■魂を喰う狐(3)
常盤と虚太郎が現世で空狐を追っている頃、観測者の地では。
「うむぅ。これもだめかぁ」
苦しげに唸ったミコが、力なくデスクに額を付けた。
「どぉ~したら命って創れるんだろうなぁ。やっぱ無理なのかなぁ」
自分が奪ってしまった”生まれるはずだった命”。
新しい命を創ることができれば、彼ら(または彼女ら)を救えるのではないか。
知らずのうちとはいえ世にとって悪いことをしたのであれば、解決できる道を探したい。その上で堂々と永遠に生きるという目的を達成してこそ、真の科学者だと胸を張れる。
そう考え、観測者の地で長い間試行錯誤を続けてきた。
しかし予想通り、道は安易ではない。
観測者の地の利を活かし、現世には無い道具や方法を駆使して思いつく限りの案を試してみてはいるものの、いつまで経っても新しい命が産まれることは無く。
「君との付き合いもまだまだ長くなりそうだねえ」
すり寄る式を撫でてみても、行き詰まった状況を打開する策は浮かばない。
「虚太郎の身体に何かヒントがありそうな気がするんだよなあ。身体、魂、心。つなぎ合わせればひとつの命……」
まとまらない考えでキーボードを叩いていると、背後で扉がひらく音がした。
椅子をまわして振り向けば、ちょうど思い浮かべていた人物が立っている。
「ん? あれ、虚太郎、どうしたの? 今日はひとり? 閻魔は?」
今日の虚太郎は、いつもと少し雰囲気が違う。どこか異質な空気を纏った虚太郎はミコの問いには答えず、しかし求めて止まない言葉を発す。まるで、ミコの心を読んだように。
「ミコさん、俺、命創れますよ」
ドクンと。ミコの心臓が早鐘を打つ。
「嘘……は言わないよね、虚太郎は。じゃ、本当に……?」
ヒントを見つけたかったところに、飛び越えて正解が転がり込んできた?
握った拳から吹き出す汗。震える膝。紅潮する頬。
魔法にでもかけられたように、ミコはふらふらと虚太郎に近づいてゆく。
虚太郎はニコリと笑って手を差し伸べる。
表情に乏しい不器用な虚太郎が、初めて見せた笑い顔。
そうだ、こういう笑顔が。人の笑顔が見たかった。
ミコが願う世界の第一歩。常盤や虚太郎が抱える重さも取り払い、誰もが笑って好きなだけ生きられる世の中。
甘い甘い蜜の香りに誘われて、ミコは虚太郎の手を取ろうとして。
バシン! と、横から伸びてきた錫杖に手の甲を叩かれた。
「痛ぁー! 何事であるか!?」
「手荒だったことは謝ろう。すまん」
思わずおかしな語尾で抗議するミコが向く先。
そこに、いつのまにか常盤が錫杖を握りしめて立っていた。
「あんまりすまなさそうじゃない! 痛かったよぉ」
「だが、意識ははっきりしただろう?」
「ん? あれ、そーいえばなんだっけ。虚太郎が来て、話してるうちにぼーっとしてきて……」
ミコは思い出したように虚太郎へと視線を向ける。
虚太郎は笑顔を絶やさず、差し出した手すら降ろさぬまま。まるで置物のようにじっと立ち、ミコと常盤のやりとりを見つめている。
「なんか、今日の虚太郎、変だよね?」
「あれは虚太郎ではない」
緊迫した様子で常盤がミコと虚太郎の間に割って入る。ミコを背に隠すように。
そのままジリジリと後退し、虚太郎と距離を取る。
これはさすがにただ事ではない。察したミコも黙って常盤の動きに習い後退。ついでに、動きやすいように部屋のなかを少し創り変えておく。
「おい。そろそろ気色悪い变化を解いて、本性を見せたらどうだ」
じゅうぶんな距離を確保できたところで、常盤が錫杖を構えて問えば。
それまで沈黙を保っていた虚太郎が、震えながら甲高い笑いを発しはじめた。
「あらやだねえ。気色悪いなんて、ずいぶん失礼だこと」
部屋中に反響する、男とも女ともつかない声。
