてほどいちゃうの?」

 料理の準備が一段落したリュリュが、レイゼルの手元をのぞき込んだ。

 レイゼルは一度編んだレースをほどきながら答える。

「うーん、これね、ハンカチの縁飾りで、リュリュに編んでたんだけど」

「あら、あたし? でもほどくの?」

「私がもっと器用だったらなぁ。結婚式のベールとか、すごいものを編みたかった。でも無理だってわかってるから、縁飾りくらいは妥協しないで、ちゃんと編もうと思って」

「ふふ、私は何でも嬉しいけどね。ありがと。じゃあ結婚式ではそのハンカチ持って、盛大に泣くわ」

 二人が話しているところへ、薪を運んできたミロがニヤニヤと突っ込む。

「リュリュがそういう場で泣くタマかよー」

「そういうこと本番で言ったら、あんたを泣かすわよ」

「ほらな!」

 ひー、と怖がって見せるミロの後ろから、眼鏡のトマがやってきて苦笑する。

「むしろレイゼルが泣いちゃって、リュリュが涙を拭いてあげることになりそうだよね」

「な、泣かないよ! 我慢する。リュリュが使うハンカチなんだから」

 レイゼルはムキになってレース編みを再開し、さっそく編み目をとばした。


 孤児院の子どもたちもわちゃわちゃと寄ってきて、『卒業』したお兄ちゃんお姉ちゃんたちに「あれやって」「これやって」と甘える。それを眺めながら、大人たちが笑い声を上げたりたしなめたり。

 やがて料理がすっかり出そろい、子どもたちは一通り食べると、広場の周囲で遊ぶ方に熱中し始めた。大人たちは少しゆったりとかまどを囲む。

「今年はカショイモが豊作だったね」

「ジンニの新しい料理を考えてみたの。商人に作り方と一緒に勧めたら、反応がよかったよ」

「フィーロの冬市に出すチーズが足りなくて。何かもう一つ考えなくちゃいけないんだが」

 話は尽きることがない。


「そういえば、ソロン隊長は来るのかい?」

 不意にその名前が耳に飛び込んできて、ぴくりとレイゼルは顔を上げた。

 数人の大人たちが話をしている。

「声はかけたんだろ?」

「え、かけたの?」

「そりゃそうさ、警備隊の隊長を招くのは慣例だろ」

「来るかねぇ。リーファン族ってのは、肉は食べないとか言うけど」

「酒はどうなんだろう。俺たちが飲むようなぶどう酒は飲むかな?」


 そこへ、まるで話を聞いていたかのように──

 川から広場への坂道を、上ってくる者がいる。

 緑の髪、シェントロッド・ソロンだった。


 広場の喧噪が、心なしか小さくなる。

(あ。制服着てないの、初めて見るなぁ)

 レイゼルはちらりと見ながら、珍しく思った。

 シェントロッドはいつも警備隊の制服で彼女の店にやってくるし、王都でも界脈調査部でしか会っていないので、いつも軍服姿だったのだ。

 今は、不思議なドレープのある膝までの白の服に、草色の細身のズボン、皮のブーツを身につけている。木の杖でも持たせれば、まるで物語に出てくる賢者のようだ。

 アザネの村人たちの間に、そんな身なりで背の高い彼が加われば、目立つのは当然だった。

一瞬、彼と視線がぶつかった気がして、レイゼルはササッとかまどの火加減など見たりする。


 すぐに広場は、賑やかさを取り戻した。

「おお、隊長さん」

「こっちこっち」

 大人たちはさりげなく、レイゼルから離れた場所にシェントロッドの席を開けた。彼は広場を見渡す。

「……決まった服装があるのか」

「いやいや、隊長はいいんですよ! これはアザネの民族衣装なんでね」

「隊長は隊長で、リーファン族の服装で来てくれた方が盛り上がるってもんです。お(さと)は大事にしないとね!」

 レイゼルがちらちらと様子を見ていると、先日の大雨でシェントロッドの世話になった家の人々が、彼にぶどう酒を注ぎに行っていた。改めてお礼を言っているようだ。

(あ、飲んでる。人間族のぶどう酒、飲むんだ)

 レイゼルは王都時代、当たり前のことながらシェントロッドと酒を酌み交わしたことなどない。リーファン族が蜂蜜酒(ミード)を好むことや、ミードがチーズと合うことは聞き知っていたが、シェントロッド自身がそれを好むのかとか、酒に強いのか弱いのかなどは、全然知らなかった。


