王都襲撃 ~怒れるネコの肉球にある罪人~ その4
蘇生召喚したのは、かつて主神だった女神。
大いなる導きが魔王様の敵ではないと確認して――安心した私はズズズズ。
玉座の上で紅茶を一口。
ちょっと人間達も闇の眷属達も、私の魔力に中てられて肩で息をしていたけど――。
もう大丈夫!
魔王様の愛猫、美しきにゃんこな私こと大魔帝ケトスは今日も行く!
人々が固唾を飲んで見守る中。
天女の如き美しさと後光を放つ女神は言った。
何を望むのかと。
言葉を受けて、私は丸い猫口を開いていた。
『何を望むのか。導きを司る君には見えているのではないのかい?』
「わたくしは芸事の女神で御座います。見えているのはあくまでも――かつて愛した人間達が望む未来の可能性達。掴むことができるかもしれない未来の一端。その流れを覗き、舞踊をもって流れを辿り、愛をもって流れを導いてさしあげるだけなのです」
ふむ。
『君はどうやって自分が滅んだのか。ヴァルスくんやウォールスくん。その他にも、今もどこかにいるだろう不老不死を与えられた導きの女神教徒たち、彼等の事情は覚えているかな? 君は目覚めたばかりで安定していないだろう? なぜ君があんな凶行に走ることになったのか――その辺の記憶も維持されているのかどうか、ちょっと心配なんだけど』
言葉を受けて、僅かに唇を開いて。
哀しそうに、目線を下げて女神は言った。
「すべて記憶してございます」
一瞬であった。
けれど。
女神は自らの内にある憎しみと呪いを私に見える形で――指先に乗せてみせたのだ。
覚えているという証でもある。
『なるほど、神聖な主神でありながら、今でも――人々を呪う力を出せる事がその証明か。すまないね、思い出させてしまって』
「問題ありませんわ。この記憶はもう二度と……、わたくしの中から消える事はないのでしょうから」
薄らと憎悪の霧を発生させて、女神は清く美しく微笑む。
今の彼女はとても不安定なのだ。
殺戮の女神にも、芸術を愛するかつての女神にも――どちらにも転身する可能性が含まれている。
全ての罪人を即死させる女神の祈りが顕現し始めていた。
そして。
彼女にとっての罪人はおそらく、この世界の人類すべて。
「あなたは憎悪の魔性なのでしょう? でしたら、わたくしの憎悪も見えている筈。このまま、二人で……全てを破壊する。そんな導きも見えているのですが、どうでしょうか?」
いや、また勝手に消されそうになったら困るし。
肉球の先一つでキャンセルして、と。
『心情的には君の憎悪に協調して、このまま世界を滅ぼしてあげたい所なんだけど。悪いね、先に人間側に依頼されてしまったから――』
モフ耳をぴょこんと一度、後ろに倒して。
私は言った。
『君、ちょっと人間達に君の事情を説明してあげてくれないかな。どうして君が世界を滅ぼしたいのか、どうしてこの世界の魔物が生まれたのか。どうしてそこまで憎悪をしているのか。ずっと憑いていたんだ、ヴァルス君とも記憶をある程度共有しているんだろう? 彼との思い出も全てね。説明が面倒なら全部――見せてあげておくれよ』
私の企みを悟ったのだろう。
女神は瞳を細め、かつて主神だった貫禄を覗かせる顔で私に目をやり。
凛と唇を動かしてみせる。
「それは召喚主としての命令ですか。それとも、あの哀れな少年を憐れんだ果てに浮かんだ――頼みですか?」
『両方だよ』
見守る人間達を一瞥し。
女神は羽衣を空で躍らせる。
「そうですか――いいでしょう。お節介でお甘い御猫ちゃん。ふふ、やはりあなたはあの方に……似ているのですね。とても懐かしい――本当に、本当に……懐かしくて少し寂しくなってしまいますね」
豊潤を司る大きな胸。
地母神を彷彿とさせる膨らみに涙で濡れた細い指を当てて――遠くを見ながら彼女は言う。
「美しく力強く、残酷で優しいあの方の気持ちが――今ならば、分かるような気がするのです。動かぬ兄君……骸のレイヴァン様を腕に抱き、絶望と諦めの果てに魔性と化したあの方の気持ちが――楽園を崩壊させたあの方の悲しみも、憎悪も……全てが愛おしく思えてしまいますわね」
『君は、魔王様と親しいのかい?』
女神は大魔女に目をやり。
「将来出逢うであろうあの方の弟子。まだ見ぬモフモフちゃんへの碑文を預かる程度には――親しかった、ですわね」
それは碑文図書館の事だろうか。
そしてやはり。
また、親しかった――と過去形だった。
主神であったことも、魔王様との記憶も。
今の彼女にとっては過去なのだろう。
「ふふふ、あの方――お友達が少なかったですから。友達が少ないと言えば、知っていますか? 寂しがりやなあの方が、とある魔術を開発したことを」
『ああ、よーく知っているよ。ネクロマンシーだろう?』
「あら、ご存じだったのですね。やっぱりあなた、あの方の弟子、なのですね――」
過去を覗くようなその瞳には、何が見えているのだろうか。
私が知らない魔王様の顔でも浮かんでいるのだろうか。
それはちょっとだけ、妬ましくも思えてしまう。
「わたくし一つ疑問があるのです。お聞きしたいのですが、あなたは知っているのかしら」
