【SIDE:ラヴィッシュ】ウルタール防衛戦 ~始まりの猫ホテル~
【SIDE:ラヴィッシュ】
掴みどころのない女神の降臨。
未曾有の危機が迫るこのウルタールを守るため動き出したのは、三獣神。
これは――その裏の物語。
あれから一時間が過ぎている。
少女は影猫に案内されながら宿屋に向かい、足を運んでいた。
王への報告は神狼ホワイトハウルがしてくれる、ということで。
少女ラヴィッシュはホテルにチェックイン予定。
疲れた体を休めるため、教会近くの宿を取る事となっていたのだ。
別に教会に泊まっても良かったのだが……。
先日の落胤の姫クティーラの襲撃により町はまだ荒れている。教会に治療の御手を求め、神父たちを訪ねてくるものも多い。
人の出入りが激し過ぎる、それが危険と判断されていた。
なにしろ彼ら、海に生きるクトゥルー神の眷属は擬態能力を持っている。
襲ってこないまま忍び込み、それを退治したら人殺し!
などと騒ぎ立てられたりしても面倒。
荒れる事は目に見えていた。
なので人間である少女は一旦、あの教会を離れる事となったのである。
もちろん、関係者という事で護衛付きだが。
ホテルへの道を歩く少女は考える。
(ヤギであり外なる神シュブ=ニグラスであり、異世界の聖母だったらしい女神アスタルテ――か)
聡い少女ラヴィッシュ。
今回の事件は、その賢き理解力の範疇すら超えていた。
けれど、とりあえず破天荒な神だという事だけは理解できた。
そして、今。
この世界に新たな危機が迫っているという事も。
(けど、本当に訳が分からないわね。あたしを転生させたのが、あの白山羊様ってこと?)
考えても答えが分からないのは、分かっている。
何故なら転生という概念は未知の領域。
死した魂が新たな命として戻ってくる、そんな現象についての学問も研究もあまり進んではいないのだ。
少女は考える。
じゃあ、あの夢はもしかして?
その夢の中で見る自分の猫の手。そして、頼りなかったあの黒猫は……。
(もう、泣かないで)
魂から、声が漏れた。
気がした。
ざざざっと、ノイズが走る。
冷たい路地裏。
動かぬ骸を大切そうに抱き、そして。
世界を睨む赤い瞳の黒猫が見えたのだ。
骸の自分が、佇む黒猫を死んだ瞳で眺めている。
(あなたのせいじゃない、だから、もういいのよ)
無意識に、手が伸びていた。
慰めてやりたいと、手を伸ばしていた。
けれどそれは叶わない。
この時の自分は動かぬ骸になっていたのだから。
(先に死んでしまって……ごめんなさいね。寂しがり屋で、弱いあなたを残して死んでしまって……あたしって、ダメなネコよね)
自分も知らないあの日の想いが、魂の中で燻っていた。
少女は思う。
やはりこれは、自分も知らぬ遠い過去の記憶だと。
そう確信したのだ。
もう終わった話。
悲劇で終わった物語の筈なのに……。
けれど今、何もない空間に手が伸びていて。
一瞬。
自分の手が、焦げたパンの色に見えてしまった。
少女は、ハッと驚き――現実へと思考が戻っていく。
うがぁぁぁっと叫んでいた。
「だぁあああああああああああぁっぁぁあ! 今は考えたって仕方ないでしょ! とにかく! 今は休む! いつ敵が攻めてくるか分からないんだから」
道案内する影猫が、うにゃ?
