熟練転移者 ~御ネコの顔も三度まで~【SIDE:女子高生転移者ヒナタ】前編
【転移者:女子高生ヒナタ】
少女は呆然としていた。
人気キャラクターのキーホルダーをジャラジャラぶら下げた学校指定のカバンを肩にかけ。チューイングガムをプープー膨らませ。
ウキウキ気分でコンビニから出た筈だったのに。
どこからどう見てもここは日本ではない。
いつか見た、ファンタジーゲームのような世界が目の前に広がっていたからである。
少女の目に映るのは魔力で灯る照明。
LEDではない魔力閃光。
思わず握ったカバンが揺れる。
ジャラリと音を鳴らすキーホルダー。魔術師帽子をかぶった黒猫のキャラクターの抱えるカボチャのボードに記された名は、日向撫子。
わざわざネットで注文して、大好きだった黒次郎という猫キャラクターのキーホルダーに自分の名前を記入して貰ったのだ。
彼女は存外に落ち着いていた。
さすがに転移直後は動揺していたが――。
それでも既に、彼女はいつでも戦闘態勢に入れる形で足の角度を変えている。
日本人のヒナタがこの世界に召喚転移したのは初めて。
けれど。
異世界転移自体はもう既に経験済み。
これで三回目の転移だったからである。
召喚陣の上で凛と立つヒナタは、十七歳の女子高生。黒く長い髪がまるで名前通りの大和なでしこね。
なんて。
故郷にいる母は彼女の髪を梳かして笑っていたか。
ヒナタは思う。
――まーた呼ばれちゃってやんの。
と。
「まああたし、もうそれなりには強いから、召喚候補に挙がりやすいんだろうけど……勘弁してよ――こないだの転移から戻って一年も経ってないじゃない!」
召喚陣が築かれている場所は、お約束通りどこかの御城。
巫女や聖女が囲む、神聖な儀式の場。
ヒナタは絹のようになめらかな黒髪を指で掻き上げ、キリっと周囲を睨む。
「だぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁ! どこの誰よ! このあたしを、異世界召喚しようっていう命知らずは――っ!? くっだらない理由だったら、呪い殺すわよ!?」
歯を剥き出しにグギギギと唸る彼女の顔は、まさに般若。
黙っていれば大和なでしこ、口を開けばがみがみ猛犬。
と。
さきほど、学校帰りのコンビニで同級生の男子に言われた言葉を思い出し、コホンと咳払い。
実際、巫女やら聖女は怯えた顔でヒナタを眺めていた。
ヒナタは大きな瞳をやはり、ぐぬぬぬと絞りじっくりと周囲を観察する。
鑑定スキルを発動。
場所は――聖都イプシロン。
魔力で鑑定できるのだ、少なくとも魔力のある世界である。
やはり異世界で間違いない。
はぁ……とあからさまに肩を落とし、ヒナタは言う。
「あーあー、日本語は通じてる? それとも前の世界みたいに魔力で会話をすれば通じているのかしら? ねえ、ちょっと。聞いてる? もしもーし! 用がないなら、あたし、もう帰っちゃうわよ!?」
「も、申し訳ありません勇者様……っ」
代表して応じた線の細い聖女に、ヒナタはキッ!
