嘆き死霊の告白 ~人肌と心は肉まん並に温かい~
大いなる魔が空を徘徊する街。
魔王様の事で理性も知性もすべてが切り替わっている私。
そして。
人間たちが動揺する中。
嘆き死霊の女王。
ギルドマスター・ナタリーは私を抱き上げると、本当に嬉しそうに――囁いた。
「そのお気持ち、よく――分かりますわ」
優しそうな声。
手の温もり。不死者の筈なのに温かいのは魂の温かさの影響か。
私は血に飢えた赤い瞳を持ち上げ、彼女の赤い瞳をじっと見た。
『君は……ナタリーくんか』
「はい、あなたに恩を感じている嘆き死霊のナタリーですわ」
彼女は微笑んでいた。
とても嬉しそうに。
猫的思考に戻り始めていた私は、ぶにゃんと猫顔を傾ける。
『邪魔をしないでおくれ、私は魔王様のためにアレを消すんだ』
「ええ、ええ。その通りですわね。わたくしは止めは致しません。ですけれど、わたくしの話を聞いていただけませんか? 自惚れた女の浅慮な自分語りでございます」
彼女はすぅっと、瞳を伏せる。
私は彼女を見た。
「ケトス様――わたくしも……あなたと同じなのです」
同じ?
「ギルハルト様の事ばかりを優先して、皆から疎外感を覚えたことが何度もあったのです。今だって、そう。ギルハルトさまのためならば――なんだってしてしまうのでしょう」
微笑む彼女。
おっとりとしているが、その赤い魔性は、ざわりざわり……と人ならざる魔力を妖しく放っている。
「だってわたくしは妄執だけでこの世に留まっていたバンシークイーンですもの。あなたが恐ろしき大魔帝だと知っていても、どうしてもあの方の居場所を知りたい一心で、たとえそれが反感を買い、この街が滅ぼされてしまうかもしれないのに……しつこく縋ってしまいました。そう……わたくしも、あの方のためならばどんなことすらも優先してしまうのです。全てが霞んでしまう、尊い存在があるのですよね」
ギルハルトのためならば。
どんなことでもしてしまう。それは本音なのだろう。
強く、強く抱きしめられていた。
猫の耳が、頬毛が彼女の胸の中に包まれる。
「ケトス様。あなたとわたくしは……どこかが間違っているのかもしれませんわね。既に人の器から零れ落ちた、卑しき魂なのかもしれません。愛する方のためならば、それは全てが優先される事柄。当然じゃありませんか。もしギルハルト様が不幸な死を遂げていたら。その不幸をお救いするための、蘇生の手段があったとしたら……。わたくしだって、ギルハルト様のためならばこの大陸の一部が壊れようと、いえ、半分、全部が壊れてしまっても全てを投げ出し、尽くしていたのでしょうから」
たしかに。
あの時の彼女にはそういう空気があった。
そしておそらく。
彼女にはそれだけの力がある。
「わたくしは――あなたがあの方への想いを解き放ってくれなければ、あの方の幸せな最期を確認させてくださらなかったら……おそらく永遠に……他の方との距離を感じながら彷徨っていたのでしょうね。そしていつかは――人間を滅ぼしていたのかもしれません」
心底、共感しているのだろう。
彼女の魂が、私の魂と抱擁している。
元人間。
壊れた魂と歪な心。
人間の形をとれるだけの魔性。人間としての意識がありながらもどこかがズレて軋んでいる。
もはや人を捨てた筈なのに。どこかで寂しいと、そう感じているのだろう。
そんな私たちが似ていることを、彼女は喜んでいるのだ。
「わたくし、同じ心を持ってくださった方とお会いできて、本当に――本当に……嬉しいですわ」
彼女は私を見ながら、紅い瞳を潤わせ。
「ありがとうございます。僅かな時であっても……人の心を思い出させてくれて――。だから、もしケトスさまがそうなさりたいのでしたら、わたくしは協力いたしますわ。たとえ、この世界全ての人間を敵にしたとしても。わたくしだけは――あなたの味方となりましょう」
そう、薄い唇を嬉しそうに震わせた。
嘆きの声が、天を衝く。
ナタリーが魔力を解放しはじめたのだ。
赤い嘆きの魔力を纏い、揺れる髪。
不死者の魔性を抱きつつも、穏やかな微笑。
彼女はこう言っているのだ。
私のために、いまこの場にいる人間を滅ぼしてでも、私の思う通りにさせてくれる――と。
「ギルドの皆さま、ごめんなさいね。わたくし、一度決めたらそうとしか考えられない愚かな女でしたようで」
彼女は不安定な存在、不死者だ。
人と魔の中間を自由に彷徨う存在なのである。
ウサギ司書が声を張り上げる。
「な……、ナタリーさん。あなたはこんなダメダメ黒猫さんのために、人間を裏切るというのでちか!」
「あら、わたくし。そもそももう人間じゃありませんし、ここを守護していたのは百年前の皇帝陛下との盟約があったからですし。ウサギ司書さんもご存知でしょう?」
「それはまあ、そうでちが……」
ウサギはなぜか目線を逸らし、口をくちくち蠢かす。
この顔、何かを隠しているな。
「この地を守護する代わりに、ギルハルト様の行方を捜してくださると――そういう約束でした。だからわたくしはギルドの長となり、人間を育て、見送り、守護してまいりましたのよ。なのに、あの皇帝陛下、いつまでたってもわたくしに事実を教えてくれませんでしたし――なぜかちゃんと探している気配もなかったようですし。まあ……事実を知ってしまったらわたくしは守護を止めて、この地を去っていたのでしょうが……。はっ……もしかして、わたくし、ずっと騙されてきたんじゃ!」
ふと彼女はおっとりと口元に指をあて。
