花火と侵入者
ラクール王国の王城。正確には建物としての名前があった筈だが、半年に及ぶ、たったそれだけの期間だとは思えないくらい濃厚な旅の結果、宮本八子の頭の中には地味な王城の名前など欠片も残ってはいなかった。
二つのベッドと絵画と机、クローゼットと照明と観葉植物だけの、王城の来客用にしてはシンプル過ぎる部屋。
全開にした窓の前に備え付けの机から椅子を引っ張ってきて腰掛けると、腕を外に出し、窓枠に顎を乗せて夜景に向かって口を開いた。
「こっちの世界にも花火はあるんだ」
パレードの疲れもあるからという用意された言い訳で早々に晩餐会から抜けだし、疲れを癒すわけでもなく部屋の窓際で花火を待つ。
八子としては華やかな席は好きだから晩餐会の会場から花火を見ても良かったが、他の、特に男性陣の顔を見れば付き合わせるのも悪いと思えたし、仲間と離れてまで参加したいと思えるほどの会でもなかったので特に後ろ髪は引かれはしなかった。
一人でも参加したいパーティーと言えば、ガングリファン帝国で受けた勇者一行歓待パーティー。
まるで映画の世界に迷い混んでしまったかのような「これぞ栄華を極めた国家のパーティー」というものを味わってしまうと、王国のどこか芋臭い、料理も日本食の外国風アレンジといった物が多いせいか違和感で微妙に口に合わない晩餐会は、今さら素直な気持ちでは楽しみづらい。
帝国の千年祭に参加すれば、アレ以上のパーティーが味わえたのかもという小さな後悔。
そんな思いを抱いて遠い帝国に思いを馳せる八子の隣に、日本人の女の子仲間、綾が来て、窓枠にもたれ掛かるようにしながら話し掛けてきた。
「量は作れないそうです。分野を問わず日本文化を広く伝承した三代目の勇者さんは、一体何者なんでしょうか」
八子は一瞬なんの話かと迷ったが、花火の話だ。
日本の花火大会ほどの派手さは無く、種類も色も個数も少ないという。
「せっかく魔法がある異世界なんだから魔法を使ったショーとかやればいいのに」
口ではそんなことを言いつつ、それでも花火というだけで日本の風景を、外国にも花火は普通にあることを知ってはいるが、連想してしまう。
「……私たち、帰れるよね?」
八子の口から自然に零れ落ちたのは、望郷の念。
何を口走っているのだと誤魔化そうと言葉にならない声を上げながら慌てて隣を見れば、暗い顔をして俯く仲間の姿。
不思議そうに顔を覗き込めば、無表情の綾が語り出す。
「歴代の召喚された、特に三代目勇者を調べれば、こちらの世界とあちらの世界では時間の流れが違うことが判ります。彼らは数百年前の人ではなく、同じ時代の日本人なのだと」
それは勇者一行の共通認識だ。
綾は続ける。
「私たちには、あちらからこちらの世界に来た場合のデータしかありません。こちらから帰ったとしても召喚されたあの日かその付近の時間に帰れるという保証はないし、そうじゃなくても一年が経っている……。召喚の魔法はこの国の誘拐された第三王女が一人で取り仕切っていたそうで正確な再現は難しく、頼みの綱だった魔王は何も知らなかった。元の世界に帰ったと言い伝えられる六代目勇者は帰り方を遺してはいないし、そもそも六代目が無事に帰れたという確認の取りようがないです」
地球にいた頃、異世界から人間が来たという話は誰も聞いたことが無い。
綾の脳裏には、次から次へと悪い考えが思い浮かぶ。
「召喚された時、周りに居た人たちは本当に帰れたのでしょうか? 一方通行ではないという保証は? 六代目勇者は地球ではない別の世界に飛ばされた? 移動したのではなく消滅してしまった可能性は?」
「綾、もう良い、大丈夫だから。落ち着いて」
綾は八子を見ていない。見えていない。
不自然に思った八子は立ち上がってどこか様子がおかしい綾の手を握るが、その手は冷たく、目の焦点が合っていない。
「綾!」
いつからおかしかった?
