野ケ崎カナメは考える その1 ~修行の成果~ 【SIDE:プレイヤー野ケ崎】
【SIDE:プレイヤー野ケ崎】
地獄の修行から解放された異能力者。
野ケ崎要は、久々の帰宅で疲れた体をシーツに落としていた。
ふぅ……と漏れる息が、垂れた前髪を揺らす。
黙っていれば人が振り返るほどには、整った顔立ち。
一人でいるときのほうが精悍に見える男の、薄い唇も揺れる。
「オレの愛するプリースト戦記。夢が現実化した世界、か」
しかし、男の漏らす言葉に応える者はいない。
パートナーのでち助は長時間にわたり顕現していたので、機械の中に戻っている。
いつでも、どこでもどちらの意志でも自由に顕現できる。
が――たまには一人になる時間も必要。
それが二人のルールだった。
一人の部屋で、神父は終わりを知らないLEDの光に向かい――腕を伸ばす。
(上には上がいる……ってことだろうな)
あの規格外の黒猫。
大魔帝ケトスと数日、共に暮らしそれを実感した。
(どれほどに腕を伸ばし、必死に掴もうとしても――アレには絶対に、届かない)
笑みがこぼれた。
あまりにもかけ離れた先にあるものを見たせいか、男の心は風のない海。
凪ぎのように……落ち着いている。
「一番、か。オレは何をムキになっていたのだろうな」
男は自らの口からこぼれた諦めに、満足していた。
その脳裏に、様々な思いが走る。
まるでそれは走馬灯のようだった。
ゲームの中ではいつでも一番だった。
けれど、ひとたびそれが現実となったとき――世界は黒く染まる。
現実世界で一番になれることなど、それこそ子供の時だけだった。
自分がごく普通の存在、ただのモブであったのだと知ってしまうのだ。
それはまだ。
彼が中学生になったばかりの記憶を思い出させていた。
小学生だったときはライバルも少ない。
本気で努力をすれば一番になれた。
勉強も、運動も、遊びも……死に物狂いで腕を伸ばせば――手が届いたのだ。
仕事ばかりだった母は、そんな息子を喜んでいた。
――まあ、今日も一番だったの。すごいわ。偉いわ。さすがあたしの子供。
――あたしとあなたを捨てて行ってしまった、あんな男の血を引いているのに、要ちゃんは偉いのね。
母は去った男の背を夢想しながら、疲れ切った我が子を抱く。
今となっては、子供に離婚した父の憎悪をチラつかせる母の歪みがよくわかる。
それでも、当時の野ケ崎はこどもだった。
母が喜ぶのなら、一番になる。
ならなくてはいけない。
そう、義務感に似た親孝行を胸に抱いていた。
一番にならなくてはいけない。
それはひどいプレッシャーだった。
それでも、小学生の時はよかったのだ。努力が実り、一番になれるのだから。
けれど。
中学生になればそうはいかない。
単純に分母が増えるだけで、どんどんと一番から遠ざかっていく。
どれほど努力しても二位どまり。
当たり前だ、人間だれしもが神童や天才ではないのだから。
同じ努力でも分母が増えれば、結果が変わってくる。
野ケ崎少年は一位になった同級生を羨んだ。
自分より才能があったのかもしれない。
自分より、努力をしていたのかもしれない。
どちらにせよ――。
小学生の時になれていた一番には、なれなくなっていた。
――ねえ、どうして一番になれないの? お母さんのことが嫌いなの?
――ねえ! あんたもあの男のところに行きたかったの!? ねえ、あんたはあたしを裏切らないわよね!
――ねえ! 早く一番になってきて頂戴! お母さんを、安心させて頂戴!
