王国奪還、その1 ~静謐の首都~
転移が完了した先。
デルトライア王国に待っていたのは、静けさ。
静謐ともいえるほどの静寂が、ただただ綺麗な港の街並みを満たしていたのである。
潮騒の音がザァァァァァァ。
ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっと、誰もいない街に伝わっている。
静けさを貫くのは、私の爪音。
バリョ♪
結界を打ち破り、転移門を潜り抜け――っと。
ウニュっと顕現した私は華麗に着地!
『くははははははははははは! このような脆弱なる結界、朝のパンに挟むトマトの薄さよりもペラッペラなのである! って、あれ……誰も反応してくれないね』
海岸から届く潮風のせいだろう。
肉球がざらざらする。
大魔帝ケトスたるこの私のネコ鼻も、塩分でツンと揺れる。
ここは――集会が行われるような広場のようだが。
人の気配がない。
「おいおい、なんの冗談だ。ゴーストタウンじゃ……ねえんだよな」
続いてタヌキ君がモコっとした獣手で着地。
その後に暗黒騎士の鎧をギシリと鳴らしシアンさんが着地。
彼女はこの国の王族。
一瞬でこの異常を感じ取ったのだろう。
異様なこの静けさを見渡し、口を開いた。
「これは――どういうことだ……っ」
静けさに響き渡る叫びではなく、普通の声を発した。
それだけでも、彼女が状況判断力に優れた人材なのだと分かる。
……。
ま、まあさっき私は堂々と、くはははははは嗤いをしてしまったのだが。
ともあれ。
声のトーンを落とし、私はネコ髯をくねらせる。
『シアンくん、ここがデルトライア王国の首都で間違いないんだよね?』
「ああ……私が捕虜となる前には民たちは全員残されていた――なのに、なぜ……っ、いったいどこに行ってしまったというのだ」
動揺はしているが、気丈な声は冷静さを保っている。
警戒に毛を膨らませるタヌキ君もキョロキョロ。
周囲を見渡し――。
「どこかに連れていかれたって空気じゃねえな。自宅軟禁状態だった民が、その場で蒸発しちまったような……っと、わりい」
そこまで言って。
すぐにまずいと思ったのだろう、言葉を濁すが。
「気を遣っていただき、感謝する。けれど、現実を直視せずに生き残りを解放することはできんだろうさ。心遣いはありがたいが――」
「分かったよ。じゃあすまねえが言わせて貰う。たぶんこりゃ、街そのものが何かの儀式に使われて――全滅してるな。そう思う理由は二つ。街の損壊はあまり見当たらねえ、争った形跡がないのに人がいねえんだ。そして感知に引っかかる生命反応が少なすぎる。前の世界で……オレはこれと似た現象を見たんだよ、胸糞悪いがな」
獣の指で二本の指をピっ!
理由を冷静に述べ立てるタヌキの手を眺め。
「……っ」
一瞬、ぎゅっと魔槍を強く握ったシアンくんが私に目線を移す。
感情を殺し。
あくまでも領土を取り返す指揮官の声で、私は答えを提示する。
『残念だけど、おそらくタヌキ君の予想通りだろう。大規模な儀式を行使した魔力の痕跡を感じる――おそらく人間の魂と肉体を生贄に使ったのだろうね。人間の姿は見えないけれど、鳥や虫はそのまま生活を続けている。ここは――人間だけが消えた街さ』
「そうか――っ」
ググググググ……ッ、血が滲むほどに唇を噛むシアンさん。
必死に、感情を殺しているのだろう。
その顔は憤怒や憎悪。
そういった負の感情に満ちているが――それでも冷静に、口を開く。
「いったい、何の儀式を……ッ」
『一つ心当たりがある』
二人の視線を受けながら、私は肉球を鳴らす。
この空間に漂う魔力の残滓を魔術式に変換し、空に浮かべて証拠を示したのだ。
『私にとっては大した敵ではなかったが、あの砦の悪党転移者たちは、人間としては高レベルだった。彼らを呼ぶにもそれなりの触媒が必要だろう。シアンくん、君や聖女さんや子どもたちを生贄にしようとしたようにね――並の人間なら雀の涙ほどの触媒にしかならないが、国家の首都一つ分の生命を生贄とすれば……おそらくかなりの数の異世界人を呼ぶことができる』
