【SIDE:見習い魔女ラヴィッシュ】王都襲来 ~わんニャン無双~
【SIDE:ラヴィッシュ】
焼け落ちる天井、炎上する廊下を進む逃走劇。
学生寮を駆け――。
生存者を回収しながら進むのは、二つの影だった。
一つは優秀な生徒。
犬のようなボサボサな髪を揺らす少女ラヴィッシュ。
そしてもう一つの影。
それは少女の案内を受け、共に駆ける長身痩躯の美壮年。
黒衣に身を包んだ謎の神父ケトスだった。
生徒達の数人は既に回収済み。
ノイズを走らせ影を蠢かす神父の魔術なのだろう――。
自らの影の中に、炎の中で気絶していた生徒達を収納したのである。
はっきりと次元が違うと分かる男――。
逸脱者である神父ケトスの背を眺め、少女は考える。
(影の中に他人を収納できるなんて……だから神父、あたしの収納魔術に驚かなかったのね)
倒れていた生徒達は、魔物に襲われたのか。
はたまた正気を失い、意識も消失していたのか――。
ともあれ、気絶している生徒を運んでこの火の中を逃げるのは困難。
しかもその何人かはおそらく、ニンゲンではない。
擬態能力を持つ謎の敵。
サカナヘッドなのだ。
その判断も難しい……。
懸命な少女ラヴィッシュは、そう思っていたのだが。
(まさか、こうもあっさりなんとかしちゃうなんてね……)
『まあ私は大人だからね、それくらいはできてしまうよ』
随分と都合のいいタイミングの言葉である。
それにしても熱い。
少女は身を包むローブの中に、空気を送り込む。
(弱冷気の魔術で体温を調整しないと、炎の熱で倒れちゃうわね。神父は大丈夫なのかしら)
『私は熱耐性が高いからね、問題ないよ』
……。
ラヴィッシュはジト目で言う。
「神父、あなた――心も読めるのね……。でも、ねえ? 女の子の心を覗くって、どうなの?」
『ははは、すまない。緊急事態だからね――普段は控えているよ』
しかしならばこそ伝わっているだろう。
神父の存在に恐怖を感じてもいるが、既に信頼もしていると。
とにかく、今は助けてくれると言ってくれている男を信じるしかない。
実際。
神父は逃げ遅れた生徒を炎の中から何人も救っている。
「ねえ神父。助けてくれているのはとてもありがたいし、感謝してるけど、どうしてここに来たの――? 学生寮の場所なんて、知らない筈でしょうに」
『次元を自由に渡れる友達が協力してくれたからね、まあだいたいの場所は把握できているよ』
友達――。
「あの狼の事?」
『ああ、もう出逢ったんだね。彼はホワイトハウル。かつて偉大なる御方に共に仕えていた、私の戦友さ。言っておくが、彼を怒らせない方がいいよ。アレでかなり強いから』
「でしょうね――次元の裂け目からギラギラこちらを睨んでいるあの影……あれを初めて見た時は、さすがに腰を抜かしそうになったもの」
明らかに種族としての器が違う。
それくらいは理解している。
『さて、友達自慢は後でたっぷりとするとして――とりあえず次に生存者が居そうな場所を探そう。案内して貰えるかい?』
「案内するのは構わないし、できればこちらからお願いしたいけど」
少女は理知的な顔で、冷静に状況を判断する。
「あなたの影の中、あと何人収納できるの? 学生だけの寮といっても、まだ大勢残っている筈よ――全員が無事だったらの話だけど……少なくとも、三十人ぐらいはいると思うわ」
『ふむ……全員生きてはいるようだね、怪我人もいるみたいだが――収納人数は問題ない。このウルタールの城下町ごと収納できるスペースは余裕であるからね』
少女は考える。
さすがにそれは冗談だろうが、まだ収納できるのは確かか。
ラヴィッシュは頷き、廊下を駆けた。
今は一人でも助けるべきだ。
「ついてきて! たぶん魔法陣を展開できる広いフロアで、籠城しているんだと思うの。具体的には――、そう、避難訓練の事を考えるとたぶん食堂ね! 生徒全員が同時に集まれるあそこで、生存者が全員で結界を張っているんだと思うわ!」
『食堂だって!? そうだね、急ごう――!』
神父は何かを思い至ったのか、長いその脚が少女よりも先に、ササササ!
