エピローグ後編
女神の双丘に避難していた民間人が戻った街。
平和な街。
まあ……図書館ダンジョンから散歩しにきた害のない高レベルニャンコが少し徘徊しているが、それ以外は元の景色に戻っていた。
営業時間外まで居座り迷惑をかけ、お詫びに商売繁盛の祝福をかけた店の店主が私を見つけて手を振っている。
なんだろう、呼んでいるな。
トテトテトテと近づくと。
手が伸びてきた。
大きな手だった。
何故か知らんが、頭をわっしゃわっしゃと撫でられている。
「いやあ、探しましたよ!」
『ん? どうしたんだい? この麗しい私を、どおぉぉぉしても撫でたいって気持ちは、まあ分からないでもないけど』
「実はですね――旅立たれると言うので、ネコさんにこれをお渡ししようと」
店主は私を探していた理由を口にした。
あの日以来、店がなぜか儲かって儲かって、仕方がないのだという。
そりゃあまあ。
大魔帝がかけた魔術なのだから当然である。
猫さんのおかげかもしれないと冗談を言いながらも、店主は私に焼きおにぎりの包みをくれた。
中にかつお節。
いわゆる「おかか」が入った、いつも買っていた美味しい焼きおにぎりだ。
ほどよく醤油の焦げ目をつけた、パリっとした食感が格別な逸品なのである。
にゃっは~!
と、私のネコ目は広がっていた。
黒猫の来店から全てが良い方向に変わったから、猫に優しくするのだと店主は言う。
縁起担ぎらしい。
まあ、こういうお土産も悪くないか。
遠慮なく受け取り。
『まあせっかくだから貰っておくよ。君に更なる幸運があることを願っているよ』
「ははは、そりゃあいいですな。それでは夜の店の仕込みがあるんで、あっしはこれで。じゃあお気をつけて」
もう一度、店主は私の頭を遠慮なくわっしゃわっしゃと撫でていった。
つい。
ゴロゴロゴロと喉を鳴らしてしまったのである。
まったく、この大魔帝たる我の頭を無断で撫でるなど……。
……。
まあ――嫌じゃなかったけど。
仕方ない……。
店に戻る店主の背に、私は肉球を伸ばす。
再び彼に祝福をかけてやったのだ。
ま、オマケというヤツである。
おにぎりの礼をし、トテトテトテと街を歩く。
もうちょっと何か買っていくかと周囲を見ると。
ふと、見知った顔が猫の瞳に映った。
皇帝に事情を説明してくれた、白衣姿の女ギルド研究員さんである。
はて。
誰かを探しているようだが。
あ、目があった。
彼女は裾の長い白衣を、ヒラヒラとジャレたい感じに揺らしながら飛んでくる。
「あーーー! 探しましたよ黒猫さん!」
『おや、魔術オタクのギルド研究員くんじゃないか。どうかしたのかい?』
「どうかしたのかじゃありませんよお! 自分も見送りの挨拶をしたかったのに、寝坊している間にいなくなっちゃうなんて酷いですって!」
『えぇ……なんで寝坊した君に怒られないといけないのさ』
「それがレディに対する礼儀ってもんです!」
おや。
レディとかダンディとか、そういう事は気にしないタイプだと思っていたが。
なぜだろうか、彼女の顔には一生懸命メイクをしようとした痕跡が見受けられる。
理由を問うより前に、彼女が口を開いた。
「黒猫さん、ちょっとお聞きしたいのですが。あなた――マーガレットさんのお連れのあの猫獣人さん、ですよね?」
『ん、まあそうだけど。それがどうしたんだい?』
演出をする必要もないかと。
私はポンと獣人紳士の姿に身体を変貌させる。
人間たちにとっては蠱惑的な、ダンディ素敵紳士な魅惑のオジ様スタイルである。
ざわざわざわ。
周囲の淑女たちが、私の魅了フィールドに惹かれたのか。
ちらりほらりと視線を送ってくる。
研究員さんは私の顔と魔術波動をじっくりと眺め。
努めて冷静な声を上げる。
「猫さん、これ自動発動の魅了の魔術を使っていますね」
『まあ少しだけね。この姿でいると勝手に発動しちゃうんだよ』
それが猫魔獣たる私の性質なのだから仕方がない。
人間にとっては魅力的に見える顔立ちと、その魅了フィールドのおかげか。
相手を本気で籠絡させようと思えば――まあ、本当にできてしまうわけである。
「あー、やっぱり。そうだったんですね。どうも変だと思ったんですよ――自分、恋に現を抜かさないように、若い時から恋禁の術を自分に掛けていたのに……妙に気になっていたので」