「むしろ、人間はわたくしの敵……?」
あー。
やっぱりこの子も、不死者なんだよなあ……発想が人間とは少しずれている。
彼女と当時の皇帝との契約の内容は知らないが。
ウサギ司書が完全に顔を逸らして、ウサギのふりをしピョンピョンと野を跳ねる。
これ、暴君ピサロに聞いたらなんか事実を知ってそうだよなあ。
たぶん。
強力な存在である嘆き死霊の女王をこの地に留めておくために、魔剣士ギルハルトの件の詳細を知っていても隠していたのだろう。
彼女にこの地を守らせるため。そして、この地に封印された異界の死霊を目覚めさせないために。
ここから先は私の予想にしか過ぎないが。
このウサギ司書には、ナタリーの監視か何かの役割が与えられていたのではないだろうか。
ようするに、彼女はナタリーを利用し騙していたのだ。
まあギルドの地下にあった警告書を読んで驚いていたところを見ると、詳細は知らされていなかったようだが。
いや、穿った見方をすれば――。
もはや封印が解けてしまうのなら、力ある獣である私にそれを何とかさせようと誘導していた可能性もゼロではない。
このウサギ……想像以上に、危険かもしれない。
「ウサギ司書さん、なにかご存じありません? わたくし、今になってようやく気付いたんです。もしかしたら……皇帝陛下に騙されて、ずっとここを守護していたような気がするのですが」
「さ、さあ……わたち、ウサギでちからねえ。むつかしいことは、ちょっと……」
「あらあら、困りましたわねえ。なら……代々の皇帝陛下の王墓を暴いて死霊魔術で動かして聞いてみるしかないのかしら。わたくし、死霊魔術は得意じゃないのですけれど――まあ精神を拘束して言葉を吐かせるぐらいなら、なんとかなりますわよね」
うわぁ……。
暴走を始めた不死者の発想って、怖いね。
ともあれ。
私の心は既に落ち着いていた。
自分より暴走しそうな爆弾が目の前にいるせいだろう。
完全に落ち着いたら、ちょっと色々と申し訳なくなってきたが。
その時だった。
ナタリーは私の赤い瞳をじっと覗き込んで、ふふっと声を漏らした。
なるほど……。
この娘。
この暴走はわざとだな、たぶん。
私だけに恐怖が向かない様に、演技をしてくれたのだろう。
彼女は、内緒ですよとこっそり、言葉を魔力に乗せて送ってきた。
こんなことまでして貰ったら、さすがに冷静にもなる。
まあ。
心が綺麗な女性だと。
そう思ったが。
なんかちょっと。
しぺしぺしぺ、毛繕いをしてしまう。
膨大な紅き魔力が空間を荒れ狂い、跳ねまわる中。
私はポリポリとモッフモッフな頬のネコ毛を掻いていた。
気恥ずかしいのである。
ちょっと暴走しちゃったかなぁ……と反省もしているのだ。
『分かったよ、悪かった。なるべく穏便に済む方法を考えよう。このまま私が戦うにしても大陸を壊さない様にセーブしてやるよ。人間たち、君たちもそれでいいね?』
「はい、ケトスさま! 皆も納得してくれましたっすよ」
私の問いかけに、マーガレットがピースサインで返してくる。
その後ろにいる人間たちも頷いた。
何度も、何度も力強く。
なぜか、全力で。
あれ。
『ん……? なんか後ろの衛兵さんとかボロボロだけど、どうかしたのかい?』
「いやいやいや、気にしないでくださいっす。ちょっと話し合いをしたもんで、あはははははは」
『そうかい? まあ人間のマーガレット君が言うなら気にしないけど』
やっぱり、彼らはちょっぴしボロボロだ。
私の魔力やナタリーの魔力の影響ではない。
黒マナティからの攻撃でもない。
なんか。
ちょっと人間たちのマーガレットを見る目に、怯えが混じっている……。
私やナタリーにではなく、人間である彼女にだ。
ナタリーと私は顔を見合わせて。
首を傾げる。
後ろの人間たちに目をやると、むしろ私に助けてくれとばかりの目線を送っている。受け付けのオッサンなど、怯えた眼差しでマーガレットを指さし、私にどうにかしてくれと手を合わせて願っている。
あれ。
この娘。
私とナタリーの気が逸れている間に、なんか……またやらかした?
さっきの攻撃から救ってくれた恩人にその態度はなんだ、的な。そういうイベントがあったみたいなのだが……。
「さあ、みんなであの共通の敵である黒マナティをなんとかするっすよ!」
ビシっと空を指さし、宣言するメイド騎士。
お……、おー!
と続く、ボロボロの人間たち。
実はこの娘、私が三姉妹の恩人だから全てを優先して尊重してくれてるけど、結構容赦ない性格なんじゃ。私が恩ある魔王様のために全てを棚に上げてしまうように、命の恩人である私の事に関しては、ブレーキが外れてしまうタイプなのかもしれない……。
こっちはナタリーと違って、たぶん。素だなこれ。
えぇ……。
なんで私の周りに集まる女の人って、一見するとまともなのに……こういう暴走タイプばっかりなんだろ。
まあ、いっか。
にゃふふふ、この我に多大なる恩を感じそれに報いようとするとは、なかなかどうして見どころのある元メイドである。
ともあれ。
さて、頭を切り替えよう。
『問題はこの黒い顔無し人魚姿の死霊だか魔獣だか、よくわからない異界からの闖入者をどう倒すかだが』
ナタリーが私の背をとんとんと叩き。
「ケトスさま、街と人間の守りをお願いできますでしょうか?」
『構わないけれど、何か策があるのかい?』
「はい――おそらくは、わたくしならばなんとかできるかと」
悩む私に、嘆き死霊の女王はそう――提案した。




