■常盤とミコ
■常盤とミコ
永遠を求めるものと厭うもの。
瞳に映るは求むる永遠。
光り輝く闇の先は、未だ見えない新たな創造。
***
「えっ……と。すみません、俺の理解が足りないのだと思うのですが、観測者の地でも、命だけは創れない、のではなかったですか?」
「うん。そうだよ。だけどアタシはそれを創りたいんだ」
宣言するミコの瞳は、どこまでも真っ直ぐに虚太郎を貫いてゆく。はるか先を見通すように。
「虚太郎から見て、アタシはいくつに見える?」
「年齢ですか?」
ミコは、顔つきで言えば童顔な部類だろう。しかし話の内容やときどき見せる大人びた表情から、子供、と呼ぶような年齢は過ぎていると思われる。とはいえ、見た目以上に歳をとっていたとしても、年齢が現れやすい首や手元にも皺は少ないため高齢とは思い難い。
「十代後半から二十代、もしくは三十代前半……でしょうか。まさか四十代ということもありえる……?」
「回答の範囲が広い! でもね、どれも不正解」
ミコはそのまま、周囲に視線を巡らせる。虚太郎も同じように周囲を見渡してみる。
店の客層は様々だ。笑いながら会話に花を咲かせている集団、少し気恥ずかしそうにしている若い二人組、一人で席に着いて誰かを待っている様子の老人。
一通り店内を見回してから、ミコは言った。
「アタシは多分、このなかの誰よりも年上」
ミコはニヤリと口角をあげ、
「アタシね、数百歳超えてんの」
「え?」
『人魚の肉でも食べちゃったの?』
「八百比丘尼伝説ってやつ? あはは。そーゆーのじゃないよ。アタシは、科学で生き延びた。アタシはもともと、科学者だった。人の寿命を延ばす研究をしてたの」
ミコが生きていた時代では、人の寿命は平均して百年ほど。最長で百五十年ほどだという。虚太郎からすればそれはじゅうぶんに長いように思えるが、ミコはその時代で、さらに先を求めた。
「人ってさ、いつだって永遠が欲しいんだよ。”人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり”? アタシはそうは思わない」
古くは数千年前から、一部の人々が追い求め続けたもの。どうしたって手に入らない永遠、不老不死。
儚まれていた人の世は、ミコの時代まで来てやっと天まであと一歩のところまでたどり着いた。
しかし、技術的・理論的に可能な方法があったとて、それを実行するには様々な問題がつきまとう。本当に上手くいくのか。倫理感・人権的な問題。失敗時のリスク。
結局はそういうものに阻まれて、誰一人やり遂げた者はいなかった。前例が無い物事は、誰もやらないから前例が無いままなのだ。
”あと一歩”を踏み出すことが出来ずに、志半ばで消えていった夢追い人達。
その意志を、ミコは継いだ。自分の身を実験体にし、永遠へと踏み出した。
「……はずだったんだけど」
『失敗した?』
遠慮の無い閻魔の問いかけにも嫌な顔はせず、ミコは静かに微笑んだ。
「ううん。成功はしたよ。だからアタシは虚太郎みたいに一度死んだとかじゃなくて、ずっと生きてる。ていうかまぁ、一回死んでるほうが珍しいけどね。常盤だって多分死んだことは無いはずだよ」
話が逸れたね、とミコは首を振り、
「アタシがやったのは、人格移植。老いた自分に新しい肉体を作って、人格を移植した」
別の体に、”人格”というものを移し替える技術を、ミコは編み出した。
ただし他人同士での人格移植は、殺人と同じ行為。許されるものではない。
そこで考えられたのが、自分のクローンに対しての人格移植。
DNA的に同じ人間であれば拒絶反応も無く、誕生から成長の間ずっと眠らせ続けていれば、そこに「個人の意志」が生まれることも無い。
人ではなく、自分と同じ形をした新しい容器。
「脳移植と違うところは、”脳そのものの老化”も解決できること。あとは”誰が、いつやるか”だけだった」
いかに魅力的であろうと、最初のひとりには誰もなりたがらない。ならば自分で試すまで。
そうして自らを実験台にして移植を成功させたミコは、一躍時の人となった。
ただし、すぐに他の人間にもというわけにはいかない。
数年、数十年後の身体への影響の如何。反対する組織の説得や、機材の普及。クローンを手軽に生産する技術の確保と、施術の際の負担の軽減。
新たに浮上する数々の問題を解決して、はじめて人々は誰でも望むままに永遠を手にできるようになる。
そのためにかかる時間は、また途方もなく永い。
「でももう、アタシにとっては年月なんてどうってことなかった。実は途中で計画が打ち切られたりもしたんだけど。それもたいした障害じゃないと思ってた」
身体を換え続けていけば永遠に生きられる。なら、待ちさえすれば必ずチャンスは巡ってくる。
幸いにして、反対する者もいれば賛同する者もいる。賛同者の庇護の元、ミコは静かに機を待つことにした。
