熟練転移者 ~御ネコの顔も三度まで~【SIDE:女子高生転移者ヒナタ】後編
【SIDE:女子高生転移者ヒナタ】
英雄たちの召喚された地。
聖帝国イプシロン。
皇帝との謁見が行われている場所に起こった混乱――今、この領域に顕現したのは尋常ならざる魔の存在だった。
正体は、大魔帝ケトスを名乗る強大な魔猫。
彼の者は膨大な魔力を放ち。
ただ悠然と食事を続けているのである。
『くははははははははは! 恐ろしかろう! 我の通る道にグルメあり、果てに遺されるは長しえの灰燼、さあ、我にもっとグルメを寄越すのである! クハ、クハハハハハハハハハ!』
闇のシルエットが室内に広がる。
玉座の上からドヤ顔でナイフとフォークを蠢かす、邪悪なる猫の影が映っている。
ふざけているのか、真面目なのか。
どちらにしても英雄たちは感じていた。
――規格外のバケモノだ……と。
レベル三桁の熟練転移者たちを前にしても怯む様子はない。
その姿はまさに魔王の風格だった。
少なくとも一つの世界を滅ぼすことが可能な魔獣なのだと、ここに集められた英雄たちは理解していた。
しかし驚いたのはその魔力だけではない。
――大魔帝ケトスですって!?
日本の平凡ではない女子高生。
ヒナタは黒い自慢の髪を靡かせ、大きく丸い瞳を見開いた。
その名に覚えがあったのだ。
相手は恐ろしいほどの魔力を滾らせる存在だ。
けれど。
震える唇から思わず、驚嘆の声が飛び出てしまう。
「「「――……この黒猫が、あの大魔帝ケトス……――っ!」」」
予想に反して声は反響していた。
英傑達の叫びが聖都の空気と魔力を揺らしたのだ。
タヌキの尾と耳をモフらせる獣人武闘家が、はぁ……? とヒナタを向き。
学校指定のカバンと制服を翻すヒナタは、叫んだエルフを、え……? っと向き。
長老樹の古木杖を握る美しいエルフが、隣で構える歌姫の人間を振り返り。
歌姫はまあ……っ、と小さな口元を押さえて驚愕に目を見開く。
ほぼ全員、驚愕の声を上げていたのだ。
そして。
ん? と、顔を見合わせて。
「異神の主神の創造主、世界樹の父にして――神殺しの獣!」
「あまたの黒魔術を開発せし大魔術師! 時に世界を滅ぼし、時に救う気まぐれな神獣!」
「全てを喰らい尽くし闇、憎悪を司りし混沌の獣!」
それぞれがそれぞれの世界で伝わる逸話を語り。
また沈黙。
ん? と顔を見合わせる中。
遅れて、こほん。
女子高生のヒナタも頬を掻きながら、グルメを貪り続ける黒猫に言う。
「あー、あのさあ。お食事中に悪いんですけど……ねえ、ネコちゃん。あんたって、マジであの大魔帝ケトスなの?」
黒猫はモフモフした耳をぴょん!
立てた耳をふわふわっと揺らし、肉球についた甘酢ダンゴの汚れをチペチペ。
英雄たちに目をやって……じぃぃぃぃぃっぃぃぃ。
存外に友好的な声で応えていた。
『あのって部分が、すんごい気になるけど。たぶんその大魔帝ケトスさ。いやあ、私すごいね~。たぶん魔導書で読んだんだろうけど、君達の世界でもそれぞれ逸話が残されてるのか。うんうん! 私も有名になってきたね~!』
にゃはははははは!
と、空飛ぶ玉座でグルメを回収しながら嗤う黒猫は、間違いなく大物だ。
実際。
ここに集う英傑達が束になってかかっても、傷一つつけることはできないだろう。
文字通り、レベルの桁が違うのだ。
――けれど、会話ができている。これは――いけるわね。
ヒナタは安堵していた。
力そのものが具現化した意志ある破壊の概念や、そもそも会話自体が成立しない獣ではない。それだけで起点はいくらでも作れる。
誰かが不用意に攻撃したりしない限りは、この黒猫は会話に応じるタイプだろう。
そう判断したのだ。
ここにいるのは英雄ばかり。
――ま、こんなヤバイやつに攻撃したりする馬鹿なんていないわね。
そう。
つまり、もはや何の憂いも無い!
