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プラトニクス  作者: coach
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第277話:鈴音の修学旅行3

 (レイ)は妥協することにした。

 がっつり食べたら問題かもしれないが、多少食べるくらいだったら、何ほどのことも無いだろう。現に妹などは、毎食、クジラが小魚を飲み込むかのごとく大食している。同行のみんなは、クジラほどではないとしても、イルカほどではあるだろうから。

 ということで、参道のカフェなり屋台なりでスナックを食べる許可を出すことにした。

「お許しをいただけて光栄至極でございます」

 日向(ヒナタ)は、まるで中世の貴族の令嬢のように、少しスカートの裾をつまむようにして大仰に礼をした。

「みんな、リーダーが許可してくれたから、アイスか何か食べよう!」

 日向の声に、他の女子たちは「やったー!」とばかりに瞳を輝かせた。

 怜は食べなかった。なにせ、こんなものは、ビュッフェでいくらでも食べられるのだ。わざわざここで高い金を払って食べる必要性を感じない。しかし、女の子はみな食べるようである。同調圧力ということでなければ、怜の「イルカ仮説」が正しいことになるだろう。女子たちの賑やかな声が参道に響き渡る。

 環を見ると、買ったばかりの抹茶のアイスクリームをスプーンで一口すくってから、怜の方に軽く向けるようにしてきた。その視線には、「いる?」とでも言いたげな問いかけが含まれている。怜は、首を横に振った。二重の意味で、そんなことができるわけがない。

 アイスを食べた後は、美術館に移動した。重厚な石造りの建物が、参道の賑やかさとは対照的に静かに佇んでいる。美術館では、レギュラーの堅苦しい展示物の他に、人気アニメの原画展がやっていた。レギュラー展示物の方はどうか分からないけれど、アニメの方はみな知っているだろう。多分。

 メンバーの顔を見てみると、みなそこそこ楽しんでいるようで、怜は安心した。退屈してつまらなそうにされるのは、主催者として最も避けたい事態である。他の客足もあるにはあるけれど、ぎゅうぎゅう詰めというほどではない。平日の昼間ということもあり、適度な混雑具合だ。

「このアニメ、わたしが大好きだってこと、どうして知ってたの?」

 鈴音(スズネ)が小声で言ってきた。隣を歩く鈴音の表情は、楽しげである。怜は、少し視線をそらすようにしてから、

「主題歌を口ずさんでただろ。それも、かなりの大声で」

 と答えた。

「わたしが?」

 鈴音はきょとんとした顔をしている。

「そう」

「本当に?」

「それだけじゃなくて、自分の鼻歌に合わせて踊り出しそうな勢いだったぞ。教室で」

 怜が畳みかけると、鈴音は微笑した。

「それは気を付けないとね」

 (アヤ)もしげしげと原画を見ていた。その目は真剣そのものだ。

「好きだったのか?」

 怜が尋ねると、綾は意外な答えを返した。

「ううん、全然見たことない。はやっているものは見ないことにしているの」

「どうして?」

「それに感動したらみんなと同じ感性ってことになって見る意味が無かったことになるし、感動しなかったら、人として何か欠落しているような気持ちにさせられるでしょ」

 綾は淡々と言い放った。

「意外だな。そんなことを気にするなんて」

 怜が素直な感想を漏らすと、綾は一瞬、怜の方に視線を向けた。

「言葉に気を付けてね。わたしはあなたのウォッチャーとすごく仲がいいんだから」

 その言葉に、怜は心の中で口のチャックをしっかりと引いた。

「腹減ってきたな」

 美術館を出た後に士朗(シロウ)が言った。時計を見ると、そろそろ昼時だ。見ると、みんな同意見であるようだった。(ケン)(タクミ)も、そして女子たちも、皆お腹を押さえている。そうこなくちゃいけない、と怜は膝を打った。心の中で。

 美術館から20分ほど歩いたところに、予約しておいたビュッフェがある。あるいは、バスに乗れば5分程度で着くけれど、バス停での待ち時間をカウントすると、歩いた方が早そうだった。怜は、迷うことなく歩くことを選択した。

