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第十五話 それでか!

 ロンフィルダ領の北の端に、『湖の城』ゴドゥワイト、と呼ばれる土地がある。

 深い森の中に大きな湖が広がり、その中央に『城』が建っていた。見た目は城のように見えるが、実際にはそこは町である。小さな島に無数の石造りの家が意匠(デザイン)を一にして作られ、その集合体がまるで一つの城のように見えるのだ。

 ここは、ロンフィルダ領内唯一の、リーファン族の集落である。


 湖のほとりに立ったシェントロッドは、城を眺めた。

 朝から降り続く雨の中、森に囲まれた土地は薄暗い。しかし、城のあちこちに灯る明かりが灰色の水面に映り、風景を幻想的に見せている。

 渡し船があるが、界脈士には必要がない。シェントロッドも、表出している水の中なら通り抜けられる。水の中を進み、島に降り立った。

 そしてマントをなびかせながら、島の中央を目指して、家々の間を縫う石の階段を上っていった。


 ゴドゥワイトの領主イズルディアは、五百歳が近い壮年の男で、やはり界脈士である。

 シェントロッドが守護隊隊長に赴任し、挨拶に行ったときに身体を壊したことを説明すると、イズルディアは「いつでもゴドゥワイトを訪ねるように」と言った。

 シェントロッドが現在、自分を含む身体の中を巡る流れを読めなくなってしまっているので、誰かリーファン族の界脈士に診てもらう必要がある。その役目を、イズルディアが負ってくれようというのであった。


 彼の館は、島の中で最も高い場所にある。

「思ったよりは早く、整ってきたな」

 白いローブを着た、細面のイズルディアは、シェントロッドの首筋に触れて界脈流を読みながら言う。

「さすがに、鉱脈にもぐって一体化しているときに雷に直撃されては……と思っていたが、お前の中の破壊された流れが、ほぼ繋がっているとは。驚いたぞ」

「小川などの、表出している水脈はごく普通に移動できます。それ以外はまだ難しいですが」

 シェントロッドは答えた。


 応接室は白と金を基調にした作りで、扉や窓枠には細かな細工が施され、部屋全体が明るく感じられた。

 イズルディアは手を離し、応接室の肘かけ椅子に腰を落とす。

「良い薬師がいるのか? ゴドゥワイトの薬師のところには通っていないようだが。ティルゴットまで行っているのか?」

「いえ。実は、ロンフィルダ領内に、リーファンの薬の知恵を学んだ人間がいるのです。その者の薬湯を飲んでいます」

 シェントロッドが答えると、イズルディアは「ほう?」と顎を撫でた。

「回復は、お前の若さによるところもあるのだろうが、その人間もなかなかのものだな。しかし、人間では手に入りにくい薬もあろう。ゴドゥワイトの薬屋に寄って、必要なものは持っていくがいい。私の名を出せば、なんでも手に入るだろう。その人間にリーファンの知識があるということなら、薬を持って行けば使い方もわかるはずだ」

「ありがとうございます」

「界脈流が繋がっても、本来の機能を取り戻すにはまだまだかかるだろう。焦らず、直していくのだな」

 肘かけ椅子に腰かけたイズルディアは、鷹揚にうなずく。

「仕事には、支障はあるのか」

「今のところはありません。か弱い人間族やトラビ族だけでどうにもならないときに手を貸すくらいで。しかし、有事の際には私一人の手に余るかもしれません。そのときはお力をお貸しいただきたく」

「わかっている。……そなたの仕事はロンフィルダ領全域の警備だが、そうはいっても、わがゴドゥワイトは自らを自らで守っている。しかし大災害のときだけは、ことはゴドゥワイトだけの問題ではなくなるであろうからな。我々はそなたを助けこそすれ、負担をかけることはないだろう」

「ありがとうございます。しかし、俺にも一応の立場はありますので、ゴドゥワイト内で何かありましたらご一報だけでも」

「わかっておる、わかっておる。そなたも、もう少し頻繁に顔を出すとよい。やはり同族の中は落ち着くだろう」

「ありがとうございます。そうさせていただきます。では」

 シェントロッドは、島の天辺にある領主の館を辞した。


 雨はまだ、降り続いている。

 シェントロッドは濡れた石段に注意を払いながら、イズルディアに言われたとおり、島の中腹にある薬屋に向かった。

 リーファンの薬屋は、アザネの水車小屋よりもずいぶん大きく、立派だった。壁一面を棚が埋め尽くし、客が何人も出入りし、数人の店員が何かの薬をつぶしたり混ぜ合わせたりしている。