「異界召喚の儀式! 我が国の民は、転移者を呼ぶための贄にされた――そうお考えだと」
これは私の偽物。
大魔王ケトスとディガンマ大陸に住まう人間の戦争なのだ――それくらいの事はやっていても不思議ではない。
私とて、もし魔王様の命に係わる非情な戦争となれば……。
民間人すらも民兵となり、敵と認識する戦争状態であったのなら、こういう手段を取ることもあるだろう。
それが戦争だ。
……。
まあ、実はちょっとイラッとし始めてるけど。
我慢我慢。
暴走するのはさすがにまずい。
瞳を閉じて――私は告げる。
『ああ、けれどこれは――逆に運がいいともいえる。私はかつて人間の王子が引き起こした事件で、生贄にされた犠牲者の蘇生に成功しているからね。全員とまではいかなかったが、可能性は高い』
「それは、どういう……」
黒きネコの影が、静寂の街を満たしていく。
『私はね、大魔帝ケトスなんだ。魔王様の愛猫なんだよ。それも最近は、神とやらの祝福を前よりも使いこなせるようになっている。以前よりも蘇生の奇跡は得意になっている筈なのさ』
告げる私の脳裏には――大いなる光と異世界の世界樹。
そして大いなる導きの姿が浮かんでいた。
反面。
邪悪なネコの顔をして、私は身体を宙に浮かべる。
ボフボフボフボフ。
麗しい猫の毛は、ボワボワっと膨らんでいる。
揺れる尾は、膨大な魔力を垂れ流しながらバッサバッサと揺れていた。
周囲に巻き起こる特大な魔法陣に気がついたのだろう。
タヌキ君が唸るように吠えた。
「お、おい! ケトスの旦那! ま、まて! おちつけ! そりゃ、オレもムカッ腹だが――いま、この場で破壊しつくしちまったら、残されている民の救出ができなくなるぞ!」
じいぃぃぃぃぃっとジト目を返してやる。
こいつ。
私が破壊の申し子か何かだと思っているんじゃなかろうか。
『大丈夫。私は冷静だよ、ちょっと腹は立っているけどね。シアンくん、民が既に人体をバラバラにされて殺されていたなら、全員を救うことはできなかっただろう。けれど、蒸発したように魂と肉体を触媒として使われたのなら――なんとかなる』
「それは――本当なのか!」
魔術式としては、可能だと私の天才にゃんこ頭脳は告げている。
むふぅ!
ここぞとばかりにドヤ顔をし、暴走しないようにあえて!
くはははははははははははは!
愉快な哄笑を上げてやるのである!
『この国の民が悪党召喚の贄にされたというのなら答えは簡単だ! その逆をすればいい! ちょっと骨は折れるけど、敵も一挙に殲滅――できるからね!』
言って私は、砦で確保した生命のクリスタルを取り出し。
肉球を翳す。
『灰は灰に、塵は塵に。さすれば汝の呼ばれし対価が無へと消えるならば、悠久の時、逆巻き昇り、汝の代価を変換す。それが我の定めし理、従え、従え、従え! 我、大魔帝ケトスの名において反契約を執行する。魔力解放――アダムスヴェイン!』
冥界神が持ち込んだ魔術系統を祝福に取り込み。
操作して――っと。
時の魔術。契約破棄の魔術。神の祝福と奇跡。
そして異界神話を魔術現象として引き起こすアダムスヴェイン。
本当ならこんな組み合わせで魔術式を組んだら、膨大な計算式で世界が軋むんだろうけど。
私。
大魔帝ケトスだしね。
ぶわぶわぶわっと黒き獣毛が靡く中。
私はくわっと咢を開く。
『蘇れ――無辜なる民よ!』
外道転移者の肉体と魂から作り出した、生命のクリスタルが――。
割れた。
そして。
光と闇と時間が交差し――。
ざぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっぁ!
潮騒の中。
誰もいなくなってしまった街。
数百人の民が、広場に崩れ落ちるように顕現する。
成功である。
バタバタバタバタ、モフ尻尾が魔力の風に揺れて――かっこういいね?