首をこてんと倒して、変な娘だニャ~っといった表情を見せている。
「ご、ごめんなさい。はははは、ちょっと……うん、取り乱したわ」
問題ないと判断したのか、猫は頷いた。
護衛も兼ねているだろう影猫はホテルの玄関に向かい、六重の魔法陣を展開する。
螺旋を描き、複雑な魔術文字の刻まれたソレは――少女も初めて目にする魔術。
異世界の魔術形式なのだろう。
魔術師の端くれとしては、大変興味深いのだが。
影猫が、うなんなと声を上げる。
「もう開いているって事? はいはい、開けますから。そんな目をして睨まないで頂戴。って、なんであたし……ネコと会話ができているのかしら」
それはたぶん、自分は遠い過去で猫だったから。
もはや少女は気付き始めていたが、認めるのもどうかと思っていた。
気を取り直して、少女は影猫の案内に従い扉を開く。
獅子の顔をしたノッカーのついた、豪奢な扉である。
既にこのウルタールは猫の世界。
大魔帝ケトスを名乗るあのドヤ顔魔猫、彼の偉大なる異神の支配領域になっているのだろう。
ホテルの中は猫で溢れていたのだ。
モフモフなネコ達が、それぞれがそれぞれの縄張りで寛いでいる様子が分かる。
受付には、メガネをかけた執事姿の猫がいて。
少女ラヴィッシュの顔を見て、ニヒィっと微笑んでみせる。
「ラヴィッシュ様ですにゃ? お話は伺っておりますニャ、ささ、どうぞ。中にお入りください」
「えーと、ちょっと待って! 仕事だから安い部屋でお願いしたいの。あと、料金証明になる書類も欲しいのだけれど……」
ちゃんと規則を守る少女に、猫のホテルマンはブニャハハハと笑う。
「なにを仰いますか! あにゃたさまは我らが魔猫王のお知り合い。料金などいただけませんので、どうぞお気軽に心行くまでお休みくださいませ!」
「え! ちょっと! あたし、本当に安い部屋で!」
構わずホテルマン猫が、自らの胸の前で肉球を合わせ。
パンパン!
ネコ達が、一斉にラヴィッシュを見つめ。
うにゃははははは!
全員が口を開く。
「ご謙遜は美徳!」
「けれどいやはや! ここは我らのルールに従って貰いますニャ!」
「それでは、お客様をご案内ニャ!」
次元が歪み……ぎしり!
一瞬だった。
少女はホテルの特別室に転移させられていた。
「待ちなさいよ! あたしの話も……って、もういないし」
おそらく、ただの使い魔だというのに――強大。
その魔力は師匠の紅魔女オハラを軽く超えているだろう。
(次元の跳躍? いえ、支配地域のみを移動させる商人系のスキル、かしら……)
少女は落ち着かない様子で部屋を見渡す。
プリンセスが過ごすような豪奢な部屋。
そこには先ほどのホテルキャットマンが、室内を案内するべくニコニコと営業猫スマイルを浮かべている。
皇帝たちが使うような部屋に案内された少女は、ブスっ。
ホテルマンを睨む。
「ありがたいけど、ちょっと乱暴ね?」
「ぶにゃ? これは申し訳ありません」
恭しく礼をしているが、その顔は状況を楽しむネコの顔だった。
そのまま猫の口が、長いヒゲごと動く。
「けれど、我等が魔猫の君のご友人、ロックウェル卿様にも言われておりまして、はい」
「ロックウェル卿ってあの神鶏よね」
教会で出逢った、回復魔術の達人だというモコモコな羽毛が特徴的なニワトリ。
偉大なる異神である。
ランプに灯りをつけたホテルキャットマンは、部屋の中を確認。
ビロードのようなモフ毛を、部屋の照明で輝かせ告げた。
「はい、あの方もまた偉大なる御方。我等が魔王陛下の忠実なるしもべにして、最強の一角。そんなあの方が仰ったのです。ケトスには内緒で構わぬ。絶対にあなたさまをここに泊めて、守り、もてなしてコケ――と」
「コケって……まあそれはいいけど、守るってどういうこと?」
疑問を浮かべる少女に、ホテルキャットマンは言う。
「さあ、けれどあの方は無限に広がる未来を眺める御方。おそらく、あなたさまが狙われる未来を予言して――」
「ん? どうしたの――」
言葉が止まる。
不審に思い、問いかけようとしたその時。
少女もまた、ホテルキャットマンと同じく言葉を止めた。
「お客様、申し訳ありません。どうやらこの部屋、既に張られていたようですニャ」
「そのようね――」
言って少女は魔導の杖を顕現させた。
◇
室内の奥。
水浴びの出来る部屋だろう場所に、気配がある。
声がする。
ふんぐるい。ふんぐるい。
その先は聞き取れないが、詠唱だろう。
仄暗い水が、周囲に広がるような空気だった。
少女は知っていた、これはサカナヘッドの気配だと。
「誰! 味方ならすぐにでてきなさい! 敵なら、そのままでいいわ」
誰何の声に、反応はない。
ホテルキャットマンが客を守るように、スッと前に立ち。
「お客様、お下がりください」
「分かったわ」
ここで賢くない少女だったら、言葉に従わずあたしなら大丈夫!