「この時のためのアイスクリームだったのよ!」

 歩くためには相応のエネルギーがいる。日向が勝ち誇ったように言うのが聞こえた。その言葉に、他の面々も大きく頷く。どうやら、その意見には怜を含めて男子も全員、賛成したようだった。でも、これによって、いっそう昼食が美味しくなるのである。怜は、空腹は最高のスパイス、という格言はどこで覚えたものだろうかと首をひねった。どこかで聞いたことはあるけれど、思い出せない。ふと、後ろを見ると、環と目が合った。彼女は何でも知っているような顔をしている。訊いてみようかと思ったけれど、そうそう何でも訊くわけにもいかない。

「どうかした、レイ?」

 隣から巧が口を出した。彼はいつも周りをよく見ている。

「いや……」

「何か気になっていることでもある?」

 巧の優しい声に、怜は少しだけ躊躇する。

「タクミにも軽蔑されたくない」

「オレがレイを軽蔑することなんて無いと思うけどなあ」

 巧はきょとんとした顔で首を傾げる。

「こっちの問題だから」

 怜はそう言って、それ以上は語らなかった。

 そのうちにビュッフェに到着すると、そこには長蛇の列ができていた。さすがに人気店である。怜は、心の底から、予約しておいてよかったと思った。この予約が店側の手違いで取れていないという最悪の事態を妄想して勝手に絶望を味わっていたのだけれど、意に反して、

「加藤様ですね。こちらへどうぞ」

 ときちんとテーブルに導かれた。店員の案内に従って進むと、広々とした空間が目の前に広がる。店内は広く、天井は高く、気持ちのいい空間だった。窓からは柔らかな日差しが差し込み、開放感に溢れている。

 そこに、怜は、みんなを配置して、とりあえず、ジュースを取りに行かせてから、乾杯の音頭を取ることにした。そんなことはしたこともなければ、気恥ずかしくてやりたいと思ったこともなかったけれど、他にやるべき人もいないのであればやるしかない。幹事として、この場を仕切るのが自分の役目だと、怜は自分に言い聞かせた。怜は、環の方を見なかった。

 そこで、鈴音が立ち上がった。

「みなさん。今日は本当にありがとうございました。修学旅行に行かなかったわたしのために、この旅行を計画してくださったこと、心から感謝します」

 鈴音の言葉に、皆の視線が温かく注がれる。そのあと、怜が乾杯の音頭を取った。少しだけども、声が上擦った気がした。

 みなのグラスが軽く上がる。

「あー、腹減った!」

 士朗が先陣を切った。その一言で、張り詰めていた空気が一気に和らぐ。みな、おもいおもいのプレートに料理を盛り付けてきた。そう言えば、確かに、修学旅行の朝はビュッフェスタイルだったことを、怜は思い出した。

 みな、楽しそうにおしゃべりしながら、食べているようだった。食事が毎回こうだったら億劫になることもないのに、と思うのだけれど、それはまあやむをえない。たまにこういう食事が取れるだけでも、満足すべきなのかもしれない。怜は、目の前の料理をゆっくりと味わった。

 怜は一皿食べ終えたあと、もう一皿取りに行くことにした。次に何を取ろうかと考えながら席を立つ。いつの間にか、隣に来ていた七海(ナナミ)が、にこやかに話しかけてきた。

