【SIDE:麒麟巫女スミレ】侵食 その1
【SIDE:麒麟巫女スミレ】
時は夕刻。
最悪な結果となってしまった高級料亭での話し合い。
そのしばらく後のできごとである。
ここもまた都会の片隅に存在する施設。
表向きは稲荷を祀る神社。
けれど、その中では渡来の神獣である麒麟を祀る、一種の宗教組織である。
長い歴史のある異能組織の巫女たるスミレは美しい黒髪を翻し、勝ち誇った笑みを浮かべ――。
大満足。
見えない眼を尖らせていた。
「まったく失礼な人たちでしたわね。いえ、若干一名、人ではありませんでしたけど」
そう話し合いは終わった。
円満とは程遠い結果である。
無礼な駄猫を追い払い、交渉は開始直後に決裂。
話し合いは進むことなく終わってしまったのだが――巫女の顔に憂いはない。
巫女は赤い紅をスッと拭き取りながら、見えぬ眼で鏡を見た。
「まったく、分を弁えぬ人々の相手って本当に疲れる。せっかく、このワタクシが尊顔を晒してやったというのに……あの態度。嫌になってしまいますわね」
黒髪の巫女スミレは思う。
約束通り支払いは全て、巫女たる自分が支払ったが……相手はすごすご。
逃げるように去っていった。
もう、その時点で勝ちなのだ。
そもそもだ。
他者に異能を授ける力を受け継ぐ麒麟の巫女。
誰もが頭を下げる神の代行者。その最たる自分に逆らう愚か者などに興味はない。
それが突如として現れた渡来者。
異世界の住人であろうともだ。
巫女たるスミレは身分相応の、不遜な性格の持ち主だったのである。
「巫女様……お着替えはお済みになりましたか? 今宵は自分一人でやりたいとのことでしたが……、お時間がかかるようでありましたら、いつものように我らが手伝いまするべきかと」
「必要ないわ。もう終わってる。口紅も……清めたわ」
彼女は立ち上がる。
これから祈りの時間なのだ。
外に行くからと二年ぶりに化粧した口紅。見えぬ眼でその輝く刀身を名残惜しそうに、見て、けれど――。
すぐに彼女はそれを忘れた。
どうせ、ちゃんと見えてはいないのだ。
これは異能で見えているだけ。
自分の顔をちゃんと見て、自分で化粧をして……そんな未来はもう二度とこない。
彼女が襖を開けると、そこには信者たちがずらりと並んでいる。
そこを悠然と進む自分はまるで殿様。
彼女はそう思いながらも、どこかつまらなそうに道を進む。
祭壇の間に辿り着き。
今日もまた、ご神体に向かい祈りを捧げたのだ。
「麒麟様。今日も何事もなく平穏な一日でありました。はい、報告とお祈り終わり」
麒麟神の神像に向かういつもの祈り。
いつもの意味のない報告。
いつもの通り、だらけた祈祷。
「天が安寧でありますように――」
もはや作業になってしまった祝詞を上げ終えた彼女は、祭具を投げ出し。
勝利の高揚を隠せずに――言葉を漏らす。
「あーあ! くだらない事で時間を潰してしまいましたわ! それで、婆や。今晩の食事はなんなのですか? 早く口にして、清めの水を浴びて寝てしまいたい。だってワタクシ、今日はいっぱい働いたのですもの。疲れてしまったのですけれど?」
人の群れの中。
婆やと呼ばれた老人が、厳かに頭を下げる。
「今宵は川魚のムニエルの予定で御座いまするが……」
「プリンは?」
「もちろんございます」
巫女は僅かに少女の顔を見せる。
「そう、なら問題ないわ」
「しかし巫女様、よろしかったので? 日本に起こるこの異変、あの者らなら、何か事情を知っていた様子でございましたが」
「いいのですよ。捕らえられた我が教徒ら、キリンの子ども達……彼らの身柄解放の約束は取り付けました。今回はそれで十分。戦いの情報を引き出し、なおかつ食事代などという世俗な代価で、人質となっていた人民の命を救えたのです。こちらの勝ちと言えるでしょう?」
と、頷く巫女に周囲は何も言えなくなってしまう。
信頼されている老女――婆やがしゃがれた声で続ける。
「しかし、何ゆえに狙撃手部隊はあの者らを襲ったのでしょうか」
「あら、婆や。知らなかったのですか? ワタクシが許可をだしたからですよ?」
ざわめきが起こる。
「それは、なんと!? 巫女様! なぜそのような勝手な事を! 我等の会議で、とりあえずは話し合いを優先させる。そう決定したとお伝えしたではありませんか!」
「だって、いいじゃない? 相手は異界より舞い降りた存在。たいした霊力も実力もないくせに、傲慢さを持ち合わせた……汚らわしい黒猫なのでしょう? 少し灸をすえて差し上げる、それが優しさというモノです」
閉じられた瞳を開いた巫女は虚ろな瞳で――喋る肉の群れを見る。