筈だったのだが。
ドヤってふふんとするヒナタの前方で、なにやら動きがあった。
ぺちん!
さすがに衛兵たちもこの魔猫の圧倒的な存在感に気付いたのだろう、ガクガクと膝を震わせて、腰を抜かして倒れ込んでしまった。
倒れ込んでパニックになったのだろう。
「ひぃ……っ――、く、くるなぁあぁあああああああぁぁぁぁ!」
衛兵の一人が、魔力弾を飛ばしてしまう。
べちゅっ!
飛んだ魔力弾は見事に大魔帝ケトスの顔面に直撃。
……。
とてつもない沈黙が走る。
大魔帝ケトスもまさか攻撃されるとは思っていなかったのだろう。そのフォークがカランカランと床に落ちてしまう。
「ぎゃああああああああああああああああぁっぁぁぁぁ! ちょ! あんた! なにしてくれちゃってるのよ! あたしの説得スキルは、攻撃しちゃった対象には発動しないんですけど!」
むろん、何の効果も無いのだが――攻撃は攻撃。
膨大な魔力を滾らす魔猫。
その紅き目がムっと歪んでいく。
『へえ……君達は――そうか。我が主への贄を集める、私のグルメ回収の邪魔をするのか』
尻尾が大蛇のように揺れている。
どうするべきか、考えているのだろう。
ぞくり……っ!
空気が、一瞬で凍る。
魔力を解放した、それだけで心臓を握られるような圧迫感が周囲を覆ったのである。
謎の闇の霧が、モヤモヤと浮上してくる。
――なにこの、モヤモヤはっ……わからない、わからないけど、何の意味もないモヤの筈がない……っ、なら、デバフ!?
ヒナタは奥歯をギリリと噛み締める。
重圧の中で考える。
必死に頭を働かせる。
これがあの伝承にある大魔帝ケトスならば、攻撃を仕掛けてしまった衛兵は間違いなく殺される。
「た……たす……けっ……」
震える声が衛兵の口から洩れる。
自分で蒔いた種だ。
助ける義理などない。
おそらく、この衛兵を見捨てる事が最善だ。
地を這う男が手を伸ばす。
英雄たちに向かい、救いを求めて手を伸ばす。
誰も何も言葉を発することができない中。
やはり動いたのはこの中で一番若い黒髪の少女、日本人のヒナタであった。
震え助けを伸ばす指を、見捨てる。
「ことなんて、できるわけないじゃない! もう……仕方ないわね!」
身体が勝手に動いていた。
「た、たすけて……くれ」
「わぁぁぁぁぁってるわよ! 見捨てられるわけないでしょう! 結界を張るわ! あなた、こっちにきなさい――もし生きて帰ったら説教するから覚悟しなさいよ!」
救いを求め差し伸ばした手に反応した少女に。
ほぅ……と魔猫の瞳がギラつく。
「あ、あしが……ふ、ふる……ふるえ――」
「助かりたいなら、走れぇええええええええぇっぇ!」
無理もない。
こんな化け物を相手にしているのだ。
一般の兵士なら息をする事すら困難だろう。
怯え震える衛兵を見て、魔猫の瞳がスゥっと細くなっていく。
口元が丸く歪んで。
まるで、獲物を捕らえた肉食獣のように眼光も、気配も尖っていく。
『一応忠告しておくよ。私も知らぬ遠き地より舞い降りた英雄たちよ、汝らの力は賞賛に値する。なれど――君達では私には勝てない。これは純然たる事実だ』
忠告の理由など、分かり切っている。
この衛兵を殺すが邪魔をするな。
そう言っているのだろう。
髪を掻きむしりたくなる衝動を堪え、ヒナタは聖剣に魔力を這わせ――深く息を吐く。
――やるしかないか!