晩餐会ではいつも通り、八子の次に楽しんでいた。
部屋に戻ってくる間には何もなくて。
じゃあさっき隣に来る前、綾は部屋のどこに居た?
顔を押さえて、無理矢理にでも目を合わせてみようとしたが、駄目だ
ぶつぶつと不安を並べ、聞いているだけで飲み込まれてしまいそうなほどに、不愉快だ。
回復役である綾がこれだが、仲間を呼びに……。
「はい、ストップ」
第三者の、艶っぽい女の声。
八子がパニック気味に部屋を見渡せば、開いた音がしなかった扉の前に立つ”仮面の女”が、部屋の片隅、飾ってある絵画を指差していた。
「そこの絵、なにか怪しい感じがしない?」
--その言葉を信じるか信じないかを考える前に、八子は指先から紫電を飛ばしていた。
静かな湖畔が描かれていた絵画は雷撃に撃ち抜かれ、偽りを剥がした。
苦悶の表情を浮かべ血の涙を流す男の生首が喚くように動き続ける不気味な絵は、壁掛けから落ちてカーペットの上で黒煙を巻き上げて青い炎で燃える。
一連の流れを何も考えずに行った八子は大きく息を吐き、荒くなっている自分の鼓動で、自分も綾ほどではないが不気味な絵の悪影響を受けていたことに気が付く。
いつの間にか抱き締めていた綾が和らいだ表情で眠っていることに安堵して、息が整ったところでお礼を言う。
「どなたか存じませんが、ありがとうございました」
女が何かをしたのか、絵画は部屋に焦げ跡と焦げ臭さだけを残して消えていた。
額から鼻までを隠す仮面を着け、バイクのレーシングスーツのような素材の……「王族ではない女王様」が着ている印象が強い過激な衣装から、ほんの少しだけ露出を減らしたような奇抜な服装をしている女は、口元に微笑を浮かべながら、あっけらかんと言い放った。
「いいのいいの、邪魔されたのが気に食わなかっただけだから。襲いに来たら先に仕掛けられてるんだもの」
頭が言葉を理解するのに遅れたが、八子は綾を抱き締めたまま女と距離を開けた。
部屋の扉までの距離、自分の身体能力、女の立ち位置を計算し、逃走は無理だと判断する。
開けっ放しの窓から大声を出すのが正解か。
いや、絵画に紫電を当てた時に相当な音がしたはずだ。
思考する八子の腕の中。
「……仮面の……拓哉が言ってた……弓の」
「綾! 無理しないでいいから、ここは私が」
言葉を遮ってしまったが、八子もそれで思い出した。
王国から帝国に向かう道中と、帝国城での襲撃。
どちらも拓哉一人しか確認していないが、弓を扱う仮面の女、という話。
暖かな光で綾が回復を始めたことを知り、抱き締めるのとは反対の手を女に伸ばしてバチバチと帯電させる。
侵入してまで襲うということは能力などを把握されているだろうと八子は判断して、迂闊な攻撃はせず、少しでも情報を引き出そうと頭脳を回転させる。
「前と違って、今日は弓を持ってきていないのかしら?」
「ん? 今日はあの子は、お・や・す・み」
あの子と呼ぶなら、同じ組織の別の人間か。
たまたま仮面の弓使いという共通点がある別人な可能性も無くはないが、その弓使いを知らない八子には判断の付けようが無い。
女は八子の威嚇にも物怖じせず余裕綽々といった様子で、胸を強調しながらその谷間から紙を取り出し、ベッドに放り投げた。
「襲うといっても、私はただ招待状を届けに来ただけ。故郷に帰りたいなら素直に従ってほしいところだけど。指定してない部分に関しては自由にして構わないから、頑張ってね」
今、聞き捨てならない言葉があった。
八子が口を開こうとしたその瞬間、窓の外から閃光、そして爆音が轟く。
女に集中していた八子は不意打ちかと外を見て身構えてしまった。
それは、千年祭の打ち上げ花火。
「……消えた」
綾の小さな声で気を取り直した八子は女の姿が部屋のどこにも見えないことを確認し、新たな花火が舌打ちの音を掻き消した。




