25:苦しいことが多い恋でも
「すみません…」
「気にしなくていいよ。家はどの辺り?」
「えっと、アオトリ公園のすぐ近くです」
なるほど。うちを過ぎてちょっと歩くくらいだから、確かに近いや。すっかり真っ暗になっている外を、ヨシノさんに合わせてゆっくり歩く。
「普段は歩き?」
「はい、うちの会社巡回魔車の駅と駅の間ですし」
「そうだよねー。俺も歩き。微妙に通勤不便だよね」
「そうなんですよね」
当たり障りのない会話をぼんやり続けていると、ふとヨシノさんが顔を曇らせた。
「あ、あの。こんなふうに送っていただいて、その、か、彼女さんは怒ったりしないでしょうか」
「彼女?」
思っても見ない単語に目を丸くしていると、ちょっと首を傾げられる。
「あの、キレイな獣人の彼女さん」
「あー、あの子は彼女ではないよ。俺以前ビスリーにいたことあるんだけど、その時に知り合って、たまたまこっちで再会したんだ。てか、そんなに目立ってたかな」
普段付き合いのない人にまで知られてるとか、気が付いてなかっただけでめちゃくちゃ注目浴びてたのか…。
「そう、ですね。キレイな方ですし、ビスリー列車の付近以外ではあまり獣人、特に女性の方は見かけませんし」
「そっかぁ。まぁ仮に付き合ってたとしても、体調悪い人送ってって怒るような子じゃないよ」
「でも、怒らなくても嫌な思いはしませんか?」
そう問われて、この間クロアちゃんが後輩三人衆の1人と話をしていた場面が思い浮かぶ。
「恋愛って、理屈じゃないですもん。好きな人には自分だけ見て欲しいし、他の人と楽しそうにされると悲しくなるし、その人に他に好きな人がいても、諦められないし。……って、私っ、なに言ってるんでしょうね!?しかも仮の話でっ。す、すみません、変なこと言って」
わわわ、と顔を赤くするヨシノさんに、ああこの人もままならない恋をしているんだなぁとなんとなく察する。
「いや、わかるよ。自分の感情に振り回されるし、それに相手も巻き込んじゃったりするよね」
「そう、なんですよね。フリーで相性のいい人だけ、好きになれたらいいのにと思います」
「うん、それが理想だね。好き好んで辛い思いとかしたくないし」
「せめて好きでなくなる選択肢くらい欲しいと思っちゃいます」
「わかるわかる」
好きになったらなかなか嫌いになれないし、好きという感情を隠すことすら大変だ。なんで勝手に、恋になんて落ちてしまうのか。本当に理不尽極まりない感情だ。
普段関わりのない人だからか、お互いこの場限りとなんとなく気を使わずにポロポロと曖昧な愚痴のようなものを溢しているうちに、あっという間に公園の近くまで来ていた。
「あの、送っていただいたうえ、愚痴まで付き合ってもらってありがとうございました」
「俺も愚痴っちゃったし、お互い様だね。体調は大丈夫そう?」
「はい。外の冷たい風に当たったら、なんだか気分も良くなりました」
「ならよかった、ゆっくり休んでね。来年が良い年になりますように。じゃあ、おやすみ」
「はい。ササマキさんも良い年になりますように。おやすみなさい」
ヨシノさんが建物の中に入るのを見送って、自分の家に向かう。
ここ最近自分の感情を抑圧していたのが、ほんの少し愚痴を言えて楽になっている気がする。最初セノに捕まった時はこのやろう!と思ったけど、なんだかんだよかったかな。
そんなことを思いながら、家の近くまで来た時だった。
「あれ?」
建物の前の薄暗い道に、小柄な女性が立っている。
あのシルエット、まさかクロアちゃんか?そう思った瞬間、思わず駆け出していた。
「クロアちゃん!?」
「…カナト」
