【SIDE:崩壊円卓】辿るルートの行方 ―バッドエンド―その1
【SIDE:崩壊円卓】
振りかざした正義の刃を弾いたのは、ただの竹串。
その使い手は道化師ケトス。
突如現れ、悪の女王エメラルドを庇ったのは――もふもふのネコ魔獣だったのだ。
暗闇が広がっていく。
魔猫の魔力が、周囲の空間を上書きしているのだろうか。
明らかに異形なる者を睨み――。
騎士団が剣を構える。
聖騎士ローラは長い耳をピンと跳ねさせ、思わず叫んでいた。
「ケトス殿……っ、何故王宮に!」
『なぜって……、もしかしたら女王様だけがまともで、他が全員”アレ”な性格だったかもしれないって可能性があったから、見に来たら? いきなり暗殺事件だし? 正直こっちが驚いたよ。まあ質問に回答するのならば、虐められている女の子を救いに来た……になるのかな?』
雑談するように飄々と語る魔猫。
その足元からは煮えたぎるマグマのような赤い魔力が、じわりじわりと湧いている。
ふわふわだった尾は、まるで怒りに震えるように雄々しく猛っていた。
『さて、君たちは少し邪魔だ。見学していてもいいけど、少し静かにしておくれ? ヒーローとお姫様の大事なシーンなのだからね』
告げる魔猫の瞳が光る。
ただそれだけで、会議場を囲んでいた騎士団の動きが――止まる。
プレッシャーが周囲の動きを封じたのだ。
それでも。
正義に生きる聖騎士のローラは、恩人である魔猫を助けるべく、ぎりり。
魔力の重圧の中で声を上げる。
「ケ、ケトス殿……なにをっ……。その女王は、危険な……」
『無自覚なのかな? 危険なのは君たちだよ。ま、もうどうでもいいけどね』
一瞥さえ残さず、魔猫は聖騎士たちに背を向ける。
魔猫の瞳は荒れた部屋を見た。
衝撃で――照明も壊れた部屋。
昏い空間。
円卓に突き刺さる折れた刀身が、黒猫の放つ赤い魔力で揺れている。
女王を見守る黒猫が、ふっと微笑した。
ただ優しい顔をして、崩れる乙女の顔を眺めたのだ。
『なるほどね――だいたいの事情は読めたよ。ふむ……私情や私怨のベクトルがかかった噂って、あまりあてにならないのかな。それにしても君は運がいい、女王エメラルドくん。君はこの私に今から助けられる。それって、神に選ばれたようなものさ。誇るといいよ』
お喋りな黒猫が、魔力重圧で騎士団を蹴散らしながら――。
ニヒヒヒヒっと微笑んでいる。
魔猫を眺めたエルフの女王エメラルドは、茫然と息を漏らす。
「あなたは……いったい」
『私かい? 私は、んー……そうだね。邪神で魔猫で、悪の大幹部ってところかな?』
コミカルに嗤う魔猫が、肉球を鳴らす。
ずん!
やはりコミカルな音を立てて、魔力弾を放とうとしていたエルフの魔術を妨害。
『あのさあ、君達。空気、読めないのかい? 女王様と猫の大事な話し合いの最中なんだよ? 少し黙っていてくれるかな。殺さないであげているだけ、最大の譲歩なんだけど? どーして、分かんないのか。分かんないなあ……』
そう語るのはただの低級ネコ魔獣。
なのに。
気配はまるで違う。
支配者としての貫禄が周囲を威圧し、黙らせていた。
聖騎士ローラがもう一度、鑑定の魔術を発動させる。
そこには。
ただただ暗澹とした漆黒が広がっていた。
「鑑定エラー……!? いえ、この黒は全部……数値!?」
『おや、私の鑑定に成功したのかい? 鑑定の成功判定は億に一つの可能性だった筈だけど、君もちょっとは運がいいのかな?』
ローラの耳から垂れた雫。
緊張とプレッシャーの中で浮かんだ濃い玉の汗が、胸の谷間に落ちていく。
「そんな、ありえない! こんなふざけた現象……っ」
『信じる信じないは君の自由さ、けれど現実も真実もひとつ。それは全部数値。自慢だけど私はちょっと強すぎるからね。キャパシティの低い者が鑑定しても数字で溢れて、鑑定結果が真っ黒に塗りつぶされちゃうのさ』
ローラは身を震わせていた。
ぞっとした。
混乱した。
幻術ではない……というのなら。
この鑑定結果に間違いがないのなら。これはどれほど悍ましいレベルの存在なのか。
ふと思ったのだ。
もしかしたら、とんでもないものを敵に回してしまったのではないだろうか。
と。
声には出せなかった。
けれど魔猫の口はまるで心を読んだように、答えを返す。
『君達ごときが? 敵?』
ぶぶぶ、ぶにゃはははははは!