コストとして使われていた民間人をじっと見て。
生存を確認した私は、息を吐く。
『なるほど、一人の悪党を呼ぶのに使われた一般人は数百……五百人ぐらいかな』
逆算すればいいのだが――。
……。
これ、ネコちゃんだと計算がむずかしいかな。
なるべく急いだ方がいいか、と。
私は演出を抜きに闇の霧を発生させて、姿を人型モードへと変貌させる。
魂や心や頭脳は、形に影響を受けるからね。
魔力式や魔術式以外のむつかしい計算をするのならば、こっちの方がいいのである。
『シアンくん、首都の人口は?』
低く蠱惑的な帝王ボイスで告げる私に一瞬、動揺するも。
これが私の変身した姿。
素晴らしき人型大魔帝だとすぐに理解したのだろう、シアンくんが記憶を辿るように目線を左横に落とし……。
「正確な数字ではないが……およそ二十万人だと、大臣からは聞いていた。私が聖騎士として騎士団に入った時のものであるから、現在もそうとは限らないが。そう大きなズレはない筈だと思う」
二十万人も犠牲となった。
その重さを感じるように、シアンさんは無力を嘆き下を向くが。
黒髪の隙間から紅い瞳を光らせた私は――ニヤリ。
口角をつり上げる。
『ふむ――なら四百人の悪党転移者が呼ばれているわけか。そいつらを四百人捕捉して反転召喚の生贄にすれば、全員無事にとは言わないけど大多数を救出することは可能だろうね』
ネコちゃんモードだったら、きっと。
にじゅうまんだから、えと……ひーふーみーっとなっていただろう。
だが。
しかーし!
今の私。この人間モードに変貌する私は! ちゃんと三よりも大きな数だって、簡単に計算できてしまうのである!
ででーん!
シリアスな顔を維持したまま、心の中で猫モードな私に勝利宣言する私。
凛々しいね?
『安心したまえ――大魔帝として君に約束しよう。多くの民を救ってみせるとね』
「ケトス殿、それはまことか!」
希望の言葉を聞き、シアンさんは髪を跳ね上げる勢いで上を向く。
私に縋る視線からは絶望が抜けている。
『ああ、本当さ。私は心美しいレディには優しくなってしまうからね。けして、ついうっかり呪いの装備を渡してしまった事を誤魔化すために、一生懸命になっているわけじゃない。王国の民をできる限り救ってみせるから、その魔槍の件については……分かって――くれるね?』
ついでなので言質を取っておこう!
と、誘惑スキルを発動する私に。
じとぉぉぉぉぉっぉおっと突き刺さる、タヌキくんの鋭い視線。
くっ……!
獣人は鋭いからなあ……っ。
肉球をパチンと鳴らし、ニャンコ砦に反転召喚した民間人を転移し。
通信。
ヒナタくんの事情を伝えて――と。
『さてシアンくん、悪いけれど君の意識と過去に少し触れさせてはくれないかな?』
必殺!
とっととガチシリアスに移行して、魔槍の件をうやむやにする攻撃!
私の誘導に掛かり、タヌキ君も意識を変え。
シアンさんは少し眉を困惑に変えて言う。
「ケトス殿ならもちろん構わないが――なにをするつもりなのだ」
『君のメモリー……記憶領域から読み取れる味方の存在を魔術の対象外にしたいのさ。今からちょっと派手な魔術を使うからね。敵と味方の区別がつかないって言っただろう? それを君の魂を通じて自動的に選択するようにしたいんだよ』
タヌキくんもシアンさんも顔を見合わせて。
頭上にハテナを浮かべる。
そういや、この二人――魔術師じゃないからなあ。
「よく分からないが、必要だというのなら――私は構わない。やってくれ」
『悪いね。君の見られたくない記憶とかも見てしまうが、そこはどうか許しておくれ』
言って私は、彼女の額に手のひらをあてる。
すぅっと息を吸い。
意識を集中させる。
彼女の記憶がすこしずつ、魔力を通して私の頭脳に入り込んでくる。
プライベートなことなので、記録クリスタルにはあまり記述を残せないが――……。
……。
なるほど。
どうして彼女が王位継承権を放棄したのか、その辺りの事情も見えてきた。
まあ、ありていに言えば魔術の才がないので――勘当。
ようは追放されたのである。
うーみゅ……。
気丈で気高い聖騎士で、いわゆるガハハハハと笑う女傑系のタイプだと思っていたのだが。
過去、めっちゃ暗いでやんの。
水と風系統の魔術が最重視されるこのデルトライア王国で、残念ながらシアンくんはその二つの属性には適性が皆無だったらしい……。
その穴を埋めるべく騎士の道を進んだのだ。
彼女が凡才ならそれで話は終わったのだろうが――。
この子は槍の才能に秀でていた。
