第九話 リュリュの演技指導、そして再会
「レーイゼルー!」
戸口から、そばかす顔がひょっこりと覗く。
「リュリュ!」
孤児院で仲のよかった友人が訪ねてくるのが、レイゼルにとっては一番嬉しいことだ。
「いらっしゃい、何か飲む?」
「薬湯屋さんにそのセリフを言われると、なんだか微妙ね」
店に入ってきたリュリュは、勝手知ったる、といった風にベンチに座る。
「お茶がいいわ。レイゼルおすすめのお茶はある?」
「そうね、セラの実とビスカの花の、甘酸っぱいお茶があるの。お肌にいいのよ」
「じゃあそれ!」
二人は向かい合って、レイゼルが淹れたお茶を飲んだ。
「もう体調はいいの?」
「私はいつも『まあまあ』だよ。地面を這ってる感じ?」
「一応、前には進んでる」
「そ」
レイゼルは笑い、続ける。
「もしかして、何か話があった? 私に」
「よくわかったね」
リュリュはカップを置く。
「じゃあ、言うね。レイゼル、今度守護隊に来たソロンっていう隊長さんと、王都で何かあったでしょ」
「えっ!」
ひゅっ、と背筋を伸ばしたついでに息を吸い込んでしまい、レイゼルはむせた。
「大丈夫ー?」
リュリュは心配しつつも言った。
「具体的なこと、無理矢理聞き出すつもりはないのよ。ただ、みんな心配してて。どうなの、ソロン隊長と再会して、『わーお久しぶりですぅ、またよろしくお願いしますねー』みたいな感じの関係なの?」
「ち、違うの」
レイゼルは青い顔になった。
「『レイ』がここにいるって気づかれたら、働かされるかもしれないの。三十年。まさかあんなことで……ううん、助けてもらったのは私なんだけど、でも」
「どうどう」
リュリュは椅子を寄せて、レイゼルの背中をさする。
「三十年って何それ。やっぱりリーファン族って、変なんだね。……ねぇ、ちょっと提案があるんだけど」
「提案……?」
上目遣いで、レイゼルはリュリュを見る。リュリュはうなずいた。
「私の特技、知ってる?」
「もちろん。リュリュは演技がうまいわ」
レイゼルの表情が、面白そうな、それでいて少し後ろめたそうなものになる。
「子どもの頃、リュリュは仮病を使ったり、泥棒が入ったって言ったり、いっぱい大人を騙してたよね。悪いことだとわかってても、面白いって思っちゃって。みんな楽しんでた」
「後でこっぴどく叱られるのがわかってるのに、ついやっちゃったのよね」
反省しているようでいて、どこか得意気なリュリュは、話を戻した。
「えっと、とにかくレイゼルの話ね。レイゼルが王都から戻ってきて、久しぶりに会ったとき、びっくりしたんだ。一瞬、誰かわからなくて。髪や服装だけじゃなくて、全然雰囲気が違うんだもん」
お茶を一口飲み、続ける。
「暮らしが違うと、顔つきまで変わるんだね。周りの人はずっとアザネ暮らしだから知らなかったよ。で、それから二年経って、レイゼルがアザネの生活に馴染んだら、また顔つきが変わってきたと思うんだ。レイゼルはやっぱりアザネにいると一番生き生きするんだね、たまには寝込むけど。髪も伸びたし、レース編みが趣味で、女の子っぽい服も着て、すっかり女の子らしくなった」
身を寄せたリュリュは、声を潜める。
「しかも、レイゼルは男の子の姿で、ソロン隊長に会ってるんでしょ? ソロン隊長はたぶん、今のレイゼルに会っても、ちょっとやそっとじゃ『レイ』だって気づかないと思うの」
「そ、そんなに違う……?」
「違う。かなり違うよ。だからさ、知らんぷりをしたら?」
「知らんぷりって」
「自分は『レイ』じゃありません、あなたと知り合いじゃないし、これからも親しげになんかしません、みたいな」
「…………」
レイゼルは考え込んだ。
「……そんなに、うまくいく?」