「勇者だぁ? 冗談じゃないわよ! これで三回目よ、三回目! いい!? もうあたしはその名で呼ばれるのはウンザリなの! 今度言ったら、この城をぶっ飛ばして魔王側に回るわよ!」
「三回目!? では、勇……あなたさまは既に世界を二回も救った経験がお有りだと?」
おどおどとする聖女に構わず、ヒナタは唸る。
「そうよ! 悪い!?」
「と、とんでもございません――っ」
ヒナタが苛立つのは当然だ。
なにしろ学生服姿の彼女はちょうど下校の最中だった。
例の男子高校生とちょっとイイ感じになって、今晩は、男子のプレイしているスマホゲームのイベントを一緒に周回する筈だったのだ。
なのになのになのに。
コンビニから出た途端、これ。
「がぁああああああああああぁぁぁぁぁっぁ! これで時間が経過する系の異世界だったら、あたし、約束ブッチして夜遊びしちゃってるみたいじゃない!! どうしてくれるのよ! イベント限定アイテムとかあるのよ! あんた、聖女でしょ! なんとかしなさいよ!」
「そう言われましても……、と、とにかく。召喚された皆さんは今頃皇帝陛下と会食を兼ねた謁見を行っている筈なので、そちらに……行って、頂けると……」
召喚された皆さん。
その言葉に、ヒナタの空気が変わる。
「あんたたち、何人呼んだの」
「べ、別々の儀式の間で呼んでいるので……それに、その、あたくし達は……」
上に言われただけなので分からない。
そんな感じかと、ヒナタは冷めた瞳で聖女たちを見る。
言われるままに異世界の若者を誘拐した。
だから自分たちは悪くない。
言いたいことは山ほどあったが、文化や習慣が違うのならここで言っても無駄か。
少女は見えざる聖剣を顕現させ。
それをすぐに隠す。
「まあ、あんたたちに文句を言っても仕方ないみたいね。いいわ、その陛下とやらの場所に連れて行きなさい」
一瞬、ぞっとするほどの殺意が滲んでいた。
けれど、聖女は気付かない。
衛兵も気付かない。
彼女のレベルが高すぎて、一般人ではその能力もすぐに隠した殺意も察知できなかったのだろう。
少女は思う。
――もし、関係のない一般人を巻き込んで、失礼三昧をかましてくれるなら。
消し炭にする。
聖女たちは厄介そうな転移者の相手をする勇気はなく、言われるままに謁見の間へと案内した。
◇
謁見の間には既に数人の転移者が長テーブルに並べられたご馳走の前で、待機していた。
会食を兼ねて。
そう言ってはいたが、誰も食事に手をつけていない。
――そりゃ、毒とか洗脳薬とか入ってる可能性もあるからねえ……。
鑑定スキルを使ったヒナタは、転移者と思われる者達のステータスを確認する。
――うっわ、みんな転移経験者っぽいわね。レベル三桁だし。世界の状況に応じて勇者候補が召喚されるのだとしたら――うへぇ……ここ、どんだけヤバい世界なのよ。えーと……地球から来たのは、あたしだけっぽい? 歌姫の娘とか、剣聖とかがいるみたいだし。あたし、要らなくない?
憮然と待っている転移者たちの中で、ヒナタはふふん♪
まあどれだけヤバイ世界でも関係ない。
いざとなったら自分だけは地球に帰れる手段もスキルとして習得してある。今回の転移はいわば裏ステージ。ちょっと観光旅行してから帰還する事も不可能ではない。
のだが。
かつて世界を救ったこともあるヒナタは妙な違和感を覚えていた。
――なんだろう、この人たち。何かに怯えている?
あの転移者たちの中に、とてつもない異形なる者の気配を感じるのである。
しかし。
鑑定結果では特別脅威となりそうな存在はいない。
遠慮のない咀嚼音が一つだけ響いているが……、皆、膝をぎゅっと握って縮こまった様子で目線を逸らしているのだ。
中にはヒナタよりも高レベルの者もいるのに。
――新しい世界だから鑑定に不具合がでてるのかしら。
困惑する少女に気付いたのは一人の男。
上座に座る一番貫禄のある王者、おそらく皇帝だと思われる貴族っぽい初老の男がヒナタに目をやり。
「ふむ、聖女の儀式の間で召喚されたのはおぬしか。いつまでもそこで立っている必要はない。遠慮などせずに席に着くといい。そなたも余のもてなしを存分に味わうが良かろう」
「なんで?」
偉そうにされると偉そうに返してやりたくなる。
それがヒナタという女子高生だった。
そもそもだ。
前回の異世界召喚で王族に裏切られた彼女にとって偉そうな皇帝というだけでマイナス査定。その印象は最底辺。
だから、ツンケンした言い方で相手の対応をみているのである。
挑発のスキルを混ぜながら、ヒナタは嫌な女を演じて、ふふん!
「あのねえ? 一方的に呼び出しておいて、まずはお詫びの言葉が先じゃないの? 頭を下げる事も出来ないような相手ならば――そもそも協力してやる義理はないわよ。悪いけど、そんな奴とは食事を共にもしたくない。何があるか分からないしね。それに、いい? もしこの世界が危機だったとしても関係ない。だって、本当に関係のない世界なんだから、どう? ちがう? 少なくともそれが今のあたしの考えよ?」
案の定、衛兵と思われる男から声が上がる。
「この無礼者が! 皇帝陛下の御前であるぞ!」
「あー、悪いんだけど。あたし、女皇帝エンプレスの肩書もあるから相手が皇帝陛下でも対等なんですけど?」
世界を二つも救っているのだ。
当然、既にそういう地位も貰った経験がある。
衛兵を手で制止し――男は立ち上がる。
「確かに、これは失礼した」
精悍な皇帝はただの小娘に頭を下げて、悠然と告げる。
「余はフランシス=ヴィ=イプシロン。この聖帝国イプシロンの第三代皇帝、皆からはイプシロン帝と呼ばれておる。突然の招きに混乱しているそなたには大変失礼をした。一方的な召喚、まずは詫びさせてもらおう。すまなかった――どうか、部下と余の非礼を許してはくれぬだろうか」
ヒナタはうっ……と息を呑む。
その心に広がる言葉は――。ロ、ロマンスグレーのすてきなおじさま!