時は流れた。
高校生になった時には、すでに凡人だった。
母はマンションに帰らなくなった。
長身だったせいか、高校生になったばかりでも野ケ崎は大人に見えた。
だから、誰も不思議には思わなかったのだろう。
まだ子供ともいえる高校生が、一人で生活をしていることを。
父に事情を話したら、金をくれた。
新しい家族がいるから。
もう二度と連絡をするなと。
それは手切れ金だったのだろう。
母が帰らなくなったマンションで、野ケ崎は偶然とあるゲームと知り合った。
プリースト戦記。
聖職者をコンセプトにした、中堅以下のゲームだった。
それもそのはずだ。
聖職者に注目したゲーム。特徴はただそれだけ。
誰がそんなゲームをやるだろうか。
高校生だった男はパソコンモニターの光の中で、苦笑を浮かべていた。
案の定、つまらないゲームだった。
けれど、つまらないながらも、その中には温かみがあった。
モニターの中で動く草木、流れる川。中世ファンタジー世界の、ありきたりな世界観の城下町。
いつしか男はゲームの虜となっていた。
プレイヤーの数も少なかった。
だから、一番にもなりやすかった。
あんなに苦労しても一番になれなかったのに。
ゲームでは一番になれた。
どれほどに過疎化したゲームでも、一番になるのは難しい。
上には上がいる。
けれど、なんの悪戯か――男はゲームの天才だった。
一番になれる唯一の世界に、没頭した。
高校にも通い、けれどゲームでは一番になり。
そんな一年が過ぎて。
アレは再び現れた。
記憶の片隅で女の声がした。
酷く怖くて、けれどどうしても忘れられない女の声。
一番身近だった女。
その名は、母。
――なによ、その顔は。
女は言った。
酷く執拗で、ねばついた女の吐息がする。
酔っているのだろう。
女は義務的な声で、野ケ崎に学力テストの順位表を見せるように言う。
父に、促されて仕方なく来た。
そんなところか。
ゲーム三昧でも二位を保っていた順位表を見せ。
野ケ崎は女の顔を見た。
女は子供の顔を見てはいなかった。
――悪い子ね、どうして一番になれないの?
過去の自分が申し訳ありませんと、頭を下げる。
母だったアレは、一番になれないと意味がないと、過去の自分の努力を一蹴する。
呆れた顔を見せている。
けれどその顔は自分を見ていない。
――もういいわ。お母さんね、再婚することにしたの。
一番になれないわが子に興味はない。
そう言いたげな顔で、二番目の成績表を握りつぶす。
潰されていく努力が悲鳴を上げていた。
――このマンションもあの男が残したお金も、全部おいておくわ。
――だから、あたしのことはもう、忘れて頂戴。
高校生だった野ケ崎は考える。
ああ、これは一番になれなかった罰なのだろうと。
自分がもっと頑張れば、未来は変わったのだろうかと。
――お母さんね……ううん。あたしね。幸せになるから。あんたたち父子に潰されちゃった人生を取り戻すから。
――だから、一番になれなかった悪いあんたを許してあげる。
野ケ崎は、最後に女の顔を見た。
そこに母性はない。家族としての情もない。
もう、諦めた。
野ケ崎は、もういいですか? と、モニターに目線を移す。
そこには優しい世界が広がっている。
美しい世界が広がっている。
――もういいですか? って。なによ、それ。あんた! あの日のあの男と、同じことを言うのね!
――別れの言葉も、満足に言えないっていうの!?