と、従業員を困らせていただろう。
けれど少女は知っていた。
上には上がいる。いくら自分がそこそこ戦えるとはいえ、驕りは捨て去るべき。
そして。
おそらく、もう一度自分が守られることなく死んでしまったら、あの人が悲しむと。
(あの人って、誰よ……)
自問自答してしまう。
答えはすぐに浮かんできた。
おそらく、それは――。
夢の中で見た黒いあの猫。
ノイズの中――世界を憎悪し、嘆き悲しむあの黒猫。
そういう事だろうと。
少女はボサボサの髪を揺らし、はぁと肩を落としていた。
「お客様? 大丈夫ですかニャ?」
「ごめんなさい、今はこちらに集中するわ。それで、どうすればいいのかしら」
冷静に答える少女に、ホテルキャットマンは満足げに頷き。
「自らの防御ができる魔術をお持ちなら、強化をお願いします。わたくちは、招かれざるゲストを消し炭にしてきます」
「勝てそう?」
「にゃふふふふ、我等は魔猫王様の部下。それなりの働きはさせて貰いますニャ!」
言って、猫は巨大な魔猫と化し――モフ毛をぶわぶわと膨らませる。
ホテルキャットマンが手にした鈴を鳴らし、チリンチリンチリン!
ぐしゃあぁあああああああああああぁぁぁぁ!
次元を圧縮するような、重力波動を発生させる。
同時だった。
バスルームから、腐った魚の匂いが飛び出してくる。
更に同時だった。
身構え、緊張に肌を汗で滴らせる少女の足元が揺れる。
影が、蠢いたのだ。
「え!? ちょっと、なに! 敵……っ!?」
「いえ、これは――あの方の部下ですニャ!」
少女の影から次々と飛び出してきたのは、カボチャを被った二足歩行の猫達。
その属性は、異世界ネコ。
それぞれに釘棍棒や、名状しがたい形をした鈍器を装備している。
「ニャニャ! 釘バットやバールを装備したカボチャ猫、これはあの方が異世界から招き入れた戦力、ハロウィンキャットですにゃ」
「なんか、結構禍々しい魔力を持っているけど……つ、強いの?」
ホテルキャットマンは少女への防御結界に行動を切り替え、ニヒィと微笑む。
「はい。異世界の魔族、脅威と畏れられた蜂女王さえも倒したと聞きますからニャ! おそらく、ケトス様があなたへの護衛に、既に潜ませていたのでしょう」
ホテルキャットマンの解説に耳を傾けながら、少女は戦力強化の魔術を詠唱。
せめて支援だけでもと思ったのだが。
やっちまえ! 袋にしてやんよ!
と、猫の言葉で唸りながら、カボチャ頭のネコ達がぞろぞろぞろとバスルームに突撃。
尾の先を揺らしながら、ボコスカドコスカ!
滅多打ちにしているようである。
いあいあ! いた、うげ。ふぃぎぃぃぃぃぃぃぃ!
敵は詠唱を妨害されている様子で。
一方的な戦いとなっていたようだ。
少女は彼らの強さを確信していた。
「って。この子達……一匹一匹が先生より、強いし……。はぁ……こういう護衛の子に頼んでいたのなら、先に教えてくれれば良かったのに」
愚痴る彼女の足元。
少女の影からネコ手を伸ばし、モソモソっとメガネをかけたネコ達も顕現。
学者の帽子を被った賢そうな猫達が、魔導書を展開!