「ほぅ、アザネに人間族の薬湯屋が」

 薬屋の主人は、シェントロッドと同年代だった。緑の髪を一本に結んだ彼は軽くうなずくと、店の奥から壷を一つ持ってくる。

「さすがに、アザネでこれは手に入らないのではないでしょうか。サキラの根です、お持ちください」

 壷を開けると、紫色をした根らしきものがモジャモジャと入っている。

「白い花が咲くんですが、葉に厚みがあって、細かな毛が生えています。アザネではおそらく見かけないのではないかと」

 主人は根をほぐし始めた。シェントロッドは質問する。

「どういった効果があるんだ?」

「傷の回復を助けます。身体の内部もです。シェントロッド様のお話を伺うに、あなた様の界脈流を完全に回復させるのに役立つと思います。薬湯屋なら、使い方もわかるかと」

「そうか、わかった。……多めに頼む」

「かしこまりました。お代はイズルディア様持ちですから、思い切って行きましょう」

 主人は微笑むと、ほぐした根をどっさりとりわけた。そして、紙にくるくると包みながら口を開く。

「アザネには、実は私も数年前に一度行ったことがあります。あの土地には少々、興味がありまして」

 シェントロッドは軽く眉を上げる。

「興味? リーファンの薬師の興味を引くようなものが、あの小さな村にあるのか」

「ご存知ありませんか? アザネ村の老人たちは、人間族にしてはかなりの長寿なんです。何か特別な薬草が採れるのなら、わがリーファン族にはもっと効き目があるかもしれないと思いましてね」

 店主は肩をすくめ、包みを渡した。

「まあ、結局、そういったものは見つからずじまいだったんですが」

「ほう。……今度、アザネの薬湯屋に聞いておくことにしよう。まあ、薬湯屋の店主は若いから、今の老人たちの長寿には関わりないかもしれないが」

「そうですか。でも人間族にとっては、六十ほどの寿命が七十になるのでしたら、私たちの感覚よりも遥かに大きく違うのでしょう。もしかしたら、若くても薬湯屋は調べているかもしれません」

「そうかもしれないな」

 シェントロッドはそう答え、礼を言って、薬屋を辞した。


 手にした包みに目をやりながら、家々の合間を縫う石段をさらに降りていく。

(サキラの根、といったか。珍しい薬なら、レイゼルが喜ぶだろう)

 シェントロッドは、そんなことを考える。

 多めに、と言ったのは、シェントロッドの分以外にもあった方がレイゼルは喜ぶだろうと思ったからだ。


 ふと気づくと、雨足が強くなっている。

「……嫌な感じだな。戻るか」

 シェントロッドは湖まで降りると、まっすぐにアザネ村に向かった。


 その日はロンフィルダ領内は大雨になり、アザネでも夜中に山が崩れるなど、何カ所かで被害があった。

 警備隊は対応に追われ、シェントロッドが薬湯屋を訪ねたのは翌日の夕方遅くのことだ。

「あ、隊長さん。お疲れさまです」

 店主レイゼルは、いつもは彼を見ると緊張した様子になるが、その日はどこか表情が明るく見えた。まるで、ついさっきまで笑っていたかのように、目元がほぐれている。

「何かいいことでもあったか」

「えっ、あっ。あの、友達が、結婚するので」

「そうか」

 興味のない話題だったので、さらりと流したシェントロッドだったが、そういえばこの店主も独身のようだなと思い至る。しかし、人間族ならとっくに年頃だなと思っただけで、自分の用事を思い出した。

「これを使え」

 無愛想にシェントロッドが突き出した包みを、薬湯屋の店主は「なんですか……?」と不思議そうに受け取る。

 作業台の上で包みを開いたレイゼルは、ハッ、と息を吸い込んで手を止めた。

「サキラ」


「知っていたか。使い方を知っていれば、俺の薬湯に使ってくれ」

 シェントロッドはそれで、この話題は終わるものと思っていた。

 しかし、窮屈なベンチに腰かけてから改めて見ると、さっきまで柔らかかったレイゼルの表情が変わっている。感情を、表さなくなっていた。


 彼女は、彼を振り向いて、小声で尋ねる。

「あの……。これ、もしかして山沿いの森で……?」

「いや……? ゴドゥワイトの薬屋で手に入れたものだが」

「あ、そうですか」 

 レイゼルはあわてたように彼から目を逸らし、サキラに視線を戻した。

「すみません、あんまり珍しいものを見たので驚いてしまって。すごい、ずいぶんたくさん」

「俺以外にも使えるなら使っていい」

「ありがとうございます! でも、隊長さん、どうしてこれを」

「そういえば、説明したことがなかったな。見た目からはわからないだろうが、数ヶ月前に界脈流の一部が傷ついて、ようやく繋がりだしたところだ。まだ、表出していない界脈を通ったり、人の界脈流を読んだりする当たり前のことができない」

 リーファン族としての力の部分なので、レイゼルにはわかりにくいであろう身体の状態だった。

 すると彼女は、一瞬ポカーンとしたあとで、

「それでか!」

 と言った。

「……何がだ?」

「あっ、いえ、えっと……隊長さん、なかなか調子がよくならない様子だなと思っていたので」

 レイゼルはあたふたと棚の方を向く。

「じゃあキギの根がいるわ……あとはケッシー、ヤクー、ジュソー。森でリョウブを採ってきたところだし」

 彼女はぶつぶつとつぶやきながら、いつものように仕事に没頭しはじめた。


 今日は臼を用意する手伝いは必要なさそうだったので、シェントロッドはまるで我が家であるかのようにずうずうしく、ベンチにごろりと横になったのだった。

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