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第十二話 森の恵みのスープ

「あぁー。やられたぁ……」

 畑に出たレイゼルは、がっくりとうなだれた。

 

 秋晴れの、爽やかな日である。レイゼルは昼食に、畑の隅に植えたカショイモを食べようと収穫しに出た。

 ところが、畝を掘ってみると、イモはぼろぼろにかじられていたのだ。見ると、地中にトンネルのようなものがある。

「ネズミだわ」

 レイゼルは、孤児院時代にシスターに教わったことを思い出した。

 ミミズのたくさんいる畑は、よい畑である。ミミズは畑を耕してくれるからだ。けれど、ミミズを狙ってモグラが来る。そして、そのトンネルを利用してネズミが来て、作物を食い荒らしてしまうのだ……と。


 とりあえず、畑の周りのトンネルを頑張って踏みつぶしたレイゼルは、キッ、と空を見上げて宣言した。

「今日は森から、ジュマ花を採ってきて植えよう」

 ジュマ花の球根には毒があり、害獣が嫌う。これを畑の周りにぐるりと植えれば、モグラやネズミは近寄らなくなるに違いない。


 レイゼルは店の中に戻ると、収穫物を入れる背負い籠や小さなシャベル、手袋などを用意した。そして、仕事用のボードに紙を一枚とめると、そこにこう書きつけた。

『収穫中。夕方には戻ります』

 ボードを薬湯屋の看板に立てかけ、

「よし。行くぞ」

 と気合いを入れると、レイゼルは小川にかかった小さな橋を渡って、東に向かった。

 森は、すぐそこだ。


 アザネの東の森は、村人たちが季節ごとにキノコを収穫に来たり、ベリー類を収穫に来たりする、危険の少ない森である。西の山脈には大型の獣がいるのだが、餌場が豊からしく、町や森にはやってこないのだ。

 森にはキツネや鳥類などが住んでおり、時折その姿を見かける。レイゼルはあたりを見回しながら、ゆっくりと歩いていった。

 ほんのり紅葉を始めた木々が、陽光を透かしてきらめいている。ちょろちょろ、コポコポと、水の流れる音。森の中にも、幾筋かの細い川が流れていた。少し開けた場所に出ると、小川沿いに白やピンクの花が咲き乱れているのが目に入る。ジュマ花だ。


「よかった。ここならあるかなと思ったのよね」

 レイゼルはシャベルを使って、ジュマ花を球根ごと掘り起こした。背負い籠に入れる。

「あんまり重いと、疲れちゃうから」

 レイゼルは数本で掘るのをやめ、立ち上がった。そして、あたりを見回す。

「そんなにしょっちゅう来られないし、他にも何か……」


 小川の向こうの藪にツタのようなものが絡まっており、見覚えのある細長い葉がついている。

「モリノイモだわ。カショイモはやられちゃったし、代わりに掘っていこう」  

 レイゼルは小川をひょいっと飛び越え、藪に近づいた。


 モリノイモは地中の真下に深く伸びるため、掘り起こすのはかなり大変だ。小さめのものを一本だけ掘った。これは食材にもなるし、薬湯の材料としても使える。

 そして、レイゼルのお目当てはもう一つあった。モリノイモのツルにできる、小さな実である。この親指の先ほどの実もイモのような形と味をしており、丸ごと煮て食べることができるのだ。

「今日のスープに入れよう。あ、イコネッコが生えてる、キノコも欲しかったんだ」

 細く白いキノコが群で生えているのを見つけ、レイゼルはうきうきとそれも摘んだ。


「さあ、そろそろ戻らないと」

 レイゼルは、森の恵みを入れた籠を持ち上げた。だいぶ重くなったものの、彼女が背負える重さだ。自分の虚弱っぷりはよく知っている彼女である、そうそう無理はしない。


 籠を両手で持って、再び小川をひょいっと飛び越えたところで──


「あ痛っ」

 レイゼルはしゃがみ込んだ。

 ワンピースの下に履いた薄手のズボンの、ふくらはぎのあたりに手をやる。

「……足がつった……いたた」

 レイゼルは、動けなくなってしまった。


 どうにか足を伸ばし、つった方の足のつま先をつかんでぐーっと引っ張る。何とか痛みは治ったものの、まだ足に嫌な感じが残っているところをみると、再び歩き出せばまたつってしまうだろう。