 ミロも、シェントロッドに料理を運んでいる。レイゼルに言われた通り肉料理は避けて、薫製にした卵や、ふかした芋にチーズを載せてとろかしたものなどを選んでいるようだ。

 彼はそれを受け取り、もくもくと口に運んだ。

「お口に合いますかね」

 村の人に聞かれ、うなずいて答える。

「薫製は好きだ。リーファンにはこういった、食べ物を美味くしようと工夫する習慣がない。だから、人間族の料理を好むリーファンは、結構いる」

「そうなんですか!?」

「へぇー、そりゃ光栄だ。まあ、薫製は保存のためでもあるんですけどね」

「特別には、保存食を作る習慣もない。冬の間くらいは、たいしたものは食べなくとも平気だからな」

「はぁー、そりゃあなんていうか、安上がりなことで」

「おいおい」

 笑い声が上がる。

 シェントロッドは続けた。

「私が人間族の村で警備の職についているように、人間族もリーファンの村で料理の店をやったら繁盛すると思う。求めるものを相手が持っているなら、お互い交流するべきだな」

「確かに」

「いやー、しかし隊長さんは相当な物好きだと思うけどね」

「……そうか?」

 全く自覚のない様子の彼に、別の村人がフォローを入れる。

「その物好きのおかげで、俺たちは助かってるんだ。なぁ?」

「違いねぇ」

 ドッ、と笑い声が上がった。


「意外と盛り上がってるね」

 トマが眼鏡の奥で目を細め、笑った。リュリュはムッツリと眉根を寄せている。

「料理を褒められれば、みんな悪い気はしないでしょ。でも、すぐに帰るかと思ったのに」

「あ……っと。しまった」

 レイゼルはふと、脇に置いた籠に目をやった。

 一回分ずつ紙に包んだ薬草が、そこには入っている。しかし人間族向けのものだけで、シェントロッド用のものがないのだった。リーファン族にはリーファン族に合った調合でなくてはならない。

 レイゼルはもう一度、シェントロッドの様子を見た。

 特に、変わった様子はない。というか、顔色一つ変えずに飲んでいる。

(まあ、隊長さんがお酒に強ければ、何の問題もないけれど)

 

 やがて日が暮れてくると、歌い始める者が現れた。楽器が持ち込まれ、踊りが始まりそうな雰囲気になる。

 そのタイミングで、シェントロッドが立ち上がった。

「俺はそろそろ行く。今日は手ぶらで済まなかった、次は何か持ってこよう」

「いやいや、気にしないでください!」

「お気をつけて!」

 村人たちに見送られ、シェントロッドは坂道を降りて川へと去っていった。

「リーファン族の話、面白かったな」

「でも、やっぱり色々と違うねぇ。あたし一人でリーファンの集落になんか、とても行けないよ」

「隊長さんは堂々としたもんだよな。何か命令されたら、つい言うことを聞いちまいそうだ」

 口々に話す人々の声を聞きながら、レイゼルはなんとなく、彼の後ろ姿を見送っていた。


 翌日、レイゼルは朝から自分の店の棚に向かい、いくつもの薬草を選んでいた。

「ええっと、キバスの花で胃の熱を取って、むかつきにはカショの根ね。腸にはメナの実。ハフサムの球茎で発散させて……」

 器に入れながら「こんなところか」とうなずく。


 そこへ、「おい」と声がかかった。


 シェントロッドだ。身を屈めて、店に入ってくる。

「ひえっ」

 一瞬驚いて飛び上がったものの、レイゼルは土瓶を手にあいさつした。

「お、おはようございます。準備できてます」

「……ああ? なんのだ」

 柱に捕まって立つシェントロッドは、機嫌が悪そうだ。いつもより白い顔をしている。

 レイゼルは土瓶をかまどにかけながら答えた。

「二日酔いになられたんでしょう? すみません、昨日は隊長さんがいらっしゃるって知らなかったので、薬草を用意してなくて」

「……なぜ俺が二日酔いだとわかった」

 ベンチにどっかりと腰かけたシェントロッドは、髪をかきあげながらレイゼルに目をやった。レイゼルはかまどの火加減を見ていたが、ちょっと目線を上にやる。

「なぜって……うーん、お祭りから帰られる時の歩き方かなぁ……まあ、なんとなくです。いつもと違ったから、今日は辛いだろうと思っただけで」

「ふん」

 シェントロッドはまたもや、ベンチに勝手に横になる。


 やがて、薬湯の香りがし始めると、彼はゆっくりと息を吸い、吐いた。

「……うー……」

「もう少し、そうしていてくださいね。隊長さんに合わせて作ってあるので、すぐ楽になると思うんですけど」

「…………」

 シェントロッドは黙って、レイゼルの言うことをおとなしく聞くのだった。

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