高速で廊下を駆ける。
心を読んで、場所を把握したのだろう。
「って!? 先に行かないでよ!」
『安全確保のためさ!』
再び駆けだした少女の鼻を、濃い血と饐えた匂いが衝く。
焼け焦げた寮内には、昨日までの生活の名残が見えていた。
次元を駆ける狼。
神父の友が魚の頭をした謎の敵を、次々に引き裂き殺して回っているのだろう――。
廊下の曲がり角に、なにかがいる。
サカナヘッドである。
魔導の杖を構える少女を制止したのは、神父の吐息だった。
『ホワイトハウル、君に任せる。私は食堂のグ……いや、生徒達の安全確保を優先する』
声は召喚に近い効果があったのだろうか。
次元が割れ、中から酷く冷たいが端整な顔立ちの軍人が顕現する。
おそらく、この狼に似た冷淡な空気を纏う男こそが――。
ホワイトハウル。
ケトス神父の友だろう。
ケトス神父を先に見ていなかったら、危なかったかもしれない。
少女はそう考えていた。
人の器を超えた美貌に魅了状態になっていただろうと、冷静に思ったのだ。
白銀の男は、ボサボサ頭の少女を一瞥し……ふんと、まるで嫉妬したような息を漏らす。
次元の狭間と現実を行ったり来たり。
酷く不安定な状態で、口をぎしりと開き始めた。
『食堂か――急がねばなるまい。ケトスよ、ここは我がなんとかしよう。必ず守るのだぞ』
『ああ、分かっている』
二人の間にはシリアスな空気が流れていた。
生徒達を守る。
その決意に燃えているのだろう。
何故かじゅるりと喉を鳴らしていたが。
少女ラヴィッシュは二人の心の高潔さに、関心を示していた。
もしや彼らは救世主なのではないか――そんな考えも浮かんだのだ。
白銀の男は再び次元の狭間に戻り、凛々しい声で宣言した。
『我が権能で空間を捻じ曲げる。後はお前が影で闇の道を作り出せばいい。我も続く――先に行け』
宣言の後。
グジョバァジャァァァアアァァァァァ!
赤。赤。赤。
断続的な光が放たれる。
人間には知覚できない、謎の攻撃である。
奥にいたサカナヘッドの悲鳴が広がっていた。
鋭い獣のツメで引き裂かれたのか。
異形なるモノの死骸が、ぐじゃぐじゃと飛び散りだしていた。
救世主……にしては、些か苛烈な攻撃である。
(なによこれ……熊に襲われた遺体よりも酷いわね……)
肉片が、あちらこちらに散乱していたのだ。
廊下の奥。
闇の中で狼の瞳が再び、ぞわりと輝きだす。
獣の咢が、ぎしりと蠢いた。
神父とあの狼。
どちらが強いのか――。
そんな疑問が浮かんだが、少女はそれを口にはしなかった。
それは禁句。
絶対に言ってはいけない禁断の言葉。
とりかえしのつかない、大戦争のきっかけになるような気がしたからである。
(あたしだって、友達と比べられるのは嫌だしねえ)
神父に心を読む能力があるのは、確か。
ならば。
読まれる前に切り替えるべきだと、賢い少女はぷっくらとした唇を動かす。
「この半魚人みたいな不気味な魔物は何なの。神父なら知ってるんでしょう?」
『残念ながら正体は不明だね。私も一度、アレの大群をやっつけた事があるけど……それっきり。ただ女神の話だと、この世界に侵入してきている敵だという事は確かさ』
女神?