キッと黒い瞳に力を入れて、魔力を放射。
勇者の扱う扇動系の範囲鼓舞スキルを発動し、少女は叫んだ。
「どちらにしてももう逃げられない! やるっきゃないわ! 戦うつもりがない人は、今のうちに逃げなさい! 責めたりしないわ!」
ここに召喚されたのは皆、一度は世界を救った英雄。
少女がやる気になっているのに逃げる者はいなかった。
ザッ――!
召喚された英傑。
全員が同時に行動を開始していた。
「唸れ鉄拳、砕け千撃、羅神流奥義――破山掌!」
「ディメンション・ストップ!」
拳に闇の炎を纏った狸獣人の武闘家が正面から魔猫に殴りかかり、エルフが次元干渉での時間停止魔術を発動する。
知覚できるほどに濃厚な時の渦。
高密度の行動遅延フィールドが魔猫の周囲を取り囲む。
術を制御するエルフが呪力を纏う杖を両手で握りながら、叫ぶ。
「今の術で行動を極端に遅らせますわ……っ、だれか、全員を転移させる魔術かスキルが使えるなら、早く!」
「いいぜ! そこのエルフ! この猫の動きを止めてやがれ! オレの技が決まれば、どんな敵でも一定の期間スキルも魔術も発動できなくなる! 一発でいい、なんとしてでも技を通させろ! 誰でもいい、拳を強化しやがれ!」
タヌキの尻尾がぶわっと膨らみ。
続いて大司祭と思われる壮年の聖書が、バザサササササササと開かれ。
キィィィィィィン!
「聖霊よ! 邪悪なる魔に立ち向かう我等に力を与えたまえ!」
「名も知らぬ友よ、共に抗う英傑よ、我が聖歌に耳を傾けなさい――!」
聖職者のバフに続き、歌姫の祝歌が発動。
恐ろしき魔猫に立ち向かう、全員の全能力が大幅に上昇する。
「どーよ、このバフ増し増し! いやあ! さすがあたしら異界の英雄ねえ! これならいける、一発当てるぐらいなら、なんとかなるわ! こんな名前しか知らない帝国で死にたくはないでしょう! いくわよ!」
ヒナタの扇動スキルが更に全員の能力を向上させる。
異なる世界のバフが相乗効果を起こして、効果を増す。
「うおおぉおおおおおおおおおおおぉぉりゃぁぁああああああああぁぁぁ!」
行動を戒め、後衛でバフ――最大限に優位になった前衛で攻撃。
単純だが、単純だからこそ防ぐことは難しい連携だった。彼らが高レベルの転移者だからこそできる、即興の連携だ。
――が。
まるでコンニャクを床に落とした時のような、音もない音が周囲に響く。
それは肉球状の魔術障壁。
『で――? タヌキくんの攻撃は、当てないと効果を発揮できないんだね』
「なっ……、と、届いてねえ……っ!」
タヌキ獣人の拳を魔力の壁で防ぎながら。
じぃぃぃぃぃっぃい。
魔猫は周囲を眺め、赤い瞳に無数の魔術式を反射させる。
『なるほどね、異界の勇者たちの固有スキルのオンパレードか。いいねえ、私も異界の技術には興味がある』
時の渦をニクキュウで掴み上げると、紅く輝くルビー状のゼリーに物質変換してみせて。
にゃはり♪
「そんなっ――! 星魔神テレスコの動きですら戒めたわたくしの術が……っ」
『星魔神テレスコねえ……聞いたことないし、君達は各々に別の世界の神や魔の力を引き出しているし――やっぱりそれぞれ異なる異界の民ってことか』
ゼリー状になった時魔術をパクリ。
むっちゅむっちゅ♪
食べて吸収し、大魔帝は周囲を赤き魔力で染め上げる。
『これ時属性の魔術だね。結構レアだけど、あー、でも無駄無駄。私も時属性は扱えるからさあ、そういうの、うん、悪いんだけど全部レジストできちゃうんだよね~。むしろ食べて吸収できちゃうみたいな? ぶにゃはははははは! いやあ、私ってば凄い! さすが天下の大魔帝!』
「隙だらけなんだよ! 貰ったぁぁぁあああ!」
ドヤる黒猫の正面を、多重のバフを受けた神速の拳が襲う。
獣人武闘家の顔は鬼気迫っていた。
ドドドド――!