槍の道を究めてしまったら、今度は王権争いに担ぎ上げられるようになってしまい……親族間の争いを嫌いそれを辞退。
辞退したらしたで、終わりではなかった。
再び勢力争いに担ぎ上げられてはたまらないと――不安を抱いた彼女の兄だか弟に命令され、今度は戦の最前線に送られて捕虜となり――。
現在に至ると。
うん。
かわいそうだね……。
記憶を読み取られるシアンさんが少し困ったように、眉を下げる。
「王家の人間は、魔術師系統の職業になるのが決まりだったのだがな――私は、どういうわけか槍と祝福や奇跡にしか適性が発現しなかったのさ。まあ、よくある話だろう。さすがに、まだ若かったころは、少し、泣いたけれどね。それももう昔の話さ」
懐かしむように過去に目をやるシアンさん。
その横顔を見て、私はぼそりと呟いていた。
『人間とは、辛い時に泣く生き物だ――悪い事ではないだろうさ』
人という種族には、様々な感情がある。
嫉妬や羨望。
失ってしまった光。
かつて人間であった頃の記憶も、既に泡のように弾けていた。
『もう私は、泣き方を忘れてしまったからね』
泣けるという事も、人の証なのだ。
ここ。
センチメンタルダンディ紳士である。
「すまぬケトス殿――私の過去は、そう温かいものではなかったからな。嫌な気分にさせてしまったようだな」
『いや――』
ちゃんとありがとうと、ごめんなさいを言えるイイ子なんだよね。
この子。
……。
べ、別に私がちゃんとごめんなさいが言えない悪い子ってわけではない。
そんなニャンコ的な思考に、思わず乗っ取られそうになる心を笑って――。
紳士な声で私は告げる。
『君は君の道を自分で選んだんだ。その決意は間違ってなどいなかったと、私は思うよ』
静かな大人の顔で語って。
私は亜空間に接続。
大魔帝セットから魔杖のみを顕現させ――装備!
くおぉぉぉっぉぉぉん!
周囲を闇のフィールドで覆っていく。
キィン――っ!
と、出番を待ち望み元気に唸る猫目石の魔杖に――すぅっと魔力を滾らせ。
私は嗤う。
黒い前髪の隙間から、憎悪の魔性としての赤き瞳をギラギラと漲らせ。
『さて。準備は完了だ――我はケトス。大魔帝ケトス! 異界より招かれし悪を穿つ魔爪なり!』
翳す杖の先端で魔術刻印を刻みながら、私は極大規模の儀式魔術を形成していく。
大気が動き。
空が唸る。
魔力を伴った雷鳴と豪雨が、突如として港を襲う。
潮騒の代わりに襲った轟音。
静謐を崩す、大魔帝の魔力。
バッと両手を開き、私は哄笑を上げる。
『さあ、鳴くがいい! 叫ぶがいい世界よ! 我が魔術の奥義に混濁たる瞳を見開きたまえ――!』
「なっ――おい、旦那! 海が割れてやがるぞ!」
私の魔力に呼応し、天変地異が起こっているのだ。
本来ならこの辺りも考慮して力をセーブしないといけないのだが。
にゃふふふふふ。
ニャハハハハハハハハハハ!
敵さんが、民間人をぜーんぶ使ってしまったので――遠慮する必要がなくなった。
これは敵のミスだ。
民間人をすべて使ってしまうなど、愚の骨頂。
あるいは、人質や奴隷として肉の壁にされていた方がよほど厄介だったのである。
だから。
私は外道には外道をもって、返してやる。
タヌキくんの張った結界に守られるも、魔力風に揺られ……くっ――と唸る暗黒騎士。
風に青紫色の髪を靡かせながらシアンくんが叫ぶ。
「な――なにをするつもりなのだ!?」
『言っただろう、犠牲となった人々を反転召喚するのさ』
「そうは言うが――まだ敵の姿を見つけてはいない、一体何を触媒に使うつもりだというのだ!」
私はケトス。
大魔帝ケトス。
本物の――魔性だ。
広がる闇の中。
私は言った。
『もちろん、この王国に巣食っている異界の悪党ども全部さ』
そう。
場所を特定していないのなら――効果対象範囲を広げればいいだけの話。
それだけの事。
極めて単純で美しい答えだ。
複雑怪奇な魔法陣がオーロラ色の光を放つ。
首都を包んでいた魔法陣は、さらに加速し――山を越えてその範囲を広げて伸びる。
美しい答えはもう一つ。
範囲を首都だけではなくこの王国全域としたら。
それはきっと、敵にとって素晴らしい悪夢をみせてくれるだろう。
敵と味方の識別は完了済み。
ならばこそ。
私は容赦なく殺戮の魔術を発動させた。
『魔力――解放。アイテム生成。さあ、君達の血肉から返して貰おうか!』
告げる。
それが詠唱となり、魔術は発動した。
《コード:反転召喚:反英雄たちの羊肉》
翳す魔杖の先。
形成されていく魔法陣が――王国全域を包み覆った。