母だった女が、赤く塗りたくったルージュを蠢かす。
――あんたなんて、産むんじゃなかったわ。
それが別れの言葉だった。
けれど。
もう少年の瞳も意識もそこにはなかった。
ただ無言でモニターを眺めているだけだった。
プリースト戦記。
ここだけが、彼の世界だった。
◇
現実となったプリースト戦記の世界。
父と母が残したマンションの檻の中。
野ケ崎は考えた。
大人になった今だからわかる。
あの母は母親という職業に不適格、おそらくひどく不器用な女性だったのだろうと。
そう理解していた。
父と母が残したマンションの、父と母の残した財産の一室。
そこが彼の生活空間。
家を残してくれるだけ、まだ彼らは親の義務を果たしていたといえるだろう。
そう前向きに考えられるようにもなっていた。
晴れ晴れとした気分だった。
修行で身に着けた異世界の魔術を試すべく、野ケ崎は長い腕を伸ばす。
「魔猫魔術:素材変換」
七重の魔法陣が発動する。
装備していた神父服が、部屋着のセーターに代わっていた。
肌触りのいいセーターだった。
感触がある。
やはりこれは現実だ。
もう一番にならなくていい。
そう思えるようになったことが、なによりの修行の成果かもしれない。
そんな感想を抱いて、男は精悍な顔立ちに笑みを作る。
十年経ってようやく、気持ちに整理がついた。
昨日までのハチャメチャな修行を思い出し。
言葉がこぼれた。
「あいつら、本当に異世界の住人だったんだな」
『だーかーらー、そうだって言っているだろう?』
(な……!?)
耳元で声がした。
慌てて飛び起きると、ネコのひげが顔にぶつかり僅かな痒みが肌に走る。
ビシっと来訪者を指差し、野ケ崎はコミカルに吠えた。
「大魔帝ケトス! なぜ貴様がここにいる!」
『弟子がどういう場所に住んでいるのか、師匠として興味があっただけさ』
どや顔をしたネコが、ニマニマ。
童話の猫のような顔で、男の言葉を待っている。
師匠であり、恐ろしき存在。
けれど男は知っていた。
邪神かもしれないが、この猫はドがつくほどのお人よしだと。
しかし、それと不法侵入は別問題。
腕を組んで、男は眉間に濃いしわを刻み。
ぶすっという。
「で、実際はどうなのだ?」
魔猫は部屋の中を物色しながら。
にひひひ!
『君さあ、ゲームはそこそこやるんだろう? 今度夢の中にゲームを持ち込もうと思っていてね、なんか貸してもらおうかなって!』
「よかろう、魔猫よ。オレと対戦しようではないか! 勝ったらくれてやる」
野ケ崎は思う。
どうせ異世界人にゲームなど不向き。
修行とはいえ、さんざんボコボコにされた恨みを晴らしてやる!
と、そんな企みが浮かんでいた。
(ふはははははは! 愚かなり、大魔帝! わが領域で、存分に勝ち誇ってくれるわ!)
ゲームが開始された。
◇
ぷよっぷよっとスライムが落ちる。
今、野ケ崎と大魔帝が対戦していたのは、いわゆる落ちものパズルゲーム。
同じ色のスライムを四つ揃えて消す。
そんなごく一般的な、ゲームであったが。
男と魔猫の周囲には、魔力と覇気がゴゴゴゴゴ!
真剣勝負が続いていた。
「ふはははははは! 見よ! この華麗なる十四連鎖!」
『おー、すごいね。はい十四連鎖』
激しい応酬。
男は思った。
(こいつ……っ、素人じゃない!)
と。
魔猫は瞳を赤くギラギラさせて、モフ毛を膨らませ――。
くははははは!
カタタタタ!
器用に肉球で操作するコントローラーが、カチャカチャ音を鳴らす。
戦況は――プレイヤー野ケ崎の不利。
「な……っ、おい、待て! まだ次の弾が育って……な!?」
『はい、追撃!』
「発火点を潰すとは卑怯だぞ!」
カチチチチチ!
ゲームでは負けないはずなのに、負けている。
けれど、そこには前にあった一位への妄執はない。
結果は、二勝三敗。
大魔帝ケトスの勝利である。
「ぐぬぬぬぬ! オ、オレがゲームで負けただとぉおぉぉぉ!」
叫ぶ男を眺めて、魔猫はぬふふと笑みを浮かべる。
モフモフしっぽの先をくるりと回し。
ぶにゃははははははははは!
