【SIDE:見習い魔女】異邦の神父 ~前編~
【SIDE:見習い魔女ラヴィッシュ】
街に侵入し盗みを働く謎のネコ、ショゴスキャット。
あの粘液状の新種モンスターを討伐、または説得するべし。
そのための騎士団、そのための部隊が作られ始めている。
そんな噂が流れているが、事実かどうかは不明。
この魔術学園でも、今はその話で持ち切り。
つい先日の噂。
結婚したハンサム教師を巡り、女生徒達の悲鳴が校舎を揺らした事件など、皆の記憶からは消えている。
とっくに廃れてしまっているのだ。
若き生徒達にとって、古い話題などすぐに消えてしまう。
いつだって新しい情報を求めている。
今回もそうだったのだろう。
ついにあの恐ろしく強いが、しかし決して人は殺さぬショゴスキャットが討伐されるのか?
捕獲されるのか? あるいはまた失敗して、テケリテケケケケブニャハハハハハ!
と、嗤われてしまうのか。
そもそも討伐隊の噂は本当なのか?
ただのプロパガンダではないか?
期待と不安の声が流れていた。
けれど。
学園一の才女。
見習い魔女ラヴィッシュは詳細を知っていた。
まだ十五歳の少女、ラヴィッシュは長い黒髪の持ち主だった。
手入れが好きではないせいで、その毛先はボサボサ。
まるで犬の毛ね、なんて言われてもラヴィッシュは気にしない。
なぜなら彼女には芯があった。
外見などという情報は、所詮は見た目だけ。戦闘には関係ない。
魔術にも関係ない。
そんな中傷を覆せる程の実力を持っていたおかげだろう。
魔術の才を開花させている彼女が、この学園に在籍したのは七つの頃。
もう八年もこの魔術学園に通っている。
その実力は教師にすら匹敵し、あと十年もすれば国随一の魔女にして英雄。
英雄にして魔術教師。
紅魔女オハラの領域にさえ届くのではないか。
現在、生徒の中でも最も期待されている少女である。
彼女の師匠の名もオハラ。そう、彼女は英雄の弟子。
優秀なのだ。
そして彼女は選ばれていた。
何に選ばれていたのか? 決まっている、ショゴスキャット討伐部隊に既に選定されていたのである。
けれど賢き少女はそれを口にはしない。
ちゃんと機密を守れる、良識ある少女だったからだ。
そんな彼女の懸念は一つだけ。
(結局。いつ出発するのかしら?)
学び舎の窓から眺める空は晴天。
ぷっくらとした唇の奥。
口腔でコロコロと転がすのは、甘い蜜飴だった。
(これで待機命令が下ってから三日目よ? もうそろそろなにか動きがあっていい筈なんだけど……)
そう。
選ばれたのは良いが、なぜかまだ参加者の皆に声がかからない。
部隊指揮者である紅魔女オハラが、待機命令を続けているのである。
(なにか、トラブル? いえ、作戦変更でもあったのかしら……分からないわ。このあたしと、オハラ先生がいれば解決できる事件でしょうに)
勘のいい少女は知っていた。
先日、紅魔女オハラが中央にある隠し宮殿に呼ばれていたことを。
(何かあったのね。ならやっぱり……学園のこの空気も、それのせいかしら)
ラヴィッシュは朝の陽ざしを感じながら、普段とは違う空気に気付き、考える。
眉を顰めてしまう。
異常が今、目の前で広がっているからである。
そこにいたのは、部外者。
普段は見ない男だ。
そんな男の周囲には人が集まっている。誰もが気付く、異常事態である。
『すまない君達。私はミス・オハラに用があってね……案内して欲しいのだけれど、頼めるかな?』
と、蜜に集るアリのような女生徒の群れに尋ねるのは、長身痩躯な黒髪神父。
少女たちが群れ集う理由は単純。
絶世の美壮年だったからである。
美麗すぎて目立ちすぎる。
故にこそ――最近はやり始めていた貴族の娘を狙った犯罪、通称結婚詐欺には向かないタイプの男だろう。
と。
ラヴィッシュはそんな感想を抱きながら、呆れた様子で浮かれる女生徒たちを一瞥していた。
恋愛? 恋?
くだらない。
そんな、どこか嫉妬にも似た感情が浮かんでいたと自覚もあった。
けれど、少女にはそんなモノよりも大事なものがあった。
魔術。魔術。魔術。
(魔術ならば誰にだって負けない。いつかオハラ先生だって超えてみせる。だから、あたしはあんなミーハーな子たちとは違うわ。ま、たしかにあの神父。見た目だけはいいけど……って!? なに? こっちに近づいてきてる!?)