 こうなると、もう開き直るしかない。

「モグラのトンネルを潰している間に、思ったより足を使って疲れちゃったのかな」

 レイゼルはあたりを見回し、大きな木の根本まで行くと座り込む。足をマッサージしながら、しばらく休むことにした。


 風の流れ、土の匂い、そして木々の梢でさえずる小鳥。

(あ。ここ、界脈の真上かも)

 リーファン族ではないので、レイゼルは界脈を自分で探すことはできないが、そこにいて心地よい場所というのはたいてい、界脈の上だ。

 虚弱体質のせいで、普段は薬湯を使って界脈に身体を合わせようと頑張っているレイゼルだが、自然の中でたまにこういう場所に出会えることがある。そうすると、彼女の身体はとても楽になる。


(気持ちいい……)

 木の幹に寄りかかると、レイゼルは目を閉じた。



 西の峰々が茜色に染まり始めた頃、薬湯屋のすぐ脇の小川を、光の玉が走り抜けた。

 すっ、と小川のふちに浮かび、降り立ったのは、シェントロッドである。


 彼は薬湯屋の正面に回り、看板に立てかけられたメモに気づいた。


『収穫中。夕方には戻ります』


 その看板の前に、何やら根菜が積んである。誰か、近所の者が置いていったのだろう。


「…………」

 シェントロッドは、開けっ放しの扉の中に頭だけ入れた。王都から来た彼はなかなか慣れないが、アザネ村では家の扉に鍵をかけない。

 店の中には、人の気配はなかった。「おい、店主」と声をかけたが、奥の部屋も静かだ。かまどの中は埋み火になっている。

 外から回ってみたが、畑にも人の姿はなかった。


「……すでに夕方だと思うが、俺の薬湯は」

 彼は顎を撫でてつぶやいてみたものの、どうしようもない。

 仕方なく、店を出る。小川の方へ戻り、水の中を通って隊舎へ戻ろうとしたのだが。

 小川に入った瞬間、人の気配を感じた。東の方の川で、誰かが水を使っている。

(……森? こんな時間に、森の奥の方に誰かがいるのか?)

 守護隊としては放ってはおけない。彼は小川をいったんさかのぼると、隊舎の方ではなく森の方へ分岐する流れに乗った。



「……日が暮れちゃった」

 レイゼルは途方に暮れて、梢からのぞく空を眺めた。

 界脈の心地よさにぐっすり眠ってしまっているうちに、かなりの時間が経ったようだ。すでに森の中は薄暗くなり始めている。


 幸い、足の具合は良くなったようだが、これから薬湯屋に帰ろうとしても彼女の歩く早さでは森を抜ける前に暗くなる。暗くなれば、迷ったり怪我をしたりするだろう。特に彼女は。

「今日は、ここで野宿ね」

 本日二回目の開き直り。というか生存本能で、レイゼルは決めた。夜は少々寒いが、落ち葉をかき集めて埋まっていればしのげる程度だ。


 レイゼルはまだ日があるうちに、食べられるものを集めた。幸い、実りの秋だったので、生で食べられるものもいくつか見つけることができた。パカッと弾けた大きなアクバの実、真っ赤に鈴なりになったフォストベリー、それに香草であるプルパの葉で、夕食にすることにする。