「うまくも何も、外見が違うんだから。レイゼル自身は特にすることないし。もし『レイ』か、って聞かれたら、違いますって言えばいいし、『レイ』を知っているかって聞かれたら、知らないって言えばいい」
「で、でも私、『レイ』のとき、故郷はアザネだって言っちゃった」
「言ったのは『レイ』でしょ。レイは嘘をついていた、行方をくらました、でいいじゃない。『レイゼル』は何も知らない」
「商人さんが、村長さんの使いで私に会いに来てたのも、たぶん知られてるよ?」
「ああ、もちろん村長も何も知らないの。その使いも、謎の少年レイの仲間」
「無理だよぉ、レイもレイゼルも同じ年だし、ちょっとは似てるんだし、同一人物だってバレるよぉ」
「町じゅうが協力するんだからバレないって。大丈夫! そうだ、じゃあこうしよう」
リュリュが両手を打ち合わせた。
「生き別れの双子!」
「はあ!?」
「あたしたちみたいに親を知らない子って、実はきょうだいがいるかもしれないじゃない! 絶対いないって言える? そうでしょ?」
リュリュはさっと立ち上がり、大げさな芝居を始める。
「『まあソロン隊長、初めまして、薬湯屋のレイゼルです。えっ、私に似た『レイ』という男の子が王都にいた? 声も似てる? もしかしたら生き別れの双子かも! 密かに私のことを探っていたのかしら、どうして会いに来てくれないの? いつか会えるかしらー!』……どう?」
「ううう」
一応、ではあるが、つじつまは合っている。
リュリュは身を乗り出し、真剣な目でレイゼルを見つめた。
「もう一度、言うわよ。レイゼルはソロン隊長を知らない。店に来たら、初めまして。お客さん相手にするみたいに、いつもの通り身体の調子を聞くのよ。いい?」
「……はい……」
レイゼルはごくりと喉を鳴らし、うなずく。リュリュは身体を戻すと、笑った。
「人間族とリーファン族なんだから、きっと向こうも細かい違いなんかわからないわよ。さっさと距離を置いちゃいなさい」
そこへ、眼鏡のトマが駆け込んできた。紙の束をレイゼルに差し出す。
「想定問答集、作ってきた。ソロン隊長に会う前に、これ読んで準備して」
協力体制は万全であった。
一方、シェントロッドは赴任地の界脈を把握しておこうと、一人でアザネ村を調査していた。自分の足で、村の北東の隅から少しずつ南下し──
数日後に、レイゼルの薬湯屋のあるあたりまでやってきた。
レイゼルはそのとき、引き出しをひとつひとつ開けながら、薬の在庫を確認していた。
「ヌンゼンの根はもうすぐ収穫できるし、ケッシーの皮は……そろそろ注文したほうがいいかな。カゾ豆も。あとは……」
ふと、気配を感じて振り返る。
小屋の入り口に、人影があった。背が高く、顔は扉の枠から外れていて顎しか見えない。長い髪が後ろで結ばれ、肩口から前に垂れている。
その髪色──緑の髪に、レイゼルは見覚えがあった。
レイゼルが固まっていると、その人物は身体を屈めて中に入ってきた。緑の髪が揺れる。
「ギイギイうるさいと思ったら、水車か」
――リーファン族の界脈士、シェントロッド・ソロン。
「い、いらっしゃいませ!」
レイゼルは不自然なほど元気に言った。顔は一応笑顔だが、こわばっている。
「ええと、初めまして、ですよね?」
「…………」
じっ、と、シェントロッドは彼女を見下ろした。頭が天井に届きそうな高さから見下ろされると、威圧感がすごい。
「私はシェントロッド・ソロン。アザネ警備隊の隊長に着任したばかりだ」
シェントロッドは名乗る。
レイゼルはドキッとした。
(名乗った、ってことは、私に気づいてない……! リュリュの言った通りだ。私、パッと見では『レイ』に見えないんだ!)