手を伸ばし、放つ霊力で黒髪を風に靡かせ言った。
「それに、これは信徒たち自らが欲した事。ワタクシはただ許可を与えただけ、自由でありたいと願う我が子らの進言を、どうして邪魔することができますか? 飛び立ちたいのならワタクシはその心を尊重します。戦いの願いであってもそこに信念があるのならば、ワタクシは全てを許します」
巫女の我儘は今に始まった事ではない。
けれど、これが今の当主。
麒麟の力と加護、異能を授かっている事も事実。抗うことなどできやしない。それが分かっているからこそ、スミレもこうして、強気にでているのである。
やはり代表して、婆やが前に出る。
細く皺の目立つ首筋を浮かべ、老婆は言う。
「許可をお出しになられたのは分かりました。それも巫女様の選択ならば従いまする。けれど、やはり気になるのは、子どもたちが彼らを襲ったその理由です」
「何が言いたいのです?」
「たしかに、あのFPSなる異能を扱う若者たちは、ああみえて正義感に強い……言い方を変えますと少し我が強く、潔癖症のところがございましたが……。まさか、襲撃を提案するなど。いささか乱暴が過ぎるのではないかと……理由が分かりませぬ」
言われて巫女スミレも考える。
長い黒髪を従者に梳かさせ、思わず自らの指を齧っていた。
巫女は噛んでいた指を離し、言葉を告げる。
「このダンジョン領域日本と称される異形な空間。ソシャゲ化した世界で名を馳せるトップランカー大魔帝ケトス。その桁違いのスコアランクがインチキだとか、チートだとか……許せないとか。そんなことを言っておりましたわね。ワタクシももしその者がインチキ? よくわかりませんが不正をしているのなら、正して差し上げなさいとは言いました」
臆面もなく正義を前面に翳し、許可を求めてきたのだ。
その異様さを承知してはいたが、正義を貫く心は真実だった筈。彼らの心に偽りはないように思えた。
あるとしたら、誰かに洗脳に近い形で……扇動されているという可能性だが。
そんな異能、聞いたことがない。
考える最中。
人の群れの奥から、声が響く。
「なるほど、それがあの襲撃と……巫女様はいささかご自分の発言力を軽く思われておいでで?」
「これ、やめんか。巫女様の御前であるぞ」
「しかし! 一歩間違えれば、若者らは全員惨殺されていた。無事だったのはあの黒猫が気まぐれを起こし、命までは取らなかったからでありましょう!?」
責めるような言葉に、周囲も同意したような空気である。
そんなに責めるのならば、早く代わってくれればいいのに。
そう思う少女の表情にあったのは――。
まるで籠中の鳥。
巫女スミレは、口紅のない唇を淡々と動かした。
「もう済んだ話です。いいではありませんか、先走ってしまった彼らも命をそのままに帰ってくる。交渉は決裂してしまったのですから、それでこの話はおしまい。それでいいでしょう」
そう。
幸いにも全員が無事。
だから誰も、これ以上は何も言えなくなってしまう。
やはり老婆が前に出て、巫女に問う。
「彼らの処分はいかがいたしますか?」
「処分とは?」
「勝手に先走り、他の異能力者集団の一つ、カード召喚の力を持つ金木白狼氏と敵対してしまったのです。その因となった者達には、一定の罰が必要となりましょう」
言葉に、巫女はスゥっと閉じられていた呪いの眼光を開く。
「必要ないわ。だって、もし敵対したことへの罰が必要という話でしたら……ワタクシもその中に含まれてしまうのでしょう?」
「はっきりと申しあげますと、その通りに御座います」
婆やと呼ばれる老人の言葉を耳にし、巫女スミレは僅かに下唇を噛んでいた。
「あなたはワタクシをニ十数年、支えてくれました。だから今回だけは、聞かなかった事に致しましょう……」
「出過ぎた真似をして、申し訳ありません」
小さな会議は終わった。
事件も終わった。
これでこの案件はとりあえず終わり――その筈だったのだが。
ヒタヒタヒタと。
屋敷の中に、肉球音が響いていたことをまだ、誰も知らない。
◇
麒麟を祀る巫女の神社。
朝が明けて、夜が更ける。
誰かが突如言い出した。
闇の中、無数のネコがニヤニヤと嗤ってプリンを貪っていたのだという。
目が合うと、それらは赤い瞳をギラギラさせて。
こう言うのだ。
みつかった、みつかった。
けれど巫女は滅びを見ない。ああ嘆かわしい。
ああ、あれは知らないのか。
未来を。滅びを。
ああ、おまえたちは知らないのか。
もう、おわり。
おまえたち。
あの方を怒らせた。
おまえたちはもう、おわり。
ほろんだ屋敷は我等が貰おう。
麒麟を取り除き、我等が主の像を置こう。
いつ滅びる。
あした、あさって?