 レイゼルはそれらを洗おうと、小川のほとりにひざを突いた。

 プルパの葉を流れにつけて、しゃばしゃばと振る。続いて、両手をざるのように使って、小さな実をしゃばしゃば。

「冷た……」

 軽く水を切って、膝のエプロンの上にあける。


 その、直後。


 きらり、と、何か光るものが川の中を飛んできた。

「?」

 レイゼルが目を凝らしたとたん──

 ──目の前に、ぬうっと、見覚えのある長身が立っていた。


 びくっ、と、レイゼルは緊張する。

「た、隊長さん!?」

「お前か」

 シェントロッドは髪をかきあげ、座り込んでいる彼女を高い位置から見下ろした。

「こんな時間に、こんなところで何をしている。迷ったのか?」

「いえ、あの……色々摘んでいたら、うっかり帰りそこねてしまって。もう暗くなるし、今から歩くと本当に迷ってしまうので、ええと、野宿の準備を」

「ああ……」

 シェントロッドはため息をつくと、首を軽く森の道の方へ振った。

「俺の後についてくれば帰れるが、どうする」 


 そうだった! と、レイゼルは思い出す。

 リーファン族は夜目がきくのだ。

(ごくたまにだけど、夜にお客さんが来ることもあるし、私がいなかったら心配をかける。帰れるなら、帰った方がいいわ。界脈のおかげで足も大丈夫だし)


「あの……お、お願いします」

 レイゼルはエプロンから実や葉を落とさないように立ち上がり、頭を下げた。

 シェントロッドは淡々と、「行くぞ」と声をかけて歩き出す。レイゼルは急いでエプロンの腰紐を解くと、収穫物ごと包んで籠に入れ、背負った。


 森の小道はどんどん暗くなっていく。レイゼル一人でこの道を帰ったら、足下が見えないので転んで怪我をするのがオチだが、シェントロッドの歩いた場所は大丈夫だとわかるので安心して歩ける。


 しかし、何しろリーファン族は背が高く、足も長い。シェントロッドの歩く速さには、レイゼルはとてもついていけない。

 しかも、夕食に食べるつもりだったものまで籠に入れてしまったので、当初の予定より重くなっている。


 はぁ、ふぅ、という切れ切れな呼吸音で、彼はレイゼルが遅れていることに気づいたらしい。速度を緩め、進んでいく。しかしすぐに、足を止めて振り向いた。

「遅い。荷物をよこせ、少しは速くなるだろう」

 手が突き出される。

「あ、はい……お願いします」

 レイゼルは言われた通り、急いで籠を背中から下ろした。よいしょ、と抱えるようにして、彼に渡す。


 一瞬、手が触れた。


「!」

 レイゼルは、ぱっ、と手を引いた。

 すとん、と、籠がまっすぐ地面に落ちる。


「す、すみません」

 小声で謝るレイゼルを、シェントロッドはチラリといぶかしげに見たが、黙って籠を取り上げて片方の肩にひっかけ、歩き出した。

 身軽になったレイゼルも、再び歩き出す。


(王都でも、こんなことあったっけ……。まだ、界脈調査部で働き始めたばかりの頃だわ。別の建物にある資料を見に行くことになって……)

 レイゼルは、記憶を辿った。



 そこは、リーファン軍の資料庫になっていた。界脈調査部で新しく調査した地方があると、かつてその地方を調査したときの報告書と比べて変化を確認することになっている。その、旧報告書が納められた倉庫だ。

「人間族を資料庫に入れるなら、手続きが必要だ」

 受付の男性は、リーファン族の中でもかなり年齢がいっているようだった。しわ深い顔の、くぼんだ目が、『レイ』をじろりと見る。

「部署の長と副部長は、この人間の界脈流を記憶しているか?」

「ベルラエル部長はすでに。俺はやってなかったな」

 シェントロッドは振り向き、無造作にすぐ後ろにいたレイの腕を取った。彼は目を閉じ、しばらくじっとしている。

「……終わった」

「よし。入れ」


 シェントロッドとレイゼルは、資料庫の中に入った。

 ずらりと書架の並ぶ白い部屋で、目的の資料を探す。シェントロッドは言った。

「言うまでもないが、ここで見た資料は他言無用、資料は調査部以外には持ち出し厳禁だ。もしお前が違反すれば、俺かベルラエルがお前を捕らえる。どこへ逃げようと、姿を変えようと」

「ああ、そのための……はい」

 レイはうなずいた。ここの資料は軍の機密情報なので、管理も厳重なのだ。


 必要な資料を箱に入れ、受付でチェックを受け、界脈調査部まで運ぶ。レイがよたよたしているので、ほとんどシェントロッドが持った。

「これなら俺一人で来るべきだったか」

 彼はぶつくさ言っていたものだが──



 森の小道を歩きながら、レイゼルは前方のシェントロッドの背中を見つめる。

(あのとき、『レイ』の界脈流を記憶されてしまったから……私の界脈流を読まれたら、バレる)