そう。
ヒナタはファンタジー世界のイケおじに弱いのである!
頭の中にいた同級生の男子高校生などキックで追い払い、ツンとヒナタは言う。
「ま、まあいいわ! あたしも陛下に失礼だったわね。あたしの名はヒナタ。日向撫子。まあ、苗字のヒナタで呼ばれる方に慣れてるから、ヒナタって呼んで頂戴。で? あたし達を呼び出した用件は何? まさか城壁の掃除でもしろってわけでもないんでしょう?」
少女の言葉に、他の勇者たちもイプシロン帝に目線をやる。
勇者か英雄か。
ともあれ、少なくともレベル三桁はある異世界の英傑達に応じるべく、皇帝は言う。
「まずは我等の非礼を詫びさせてもらおう、許可なく招いたこと――大変失礼した。召喚された貴殿らは皆、一度は異世界に呼ばれ、そしてその世界に平和を齎した経験のある者のみ。すなわち、英雄であり勇者であり、英傑のみ」
空気がざわつく。
召喚指定の条件が重すぎるからである。
英雄たちは知っていたのだ。
世界を救うための召喚儀式にどれだけの対価が必要なのかを。
世界によって魔術やスキル、儀式や加護といった能力の形態は異なる。
けれど、一定の法則は定められている。
当然、ヒナタも知っていた。
異世界から勇者を招くための儀式には、必ず必要となる条件があるのだ。
それはすなわち。
邪悪なる者の存在。
強者たる勇者を招くためには、同等以上の力持つ闇の存在が既に世界にはびこっている事。
それが前提条件として定められている。
ようするに、勇者ばかりを大量に召喚することはできないという事である。
それなのに。
今、ここにはレベル三桁の勇者候補、あるいはかつて勇者と呼ばれた者が召喚されている。
召喚の儀式が成功しているのだ。
「ちょっと待って! この中で自慢をする程、愚かじゃないけどあたしだってそれなりに強いわ。けれど、そっちにいるエルフも剣聖も、歌姫も、あたしよりレベルが上。全員を鑑定したわけじゃないけど、全員が一人で世界を救えるほどの強者よ! それを大量に召喚したって――そんな大儀式が発動したって言うの!?」
イプシロン帝が頷く。
「察しの通りだ。世界を救うための大儀式魔術が発動するほどの地。この世界にはそれほど大きな闇の眷属がはびこっているという事だ。異界の英雄に、闇に包まれつつあるこの世界を救って欲しいのだよ」
「そんな……っ、どんなヤバイ奴がいるっていうのよ。この世界」
皆が黙り込んでしまった中。
カシャカシャ、がーつがつ、ぼりぼり、ムッシャムッシャ!
大量に皿の上のご馳走を喰らう、何者かの咀嚼音だけが響き渡っている。
――だれよ、この空気の中でずうずうしく、バクバク食ってるバカは! あたし達が置かれている立場が、わかっていないの!
ヒナタはギッとそのマナーの悪い人物を探し、睨む。
その瞬間。
「え……っ――」
ざわ――っ!
一瞬。
呼吸ができなくなった。目が合った瞬間、全ての毛穴が開いてしまったかのように、肌がぞっと震えた。
ぞくり。
そこには、黒くてふわふわの猫がいた。
ナプキンを首に巻き、ナイフとフォークを器用に使って、ぶにゃはははははは!
と、グルメを貪りつくす黒猫がいた。
レベルは一桁。
猫魔獣。特技は猫パンチと、ニャンズアイという意味不明なスキルだけ。
けれど。
違う。
ヒナタは察した。
なぜ、皆が膝をぎゅっと握って緊張していたのか。なぜ食事をしていないのか。なぜ黙り込んだままだったのか。
――鑑定妨害……っ!? こんな黒猫が!?