もふもふ!
ドドド――!
襲う魔力の拳がついに魔猫の結界の一部を貫き、効果が発動する。
宣言通り、その効果は魔術とスキルの遮断。
鈍い音を立てて、肉球魔力が消えていく。
魔術障壁が、割れたのだ。
『おや、耐性を無視して効果を発揮するのか。厄介だね』
観察する魔猫の瞳が、くわぁぁぁぁぁっと興味深げに広がる。
ドドド――ッ!
もふもふ――!
ドドドドドドドド――!
拳圧が城内の床を剥がしていく。
絨毯も焼け焦げ、塵となって飛んでいく。
「袋叩きだが、悪く思うなよ――! てめえはヤバすぎる!」
ふわふわな黒猫とモフモフなタヌキ。
ちょっと生意気そうな獣がじゃれ合っているようにしか見えないが、その戦いは神話規模。
吹き荒れる魔力風に、タヌキの耳と尾が揺れた。
その一撃に全ての魔力を込めるのだろう。
空気が、荒れる。
『へえ、二足歩行のタヌキ獣人か。顔までタヌキさんなんだねえ。心は……ああ、人間か。君は転生者だね。大丈夫、大丈夫。いや、こっちこそ悪く思わないでくれと言わせて貰おうかな』
嗤う魔猫に襲いかかる、大量のバフを受けた獣人の掌底。
避けようのない攻撃だった。
けれど。
ペチンと魔力を纏う肉球で奥義を受け止め、魔猫はドヤり。
「なっ……! 触れるギリギリで受け止めてやがるのか!」
『悪いね。私、魔術だけじゃなくて武術もイケる口なんだ。魔術師用の杖を持っているから、誤解しちゃったかな? これは直撃判定じゃないから魔術もスキルも封じられないね』
柔い肉球なのに、押し負けている。
武闘家はぐぎぎぎぎと奥歯を噛み締め、唸る。
「なめるなあぁぁあああああぁぁぁぁ……っ!」
もふもふタヌキ尻尾を回転させ、遠心力で放たれた裏拳が大魔帝ケトスの脇腹を狙う。
ドゴン!
ずし……っ。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴ、ギシ……、ギギギギギン!
『あ、ほれ! ほれ! どーした人間! いや、獣人か。どっちでもいいか! ぶにゃははははは!』
後ろを向いたまま、ペチペチペチ!
尻尾の先のみで武闘家の拳をいなして魔猫は嗤う。
「ば、ばけものかよ!」
「闇属性じゃ無理よ! 退いて! あたしが行くわ!」
言って、斜めから駆けるのは聖剣を抜き放ったヒナタ。
邪竜すらも一撃で葬る伝説の剣を操る少女の身が、無数に増えていく。魔力を代価に分身する――単純だが強力なスキルである。
『そのスキルは……、へえ、やるじゃないか』
「大魔帝ケトス! あなたの弱点はもう見えたわ! この勝負、貰った!」
勝機を掴んだヒナタ。
その細い手がカバンの中から取り出したのは――ポテトチップスの袋。
聖剣が、すっとその封を――切る!
突如広がる、ポテチの香り。
『青のりしょう油マヨネーズ味だと――!?』
ぶにゃ!
大魔帝のヒゲも瞳も――揺れる!