うにゃにゃにゃにゃ♪
神狼、ホワイトハウルの結界と比べると大きく劣るが。
それでも尋常ならざる分厚さの結界を構築し始めている。
ホテルキャットマンが言う。
「彼らは学者ネコ。あるいは、司書猫。魔導書や魔道具を得意とするあの方の眷属ですニャ~」
「そうみたいね、てか……あたしの影にどんだけの猫がいるのよ……」
知らない間に、既に守られていたらしい。
その事実を把握したからだろうか、少女の顔には苦笑が浮かんでいた。
もう、心配性なんだから……と。
先ほどの言葉を問いかけと判断したのか。
ホテルキャットマンが重力結界を追加しながら、尻尾の先をくるん♪
「おそらく……エイトビットキャッツ。二百五十六匹ぐらいの魔猫護衛が、あなたさまの影には配置されています。どうしますか? もっと護衛の量を増やすのなら、即座に、我が主に連絡を入れますが」
「いえ、大丈夫。というか……二百五十六って、多すぎじゃないかしら?」
護衛の猫達に囲まれた少女はそう思うが。
魔猫達は、一斉に少女を振り向きこう言った。
「いいえ」
「麗しの君。魔猫王ケトスさま」
「あの方は女性と子供の死を、なによりも嫌う」
メガネを光らせた、学者ネコが続ける。
「怠惰なりしも、いと慈悲深き御方」
「ネコを守護する深淵の神」
「我等はあの方の心を尊重する。我等はあの方の望みを叶える。我等はあの方に忠義を尽くす」
ちゃぽん……っ。
まだ見ぬ護衛魔猫が、影の中から顔だけを出し。
猫口をニヒィっと蠢かす。
「故に、我等は貴方を御守りします」
「あなたは死なない事を第一に考えるべきでしょう」
「もし、あの方に感謝を覚えているのなら。それがあなたのなによりの使命なのです」
モフモフ猫達が、影に潜み邪悪に嗤う。
彼らは歌うように言って。
ブニャハハハハハハハハハ!
ウルタールの街が、揺れる。
街のあちこちから、猫が哄笑を上げた影響だろう。
既にここは猫の世界。
魔猫の国。
無数の眷属が配置された、ネコの街となっているようだ。
ホテルキャットマンが、恭しく礼をして。
少女に言う。
「どうか、ご安心くださいお客様。この世界は既に我等が主、ケトス様の支配下」
新たなホテルキャットマンが顕現し。
同じく恭しく礼をして言う。
「少々お待ちください。すぐに侵入者を片付け、結界を強化致します」
「それまではどうか――我らの魔術をご観覧くださいませ」
「ささ、どうぞ。いま温かい紅茶でも用意しますので――ごゆるりと」
モフモフな毛玉が、次々と行動を開始する。
ウルタールの国に猫の勝ちどきが響き渡る。
影に落ちた街を、縦横無尽に駆けているのだろう。
少女は言葉を失いつつあった。
猫の進撃はまさに壮大。
圧倒的だったのだ。
それでも、状況を陛下に報告する義務がある。
少女は遠見の魔術で外を見た。
ただ、黒がそこにあった。
いや。違う。
これは猫の背中だ。夜を包むほどの猫が、赤い瞳を輝かせて振り返る。
世界がその猫の肉球の上にあった。
巨鯨猫神。
まるで鯨のように大きな黒いネコが、ブニャハハハハとウルタールの国を覆っていたのである。
「神父……?」
呟きに、黒く巨大なネコの影がゆったりと瞳を閉じてみせる。
肯定だった。
「そっか、やっぱり……あなただったのね」
その言葉は、今の光景を示していたのか。
それとも――。
少女の口元が、僅かに緩んだ。
「じゃあ、あたしはやっぱり……」
少女は闇へと手を伸ばす。
あの日、届かなかった手を伸ばす。
(あなたはまだ、気付いていないのかしら。うん。そうね、きっとまだ。気付いていないわ)
焦げパン色だったあの思い出が、彼女の魂に蘇る。
そして。
彼女はこう、思った。
(だって、気付いていたらあなた――きっと、あの時みたいに泣いたでしょうから)
――と。
魔猫で満ちたウルタールに、魔術波動が飛び交い跳ねる。
殲滅はたった五分ほど。
師匠よりも強いネコ達は――街を奇襲した敵を、いともあっさりと葬り去ったのだった。
静かになったホテル。
護衛のホテルキャットマンに差し出された紅茶を飲み。
夜空を見上げた。
少女は祈ったのだ。
かつて共に冷たい路地裏で過ごしたあの人が。
この戦いに勝てますように――と。