考えを浮かべるより先に、ラヴィッシュは周囲に湧いた異変に気が付き。
髪の毛をぶわっと膨らませ叫んでいた。
「待って、神父! そこにまだ生きているサカナヘッドがいるわ!」
『立ち止まらないでいい、すぐに片付けるよ』
囁くように言った神父は少女の手を引いたまま。
指を鳴らす。
伸ばした影がネコの形を作り出し――闇を這い回り始めた。
ザザザ、ザァァァァァァァァ!
混沌とした空気の中、作りだされた影の猫が跳ねる――!
すれ違いざまに確殺。
次々とサカナヘッドの首を刎ねていたのだ。
その中にはスライム状のネコも存在して――。
「ネコ使い!? ていうか……あぁああああああぁ!! あなた! なによその使役している猫は!? 図書館を狙っていたスライムネコじゃない! やっぱりネコ側のスパイだったのね!」
『スパイじゃないが、まあネコの味方だってことは言っておくよ』
闇の中を這い飛び回る魔猫。
そこには肥大化したサーベルタイガーや、なぞかけを掛けてくる獅子ネコ魔獣の姿もある。
「それに、これ! どっからどう見ても、街に食料を盗みに来る猫魔物達でしょうが! あなたたち、グルだったの!?」
『グルというか、トラブルを抱えていたみたいだから説得をしたんだよ。本当なら遠征の部隊と交戦して、イイ感じに引き分けを演出。共存の道を作ろうかと思っていたんだが、先にこの急襲が重なってね。いやあ、困ったよ。こっちだって色々と計画を練っていたのに、ねえ? 酷いと思わないかい?』
圧倒的な戦力を眺めて少女はハッと思い出す。
「じゃあもしかして。図書館を襲撃したドヤ顔の黒猫ってのも、あなたの眷属だったってこと?」
『いや、それは違うとだけは言っておこうか』
悪びれもなく神父は嗤い――赤い魔力を放出。
世界を闇が覆っていく。
神父の身も黒く染まり。
広がるのは闇のみ。
神父の身体も、闇の中に溶けていたのだ。
「神父、どこにいるの! 何も見えないわ!」
『私の手を離さなければ大丈夫さ。そこに肉球があるだろう』
クイクイっと肉球が輝いている。
「肉球って……ああ、そういうこと……」
肉球をジト目で睨み、少女は言う。
「ケトス神父。あなた――噂のドヤ顔ネコ本人なのね。そりゃあ、猫の味方をするわけだわ」
『正解さ――ネコの私もそれなりにイケているだろう?』
闇の中で冗談を漏らす猫。
ドヤ顔をしたネコの影が――ズズズ、ズズズ……。
廊下全体を包み込む。
『さて――真面目な話だ。掴んだ肉球をあまり離さないでおくれ、はぐれたら回収できなくなる可能性もある。さすがに次元の隙間で餓死している君を、三十年後に回収するってなるのは御免だからね』
「わ、分かったわ」
それは冗談ではなく本当の警告なのだろう。
少女は闇から伸びるプニプニ肉球を、ぎゅっと握りしめた。
それを合図に空間が切り替わる。
あの狼が別次元を駆けたように、今、二人は別次元を走っているのだろう。
廊下だった筈の空間は変貌していた。
まるで昏くて狭い、闇の泉を進んでいるようだった。
トンネルや鉱山にも似ているか。
ともあれラヴィッシュは神父を信じ、その肉球の感触を頼りに――バシャバシャバシャ。
闇の道を突き進む。
「神父! また敵が飛んでくるわ! 泉の端が揺れてるもの!」
『君は本当に勘がいいみたいだね。私には陛下の夢座標を把握できないから助かるよ』
(座標? 陛下の――夢?)