白衣のお姉さんはちょっとだけ横を向き。
もう一度、ため息。
恋禁の術とは、文字通り恋心を意図的に封印する精神操作魔術である。
自分自身にしか掛けられないので、悪用されるということはないが。
『なるほど……もしかして私、君の魔術を自動的に破っちゃったのかな』
「ええ、黒猫さん。あの時、検査の最中にも魅了系統の魔術をちょっとだけ使っていたでしょう? 並の使い手程度でしたら自分の恋禁結界を破れるはずがないのですが――猫さん、大魔術師みたいでしたしね」
そりゃまあ……たぶん。
自惚れではなく、事実として――この世界で上から数えた方が早い魔術師だし……。
「まあ大魔帝さんの魔術なら自分の魔術が破られても当然だったわけですが――はあ……哀れ、自分の初恋。本当なら魔術を極めた後、どこかの貴族様と恋に落ちたかったのですが。ま、仕方ないですね。自分の魔術を破る程の使い手の前だと計画も狂ってしまう、いい勉強になりました」
んーむ。
これで本当の意味で恋を知ったとかだったら、ロマンスなのだが。
実際は魔術による魅了なのである。
ちょっと。いやだいぶ……悪い事をした。
淡々と語っているところを見ると、彼女は私の魅了魔術を破り、再び恋禁術を自分にかけたようだが。
私は大慌てで猫の姿に戻り。
ぶにゃんと肉球と肉球を合わせて、ごめんにゃちゃい。
『な、なんというか。ごめんねえ』
「ま、いいですよ。責めているわけじゃないですし。本来ならありえない筈の貴重な体験をさせていただきましたから」
白衣の研究員さんはあまり怒った様子を見せず。
けれど。
少しだけ――メイクをしかけた顔を崩し。
微笑んでいた。
「街を救っていただきありがとうございました。それと黒猫さん、これは自分からの餞別です」
言って、彼女が差し出したのは魔法薬を保存してある瓶。
見たことのない薬品である、彼女のオリジナルだろう。
『これは?』
「魅了封じの香水ですよ。もし本当に黒猫さんが……恋だか愛だか知りませんが、そういう感情を人間に持った時。魅了の魔術で相手の心を奪ってしまった――なんてなったら、ちょっと嫌じゃありませんか?」
なるほど。
これを使えば、私の自動発動する魅了フィールドを和らげることができるのか。
恋愛のうんぬんはさておき、これはなかなか便利そうだ。
『じゃあ、街を守ったお礼として遠慮なく貰っていくよ』
「はい。それでは、自分も仕事を放置してきちゃったんでそろそろ戻ります。もしまた街に寄る際は声をかけてくださいね。自分、黒猫さんの魔術に大変興味ありますから」
本当に淡々としていて。
けれど彼女は少しだけ嬉しそうで、寂しそうでもある。
人間の感情というものは、やはりまだよく分からない。
かつて人間だった時ですら分からなかったのだ、猫となってしまった今は尚更か。
「あんまり人間を魅了して遊んじゃだめですよ。今回は恋より魔術が大好きな自分だから良かったですけど、本当にあなたに恋をしちゃった人間がいたら困るでしょうしね」
『さて、それはどうだろうか。本当に私に恋をしてくれるほどの女性なら……魔族の仲間になってくれるかもしれないからね』
魔王様の目覚めを共に待つ。
そういう相手が欲しいと思った瞬間もあるのだ。
だからつい。
寂しそうに微笑してしまう。
「そういう顔。猫でもやめた方が良いですよ」
『どうしてだい?』
「さあ、どうしてでしょうか。あれ、なんでそんな事を言ったんでしょうか。魔術の事じゃないので、自分でも分からないんですよねえ」
彼女はちょっと悩んで、まあ別にいいかと頬を掻く。
じゃあ、いつかまた。
そう微笑んで、彼女は小走りで去っていく。
彼女の背が遠くなった。
一度だけ。
彼女はこちらを向いた。
目があった。
やはり、嬉しそうなのに寂しそうな顔をしていた。
会釈をして、彼女は雑踏の中に消えていく。
これが別れだ。
私はまだ、この世界に長く存在するだろう。
いつかまた。
再会する日が来るのかもしれない。
この街でまた、色々な人々と出逢った。
最近、私は本当に様々な心に触れているのだと思う。
人間、魔族、獣人、死霊。
種族は違う。
文化も、生き方も価値観も違う。
けれど、心は確かに――存在するのだ。
この地を壊さず解決できたのは……人間たちのおかげか。
