第十六話 大人たちは、それを知られたくない
ルドリックは、村長ヨモックの次男だ。二十二歳、独身である。
アザネには若い女性が少なく、相手を探そうと思ったら他の村や町を当たるしかないのだが、年の離れた兄に子どもが三人いるので、跡継ぎも安泰。自分の結婚に急くことのないまま、他の土地との交易をとりまとめたり、家の仕事をしたりして過ごしていた。
その日、厩の掃除をしているところへ、リュリュがやってきた。
「こんにちは」
「おう、リュリュ」
隣の孤児院育ちの子どもたちは、みなが幼なじみだ。リュリュも、ルドリックにとっては妹のひとりのような感覚である。
「お前、結婚するんだってな」
「もう知ってんの?」
「あのリュリュが結婚するってんだから、話題にもなるさ」
ニヤニヤするルドリックは、それでも「おめでとう」と祝福した。
リュリュも素直に「ありがとう」と答えたあと、一歩ルドリックに近づいて声をひそめる。
「ねぇ、レイゼルのことなんだけど」
「なんだ? 店用の薪なら、こないだ割ってやったぞ」
「そうじゃなくて。この冬も、あの子、一人で過ごさせて平気だと思う?」
「あー」
藁を片づけるフォークを止め、ルドリックは思案する。
「そういや昨年、一人で寝込んでたんだっけな」
アザネ村の冬は、それなりに雪が降る。薬湯屋へは誰かしらが訪ねていって、屋根の雪下ろしや出入り口の雪かきを手伝っては、レイゼルのスープを食べてほっこりしていた。
しかし、昨年は近年まれにみる大雪で、村人もなかなかレイゼルの家までは手が回らなかった。
レイゼルは、ちょっとだけのつもりで自分で雪かきをして、熱を出した。しかも水車が凍って動かなくなってしまい、自分用の薬湯も作れなくなって、結局一ヶ月ほど孤児院に転がり込んだのだ。
「今年はもう、冬になったら誰かの家で過ごさせた方がいいんじゃないかと思って」
「確か最初の年もそう言ったはずだぞ。そんでレイゼルに断られたんだ」
ルドリックは思い出しながら言った。
「あいつ、そもそも『家族』っぽいことを嫌がるじゃないか。誰かの家に泊まるのもな。で、シスター・サラが、冬の間は孤児院に戻っておいでって誘ったのに、そうすると薬湯屋ができないからって」
「水車が凍ったら一緒なのに。でも、孤児院ではできないの? かまどはあるんだから、出張薬湯屋、やればいいのに」
「小さい子どもが何人もいるからな。手を出すと危険だから、薬草を持ち込みたくないんだと。薬草は、量や使い方を間違うと毒にもなる。孤児院みたいな場所では、たくさんの薬草は管理しにくいって言ってた」
「ふぅん。まあそうね、ずっと見張ってるわけにもいかないし、レイゼルが寝込んで、その間に何かあったら……ってなるか」
リュリュは考え、続ける。
「村長の家は? 大勢暮らしてるじゃない。孤児院で暮らしてたレイゼルなら大丈夫じゃないの? ルドリックから言ってよ、村長に」
「どうかな。まあ、父さんに聞いておくよ」
「村長はダメだとは言わないでしょ。それでね」
リュリュはちらりと辺りを見回し、さらに声をひそめた。
「大丈夫だってなったら、そのこと、レイゼルに話しに行ってほしいの。なるべく、夕暮れ時を狙って」
「夕暮れ? なんで……ああ」
ルドリックは思い当たったように言う。
「ソロン隊長が来るからか? しょっちゅう来るんだろ、あの人。レイゼルはあの人が苦手だから、誰かが他にいた方がいいって?」
「ううん」
リュリュは首を横に振る。
「ソロン隊長が来るまではいてほしいんだけど……。来たら、すぐに薬湯屋を出てほしいの。こう、気まずそうな感じで」
「はあ?」
「つまりね、ソロン隊長にしてみたら」
リュリュはひそひそと、計画を打ち明ける。ルドリックは呆れたように、眉毛を片方上げた。
「お前もよく考えるなー。まあいいけど。どうせこっちも独り身だし」
「頼んだわよ! 実行は明日ね!」
「へいへい」
ルドリックは、仕事に戻ろうと走り去っていくリュリュを見送った。
村長ヨモックは、執務室にいた。
執務室といっても、机と椅子がごちゃっと書類に埋まった私室、といった雰囲気の部屋である。
「父さん」
ルドリックが入っていくと、椅子に腰かけたヨモックは眼鏡の隙間から上目遣いで次男坊を見た。
「なんだ」
「レイゼルのことなんだけど」
「おお、どうしたどうした」
いきなり相好を崩すヨモック。
ルドリックは、冬の間のレイゼルの過ごし方について相談した。
「うむ……もちろん、うちで過ごさせるのは構わない。構わないというか、そうして欲しいとも思っておる。レイゼルがいいと言えばだが」
「嫌がるかな?」
ルドリックが首を傾げると、ヨモックは眼鏡を外しながら目をそらす。
「わからんなぁ。孤児院とはまた雰囲気が違うだろうし、あの子がどう思うかだな」
「…………」
ルドリックはしばらく黙ってヨモックを見ていたが、やがて尋ねた。
「今までは、聞かなかったけど……レイゼルはどうして、家族ってもんを嫌がるんだ? 父さんは知ってんだろ」
