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後日談

 楽しい時間は、本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。


 寒さが格段に和らぎ、春の匂いの混じった風が道ゆく人々の心を弾ませる頃。ついにクロアちゃんが、トウワコクを離れてビスリーに帰ってしまう日がやってきた。


 ミマサカ発ビスリー横断列車の駅のホームでは、俺たちと同じように大切な人との別れを惜しむ姿がちらほら見える。


 まだ朝早くひんやりした空気の中で、そっとクロアちゃんの手をとった。同じデザインの指輪が、控えめに2人の指で輝く。

 もうすぐ、さよならの時間だ。


「身体には気をつけてね。列車通勤も慣れるまで大変だと思うし、どうか無理はしないで」

「うん……」

「手紙、書くから。クロアちゃんが連休取れたら、俺が合わせて会いにいく。行きたいところとか、それまでに手紙で相談しよう」

「うん……」


 ぺしょりと伏せられた猫耳が、その心を素直に表している。


 クロアちゃんと出会って、これで3度目のお別れ。過去2度は見送られる側だった俺が、今度は見送る側だ。

 大泣きされた1度目とも、大人びたクロアちゃんによく分からない焦りを感じた2度目とも違う。恋人になったクロアちゃんを見送る3度目は、また違った寂しさと辛さが胸に込み上げていた。


「カナトも、元気でいてね。あたしも手紙書くよ。たくさん書く」

「うん。ナガセさんに向けて書いてたのと、同じくらいの熱量でよろしく」

「ふふ。うん、わかった」

「約束ね」

「うん、約束」


 ぎゅっと抱きしめあった時、チリリとベルが鳴った。


 ———列車がまもなく出発いたします。ご利用の方は、速やかにご乗車ください。お見送りの方は………


 ああ、切ない。


「クロアちゃん」

「ん」

「大好きだよ」


 だからどうか、元気でいて。毎日楽しく過ごして、悲しいことなんて起きませんように。また2人で笑い合えますように。この想いが、変わりませんように。尽きない願いをその一言に込める。


「〜〜〜っ。あたしもっ。大好き」


 きっとクロアちゃんも同じ気持ちでいてくれる。それを感じて、胸がいっぱいになった。


 抱きしめる腕に力を込めて、そして名残惜しさを堪えてそっと、その身体を離した。


「帰り、気をつけてね」

「うん。お見送りありがとう」


 寂しさのいっぱい滲んだ、でも綺麗な笑顔を浮かべて、クロアちゃんが列車の中へと向かう。


 なんだか見送る側って、置いていかれるようで無性に寂しく感じる。6年前のクロアちゃんも、同じ気持ちだったんだろうか。


 明日、カナトがいないのが寂しい。

 その言葉が胸に甦る。俺も明日、クロアちゃんとご飯を食べられないのも、話を聞けないのも、抱きしめられないのも、すごく寂しい。

 窓際に座ったクロアちゃんがこちらを見つめる。なんとか笑顔を作って、それに応えた。


 やがて、ゆっくりと列車が動き出した。


 手を振るこちらに、懸命に振り返してくれるクロアちゃんの大きな目が潤んでいる。ああ、でも。もしその涙の雫が溢れても、もう拭ってあげられない。それが、こんなに、苦しい。


 無意識に、数歩追いかける。


 まっすぐに俺を見つめる眼差し、ひたむきで綺麗な表情、指に嵌められた指輪の輝き。瞬く間に、遠ざかっていく。


 その姿が見えなくなって、列車が駅を離れ、その音も影もすべて消えてようやく、振り続けていた手を下ろした。


 滲みそうになる視界を誤魔化すように、大きく息を吐いて目を閉じる。大丈夫。まとまった休みが取れたら、また会いに行ける。手紙もたくさん出そう。フロレスみたいに、会えない距離じゃない。きっと、きっと大丈夫。


 ゆっくり目を開ける。

 土砂降りの心とは裏腹に、春の優しい日差しが辺りを包み込んでいた。






 〜*〜*〜*〜*






「あれ?先輩、部長に会いました?さっきササマキはどこだーって言いながら人事部の人とうろうろしてたんすけど」

「え、人事の人と!?」


 なにそれ怖い。


 クロアちゃんがビスリーに戻ってしまって2ヶ月ちょっと。ポストを覗いて一喜一憂する日々にも慣れ、少しずつ遠距離での過ごし方にも馴染んできた。

 それなのに、なんて不穏な情報。早退しちゃダメかな。


「もしかしてまた異動っすか?」

「いやいやいや、時期的にないでしょ。……ないよね?」


 まさかまた遠方に飛ばされたりして……なんて考えて、ほんのり背筋が寒くなる。いや、流石にない。ないはず。あったら今度こそゴネてやる。


 そんなことを思っていると、ガチャっと今しがた俺が入ってきたばかりのドアが開いた。


「おっ、カナト!戻ってたのか。探したぞ」

「えっと、何のご用で?」


 上機嫌で入ってきた上司を思わず引き攣った顔で迎えると、ガシッと肩を掴まれた。


「喜べ、異動だ」


 いや、喜べないしっ!

 と反論する隙もなく、上司は言葉を続ける。


「お前の希望していたアンダス支社の人員に、家庭の事情で来年春に帰国したいって人がいてな。お前、あっちにかわいい彼女いるんだろ?ちと先の話ではあるが、お前が了承するならそれ前提で今後の予定を立てるつもりだ」

「へ?」


 来年?アンダス?

 思いもよらない言葉に真っ白になった頭に、徐々に言葉の意味が浸透していく。


「えっ、マ、マジっすか!?」


 なにそれ、異動は異動でもめっちゃ嬉しいやつ!


「い、行きます行きます行かせてくださいっ!」

「よっし。じゃ、人事のやつにもそれで調整頼んどくわ。異動までにしっかり後輩育てとけよ」


 はははっと笑ってまた部屋から出て行った上司を見送って、思わずぐっとこぶしを握った。


 カナト・ササマキ29歳。

 まさかまさかのアンダス支社への返り咲きが決まり、よっしゃー!と叫び回りたい衝動を堪えている。


 ああ、クロアちゃんにもナガセさんにも報告しないと。クロアちゃん、喜んでくれるだろうなぁ。

 来年が待ち遠しい。


 きっと今年も来年も、その先も。楽しく幸せな年になる。

 そんな予感が、胸いっぱいに広がっていた。


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