気が触れたようにケタケタと笑う様子にミコが目を離せないでいると、虚太郎の姿が一瞬にして泥のように溶け、次の瞬間、別の人物に変わっていた。
月のような金の髪に突き抜けるような蒼穹の瞳。人形のように整った顔立ちの、スラリとした美しい男。
に、なったかと思えば。その姿もまたすぐに溶け落ち、次の瞬間には、透き通る桃色の瞳を潤ませた幼気な少女に変わる。
「どんな姿がお好みだい? 遠慮なくお言いよ」
褐色の青年、大柄で不気味な男、快活そうでふくよかな女。惜しみなく繰り広げられる七変化。全ての姿に共通するのは、背後に揺れる九つの尻尾。
「完全体だな。向こうに居たのは、囮だったか」
尻尾を持つ人物は、常盤と同じ姿に変わり、「ふふ」と怪し気に笑みを漏らす。
「あんたとあの坊っちゃんから、ずいぶん良い匂いが漂ってきたからさ。匂いの元は何かと心を読んでみれば、極上のご馳走の姿が見えるじゃないか。これを喰わない手は無いだろう?」
「ミコの残り香を嗅ぎ分けたか。まったく目ざとい」
「何? 何の話? アタシ狙われてる? とりあえず逃げたほうがいい? それとも戦う? 銃とか創る?」
詳細は不明ながら、その場の雰囲気からして相手は敵対者だと察したミコは、手元に拳銃を創り出して不格好に構えた。
「無駄だ。ヤツは空狐。普通の攻撃は効かん。それに、逃げたところでこいつはどこまでも追ってくる。見つかってしまった時点で手遅れだ」
空狐は余裕の表情で「その通り」と頷いた。よほど己の力に自信があるのだろう。
事実、力の差を証明するようにピリピリとした空気がその場を支配し、常盤の額に汗が浮かぶ。
空孤は不死身の妖怪。その存在を停止させるには、封印を施す以外の手は無い。
封印のために必要なものは、ふたつ。
ひとつは、常磐が封印の経を唱えるための僅かな時間。
もうひとつは、空孤を封じる意志を持つ強い呪い。
だからこそ常盤は、対空孤用に時を止める術を用意してわざわざ現世へ赴いた。
札を使って時を止め、その場に溢れる呪いで空孤を封印するために。
だがまんまと囮にひっかかり、消耗させられてしまった。
時を止めるという貴重な術。それを使うには、長い時間をかけて法力を込めた札が要る。予備など到底用意できているわけもなく。
さらにここは観測者の地。現世のように、空孤に恨みを持つ呪いも無い。
万事休す。
まとまらない思考のなかで持ちうるものを考えたとき、唯一の打開策は。
常磐はほんの一瞬だけ躊躇して、しかし、残酷な希望を選択する覚悟を決めた。
「お前、ここに来るために虚太郎の万華鏡を盗んだな?」
「ああ、これかい? あの坊っちゃんには悪いことをしたね。代わりに渡した偽物がちょうど溶ける頃だ。驚いた顔が見られないのは少し惜しい」
クククと可笑しそうに笑いを噛み殺しながら、常盤姿の空狐は懐から一本の筒を取り出した。
黒と赤の炎のような模様が刻まれたそれは、紛れもなく虚太郎の万華鏡。
「その余裕が命取りになるぞ」
空狐が見せつけるように万華鏡を掲げた瞬間、常盤がダンと踏み込み一気に距離を詰め、錫杖を薙ぎ払った。
空孤の手からはじかれて、床に転がる万華鏡。
「ミコ! それを持って虚太郎の元へ行け! 呼び戻して来い」
「わ、わかった!」
ミコは低い姿勢で駆け、頭から滑り込むように万華鏡を掴むと、そのまま扉を創り出す。
「おっと」
逃がすものかと空孤は尻尾を一振り。竜巻のように渦巻く風がミコへ向かうが、素早く移動した常盤が割り込み、空孤に向かって同じように風を起こした。
ふたつの風はぶつかって膨れ上がり、暴風と化して部屋中で暴れ回る。
徐々に勢いを落とす風が完全に消え去ったとき。
無事に扉を抜けたらしく、ミコの姿は部屋から消えていた。