「うむ……」
ヨモックは口ごもったが、やがて言った。
「孤児院に来る前に暮らしていた家に、少々問題があってな」
「親に虐待されたとか?」
「まあ、そういうようなことだ」
ヨモックは歯切れが悪い。
この際だ、と、ルドリックは追及した。
「孤児院には、他にもそういう奴がいた。でも、アザネのおっさんおばさんたちは、レイゼルに極端に甘いよな。それはなんでだ?」
「そりゃまあ、病弱な子だ、甘やかしたくもなる」
「それだけか?」
「…………」
「あのさ」
ルドリックは、軽いいらだちを込めてため息をついた。
「俺、大人になったら、その辺を父さんが説明してくれるもんだと思ってた。レイゼルにはもしかしたら悲惨な過去があって、まあ子どもに話せないようなことなら言わないだろ、でもその場合でも大人になったら話すだろ、って。まだ、教えてくれないのかよ」
「知ってどうする。知らなくてもいいことだろう」
ヨモックは窓の方を向く。ルドリックはムッとして腕を組んだ。
「知ってた方がいいこともあんだろ。例えば、『家族』が苦手なレイゼルに、一緒に暮らそうって言い出す奴が出てこないようにする、とかさぁ。下手に傷つけないためには、知ることも必要じゃないのかよ? 仲のいいリュリュは隣村に行っちまうし、せめて村の仕事をしてる俺くらいはさ。あいつは、妹みたいなもんだし」
ヨモックは、しばらく黙り込んだ。
ルドリックがもう一言言おうと口を開きかけたとき、ようやくヨモックが言葉を発する。
「わしが、知ってほしくないのだ。……聞かないでくれ、ルドリック」
「はぁ? 父さんが?」
ルドリックは戸惑ったが、ヨモックの背中はこれ以上聞いても何も語ることはないと告げていた。
部屋を出て、廊下を歩きながら、ルドリックは考え込む。
レイゼルの過去について、語らないのはヨモックだけではない。村の大人たちはみな、そのことに触れようとしない。
(みんなが、知られたくないっていうのか? ……いったい、幼い頃のレイゼルに、何があったんだ)
その頃、シェントロッドの元に、王都ティルゴットから荷物が届けられていた。ロンフィルダ領の、三十年前の界脈図である。
彼が着任して数ヶ月が経ち、彼自身の足で行ったロンフィルダ領の調査もだいたいのところで終わっていた。この地方の守護隊が比較的ヒマだとわかった彼は、界脈調査部にいた頃のように界脈の変化を見てみようと考え、ベルラエルに連絡して送ってもらったのである。大きな荷物はリーファン族のように移動させるわけにはいかなかったので、かなり時間はかかったのだが。
隊長室でもくもくと新旧の界脈図と現在の地図を比較していたシェントロッドは、数時間経った頃、あることに気づいた。
戸棚から、古い地図も取り出して確認し、隊長室を出る。
隊員の詰め所に行き、声をかけた。
「おい」
「あっ、隊長」
二人の隊員が立ち上がる。残りは見回りに出かけているらしい。
「な、何か問題でもありましたか!?」
「いや、問題があるわけではない。少し気になったことがあったので教えてほしいだけだ」
シェントロッドは机の上に、地図を広げた。
「アザネ村の北の外れ……ここだ。山沿いの森のあたり」
昔の地図と、今の地図を比べてみせる。
「領境が、三十年前と今とで変わっているが、何か理由があるのか」
隊員たちは、地図をのぞき込んだ。
(む。この二人、まだ十代後半か?)
シェントロッドは、しまった、と思った。人間族の中でも若い彼らは、三十年前のことなどわからないだろう。二人の外見は、リーファン族なら五、六十歳でもいけるので、うっかりしていた。
しかし、片方の隊員が「ああ」と声を上げる。
「このあたりは、希少な植物が生えているらしいですよ。毒草もあるし、保護領として誰も立ち入らないようにしたって聞いたな。俺も入らないように親に言われたし」
「あ。俺、子どもの頃にこっそり入ったことある」
もう一人が、へへ、と笑った。
「入るなって言われると入りたくなって。森の中に開けた場所があって、そこに色々な草が生えてたんですけど、どれが何なのかは俺にはわからなかったな。あ、そうそう」
記憶がよみがえってきたのか、彼は言う。
「廃屋がありましたよ、一軒。昔はあそこ、誰か住んでたんじゃないかな」
「そうか、わかった。ありがとう」
シェントロッドは地図を引き上げ、隊長室に戻った。
新しい方の地図を見ながらアザネ村を調査して回ったので、現在はアザネ領ではないその場所には入っていない。
薬湯屋の店主レイゼルに、紫色のサキラの根を持っていったときのことを思い出す。
(『あの……。これ、もしかして山沿いの森で……?』)
「希少な植物がある保護領か。店主は、私がサキラをそこで手に入れたと思ったのかもしれないな」
シェントロッドも、希少な植物に興味がないわけでもない。
(機会があれば、行ってみることにしよう)
地図を脇に置いたシェントロッドは、再び別の地図に没頭していったのだった




