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第十三話 触れられてピンチ

 秋の空は高い。

 どこまでも上っていけそうな青の中に、小さな雲が泳ぐように浮かんでいる。西の山の紅葉は山頂から中腹まで降りて、美しい織物のような景色を成していた。


 レイゼルは店の外に出て、草はらを歩いていた。枯れた草の淡い黄色が目に優しい。

「いい季節だし、少しは運動しないと。冬になったらまた動けなくなるもの」

 村の誰かが聞いたら寄ってたかって止めそうな、そんなつぶやきを彼女は漏らす。


 レイゼルがやろうとしているのは、薪割りだった。


 薬湯屋的には、火持ちのいい広葉樹の薪が必要なのだが、火持ちのいい木がなぜ火持ちがいいかといえば密度が高いからであって、つまり、固い。非力なレイゼルには危険な相手である。

 仕方がないので、広葉樹の薪は買ったりもらったりして、自分では焚きつけ用の枝を森でよく拾ってくる。


 しかし、一度くらいはちょっとだけ太めの木を切ってみたいと、そういうわけだった。

 若い彼女も、冒険したいお年頃である。


 レイゼルは森まで行くと、落雷か何かで折れたキューケという木の太い枝を見つけ、とりあえず森のすぐ外まで引きずってきた。ここからなら、店に客が来れば見えるし、シェントロッドが来る夕方までにはまだかなりの時間がある。


「なんか……少し慣れてきてるよね、私」

 レイゼルはつぶやく。

 シェントロッドは、上司にしたくない男ナンバーワンである(レイゼル調べ)。それに『レイ』だとバレたら、ベルラエルの誘いを断ってもらった恩を返せと言われて三十年労働だ。その可能性がある限り、バレたくない。

 しかし、彼が赴任して薬湯屋に通うようになって、二ヶ月が過ぎている。ここまでバレなかったなら大丈夫そうだなと思うし、後は触られさえしなければいい。

 アザネ村の住人としては、種族が違うとはいえ守護隊隊長には長く世話になる。持ちつ持たれつ、うまくやっていきたいのも正直なところだった。

 

 とにかく、今は目の前の獲物である。

 レイゼルは、枝を短めに切るため、目の前に横たわる太い枝に片足をかけて固定した。

 持ってきた手斧を構え、ふー、と息をつく。

「行っくぞー」

 ブン、と振り上げた。 

 そして、その遠心力で、後ろによろけた。

「わ」

 踏ん張って、かろうじてひっくり返るのは免れる。

「……あまり振り上げない方がいいってことかしら」

 構え直し、額のあたりの高さから振り下ろしてみる。

 カッ。

 枝に手斧が刺さった。

「よし! ……くっ……抜けない」

 試行錯誤するうちに、彼女は薪割りに夢中になっていった。



「…………」

 シェントロッド・ソロンは、黙って足下を見下ろした。

 森のすぐ外に、薬湯屋の店主レイゼル・ミルが倒れている。現場近くに手斧が落ちており、これが凶器かと思われた。

 ──という殺人現場のように見えてしまうのは、レイゼルが何もない地面にべちゃっと倒れているからである。


 シェントロッドは知らないが、薪割りを追究するあまり疲れた彼女は森の際の木にもたれて休もうとして、木にたどり着く前に力つき、面倒になってその場で眠ってしまったのだった。

 ふかふかの枯れ草が温かく、思いのほか気持ちよかったのもある。


 薬湯屋を訪ねてきたシェントロッドは、水から上がったところでたまたま、草っぱらに転がっている彼女に気づいた。近づいて様子を見ると、呼吸も安定しているし、顔色も悪くない。


 シェントロッドは面倒くさそうにつぶやいた。

「……とりあえず、運ぶか」


 彼は、レイゼルの脇と膝裏に手を差し入れた。ぴくりとレイゼルのまぶたが動いたが、彼女はそのまま寝息をたてている。

 種族の体格の違いもあるが、シェントロッドにとってレイゼルは軽く、細く、柔らかい。彼は何となく、両手に収まる大きさの白いオコジョをイメージする。王都で、道楽でオコジョを飼っているトラビ族がいたのだ。

(頼りない。握りつぶせそうだな)

 そんなことを思いながら、軽々と抱き上げた。

 細い首が折れそうなので、上半身を自分の胸にもたせかけるようにして抱き直した。黒髪に、枯草と太陽の香りが移っている。

 柔い身体を感じながら、踵を返し、小さな水車小屋を目指して歩き始めた。

 ゆっくりと回る水車を眺め、

(トラビ族が飼っていたオコジョが、あんな回転車を回していたな……)