魔猫が嗤うと周囲の影も、歪んで笑いこけ始める。
ローラではない騎士がギリリと歯を喰いしばり、吠える。
「な、なにがおかしい!」
『いやいや、ごめんごめん。彼女がおかしな冗談を言うからさ。私もそれほど暇じゃない。これほどつまらない存在を敵にはしないさ。君達は泥道を歩くアリンコの列に、いちいち敵意を抱いたりするかい? それじゃあただの異常者だろう?』
ゴミを見る瞳で、魔猫はただ淡々とそう嗤う。
さてと。
と、魔猫はまるで話を終えるかのように呟き。
地に伏す女王に手を差し伸べる。
女王エメラルドが、魔猫の赤い瞳に目をやった。
その薄い唇が、言葉を漏らす。
「わたくしを……助けてくださったのですか?」
『ああ、君のような心綺麗で優秀な女性が……こんなくだらない場所で滅ぶのは。ねえ? とても悲しい事だろう? 君はいままで本当によくやっていたね、世辞ではない賞賛を送ろう』
魔猫が拍手をすると、周囲の影がネコの形となり。
パチパチパチ!
これが女王か! 愚かなるエルフの中で、唯一の光!
そんな声が――闇の奥で、くぐもった吐息と共に漏れ出ていた。
影たちが蠢き、それぞれに語りだしていたのだ。
道化芝居のように、影のネコは語る。
《ああ、なんて哀れな女王だ》
全員が憐れむように尾を振った。
《良い事をすれば誰かに褒められる》
《そんな当たり前の事さえなかったのだろうか》
《エルフの女王の心は擦れ、摩耗してしまったのだろうか》
涙を流す仕草をした後、影猫達はぎしりと嗤う。
《酷いね、キミ達。エルフってそんなんだから滅びやすいのかな?》
《エルフの女王エメラルド。最も美しく、賢きエルフ》
《けれどエルフは彼女を要らないと捨てた、だから我等はその手を掴もう》
女王の周りを、もふもふな影猫がぐるぐると回り始める。
《キミはよく頑張った》
《我等の楽園で少し休むといい》
《現実を忘れ、しばしの夢の世界――盟主ケトス様が治める地、ドリームランドへと来るといい》
影猫達が、一斉に口を蠢かす。
《我ら魔猫は、キミを歓迎しよう!》
影ネコ達の言葉を聞いた女王が、僅かに瞳を濡らす。
歓迎する。
その言葉が、心の傷に沁みたのだろうか。
疲れ切った瞳を揺らす女王。
その口からは、震えた声が漏れていた。
「あなた達はわたくしを……分かってくださるのですか? 必要だと……、言ってくださるのですか?」
『少なくとも、ここにいるエルフ達よりは分かっているつもりさ。故にこそ、私は君をスカウトしよう。既にドウェルグ族は私と共に歩む道を選んでいる、君も一緒に来て欲しい。どうかな?』
黒猫の誘いが、女王の金の髪を揺らす。
けれど。
聡い女王は、苦笑をもって返していた。
「ドウェルグ族……あのウサギたちはとても優秀ですからね。あの方たちの協力がなければ、とっくにこの大陸は消えていた……。けれど、わたくしにはあの方たちのような力は、何も……」
『おや、君は大魔帝の目を疑うのかい?』
闇の獣が女王を誑かす。
そんな、黒い絵本のような光景が――この狭い空間で繰り広げられる。
魔猫は性的にさえ思えてしまうほど、酷く蠱惑的な声で。
甘く、囁く。
『私はね。君をあのドウェルグ族と同等に、いや、それ以上に評価しているんだ。つまりだ、それを否定するのはこの私に失礼だろう? ふふ、なんてね。勝手だとは思うけれど、君の過去を覗いたよ。女王だった君に言っちゃ悪いかもしれないが、この国はどうしようもないさ。もう腐っている。私だったらとっくに見捨てていただろうね』
魔猫が闇の中でヴィジョンを浮かべる。
それらは――魔術だったのだろう。