異界の勇者たちは気付いていたのだ。
コレが。
自分たちが討伐した、いわゆる魔王と呼ばれていた連中よりもはるかに格上。
次元の違う存在なのだと。
そっと、鑑定の力を強めてみる。
すると。
ただおぞましい闇が見えた。
鑑定は失敗。
けれど。
これが、只者なんてレベルじゃない存在なのだとは理解できた。
「なに……よ、これ……っ」
足を竦めそうになる姿は、黒髪可憐な女子高生そのもの。きっと、他の英雄たちも初見では似たような状態になった事だろう。
他の英雄たちが、ヒナタに目くばせをする。
今は、様子を見よう――と。
ごくりと息を呑み、頷き。
ヒナタは大人しく席に着く。
首元まで、濃い汗を滴らせて――。
強者にしか、コレの恐怖は分からないのだろう。
だから、何も知らずにイプシロン帝は言う。
「おー、この子か? かわいい猫であろう。どうも召喚に紛れ込んでしまったようでな、可哀そうなのでこの小さな英雄にも一緒にグルメを与えておるのだよ。心配するな、後でちゃんと元の世界にこの子を送っておく。貴殿らも、もしこの世界には付き合いきれないというのなら、きちんと送りかえす。それだけの魔力は残してあるのでな。と、どうした? 黙り込んでしまって」
誰も、何も答えない。
黒猫の様子を観察しているのだ。
黒猫は自らの席の食事を喰らい尽くして。
キョロキョロキョロ。
皇帝の膝の上にヨイショっと乗って。
皇帝の食事に手をつけ、バーリバリバリ♪ うっみゃ、うっみゃと舌鼓。
皇帝はその頭を撫でて微笑んでいる。
異界の勇者たちは安堵した。
もし。
この皇帝が、黒猫の食事を邪魔していたら――。
この国は、その瞬間に終わっていたのかもしれない。
狭量ではなかったイプシロン帝に感謝するべきか。
そう思った矢先。
それを見た、衛兵が眉を跳ねさせ。
「あ、こら。この猫、陛下の御膳になんてことを!」
ビシリと空気が固まる。
構わず他の衛兵も黒猫をどかそうと腕を伸ばし。
「ほら、お前の分はもう食べただろう。図々しい猫だなあ」
ぎゃあぁああああああああぁぁっぁぁ!
咄嗟に動いたのは、異世界の英雄たちの全員。
「お願いだから、その黒猫に乱暴しないで――っ!」
「貴様! 猫様に何をするつもりだ!」
「その無礼な手を離しなさい、いますぐにです――従わないのなら、消します!」
それぞれが、それぞれの世界のスキルや魔術を構え。
黒猫をどかそうとする衛兵を睨む。
「な、なにごとじゃ!?」
混乱する皇帝に、動揺する衛兵。
異世界の勇者たちの心は一つだったのだろう。
この黒猫。
たった一つ。一歩でも選択肢を間違えれば、ここにいる全員が――消される。
と。
ヒナタも聖剣を翳し、息を呑みながら皇帝に告げる。
「イプシロン陛下、その黒猫は紛れ込んできたって言っていたわね?」
「そうであるが――」
「その子――魔族よ。それも、ありえないくらい強力な、ね」
女子高生のキーホルダーをじっと見て。
黒猫はふむ……と、息を吐き。
ざぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
桁違いの魔力を纏った猫は、闇の中から玉座を顕現させ。
ドヤ顔をしながら瞬間転移。
神々しい玉座に鎮座した黒猫は、亜空間から鑑定不可能なレベルの魔道具を幾つも顕現させ――装備。
そのケチャップで汚れた口を開き、紅き目を見開いた。
『勇者召喚の兆しがあるから来てみれば、なるほど――まさかこれほどの数がいるとはね』
告げる言葉にすら、魔力がこもっている。
圧倒的な力の差がある。
『初めまして異国の皇帝よ。そして異世界から招かれし英雄たちよ。我が名はケトス。大魔帝ケトス。しがないダンジョン猫だが、まあ――そうだね。君達が言う所の魔族さ』
ぶちり!
鳥のもも肉を齧り切って、肉球についたタレをチペチペチペ。
まるでふざけた様子の黒猫魔獣だが。
英傑達は皆、動けないままでいた。
女子高生ヒナタも、ぎゅっとカバンを握り思った。
格が違い過ぎる――と。




