ギルドマスターの願い ~傷心の時のごはんは、ほどほどに~
ギルドの応接室には。
すんごいデリケートな空気が流れていた。
呼吸の音すらもどう立てるべきか考えてしまう、非常に神経質な空間が生まれていたのだ。
慰めるべきなのか、黙って落ち着くのを待つべきなのか。
正解は分からない。
こっちが悪いわけではないのに、私もマーガレットも下を向いたままジト汗を垂らし、御茶菓子をボリボリと齧ってしまう。
めっちゃ居たたまれないのである。
芋スティックにまぶされた砂糖がほんのりと甘いのが救いか。私は猫のふりをして、ペロペロペロ。
この魔術。
知らなくていい事も検索出来てしまうし。やっぱり封印した方が良いのかな……。
マーガレットももはや必要もないのに、ティーカップの向きを無意味に直して動揺している。
このマーガレット、メイド職としての経験値が高いのかかなり空気を読めるのだが――この動転だ。ということは――こっちではどうしようもないのだろう。
どうしたものかと二人、悩んでいると。
やがて、今回の当事者である嘆き死霊のナタリーは静かに言った。
「あ、すみません、気を遣わせてしまって――いるのですよね」
どうやら、落ち着いたようであるが。
司書っぽいおっとりさが、やっと伝わってくる。
眼鏡をかけ直すも、その目尻はほんのりと赤く染まったままだ。
『いや……それで君はその、大丈夫かい?』
「ご心配ありがとうございます、ケトス様。マーガレットさん。わたくしのくだらない事情につきあっていただいて。追い出してしまった件も含めて、本当に、ご迷惑をおかけいたしましたわ」
やっと心の整理がついたのだろう。
彼女は深々と頭を下げていた。
「これほど幸せそうに逝ったのでしたら、蘇生はできない――ですわね」
眼鏡を曇らせた彼女は、ぽつりと、穏やかにつぶやいた。
まるで小雨のような、か弱い声だった。
それだけを目的に不死者となっていた彼女にとっては、辛い現実だろうが……。
『ああ、骨まで魔族に愛された人間の遺体は――この世に残らず魔族のモノとなる。既に肉体は完全に消滅しているのさ。魂も恐らくは……既に転生しているだろう』
「わたくしは、お二人が愛し合っているとも知らずにお慕いしていた……ようですわね。ほんとうに……独り善がりな恋だったのでしょうか」
当時の二人の関係は、私には分からないが。
まあ、それなりに親しくはあったのだろう。
『なんといったらいいか、私には分からないけれど……彼は少なくとも、不幸になって死んだわけではない』
「ええ、それだけが救いですわ。お慕い申し上げていた方が幸せだったのは良い事の筈ですのに、すこし、わたくし……嫉妬してしまって」
眼鏡をそっと外し彼女は立ち上がると、応接室の窓を開けた。
外の空気を吸いたかったのだろう。
彼女はいつまでも外を眺めていた。
その背が不自然に揺れているのは、私にもマーガレットにもすぐに分かってしまった。
誰が悪いわけでもないのだ。
ただ巡り合わせが悪かっただけ。それでも。
女性の泣く姿を見るのは。
やはり気まずい。
そして同時に物悲しい。
尻尾も猫耳も垂れ下がってしまう。
しかし、彼女には知らせないといけない事実がある。
『気を悪くしてしまったら、すまないが。私は君の記憶に干渉し、その悲しい記憶を消すこともできる。君さえ望むのならば――だけどね』
「聞いたことがありますわ、記憶操作の魔術ですわね。ふふふ、ケトス様は本当に比類なき大魔術師なのですね、わたくしの届かない頂きの魔術を数多く持っていらっしゃって、驚いてしまいますわ」
彼女は振り返り、紅い瞳を拭って微笑んだ。
本当ならここもドヤポイントなのだが。
さすがに。
ちょっと空気の読めない私でも、ここはドヤれない。
まあ、これも私の責任か。
覚悟を決めて、私は告げた。
『残酷なことを言うけれど、君はおそらく……そう遠くない未来に消えてしまうだろう。バンシーとは妄執や執念でこの世に留まり続ける不死者。その根本が途絶えてしまえば――姿と魔力を維持できなくなるはずだ』
それが不死者の死、成仏だ。
あのゲル状の魔族が初めて愛を知り、それを失い消えてしまったように……。
形状を保てなくなり、塵すら残らず消えるだろう。
けれど、彼女から想い人の記憶を消し去れば――おそらく、存在を維持できる。
ギルハルトという特定の相手ではなく、想い人がいたという記憶さえ維持すればバンシーとしての器を守れるのだ。
そう告げようとした私の瞳を見て、彼女は言った。
「優しいのですね」
『そんなことはないさ。私は――魔術で君の心を傷つけたんだから』
少しだけ、後悔をしていたのだ。
選んだのは彼女だ。しかし本来ならあり得ない筈の選択肢を与えてしまったのは私なのである。
「いえ――仰らないでください。あなたは本当に……優しい方なのですね。百年前の魔帝ケトス様はもっと恐ろしい存在だと聞いていたのに……」
『最近、私もいろいろと丸くなったのさ。前以上にね』
そう。