げげっ! と怯んだラヴィッシュは立ち去ろうとするが。
『君、オハラくんの関係者だろう? 悪いんだけど案内して貰えないかな? 今日、この学園で魔術を教えて貰う約束になっているのだけれど、どうかな?』
酷く蠱惑的な声が少女の耳を擽る。
離れているのに、その黒蜜のような静かで甘い声が――どくん。
少女の心臓を衝いていたのだ。
「確かに、あたしは先生の弟子ですけど。あなた? どちらさま?」
黒髪神父は長い前髪の隙間から赤い瞳を覗かせ。
おっと、口の端を動かし――美麗な苦笑を作ってみせる。
『すまなかった、これでは不審者だね。私はケトス。神父ケトス。実は君と同じとある任務に参加する事になっていてね。その関係でオハラくんと知り合った。ということさ』
言って神父は、銀製の徽章を取り出してみせる。
それはラヴィッシュも先日与えられていたモノ。
ショゴスキャット討伐隊に預けられている、連絡用の魔道具である。
「そう、あなたも――でも、どういうこと? ネコの所にいくのに、いまさら魔術を習うって……」
足手纏いは要らない。
そうはっきりと言いたくはなかったので、言葉を濁す少女。
その優しい気遣いを眺め、神父は飄々と応じる。
『ああ、ごめんね。魔術はあくまでも私の知的好奇心を満たすためと、手加減用さ。こうみえて、私は武術が得意でね』
「武術が? そうはみえないけど。まあいいわ。先生にはあたしも用があるの、ついてくるのはあなたの勝手よ。神父」
不器用な同意である。
それがケトス神父にも伝わったのだろう。
ゆったりとした口調で、彼は言った。
『ありがとう、ラヴィッシュくん。ここは座標が不安定だったからね、助かるよ』
「あら? あたし、名前を名乗ったかしら」
神父はしばらく考えこう言った。
『さあ、どうだっただろうか』
と。
美しいが――怪しい男だと、少女は思った。
◇
あれから三十分が経っている。
少女は一人、待ちぼうけ。
師匠である紅魔女オハラと応接室で密談をしているのは、謎の神父。
ケトスという黒い髪の男。
その全てを凝縮させて言葉にするのならば、黒の神父。
(何者なのかしらね、あの男)
密談という事で外で待たされている少女、ラヴィッシュは考える。
(オハラ先生ほどの人がこれほどに時間を作る? なんなのかしら……異国からの助っ人? それともネコに詳しい研究者、とか?)
長髪の先で揺れる巻き毛を、彼女の細い指がくるくると触れる。
指に巻いて、離して。
また巻いて。
思考の海の中に沈んでいた彼女の前、扉がギィィィっと開きだす。
敬愛する師匠。
紅魔女オハラの声が響く。
「ラヴィッシュさん、お話があるのです。よろしいですか?」
「入室していい、ということでしょうか? えーと……神父もいらっしゃるのですよね?」
「ええ、その事でお話があるのです」
入室すると神父は既にソファーに腰かけ、紅茶にボチョンボチョンと角砂糖の束を落としていた。
いくらなんでも入れ過ぎよ。
そう突っ込みたくなったが、それをやめたのは文化の違いを考えてのことだった。
この神父はおそらく異国からの来訪者。
異邦人。
マナーやルールなどは国によって違う。指摘するのは逆にマナー違反だと、ラヴィッシュは考えたのである。
紅魔女オハラは少女にも座る事を促し、自らは立ったまま。
事情を説明するべく口を開き始めた。
「こちらのケトス神父ですが――実は」
少女の師匠は冷たいメガネを輝かせながら、淡々と告げる。
案の定。
周囲に湧いた猫をどうにかするため、外の国からやってきたのだという。
問題は魔術の素人だという事。
武術は得意とのことなので、問題ないのだろうが。
少女は師匠の言葉の中に違和感を覚えていた。
(先生、何かを隠しているのかしら? いつもより、歯切れが悪いわね)
しかし、優秀な少女はそれを口にする事はなかった。
師匠が伏せようとしているのなら、それは知ってはいけない事。
知らずにいた方がいいこともある、その分別を既に身に着けていたのだ。
「師匠、いくつか疑問があるのですが、いいですか?」
「構いませんよ、ラヴィッシュ」
「ケトス神父がどうこうという話ではなく、討伐隊全体の話になりますが……。何人か、外の国からの助っ人を呼んでいると聞きますが、本当なのですか?」
少女の問いに、師匠魔女はゆったりと口を開く。
「ええ、陛下は猫魔物による被害を憂いております。討伐するだけならば、わたくしとあなた、そして詠唱を守ってくださる兵士の方が数人いれば可能でしょう。ただ……」
「ただ……? 師匠、どうしたのですか?」
やはり歯切れが悪い。
「我が国ウルタールに住まう猫を、何人たりとも殺してはならない。そう、陛下に神託が下ったのです。つまり、討伐ではなく捕縛か説得を選ぶことになったのですが……」
「理解しました師匠。つまり、殺さずに逮捕するとなると討伐以上の戦力が必要となる、ということですね」