「あたしたちを許してくれるなら、このポテチごと分身して、増えた分を全部あなたにあげるわ! どう!」
「ば、そこの女! こんな時にふざけた事を――」
叫ぶ獣人武闘家の顔面に、ペチンと尻尾ビンタを軽く落とし。
大魔帝ケトスが、ふむと唸り。
じぃぃぃぃぃい。
戦いを終え。
滅びゆく直前になんか急に哲学的なことを言いだすラスボスの顔で、ふっと微笑する。
『いいだろう、そのポテチ、我に全て捧げるというのなら――許してあげないこともないよ?』
「いいわ。これは故郷の貴重なポテチだけど、全部……涙を呑んで、あなたに献上する。だから、無駄な争いは止めにしない? ……ていうか……どうせ、こっちを殺すつもりなんて最初からなかったんでしょ?」
ヒナタの言葉に、魔猫は満足そうな顔をして。
ゆったりと瞳を閉じる。
『ま、君達がどれくらいの存在なのか試したかったからね。弱者を助けるタイプの人間なのかどうかも含めてね』
じゅるりと涎を垂らしかけながらも、黒猫はパチンと肉球を鳴らす。
次の瞬間。
ざあぁああああああああああぁぁぁぁぁ!
溢れる魔力が周囲を包む。
魔猫の影が天井一面に広がっていき――巨大な怪物の影となってその咢を開く。
影の魔猫が、口をあんぐりと開いて――。
あっぐあっぐ。
周囲の魔力を全て吸収していく。
武闘家のタヌキ獣人がしっぽを足の間に隠すように巻きながら、うへぇ……。
「魔力封印……っ、この猫、そんな反則技まで使えるのかよ!」
『盗聴系の魔術を使われると困るからね。悪いけど、いったん全部の魔力を吸わせて貰うよ』
既に戦いの空気がなくなった戦場。
一転して静けさが広がった城内。
タヌキ獣人がくわっと唸って、聖剣を収納する女子高生ヒナタに言う。
「おい、そこの人間の女! どういうことか説明しやがれよ!」
「説明って言われても、あたしはただきっかけを作っただけ。このニャンコちゃんが意外に話の通じるタイプだって分かっただけよ。だってこんなに力の差があるのに、一切反撃もしてこないし。どうもあたしが聞いたことのある大魔帝ケトスと様子がちょっと違うけれど……」
困った顔をして大魔帝を見る、英雄たち。
『ねえ、ちょっと聞きたいんだけど君達、私についてどういう風に伝わっているんだい』
勇者たちは顔を見合わせて。
しーん。
口にすると不興を買う、そんな様子にヒナタは苦笑い。
「少なくとも魔導帝国を滅ぼして、勇者を噛み殺したってことは聞いたわ。その二つ名は殺戮の魔猫。あなた――ただでさえ反則的に強いのに、倒してもリポップしつづけるんでしょ? 本当にあの無慈悲な殺戮者、魔王軍最高幹部の魔猫なの?」
異界の英雄たちの顔が、うげっと歪む。
『その殺戮の魔猫さ。ま、私も色々あってね――今はそれほど人間と敵対してるってわけじゃない』
言って、魔猫は衛兵をちらり。
『君も、私が本当に悪い猫だったら今頃お腹の中だったよ? 魔力弾を飛ばすほど混乱していたのは分かるけど、気をつけなよ。ここには君が守るべき皇帝陛下だっているんだろう?』
ニコやかにモフ毛を膨らませながらも、まったく隙が無い。
ごくり。
友好的な会話を続けるヒナタだったが、その頬には濃い汗が浮かんでいる。
他の者も、ごくりと息を呑んでいた。
少女の会話を見守っているのだ。
もし、会話での交渉に失敗したら――全員がこの場で消される。
今度はおそらく、容赦なく。
『それで、どうするかな人間諸君。いや、まあエルフとかタヌキ獣人君とか、龍の血を持つ者とか魔人とか、色々と混じっている人も多いけど……まあいいや。このまま私と戦いの続きを行うかい? 無駄な殺戮は趣味じゃないけれど、勇者なら魔の眷属の私をどうしても許せないって人もいるだろうからね。私はどちらでもいいよ。君達が好きに選ぶといい』