人間と深くかかわるようになって、確かに変わっていた。
魔族と人間はもはや直接の争いをしていない。
無駄に争うつもりも、今はなかった。
「でも、いいのです。この悲しみもあの人が残してくれた大事な心なのですから。わたくしは、たとえ自身が消えることになっても……一方通行の恋だったとしても、それでもあの方との思い出を、別れを、この感情を大切にしたい。そう思っておりますわ」
将来の消失を決心したのか。
彼女は力強く、けれど寂しそうに笑っていた。
「マーガレットさん、でしたわよね。よろしかったらしばらくウチの冒険者ギルドに在籍しませんか? もうあの方を追うつもりもありませんし――わたくしも暇になりましたから、おそらく力のコントロールのお手伝いをできると思いますので」
「それは、まあ助かるっすけど……」
マーガレットは頬をぽりぽり掻きながら私をちらり。
許可を求めているのだろう。
どうしたもんかと悩んでいると。
「もちろん、お世話になったぶん。お二人の滞在費はこちらでお持ち致しますわ。ギルド登録の諸経費も、クエストなどのサポートも全てこちらで持たせていただきます。みなさんには、内緒ですけれどね」
精一杯の作り笑顔である。
『そこまで言われたら、まあ』
「断る理由もないというか、こちらも嬉しいんすけど。大丈夫なんですか?」
条件が良すぎるのだ。
それほど感謝をされているという事なのかもしれないが。
「心の整理もしたいので、少し、お二人への恩返しという形で仕事に没頭したいのです。駄目、でしょうか?」
そう言われてしまったら断ることもできず。
私とマーガレットはしばらく、このギルドに滞在することとなった。
◇
その夜、ギルドマスターが宿舎を用意してくれている間。
外食レストランの眺めがきれいな一等席。軽い食事を済ませていた私たちは、お肉味の重い息を吐いていた。
衝撃的な出来事だっただけに、私達にしては珍しく、あまり食が進まなかったのだ。
カチリ。
豚の丸焼きを平らげて空になった皿を眺め、マーガレットはつぶやいた。
「大丈夫っすかね、あの人」
『まあ、仕方ないさ。私達にはどうすることもできないだろう。しばらく様子を見よう』
デザートの山盛りアイスを平らげた私は、しんみりと言葉を返した。
追加オーダーの、こんがり贅沢キャラメルソース大盛プリンにスプーンを通し、また再び息を漏らしてしまう。
『私達は私達の目的を果たすしかないさ。誰が悪かったわけでもないんだ。きっと、彼女も……時間が解決してくれるさ』
「そう……っすね」
それは彼女の消滅も意味していたが。
不死者がこの世に未練なく留まり続けるよりは、成仏するなり、転生をしてしまった方が良いのだろうと私は思う。
夜。窓の外では平穏な日常が続いている。
幸せそうなカップルが手を繋いで歩いている。
つい、そんな平穏を偲んでしまうのも仕方のない事だろう。
猫となってしまった私には深く理解できないが――。
愛という感情はきっと、尊いものなのだろう。
時に、なによりも優先してしまう感情なのだろう。
自身の消失を受け入れたとしても、それを忘れたくない程に……大切な心なのだろう。
だろう。だろう。だろう。
憶測ばかりが猫となってしまった私の胸を伝う。
私にも、かつては愛という感情があったのだろうか?
分からない。
分からないが――。
もしそうだとしたら、既に忘れたことさえ忘れてしまった私には……大切な何かが欠けているのかもしれない。
それが少しだけ、寂しいのだ。
まあ、思い出せないモノを悩んでも仕方がない。
私には何よりも大切な魔王様がいるのだから。
それさえ忘れなければ――それでいいのだ。
と。
いつの間にか空になっていたプリンの皿の底のキャラメルソースを魔力で掬いながら、私はそう思った。
しぺしぺしぺ、と猫の肉球を舐める。
『さて、じゃあ食事のシメに焼きおにぎりでも食べて、帰ろうか。たぶん、そろそろ宿舎の準備もできているだろう』
「はい、ケトス様」
彼女は元気な姿を見せようとしているのか、にっこりと笑った。
本当に良い子だと、私はヒゲを少しだけ揺らした。
そんな私たちの横で。
店の料理長が涙ながらに大量の焼きおにぎりを積んだ皿を持ってきて。
「あのう、もうラストオーダーの時間……とっくに過ぎてるんで。そろそろこの大量注文を、勘弁してほしいのですが……」
ふと外をじっくり見ると。
確かに夜も深い。
カップルがいるんじゃなくて、カップルしかいないのだ。
あれ……これ、もしかしてギルドマスター・ナタリーの紹介だったから追い出されなかっただけで、かなり無理をさせていたんじゃ。
ダラダラダラとジト汗が伝う。
マーガレットも今回の件でうっかりしていたのか、同じ思いの様で頬に一筋の汗を滴らせている。
料理長兼店主さんはとても悲壮な貌をしていたので。
ちょっぴり反省しようと思うのであった。
とりあえず、こっそりと。
どんな不運さえも払う最上級の商売繁盛の祝福をかけておいたから、まあ許して欲しいモノである。