師匠の考えを読んで、少女は存外に鋭い視線で神父を睨んだ。
おそらくこの男だ。
ネコを殺すなと言い出したのは。
「無礼な発言を先に詫びておきます。師匠……、今回の件はウルタール市民であるあたしたちの問題。別に、外の人の力を借りなくてもいいのではありませんか?」
「陛下がお決めになった事です」
つまり、今更その言葉は覆らない。
少女は異邦人に目をやった。
「神父。ネコを討伐してはいけない理由を伺っても?」
『おや、どうして私が助言をしたと気付いているんだい』
神父の言葉は肯定であった。
やはり、この男が何かを言い出したのだろう。
「簡単な推理……いえ推理ともいえないレベルの稚拙な考えです。師匠も陛下も、魔物に情けを掛けるとは思えない。この街の人もです。死者こそ出ていないモノの、被害は日に日に大きくなっていますからね。そんな悠長にはしていられない。皆、ネコには迷惑しているんです。死人が出なければいいというモノでもないでしょう? なら、外からきた人が何かを言い出したに決まっている、そうは思いませんか?」
責めるような声に、神父は肩を竦めてみせた。
『良い生徒だね、オハラくん。私も元の国では教師をやっているからね。たとえ単純な答えでも、自分で考え、自分で学び、自分で結論を選択できる。論理的な思考ができる生徒は嫌いじゃない。そうだね、いいよ。じゃあ理由を答えよう』
角砂糖が踊る紅茶を嗜み、神父は言う。
『先日、一週間ぐらい前になるのかな。この街の図書館での騒動を知っているかい?』
「ええ、それはまあ、騒然となったと聞いていますから。たしか物凄く強い黒猫が顕現したとか……」
この神父はあの黒猫を知っている。
ということか。
「アレがいったいなんだったのか、神父はご存知なのですか?」
『あの猫はネコ達の神なのさ。きっと――同胞を殺されたら、暴れ出す。最悪、君達人類を敵と認識し、街を襲うネコの側についてしまう可能性もある。それは避けたいだろう?』
この神父はまるで……そう。
ネコの側に立っているようだと、少女は思った。
『ネコは見ているよ。君達の行動をね』
ぞっとするほどの声だった。
穏やかなのに、鋭いのだ。
なのに――抗いがたい蜜のような甘さがある。
少女はその誘惑を跳ねのけ、鋭い口調で唇を尖らせた。
「神父。あなた、何者なの? あの猫神の信者なのかしら……っと」
そこまで言って、自分が過熱していた事に気付いた少女は頭を下げる。
失礼な態度を自らで恥じたのだ。
「すみません。少し生意気が過ぎました」
『構わないよ。意見をぶつけることができる、それも才能だ』
妙に肯定的な男である。
もしかしたら、人の利点や得手を探すのが上手いのかもしれない。
詫びも済んだ、ならばこれで今の失礼は問題ない。
少女は神父ではなく敬愛する師匠に言う。
「それで師匠、あたしを呼んだ理由はなんなのでしょうか?」
「そうですね、すみません説明していませんでした。わたくしは遠征の準備があるので、今日一日でいいのです、彼に元素魔術を教えて差し上げて欲しいのです」
寝耳に水。
ラヴィッシュは優秀だがまだ見習い魔女。
自惚れも多少はある。
実際に同世代の魔女の中では、桁も格も違う。
けれどだ、常識も分別もあった。
まだ他人に魔術を指導できるほどのレベルではない。その領域には手が届いていない。
それは彼女自身が分かっていたし、過ぎた傲慢を持ち合わせてはいなかった。
訝しむ弟子に、師匠魔女は言う。
「いつかあなたもわたくしのように、誰かに生きるための魔術を授けるでしょう。そのための練習だと思えばいいのです。幸いにも、神父も了承してくださいました」
「と、言われましても……一日で魔術を教えるなんて、無理ですよ? そりゃあ詠唱を丸暗記すれば、マッチ程度の火は出せるようになるとは思いますけど……理論を教えるとなると」
暗に断りたいのだが。
神父は微笑する。
『まあ無理なら諦めるさ。単純に、遠征の支度が整うまでの退屈しのぎ――それと、この国の魔術にちょっと興味があるだけだしね。それに、私も私の国の魔術を扱える。残念ながらこの国では力の源には届かず発動しないが、理論の基礎は同じとしていると踏んでいる。オハラくんの支度が整うまででいいから、お願いできないかな?』
どうやらこの神父。
存外に押しが強いようだ。
諦めの吐息に言葉を乗せ、ラヴィッシュは肩を落とした。
「はぁ……分かりましたよ。ただし――あなたが魔術を使えなくても、あたしに責任がない。文句も言わない。所詮は小娘による魔術指導の真似事だ。そう理解していただけるのならば、構いませんが。どうですか?」
『ああ、それで構わないよ。それじゃあ師匠、今日はよろしく頼むよ』
少女を師匠と呼ぶ神父の声は、それはもう状況を楽しむ享楽的な声で。
……。
少女は思った。
厄介ごとを押し付けられたな、と。