穏やかな風が猫毛を靡かせる。
しっぽが揺れる。
猫の耳が温かさに向かってモフりと跳ねる。
もっと高い場所で、少し休もうかな。
よっと、猫足で高くジャンプする。
にゃふふふ、日向ぼっこである。
煉瓦の屋根の上。
太陽の日差しが眩しくて――私はしばらく、そのポカポカに当たっていた。
◇◇
冷たい風が、猫の耳を擦っていた。
ヒゲがびくりと動く。
ついウトウトとしてしまった。
少し、寝てしまったようだ。
私は冷えてきた煉瓦の屋根の上で、くわぁぁぁっと手足を伸ばす。
くっちゃくっちゃと猫口を動かし。
違和感に気が付いた。
何故か。口の中におかかの香りが広がっていた。
心地良い陽気だったせいだろう。
日向ぼっこのグダ寝中に。
お土産にしようと思っていた焼きおにぎりを、ついうっかり食べてしまったらしい。
どうしよう。
お土産がなくなってしまった。
しぺしぺしぺ。
誤魔化すように毛繕いをし――私は周囲を見渡した。
日が暮れ始めている。
少し。
寒くなってきた。
くわぁぁぁぁっと、もう一度欠伸をして。
私は自らが守った街並みをじっくりと眺めた。
惰眠を貪っていたせいか、もうこんな時間だったのか。
仕事終わりの人間の動きが目立つ。
焼きおにぎりは……仕方がない。
まあ、別の店で何か買って帰れば――いいか。
ここは商業都市エルミガルド。美味しい店ならたくさんあるのだから。
暮れていく街に、夜の灯りが点き始める。
ふと。
もう一度、私は夕暮れに沈んでいく街並みを見た。
ここには平和があった。
私は魔族だ。
魔王様のためならばなんだってしてしまう、魔猫だ。
けれど――この街並みを嬉しいと思ってしまうのは。
なぜなのだろう……。
私の猫の瞳が、人々を見た。
平和に暮らす彼らを見ると――胸の辺りが温かくなるのだ。
猫の瞳がきゅうっと動くのだ。
子どもの手を握って、笑顔の母親が帰路に就く。
幸せそうな姿だ。
けれど、ここは。
あの黒マナティが憎み呪った世界でもある。
私とて、何度も呪った忌まわしき世界だ。
それでも……私は――。
街に向かって手が伸びる。
黄昏の中に浮かぶ腕。闇から伸びるその腕は――。
人ではなく、黒い獣の手だ。
それが少しだけ……寂しくて。けれど、魔王様に愛されるこの猫の手は嫌いじゃなくて。
分からなくなる。
私は猫の手で、地面に足をついて歩いている。
たまに分からなくなる。
私という存在は――何なのだろう。
何かが胸を強く突くのだ。
悲しいのかどうかも、分からない。
けれど、一つだけわかっていることがある。
魔王様が存在するこの世界の事を、どうしても……私は嫌いになりきれないのだ。
……。
人間の幸せな姿を見ると、温かいのに。
胸が痛くなるのは何故なのだろうか。
羨望なのだろうか。
嫉妬なのだろうか。
何かが欠けてしまっている私には分からない。分からない。分からない事だらけだが――いつかは……。
きっと。
私にも……分かる日が。
思い出せる日が来るのだろうか。
◇
本格的に、夜に灯りが点き始める。
魔術照明の淡いオレンジ色。
この時間は仕事帰りの人間を対象にしたお土産屋台が活発になる。
『さて、店が閉まる前に動かないと売り切れちゃうね』
猫の手足が歩き出した――私の帰りを待つ魔王城の皆にお土産を買うのだ。
眷族として新しく仲間に加わった黒マナティの歓迎会もしないといけないし。
暗いのは私に……似合わないしね。
黄昏の街。
グルメ満載の商業都市。
露天商の人間たちは私のグルメ散歩を歓迎し。
こっちにおいでと手を振っている。
頭を撫でて貰えた。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ嬉しい。
そして街を守ってくれたお礼だと、ホカホカな包みをくれた。
中を開くと――とっても美味しそうなお肉の串だ。
ステーキ串を猫用に用意してくれたのだろう。
私が歩くと、次から次へと声がかかる。
人間の分際で、生意気にも大魔帝たるこの私の頭を撫でたいようだ。
仕方のない奴らである。
まあ、お土産には困らなそうだ――と。
肉球ステップでピョコピョコ跳ねて。
私と人間たちが守った平和なこの街を、黒猫の私は悠々と闊歩した。
第六章、
ギルド散歩と都市グルメ ~嘆き死霊の女王~編 ―終―