時が過ぎ、計画に対する反対意見が消えた頃にまた表舞台へ立つ。再び計画を提唱し、それが駄目なら再度待つ。提唱、反対、提唱、反対。受け入れられるまで何度でも繰り返せば良い。
「そうやって何度目かの移植を終えたとき、常盤が来たの」
常盤が現世に現れる時。それはつまり、世の理が歪んだ時。
ここまで聞けば、虚太郎にも理解ができる。
「つまり、人格移植というのは」
「理を歪める行為。正しい死を封じる行為だった。常盤はアタシに、『もう次の移植はやめて、そのまま人間としての死を迎えろ』って説いたけど、アタシはそれを拒否した。だってせっかく手に入れた永遠を。やっと叶った悲願を。みんなが時間の制限なく生きられるかもしれない世の中を。諦めたく無かったから」
机の上で握りしめられたミコの手は、小刻みに震えている。
「そしてアタシは観測者の地へ連れて行かれた。永遠を諦めるまで、ここに居ろってね。あそこにいれば、永劫を手にできる。とりあえず死ぬことは無いからって」
顔をあげたミコの視線が、虚太郎を捉えた。「アタシたちは似てるんだよ」という囁きとともに。
故郷のために自らの心を殺した虚太郎。
一部の人々のため自らを実験体としたミコ。
共通点は、誰かの想いを背負って自身を犠牲にしたということ。
「全然似てませんよ。俺は人の命を奪い、ミコさんは人の命を伸ばそうとした。俺は恨まれてましたが、ミコさんは人の役に立ってた」
「結果は同じだよ。世の理を歪めちゃったんだから。っていうか、魂を縛られちゃった虚太郎と、自分で縛っちゃったアタシじゃ、結果だけ見るとアタシのほうが愚かなんだよなー」
『こいつも僕と同じ、生まれられない命なんだね』
閻魔が音無くミコの元へ忍び寄り、ミコの式をつつく。
ミコの周囲を離れない鮮やかな魚。それはミコが背負っている余剰の命。ミコの死によって生まれるはずだった、対になるもの。
「だからアタシは考えた。アタシが生き続けることで、生まれるはずの命が消えてしまうなら……その生命を新しく創れば良いじゃない? 歪めちゃった事実は変えられないけど、解決に向けて動くことはできる。それが罪滅ぼしにもなると思うの」
過去の功績に縋り現状を嘆くでもなく、目を背けて逃げるでもなく。ミコの目は彼女に寄り添う魚に、しっかりと向けられている。
「でも命を創るとは、どのように?」
「それはまだ分かんない。だから方法を探してる。この前話を聞いてから、虚太郎の”呪いで身体ができてる”ってとこに何かヒントがありそうだなーってずっと考えてるんだけど。そんで行き詰まったから気分転換しに来たのさ。虚太郎も何か思いついたらアイデア頂戴ね」
ミコは頭をかきながら、器に残ったパフェを一気に口へ放り込んだ。
「ふぅ。美味しかった。良い気分転換になったよ。そろそろ帰ろっか」
「はい」
「帰りは境界線を通るから、人気のないところまでまずは歩こう」
「荷物、お持ちします」
店を出て、公園に向けて歩く。
命を創ることに脳内を埋め尽くされている虚太郎は、もともと饒舌ではないことも相まって、黙ってミコの隣に並ぶ。
そのまま進んでしばらく。目的の公園にたどり着くと、ミコは人が居ないのを確認してから、鞄のなかから一枚の紙を取り出した。
折りたたまれた紙は、広げてみると結構な大きさ。ちょうどふたりが並んで立てるほどの円と、境界線の扉の文様が描かれている。
「はい、これ。簡易境界扉。この上に立てば境界線へ行けるよ」
境界線を越えるなら、また故郷の景色や幼馴染を見るのだろうか。
惑わされないようにと虚太郎が気合を入れていると、片足を紙の上に載せたミコが虚太郎へと手を差し伸べた。
「手、つないでいこう。そうすれば迷わないから」
「ありがとうございます」
差し出された手をとって、虚太郎も紙の上へ。
淡い光を放ちはじめた紙の上で、ふたりは並んで目を閉じる。
次に虚太郎が目を開くと、そこはやはり想像した通りの懐かしい故郷の風景。森へ続く畦道と泥臭い土の香り。かつて守ろうとしていた、何の特徴もない田舎の農村の景色。
ひとつ以前と違うのは、隣に人が立っていること。
「じゃ、行こうか。手を離さないように気をつけてね」
虚太郎には畦に見えている道を、ミコは早足で進んで行く。田畑を耕す人々の姿が、のどかに過ぎてゆく。
「やあ、虚太郎」
ある程度進んだところで例の幼馴染に声をかけられた。が、ミコは無視して、そのまま虚太郎の手を引き前へ前へと進む。
「ミコさん、今」
「喰むものでしょ? 気にしちゃ駄目」
「見えてはいるんですね」
「うん。多分、見えてるものは違うんだろうけどね」
境界線では、ひとりひとり違うものが見えるという。通る者が気にかける景色……のはずだが、ミコは一切の脇目もふらずに歩き続ける。
「気にならないんですか?」
「んー。なんていうか、アタシ、過去に興味無いの。だから喰む者も何を見せればいいか困ってんだよね」