「加藤くんは、いいヤツだね」

 そのまっすぐな言葉に、怜は少し面食らう。

「オレが?」

「そう。だから、みんなこの集まりに集まったんだよ」

 七海はにこにこと笑いながら言った。

「でも、お前はタマキに呼ばれた格好だろ」

「そうだけど、それが加藤くん発案だってことは聞いてたよ」

「いいヤツかどうかはオレが決められることじゃない」

「そうだよ。だから、わたしが決めたわけ。あなたがいい人だってことを」

 七海の言葉に、怜は何も言い返せなかった。このストレートな物言いこそ、彼女の強みだろう。

「それ、タマキに言ってくれないか。直接」

「わたしが?」

「そう」

「タマキなら分かっていると思うけどな。わざわざ言う必要ある?」

「分かっていることを確認することは何も悪いことじゃない」

「うーん、そうだな……でも、やめとく。今、突然言いたくなっただけだから、何も気にしないで」

 七海はそう言って、屈託のない笑顔を見せた。

 怜は小さく「了解」と頷いた。

「お肉たーべよう」

 七海が楽しそうに言う。

「あっちにサラダもあるけど」

 怜はサラダコーナーを指差す。

「それは加藤くんに任せるよ。そうそう、せっかくサラダを食べても、ドレッシングがカロリー高い物だったら、ダイエットにならないからね。賢い選択をしてね」

「遠回しに太っているって言ってないか? 悪いけど、オレは標準体型だ。それに、どうしてオレがサラダを食べる役なんだ」

「だってあんなに綺麗なんだから、食べないともったいないじゃん」

 七海は相変わらずにこにこしながら、サラダコーナーを指差した。なるほど、とうなずいた怜は、色とりどりのサラダをちょこちょこと皿にのせて、カロリーの低そうなオリーブオイルのドレッシングをかけることにした。

「野菜好きなのか、加藤?」

 士朗が肉を山盛りにしたプレートを持って戻ってきた。

「嫌いではない」

「オレは元を取るために肉を食べるぞ。もちろん、メシのために来たわけじゃないけど、でも、元取ってもいいよな」

 士朗は分厚いステーキを指差しながら、満足げに笑った。

「ご自由に」

「次は天ぷらにするか……寿司も捨てがたいな」

 すばやくステーキを平らげると、士朗はそう言って、再びテーブルを立った。

 怜は鈴音を見た。彼女は日向と楽しそうに話しているようだった。ちらりと視線が合ったけれど、それだけで、すぐに鈴音は日向との話に戻ったようだった。

「レイ、もう一回、何か取りに行こうよ」

 巧が優しく誘ってくれた。

「誘ってくれてありがとう。サラダで終わりたくは無かったところだ」

 怜は巧に微笑みかけ、二人で再び料理を取りに行く。もう一度、ちょこちょことしたものを取りに行って戻ってくると、みんなもちょこちょこ取りに立っているようだった。

「さすがにお腹いっぱいになってきたよ」

 鈴音が満足げに言った。

「そりゃよかった。無理に食べなくていいぞ」

「ここどれも美味しいね。特にパスタ、最高!」

 鈴音はフォークの先に残ったパスタを指差した。

「事前にリサーチにくる時間は無かったから、賭けではあったけど。まあ、評判は悪くなかったからな」

「賭けは当たりだと思うよ。大成功だね」

 鈴音の言葉に胸を撫で下ろした怜は、様々な総菜を楽しみながら、時間を確認した。そろそろ、70分になる。時間は90分まで利用できたけれど、お腹いっぱいになったのであれば、目いっぱい時間を使う必要は無いだろう。そう思っていたけれど、

「食後のデザートをまだ食べてないじゃない! 慌てないで、加藤くん」

 と日向に制された。

「デザート?」

「そう! 食後のデザートは別腹でしょ!」

「でも、そのプレートに載ってたのはケーキじゃなかったか。今さっき食べてたじゃないか」

「ケーキは主食でしょ。昔の偉い人もそう言っていたよね、確か。パンの代わりにケーキを食べればいいじゃない的な」

 間違ってはいないけれど、そういうニュアンスで言った言葉ではないだろうと思ったが、怜は抗弁しなかった。というのも、声を上げたのが、日向だけじゃなかったからだ。

「わたしも最後にもうちょっと食べたいかな。プリンも美味しそうだったし」

 環がそう言うと、士朗も手を挙げた。

「じゃあ、オレも! 元取らないと。でも、勘違いするなよーー」

「『ランチ食いに来たわけじゃない』だろ」

「そうそう! わかってるじゃねーか!」

 士朗はしたり顔で笑う。

 怜は、彼らをテーブルから立たせてやった。そうして、大層に旅程など組む必要など無かったのではないかと今さら思った。こうして、ただ単に気心が知れた仲で食事をするだけでよかったではないか。何も難しく考える必要などなかった。……まあ、いい。もともと、自分が何かをうまくできるとは思っていないわけで、後悔というのは、ある種、傲慢な思いである。もともと、うまくできないと考えておけば、後悔もしない理屈だった。

「ここ、今度、ヒロトも連れて来てやりたいなあ」

 賢が隣から言った。

「いいんじゃないか。きっと喜ぶぞ」

 ちなみに怜は、妹を連れて来てやりたいとは1ミリも思わなかった。

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