「どうしたの?何かあったの?」
こちらを見るクロアちゃんの顔は、なんだか暗い。まさか、年納めの会で嫌なことでもあったのだろうか。
「とにかく上がって。寒いでしょ」
ちょっとぼぅっとした表情のクロアちゃんを家にあげて、椅子に座らせる。暖房魔道具を作動させて、ヤカンを加熱機にかけると、クロアちゃんはそこでやっと目が覚めたかのように、慌て始めた。
「あ、あのっ。急にごめんね」
「いや、いいよ。それよりなにがあったの?大丈夫?」
近づいて真っ直ぐにその大きな目を覗き込むと、クロアちゃんが急に顔を赤らめた。
「ホントにごめんね!なにもないのっ」
「でも…」
「た、ただちょっとカナトに会いたくなったの!」
「へ?」
「こ、これ!」
ずいっと、クロアちゃんが手に持っていた小さな袋をくれる。
「えっと…?」
「か、会社のゲームで勝ってね、それもらったの。あたしはカッフェは苦くてあんまり飲まないけど、カナトは好きだったなって思って!」
カッフェは他国の特産品で、植物系モンスターの種子を煎って砕いたものにお湯を注いで飲むのだが、苦味が強いので苦手な人もいる。俺は好きでお店に置いてあれば頼んだりしてたから、クロアちゃんはそれを覚えていてくれたのだろう。
「でも、カナトが女の人と歩いてるの見て、どうしようって悩んで、なんかそのまま立ってたらいつの間にか時間経ってたの」
「頼まれて体調悪い人送ってたんだ。ごめんね、気がつかなくて。カッフェありがとう」
「そぅ、だったんだ。あたしも急に押しかけてごめん。それ渡したら、すぐに帰ろうと思ってたんだけど」
「体冷えてるでしょ。ちょっとあったまったら送っていくから」
「でも…」
「もう暗いから、足が速いのでは通用しません!あ、お湯沸いたからちょっと待ってて」
ヤカンが音を立て始めたので、加熱機を止めてティーポットとカップを用意する。ちょうどフロレスで買い溜めしてた体が温まるハーブティーがあるので、とりあえずそれを淹れよう。
「なんか不思議な匂い…」
「フロレスのハーブティーなんだ。ちょっと試してみて。苦手だったら別の淹れなおすから遠慮なく言ってね」
「へー、フロレスの…」
興味を持たれたようなので、丁寧に淹れてクロアちゃんの前にカップを置く。
「どうぞ。飲んでみて」
「ありがと」
素直に飲んだクロアちゃんが、ひとつ頷く。
「うん。ちょっとピリッとするけど結構美味しい」
「少ししたら体がポカポカしてくるんだ。フロレスにいる間はよく飲んでたよ」
「面白いね。体があったまるハーブなんだ」
「買いだめしてるから、よかったら一袋持って帰る?こっちの冬はアンダスよりちょっと寒いでしょ」
「いいの?」
「うん。もちろん」
とりあえず、クロアちゃんが何か怖い思いとか嫌な思いをしたんじゃなくてよかった。今は楽しそうにしてるし。
内心ほっとしながらハーブティーを手にクロアちゃんとおしゃべりして、体が温まってから家まで送って行った。ちょっと驚かされたけど、思いがけずクロアちゃんとの時間が取れたことは嬉しいなぁなんて、呑気なことを思いながら。
そして、1人また家に帰る間。
今日のことを思い返しながら、カッフェを手に入れて俺のことを思い出してくれたというクロアちゃんの言葉に、くすぐったいような嬉しさが込み上げていた。
ただちょっとカナトに会いたくなったの、か。あーあ、また1人浮かれちゃってるよ、俺。
でもこうして、どうしようもなく嬉しいとか幸せとか感じちゃうから、苦しいことが多い恋でも、とても大切で愛しいものに思えてしまうのだ。
ささやかな幸福を噛み締めて歩く道は、いつもよりもずっと、短く感じた。