境界線は、過去を断ち切る試練の一種。過去に未練が無ければ意味が無い。
過去に執着しないミコには、たいした試練にならないらしい。そのため、通るたびに違う物が見えるのだと言う。
雨の中で震えるかわいそうな子犬や、貧困にあえぐ子供。生き別れ(だと主張する)弟。
「もしかして本当に生き別れの弟がアタシに居て……? って思っちゃいそうなくらいリアルではあるんだけどね。でもアタシが目指すものは決まってるから。立ち止まったりはしないの」
話す間にもミコは虚太郎の手を引き進み続ける。あっと言う間に道筋は半分を過ぎた。
幼馴染も追いかけながら虚太郎に話しかけるが、その度にミコが虚太郎の腕を強く握り、意識を引き戻してくれる。
「境界線は一人しか来れないものだと思っていましたが、違うんですね」
虚太郎が最初に送り出されたとき、常盤は一緒には来れないと言っていた。
ゆえにここは一人で通過すべき試練かと思っていたが、そうではない様子。
「何人で来たって、別のものが見えるなら結局個人の試練だし、内容は変わんないからね。常盤が来れないのは別の理由。虚太郎はさ、常盤に式が居ないのに気づいてる?」
「そういえば、見たことないです」
「詳しいことは知らないけどさ、常盤は万華鏡を失くしてる」
万華鏡は通行証。それが無ければ、境界線には入れない。
それだけではない。
万華鏡が無ければ、時間を動かすことが出来ない。
終わる永劫、終わらない永遠。
万華鏡を失えば、どんなに願っても終わりは来ない。
「あの人は永遠になっちゃってる」
虚太郎の手を握るミコの手が、ほんの少し強さを増した。
「アタシは永遠になりたいから、万華鏡を壊そうともしてみたよ。でもあれって、どうやったって壊せないの。境界線で無くすか、正しい死を迎えたときに自然に消えるしか無いんだって。じゃあ常盤はどうやったのって聞いたって、絶対に教えてくれないし」
ミコが永遠について尋ねる時、常盤は必ず「やめておけ」としか返さないらしい。
「アタシが欲しくて止まない永遠。でもあの人にとっては捨ててしまいたい永遠……なんだと思う」
常盤が時折見せる憂い気な表情。
虚太郎はやっと、その理由を理解した。
常盤が永遠となったのなら、その代わりに生まれる命も無くなっているはず。
常盤もまた、ミコや虚太郎と同じく、ひとりぶんよりも多くの重さを抱えている。
そのうえ万華鏡を失っているのなら、式で負担を減らすことも出来ず、心の欠片も無くしたまま。
喰む者と同じ渇望を抱えているのかもしれない。
「だからあの人、アタシ達に期待してる。自分はもう二度と歪みを正せないことを悔やんでるから。まだ間に合うアタシ達に、自分ができなかったことを押し付けてる。アタシと虚太郎を引き合わせたのだって、打算があったんだと思うよ」
「以前もそう言ってましたね。たしかミコさんが風邪をひいたときに」
「うん。観測者の地では、いろいろなものが伝染する。常磐は、死を受け入れようとしてる虚太郎をアタシに見せて、アタシにも死を受け入れる気持ちを伝染させようとしてる。あの人が頑固に仕事するのは、エゴなんだよ」
ミコは虚太郎を見上げ、「でもそれって上手く使われてるみたいで悔しいよね?」と鼻を鳴らした。
「だからアタシは命を創ってみたいんだよ。常盤が想像してない方法でなんとかしてみたい。もしそれができればさ、常盤や虚太郎やアタシが消しちゃった”生まれるはずだった命”の代わりになるかもしれないじゃん。そしたらみんなハッピーじゃん」
ふたりを囲む喰む者は、ミコと虚太郎が繋いだ手を懸命に解こうとまとわりつく。
以前は恐ろしく感じた喰む者も、今はなぜか憐れに見えた。
喰む者を振り切るようにミコがさらに歩く速度を上げたので、虚太郎も合わせて従い、ほどなくしてふたりは出口の前へ。
ここまで来れば、もう追って来る者は居ない。振り返っても、記憶と同じ農村の風景が静かに広がっているだけ。
何度見ても、やはり無視してしまうのは忍びない気がする故郷の風景。
ミコに手を引かれていなければ、やはり足を止めるくらいはしてしまっていたかもしれない。
だからこそ、ミコは強い、と虚太郎は思う。
握った手は虚太郎よりもひとまわり小さく弱々しいのに、彼女の意志は前だけを見ている。
彼女が命を創ることで常盤やミコ自身を救い、さらにその先、多くの人のためになろうとしているのと同じように。
虚太郎も”良い呪い”として人のためになることをしよう。
新たに固まったこの決意も、もしかするとミコからの”伝染”かもしれない。だが虚太郎には、それでもいい、と思えた。
影響を受けられるほどに近い距離。それを得られたことが、不快だとは感じなかったから。
虚太郎はミコの手を握ったまま、出口へ飛び込み目を閉じた。
はじめて通り抜けた時と同じように、「さようなら」と心のなかで過去に別れを告げて。