おまえたちはもう、おわり。
我らが王を怒らせた。
告げて、彼らは闇の中へと消えていく。
冷蔵庫の中身を全て、喰らい尽くして――。
◇
明確な異変が起きたのは一週間後の事。
いつもなら朝鳥の声と共に朝食となるのだが、今日は何故かまだだった。
巫女スミレは、代り映えのしない和風の天井を見上げながら息を吸う。
不思議に思いながら声を上げたのだ。
「だれか? いないかしら」
「巫女様、どうなされたのですか?」
「婆やはどうしたの?」
返答はない。
彼女も老齢だ、疲れているのだろうか。
悩む巫女の聞こえぬ耳に、異能による音声が届く。
外が騒がしい。
……様。……様。どうか光を……。
そんな、よく分からない祈りに似た声が聞こえるのだ。
「なにやら騒がしいですけれど、何があったのです?」
「なにも、そう……な、なにもございません」
女中が歯切れが悪そうな言葉を漏らす。
もはやそこで嘘が見えてしまう。巫女は言った。
「答えなさい、何があったのです」
「それが――」
「いいわ、なら命令よ――あなたが何を言っても罪には問いません。だからおっしゃいなさい」
「はい。実は少し前から……ネコが怖い、ネコが怖いと一部の信徒達がうわごとのように漏らすようになりまして」
ネコが……?
くだらないと、巫女スミレは思った。
「それだけなら騒ぎにはならないわよね?」
「はい。ネコが怖いと……まるで精神を汚染されたように言っていた者達が、最近になって突然……瞳に光を宿しはじめまして。ああ、女神様。女神様こそが我等の光と、なにやら祈りを捧げ始めておりまして……屋敷の外で、天に祈るようになって……なんともはや」
「えーと……悪いのですが、おっしゃっている言葉の意味がよく分かりませんわ」
女中も困り顔だが、巫女もまた混乱したまま。
閉じた瞳の中で、周囲を見る。
「まあいいわ。婆やを呼んで頂戴」
「それが……いま、疲れがでているそうで……休んでおいでになりまして、その――出来かねます」
巫女スミレは親指の爪を噛み、考える。
こんな異常事態に休む?
あり得ない。
婆やなら相談に乗ってくれる。
「もういいわ、ワタクシが行きます」
「お待ちください巫女様!」
声を無視し、巫女は煩い外の連中を一喝しようと襖を開ける。
一枚。
二枚。
襖を開けた先で、声はどんどんと大きくなっている。
女神様の祝福を。
おお、ありがたき光。清き光。これぞ本当の神の御加護。
スミレは唇を噛み、唸る。
気に入らない。
気に入らない。
気に入らない。
「おまえたち! なにごとですか!」
巫女は外を見た。
「な、なんだというのです……この人数は」
巫女は動揺に震える。
そこにあったのは、人の群れ。
規模が想定以上だったのだ。
「我等が光――救世の光」
「祈りたまえ。導き給え」
信徒たちは、一心に祈りを捧げ続けていた。
「ああ、女神様。あなたこそが真なる神」
「ああ、偉大なる光。あなたこそが女神」
群れ集う信徒たちの目線の先。
そこにあったのは、大きな光。
最も輝かしい天体。
太陽を仰いでいたのである。
明らかに異様だった。
後ずさる巫女の足元に、何かが触れる。
それはモフモフとした毛玉。
「ひぃ……!」
目線を移すと、そこには既に何もいなかった。
ただネコの温もりと、空いて食い散らかされたプリンの容器だけが残されている。
ああ、巫女だ。
そう、誰かが言った。
「誰ですか!?」
叫ぶ巫女スミレの見えぬ目線に、今度は群れ集うモコモコが見える。
三毛猫が、シャムネコが、スコティッシュフォールドが……。
びっしり。
屋敷の屋根の上に集い、踊っていた。
彼らは飼い猫なのか。
首輪の鈴が、チリンチリンと鳴り続ける。
そっと家から抜け出してきたのだろう。
猫達は、丸い口を蠢かす。
さあ祈れ。
我が主の怒りに触れたのならば、太陽に祈れ。
あれこそが大いなる光。
忌々しい光。
ああ、くやしい。
我らが主、大いなる闇もあれには手を出せない。
そう、残念だ。
残念だ。
光を祈るモノを、我等は襲えぬ。呪えぬ。噛みつけぬ。
「これは――意識洗脳の異能!? 早く、早く婆やと相談しないと……っ!」
叫ぶ巫女は見た。
知った。
あきらかにこれはおかしいと、悟ったのだ。
そんな中。
ひしゃげた声が、巫女の心を甘く撫でた。
「ああ――巫女様ではありませぬか」
聞こえぬ耳が揺らぐ。
見えぬ眼も揺らいだ。
巫女は恐る恐る、振り向いた。
天を仰ぐ集団の、最前列。
もっともよく知る顔が、そこにあった。
「おお、巫女様。巫女様もどうか新しき神、大いなる光様に祈りを捧げましょう。黒猫から守ってくださる、偉大なる異神。我らが聖母を讃えましょうぞ」
「婆……や?」
そこには、か細い腕を震わせる老女。
信徒たちを従えて、まっすぐに天に祈る老婆がいたのだ。
紅の塗られていない、唇が蠢く。
「うそ、そんな……いやよ。だって、あなただけはワタクシの」
「さあ、巫女様! 婆やと共に、光を讃えましょうぞ!」
婆やの瞳は、光で汚染されている。
「いやあぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
最も信頼した者の、消失。
それは一種の急所。
巫女の心に――絶望が広がった。