 などと思いながら、彼は苦もなくレイゼルを小屋まで運び、開け放たれた戸口から中に入った。


 ベンチに並べられたクッションの上に下ろしたとき──

 何の前触れもなく、ふっとレイゼルの目が開いた。


「あれ? 私、眠っちゃって……?」

 起きあがった彼女が見たのは、呆れた様子で見下ろしてくる、シェントロッドである。

「た、た、隊長さん。えっ、もうそんな時間ですか!?」

 レイゼルはあわてて窓の外を見る。

 シェントロッドは仕事帰りに薬湯屋に来るので、黄昏時にやってくるのが普通だった。しかし、空はまだ明るい。


 シェントロッドは、頭をぶつけないように身体を起こしながら言った。

「いつもより早く来たら、お前が倒れていた」

「すみません! えっと、今準備しますね」

 あわてて薬湯を煎じる準備を始めるレイゼル。


(寝起きにソロン隊長の顔だなんて、心臓に悪いわ。ベンチで寝ちゃうだなんて。……ベンチで……?)

 違和感のようなものを感じる。

 レイゼルは首を傾げながらも、土瓶から湯気がたち始めるのを見守った。ベンチには今度はシェントロッドが座り、腕を組んで目を閉じている。

(眠る前に……何か他のことを、私、していたような)


 不意に、レイゼルの記憶がよみがえった。

(そうだ。私、小屋の外で薪割りに挑戦していて、そこで力つきて眠ってしまったはず!)

 どきん、と、胸が大きく打つ。

(私を、隊長さんが運んだ? ……私に、触った……?)


「そろそろか」

「は、はいっ!?」

 低い声にギョッとしてレイゼルは飛び上がり、それからあわてて土瓶を手に取った。

「っあつっ」

 布巾を使うのを忘れて直に持ち手を握ってしまい、あわてて離す。かろうじて土瓶はひっくり返らず、そのままかまどの上に戻った。

 ぬっ、とシェントロッドが立ち上がる。

「おい。やはり体調が悪いんだろう、座れ。注ぐくらいは自分でやる」

 彼はかまどの脇の作業台にあった布巾を手に取り、レイゼルの背後に立った。

 頭上も背中も包み込まれているような感覚は、彼女に小動物のような気持ちを抱かせる。すなわち、「逃げられない」というような怯えの気持ちだ。


「す、すみません、ちょっと疲れただけで」

 急いで脇に逃れ、スツールにへたり込む。

(もうだめだ。そろそろ、言われるわ。『お前、レイだろう』って)

 

 しばしの沈黙。

 木のカップにコポコポと、薬湯が注がれる。ケッシーの皮の、甘く芳ばしい香り。


 シェントロッドが、口を開いた。

「疲れやすいといえば、王都で知り合った少年が疲れやすい体質らしかったな」

「ひえっ、はい!?」

 ビクッと身体をすくませるレイゼル。シェントロッドは続ける。

「その少年が、秋はリツの実をよく食べるとか話していた。種子なのに油が少なく、身体を温めるのだとか。まあ、お前は学生だった彼よりよほど専門家だ、俺が言うようなことでもないだろうが」


(えっ)

 レイゼルは呆然と、シェントロッドを見上げた。


 イガに包まれて生るリツの実の話は、『レイ』がシェントロッドにした話だ。レイ=レイゼルは油を控えた方が体調がよく、リツの実は栄養をとるのにいい食材のひとつである。

(気づいてない……!? 私を運んだなら、界脈流を読んだはずじゃ……)


 シェントロッドは薬湯を飲み干すと、カップをコトンと作業台に置いた。

 そして、切れ長の目をレイゼルに向ける。

「お前、誰かと一緒に住んだ方がいいんじゃないか? 何かあったらすぐ死にそうだ。まあ、そういう奴ほど死なないのかもしれないが。……邪魔したな」

 彼は店を出ていった。小川の方で、何かが光って消えるのが窓から見える。


「ど……どういうことなの」

 動揺のあまり、レイゼルは気分が悪くなり、その日は店じまいにして寝込んでしまった。


 翌日も、シェントロッドは薬湯屋にやってきた。何も気づいた様子はない。

 しかし、彼の存在に慣れてきていたレイゼルに、今回の件は再び警戒心を呼び起こしていた。


 ちなみに、キューケの太い枝には傷がたくさんついただけで、手斧が刺さったまま数日放置されていたのだった。

トラビ族は、ウサギっぽいげっ歯類系の獣人族ですが、そんな彼らがオコジョ飼ってるのはシュールですかね……でもサ◯リオのキ◯ィ先輩が猫を飼ってるよりは、まあ(笑)

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