『まだまだ甘いねえ! 私がゲーム勝負を挑んでる時点で、勝機は私のほうにある! 最新の格闘ゲームだったらやりこみの差で負けていただろうけど、これなら基本は一緒だからね!』
言って大魔帝はゲームを回収。
亜空間へと収納する。
「どういうことだ、素人ではなかったな!」
『素人は素人さ。ただちょっとゲームが得意なだけでね。情報の秘匿は必須。先入観は危険。これも修行の一環さ。これが魔術の戦いなら君はもう死んでいた。相手が達人級だっていう可能性をいつでも考える。そういうやり取りも大事だって訓練で教えただろう?』
まったくもってその通りだった。
回収されていくゲームを眺める男の瞳に、後悔はない。
ゲームだけがすべてではないと修行で知った。
いや、思い出した。
しかし。
それと、勝負に負けたことは別問題。
野ケ崎要はギラっと魔猫のどや顔を睨み。
ぐぬぬぬぬぬ!
「というか、キサマ! なぜこんなにゲームがうまいのだ。異世界人だろうが!」
『ま、私にもいろいろとあってね』
魔猫は顔をシリアスに切り替えて。
告げる。
『それよりも、これからしばらくしたらお客さんがやってくる。おそらく、君を殺すか捕らえようとしてくる敵。異能力者だ』
「それはいったい、どういう」
言葉を遮り。
魔猫は外から入ってくる黄昏色を抱いて。
やはり、告げる。
『今、この世界は君の願望の世界。聖母が生み出した、いびつなドリームランド』
ぞっとするほどの黒い声で。
ネコは言葉を語り続ける。
『野ケ崎要。わが弟子よ、私は一度修行をつけた命、懐に入った魂を失うことを好まない。それがたとえ、庭に這うアリのごとき小さな光であっても。だからどうか、お願いだ。修行の成果を見せておくれ。私を人殺しにさせないでおくれ。私に、君の強さを見せておくれ』
告げた魔猫の影が消えていく。
本体も、闇に溶けるように消えていく。
「突然なにを意味の分からぬことを!」
『影から私は見ている。いざとなったら助けてあげるよ。たとえ、何を犠牲にしてでも――ね』
それは。
本気を示す魔猫の警告。
声も姿も、闇の中へと完全に飲み込まれ。
ざざざ、ざぁああああっぁぁぁぁぁ!
消えてしまった。
いつもの部屋、一人きりの空間で男は叫ぶ。
「おい、こら! 言いたいことだけを言って、勝手に消えるんじゃない!」
返事はない。
時刻は夕方。
黄昏色が、カーテンの奥で揺れている。
野ケ崎要は考える。
異能力者が暴れている、ということか。
つい最近まで自分がやっていたことだ、ありえない話ではない。
魔猫の言葉が、男の脳裏で反芻される。
彼は言っていた。
――いざとなったら助けてあげるよ。
と。
魔猫は同情するように口を動かしていた。
まるで、弱った子猫を眺める救世主のように……。
自分の中の何かが、相手の庇護欲を誘ったのかもしれない。
ならば、襲われたとしても危機となれば助けてくれるのだろう。
しかし。
こうも言っていた。
――たとえ、何を犠牲にしてでも、ね。
と。
おそらく。自分が危機を乗り越えないのなら、助けてくれる。
そういう事だろう。
しかし。
なぜだろうか。
一瞬。背筋になにか、冷たい感覚が走った。
酷く、心が落ち着かないのだ。
魔猫の言葉を繰り返し思い出す。
何を犠牲にしてでも。
助けてくれる。
それはつまり――言い換えれば。
(相手を殺してでも、ということか? いや、まてっ。ここは、MMOではない。現実なのだろう?)
修行をした数日。
そこから考えが浮かぶ。
ふと浮かんだ恐ろしい考えが、離れないのだ。
相手は異世界の住人だ。
価値観の違い。
常識の違い。
人の生死に対し、ドライな感情を抱いているとしたら?
自分のせいで、人が死ぬ?
男の喉がごくりと鳴る。
その瞬間。
気配が、マンションを取り囲んだ。
現実という名のゲームが、始まった。