 ちょっと触った程度ではわからないようだったが、彼女はとにかく彼から距離を置いて歩く。

(まあ、薬湯屋とお客だもの。そんな、じっくり触られることはないわよね)

 レイゼルは小さくうなずくのだった。


 ようやく森を抜けると、かろうじて山の形がわかる程度の明るさが残るばかりだった。フクロウが鳴き、森の上には星が瞬いている。


「隊長さん、ありがとうございました。助かりました」

 シェントロッドが店の中に背負い籠をおくと、レイゼルはお礼を言って頭を下げた。彼はどっかりとベンチに座って、長い足を組む。

「俺は自分の薬湯を飲みに来ただけだ」

「はいっ」

 あわてて、レイゼルは昨日調合しておいた袋を出し、かまどの火を起こして土瓶で煎じ始めた。


 そしてその間に、夕食の準備を始める。いつものようにスープを作るだけだが、今日は食材が山ほどあった。

 小さなツルイモをごろごろ、細いキノコはざっくり切って。農家のご近所さんが置いていってくれたカブも一緒に煮た。キノコのイコネッコはいい出汁が出るし、とろみがつくので温まる。塩で味を調え、煎って摺ったサミセの種を入れた。


 シェントロッドは、できあがった薬湯を飲みながら、じろじろとレイゼルが料理するのを眺めている。

(助けてもらったんだし、お礼をしなくては)

 レイゼルは当たり前のようにそう考えると、スープを器によそい、刻んだ緑のプルパを飾り、木のトレイに乗せた。森の恵みのスープだ。白っぽいアクバの実と、真っ赤なフォストベリーも添える。


「お口に合うかわかりませんが、どうぞ」

 ベンチの、シェントロッドの横のクッションをどかし、トレイを置く。

 彼はごく自然な動作で、スープの器を手に取った。

 レイゼルは少し離れたスツールで、自分のスープにスプーンを入れる。まずはツルイモを、口に運んだ。軽く噛むと、ぷつっと皮が弾ける。ほくほくしたイモの滋味がたまらない。イコネッコのキシキシした感じも、レイゼルは好きだ。そこへ、とろっと煮えたカブに香草プルパの風味。

(美味しいな……明日の朝の分まである、幸せ……)

 やや冷え込み始めた秋の朝、スープでぽかぽかになるところまで想像して、幸せになってしまうレイゼルである。


 ことっ、と音がして、器が置かれた。

 はっ、と見ると、シェントロッドはスープを平らげ、スプーンでアクバの実の割れたところから中身をすくっているところだった。シェントロッドが持つと、器もスプーンも果物も小さく見える。


 すっかり食べ終えた彼は、軽くため息のようなものをつくと、立ち上がった。

「食事はいくらだ」

「? ……あ、いえ、お代なんて! 助けていただいたお礼です」

 レイゼルがあわてて答えると、シェントロッドは空になった器を眺めた。

「なんだ、そうか。金を払えばいつでも食べられるわけではないのだな」


「???」

 レイゼルが返事に困っているうちに、彼は「また薬湯を飲みにくる」と言って立ち上がると、戸口から外へ出て行った。外で何かが淡く光り、そして消える。


「…………美味しかった、ってことでいいのかしら?」

 スープの器を持ったままつぶやいたレイゼルは、ハッとしたように背筋を伸ばし、首を横に振った。

(ここであの人が薬湯を飲んでるだけでも緊張するんだから、スープまではちょっと! 今日はお礼だったけど、またこんなことがないように、迷惑かけないようにしなくちゃ!)


 距離を置くはずが、少しずつドツボにはまっていっているかもしれないレイゼルだった。

森の恵みのスープの具……むかご、えのき茸、カブ、すりごま、紫蘇



※身体を流れる界脈流は、一人一人全く違う流れをしているもので、界脈流を記憶されるという事は指紋を採られるようなものだと思ってください(指紋と同じく性別はわかりません)。

ちなみに、リーファン族同士で「お前の界脈流を記憶させろ」などと言ったら、相手を信用してないことになって結構問題。

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