どれほどに女王が身も心も削って動いていたかを示す、過去の映像。
女王は懐かしむようにそれを見て、儚げに眉を下げた。
「愚かな女の過去ですわね……」
『ああ、けれどとても美しく痛ましい。君がどれほどにこの国のために動いていたのか。どれほどに民を愛していたのか。どれほどに心を痛めても、耐えて、耐えて、耐え続けていたのかを――見てしまった。盗み見たのは悪いと思うけど――ほら、私は邪神だからね。そこは仕方ないよね? その負い目もあるからね、私は君に協力しよう』
囁いた魔猫の影が――蠢く。
女王を抱き寄せるように覆ったのだ。
『少し休むといい。さきほどの答えは起きた後、しばらく落ち着いてから聞かせておくれ――』
「わたくし……」
『今は何も考えなくていいさ。それじゃあお休み、叡智ある者よ』
魔猫が告げると、闇が広がり。
ザザザ、ザアァァァァァァァ!
暴君エメラルドの身体が、闇の中へと消えていく。
エルフの騎士団は女王誘拐の場面で、動けずにいた。
それはおそらく。
闇の中で蠢く獣のせい。
赤い瞳をデラデラぎらぎら。
世界を呪うように蠢かす魔猫が――恐ろしかったからだろう。
誰に言うともなく、魔猫の口が言葉を紡ぐ。
『さて、彼女の化粧品とか衣類とかは……ああ、ここか。よく分かんないから、全部持っていけばいいかな。侍女は要らないか、女王の私物を盗むような人たちだったみたいだし。大切にされていなかった女王様は可哀そうだけど。引っ越しには楽だってのは……なんとも皮肉な話なのかな』
プニップニ……。
コミカルな肉球の音が、静寂に支配された空間に反響する。
女王の私物をかき集め、亜空間に収納しているのだろうか。
引っ越しの準備が終わったのか。
魔猫は慇懃に騎士団にお辞儀をしてみせる。
明らかに、皮肉や嫌がらせの意味が込められていた。
『それではさようなら、アーレズフェイム大陸の民よ。私はこの大陸からは手を引く。ああ、女王様は連れていくよ、死んだことにすればいい……どうせ私が介入していなかったら殺していたんだ。その方が君たちにとっても都合がいいだろう?』
ネコの影が、ギシリと邪悪な笑みを作る。
ローラは叫んでいた。
「待て! 待ってくれ、ケトス殿!」
『ふむ、まあ君とは縁がないわけじゃない。ちょっとだけならいいよ』
「陛下をどうするつもりなのだ!」
問われた魔猫は眉を顰める。
まるで――。
地に転がる小石や塵を見るような目で、魔猫は言った。
『どうするって、拾うだけだよ? あの子はとても優秀だ。我が魔王軍にとって、とても有益な存在となる。証明は要らないよね? だって――今までどうしようもない君達エルフを支え、今日この日まで生き永らえさせたのだから。それがなによりの証拠さ』
魔猫の思考がエルフの騎士団に接続される。
それは女王の苦悩の歴史。
この国を、大陸を守るために智謀も知略も、人生さえも全て使って……。
守り続けた君主の悲鳴のような記憶だった。
指揮官で聖騎士のローラが、後退りながら呟く。
「そんな……ウソだっ、陛下はずっと……我々を好き勝手に使い、国を乱して……っ」
『それは――平和を望むあまり、現実を見ようとしなかった君達の幻。そう思いたかっただけじゃないのかい? まあ、どうだっていいけどね。私にとっての彼女は優秀で、どうしょうもない民すら見捨てられなかった心優しい女王。君たちにとっては暴君。それでいいだろう? この物語はそれでおしまいさ』
けれど。
女王エメラルドの苦悩と悲痛。
いままでの尽力を過去視と、記憶の接続によって教えられた者達は知った。
ただ一人、現実を見て動いていたのは女王陛下。