選択権をこちらに委ねてくれる。
異界の英雄たちは目くばせをし、会話を続けていたヒナタが言う。
「いえ、できればもう戦いたくないわ。あたし達が本気で同時に攻撃したとしても、あなたが本気になれば、尻尾の先すらも動かさずに殲滅できるんでしょう? これが自分の世界なら命に代えても! ってなるけど、さすがに異界の地で無駄死にはしたくないし……ねえ? みんなだってそうでしょう?」
空気は全員、同意である。
『おや、さすがは異世界の勇者たち。実力の差ってもんを理解してくれて嬉しいよ。三回までは我慢しようと思っていたから、ギリギリだね! ところで肝心の皇帝さんが黙ったままなのが気になるんだけど――』
「あ、あれ……? もしかして、さっきの衝撃で召喚されたあたしたち以外全員気絶してるんじゃないかしら?」
ヒナタの言葉に全員が周囲を見渡し。
うっ……と声を漏らす。
城が、割れているのだ。
魔猫の肉球に、濃い汗が滴り始める。
『し……仕方ないなあ。後で魔王様に怒られても困るし……これもまあ、サービスかニャ』
言って、魔猫は猫の目を彷彿とさせる魔杖を翳し。
さっと一振り。
十重の魔法陣が無数に顕現し、収束し。
さぁぁああああああああぁぁぁぁっぁぁあ……。
時属性を持つエルフがまともに顔色を変えて、低く唸った。
「うそでしょ……」
魔猫がさっと杖を振った。
それだけで、壊れていた城も、内装も元の状態に戻っていく。
倒れ込んでいる皇帝たちの気絶状態も回復。
魔力を使い果たしかけていた、異界の英雄たちの魔力さえも回復させていったのだ。
『ありゃ――さすがに皇帝君とか一般人には衝撃が強すぎたみたいだね。即座には起きてくれないや……まあ、それでも五分ぐらいすれば起きるかな』
魔杖を闇の中に戻し、玉座に座り直した魔猫は尾をくるりと巻いて。
しっぺしっぺしっぺ。
後ろを向いたまま。
ちぺちぺちぺ♪
モフ毛を靡かせる背を、女の子の明るい声が叩く。
「時間逆行……って、いくらなんでもチート魔術過ぎるでしょ。ケトスちゃん……あんた、マジで何者なのよ。いや。異界の魔族だっていうのは知ってるけど」
『ちょっと強いだけのダンジョン猫さ。基本的にはね』
ポテチの袋を大事そうにしまい、何事も無いように言っているが。
ヒナタは魔猫の正面に回り込んで、身を傾け。
じぃぃぃぃっぃぃい。
「なに、そのすっごいドヤ顔……褒めて欲しいわけ?」
『君は、けっこう繊細な猫ゴコロが分かるみたいだね』
大魔帝ケトスは、ドヤァァァァァァ!
それはもう嬉しそうに。
褒めよ、讃えよ!
ドドドド、ドヤァアァァッァァァァァ!
その喉がゴロゴロとなっている。
闇の獣の手が、ガサガサゴソゴソ。
ポテチの袋にずずずず……と入り込んで、ゴーロゴロゴロ。
貢物に大変満足しているのだろう。
「気に入っていただけたみたいで何よりよ」
『くはははははは! 実に懐かしき味である!』
件の大魔帝はおとなしくなり。
青のりで口の周りを汚し、膨らむモフ毛を靡かせていたのであった。
◇
戦いは終わった。
けれど誰しもがこう思っただろう。
これはただ、運が良かっただけの結果だと。
もし選択肢を間違えていたら――。
……。
背筋に汗が滴る。
襲うのは――冷えた感触とぞっとするような直感。
ヒナタはふぅ……と息を吐いた。
今度の転移はどうやら、そう簡単には無双できそうにはないと。
ぎゅっとカバンを握ったのだ。