ラヴィッシュは訝しむが、今はそれどころではない。
敵の数は、一、二、三。
いや、そんな規模じゃあない。
『すまないが私には数が把握できない――敵がどれだけいるか、分かるかい?』
「ごめんなさい、正確な数は分からないわ。でも三十は超えてると思う。魔力の束が十体……それが三列、次々とでてきているみたい!」
世界が振動している。
まるで世界そのものが咳をしているようだった。
ズズズと――再び世界が揺れる。
まるで鼻を啜る音だった。
それが召喚の合図だったのか。
サカナヘッドが再び水を纏って顕現していた。
「また増えたわ!」
『これは陛下の咳……? もしかして……まあ――とりあえず、ここに居る敵を殲滅しようか』
闇の泉からチャポンと黒猫が顕現する。
太々しい顔をした、モフモフで丸っこいネコである。
図書館に出現し、空を裂いたとされる猫に間違いない。
「いくら神父が武術が得意だって言っても、魔導士なんでしょう!? この数は無理よ!」
『大丈夫さ。私を信じておくれ』
黒猫の口から神父の声が漏れている。
と言われても。
せめて補助の魔術を唱えようとラヴィッシュが詠唱を開始した、その次の瞬間。
ネコの口から悍ましい瘴気が零れだす。
背筋が引き攣るほどの圧迫感が、周囲を押した。
刹那――。
ネコが――鳴いた。
『邪魔だね君達。警告だ、ただちに引き給え。そうすれば命だけは見逃そうじゃないか』
酷く冷たい声だった。
地獄からの隙間風のような、生きた心地のしない声だった。
ネコは時間を数えるように尻尾を静かに、左右に振り。
じぃぃぃぃぃぃぃい。
そして。
時が来たのだろう。
黒猫は淡々と猫口を蠢かした。
『タイムリミット。残念だよ、君たちは要らないや――消えちゃいなよ』
ベチャ。
音がした。
死の気配もない。
痕跡もない。
ただ一瞬のできごとだった。
闇を這う魔猫が『消えちゃいなよ』と言っただけで、敵だったモノが消滅。
全滅していたのである。
ただ生臭い香りだけが名残として、周囲には残っていた。
静寂に包まれた闇の泉の前。
少女はぞっと顔色を青くさせた。
理解ができない領域で、なにかをしたのだろう。
今のが攻撃だったのなら。
(あんなの、防ぎようもないじゃない……っ)
もしもだ。
もしもこの黒猫がネコ達の神なのだとしたら。
彼は言っていた、ネコを殺すなと。
(こりゃ……ネコとの共存を考えないと滅びるわね、この国)
師匠である紅魔女オハラへの連絡が増えたと思いつつ。
少女はぎゅっと肉球を強く握った。
「なにか凄い事をした。あたしには理解できない領域で何かをしたっていうのは理解したけど。いったい、なにをしたの……?」
『存在を根源から否定することによって、この世界への干渉力を……っと、まあ難しい理論はともかく。排除したって事さ! さあもう安全だ。食堂に急ごう! 早く行こう! 今すぐ行こう!』
とてとてとて♪
肉球音を立てた猫が、立てた尻尾をぶるぶると震わせて――にゃは~♪
食堂の光を目指し、ウキウキで歩いている。
モフモフな後ろ足と肉球を眺め、少女は言う。
「……どうでもいいけど、神父。正体、そのままになってるわよ? 他の生徒に見せちゃったらまずいんじゃない?」
『ぶにゃ! っと、これでいいかな』
直後に神父は神父の姿に戻っていた。
「できたらそうして頂戴。この国でのネコはまだ恐怖の対象なのよ……」
『こんなに可愛いのにかい?』
「あのねえ、女の子だって可愛いのに怖い時もあるでしょう。それと一緒とは……言わないけど、似たようなもんよ。可愛いと怖いは両立するの」
言いながらも少女の声に怯えはない。
二人は、闇の道を進む。
避難している生徒達が結界を張っている、食堂に足を踏み入れたのだ。
そこには――濃い血の香りが漂っていた。
戦いは、まだ終わっていない。