彼女は国の救世主。
英雄以上の英雄だったのだ、と。
『それが――君たちが捨てた女王の正体さ。ま、今更どうしようもないけどね』
今更気付いても、もう遅い。
そんな微笑を浮かべ、けれど――わざとそんな心優しき女王の真実を教えて。
魔猫はニヒヒヒヒっと嗤い続ける。
そんな女王を殺そうとした愚か者を嘲笑するように。
神が宣託を下すように、魔猫は未来を予想する。
『君達の未来は先ほど分岐した。きっと、女王陛下こそがこの大陸を支えていたんだろう。それを君達は自らで断ち切り、未来を変えた。行くつく先はバッドエンド。魔竜に踏みつぶされて、終わりかな? とても残念……でもないか』
魔猫の下半身が、霧となって消えていく。
『ニャハハハハハ! 今回の散歩は実に良い散歩だった。優秀な技術スタッフに、百年以上も無能な者たちを制御できた女王。二つも戦力を手にできたんだからね。その点では、君たちに感謝しよう。さようなら、滅ぶ者達よ。いつか来世で再会しても話しかけてはこないでおくれ』
霧が魔猫の全身を包み、それは塵となって空へと消えた。
聖騎士ローラは、全身の汗を感じながら叫んだ。
「待ってくれ! 陛下に、陛下に謝罪を! そ、それに、我々はこれからどうしたら……!」
『知らないよ。君達が自由を望んだんだ。その責任は自分で果たしなよ』
知らないと言っておきながらも、まだ声が響いていた。
『まあ、そうだね――茸の串焼きも美味しかったし。最後の慈悲だ。困った時の神頼み。本当にもうダメってなったら、女神様にでも祈ればいいんじゃないかい? 教義はちゃんと覚えているんだろう? それじゃあね、王を殺した正義の騎士団さん。君達の未来に幸運がありますように……なんてね』
くはははははははは!
哄笑と共に、魔猫の気配が消え去った。
◇
翌日。
女王の失踪が明るみとなったエルフ王国では――盛大な宴が行われていた。
エルフ達は平和を満喫し、酒とグルメで自分たちを祝う。
「女王がいなくなった! これでボクたちは自由だ!」
「血なまぐさい女王は滅んだ! さあ、これからは平和な時代だ!」
「女王がいなくなれば、魔竜ともうまくいく! ええ、完璧なのよ!」
圧政は終わった。
けれど、これで本当に良かったのか?
一部のまともなエルフは考える。
もう、この国は終わるだろうと。
しかしそれは少数派。
偽りの平和を享受する者達には届かない。
賢きエルフはとっくに別の大陸に逃げていた。
少し賢いエルフは、賢きエルフに従い逃げていた。
まともなエルフだけは心を痛め――。
女王の最期に祈りを捧げた。
けれどそれは極わずか。
女王の真実を知っている騎士団は、ただ何も言えずに空を見た。
天空城はもういなくなっていた。
代わりに空に輝くのは、謎のクリスタル。
鑑定名は――。
《時間復元ポイント:セーブクリスタル》
効果は全くの謎。
けれど皆、誰もそれを気にしてなどいない。
平和な宴。
暢気すぎる祭り。
皆が喜ぶ中――ローラは耳を下げて、俯いた。
自分たちはとんでもない過ちを犯してしまったのではないか?
そんな焦燥が、胸をぎゅっと締め付ける。
浮かれている場合ではない。
まだ魔竜と和解したわけではないのに。
ここは平穏。
ぞっとするほどに、平和なのだ。
昼から始まった平和な宴は、夜通し行われた。
祭りは続いた。
平和は続いた。
さすがに騒ぎ過ぎ、皆が疲れて寝静まった頃。
それは――大地を揺らしやってきた。
山が動いていた。
いや違う。あれは魔竜だ。
城壁ほどもある魔竜達が、山のような大群となって大陸を揺らしているのだ。