『魔王様の事かい?』
「はい。あの方は様々な未来が見えていた。そして見える未来の中から辿るだろう導き、正しき導きが見えていたのです。それなのに、なぜ、どうして。謀殺されてしまうレイヴァン様の悲劇、楽園の崩壊、終わりの始まりともいえるあの事件を――止めようとはしなかったのでしょうか」
言われて、私は猫の瞳を広げた。
たしかに。
見えていたのなら、止める手段があったと思うのが普通か。
ロックウェル卿の話では、魔王様も卿も見えすぎる未来に悩まされていた。
力が強ければ強いほど、様々な可能性の中から実際に歩むだろう未来が見えてしまう。
どのような手段をとっても、回避できなかった。
のだろうか。
『魔王様にも止められなかったのかも、しれないね。定められた未来を捻じ曲げる難しさは、導きの女神である君が一番知っているんじゃないかい?』
「そう、ですわね。だからあの方は……あなたを……」
しばし考え込み。
眉を下げた女神はゆったりと――唇を揺らす。
「脱線してしまいましたわね。それで、わたくしの記憶とわたくしの依り代ともなっていた人間、ヴァルスの記憶を見せる対象範囲は――いかがいたしますか、マスター」
『敬う気持ちも無いのにマスターはやめておくれ。対象範囲は全部だよ。この世界に存在する全ての自我ある生命に、全ての情報を伝えておくれ』
女神の瞳が大きく見開かれる。
「さすがに、対象範囲が広すぎますわ。力が及ぶ及ばない、権能を行使できるできないという意味で、できません」
『そこは問題ない。私が全面サポートするよ』
眼鏡をクイクイするような仕草をしてみせる私に。
はぁ……とため息を吐き。
「わかりましたわ。本当にあの方にそっくりで、なんだか不思議な気分ですわね」
この顔とため息を見る限り。
魔王様。
やっぱり楽園でも、けっこうやらかしてたんだろうなあ……。
まあ詳しい話は今度、落ち着いた時に聞くとして。
『全ての生きる者への神からの啓示。まずそれが、君に頼みたいことの一つでね』
「他にも?」
『ああ、これは召喚主としての命令となってしまって悪いが。単刀直入に言おう。世界を滅ぼすのは……そうだね、十年待ちたまえ』
すぅっと唇を開き。
女神は神の威光に満ちた声で言う。
「十年たったら滅ぼしても――いいと?」
『君が見た全ての悲しみ。かつて世界を愛した君を失望し、絶望させるほどの事をしてしまった人間達はこれから君の悲しみを知る。その後の行動を、見守って欲しいのさ。おそらくまともな人間ならば反省し、君に許しを乞い――祈りを捧げるだろう』
まあ十年っていうのはテキトーな年月なんだけど。
『十年経った後で、なおも人間は愚かでどうしようもなく……どうしても滅ぼしたいほど憎いだけのままならば――君の好きにすればいい。今回の世界滅亡の危機を一度止めた時点で私への依頼も、義理も完了だ――。その後の事は、私に止める権利も止める気もないよ。十年後、約束の日に私はもう一度顔を見せよう。そして、その結果次第では――私は私と関わった者達だけを回収し、君が世界を滅ぼすさまを眺めようじゃないか』
「魔導契約をしていただけますか?」
女神は空に光の文字を刻み。
人間たち全てに見せるように契約内容を提示する。
「十年経ってもなお、人が愚かなままならば――わたくしは躊躇わずかつて愛した世界を滅ぼしましょう」
『ああ、分かった。契約しよう。十年だ。憎悪を抱いたまま何百年と漂っていた君には酷だと思うけれど……私はまだ、グルメを生み出す能力を持つ人間という種を諦めきっては……いないらしくてね。悪いが十年待っておくれ』
魔導契約が制約となって発動する。
これは私との正式な契約。
蘇生顕現した女神、大いなる導きは……十年間、人類を滅ぼすことはできなくなった。
そして十年後。
約束の日に顕現する私も、女神、大いなる導きにより齎される滅びを――止める事が出来なくなった。
つまり。
人間達は、人間たち自身で十年の時の中で成長する必要がある、というわけである。
ここにいる力ある人間や、闇の眷属達は息を呑んでこの光景を見守っている。
おそらく。
今この瞬間こそが神話の一頁、もしこの世界が千年、二千年と存続するのなら――悠久なる歴史の中に刻まれる最も大きな事件。
神と神の契約となるだろう。
私、二千年後の芸術家に素敵な絵画とか描かれちゃったりするのかな!
ニャフフフフ。
もし絵画になったらロックウェル卿とホワイトハウルに自慢してやろう。
くくくく――と。
笑いながらも、私はモフ毛を靡かせ人々を見る。
『さて、そんなわけで人間諸君。そして私に付き従った者達よ。君達には今からこの世界の真実を見て貰う。きっと、苦しむ者もいるだろう。泣く者もいるだろう。魔物を生み出したモノが誰なのか、なぜ世界が滅びようとしているのか。なぜ女神は世界を憎悪しているのか、なぜ私が――この殺戮のヴァルスと獄殺のウォールスに肉球を差し伸べたのか……全てを見た後で十年後、君達の答えをもういちど私に聞かせておくれ』
言って。
私は肉球と肉球を合わせて――パチン。
まるで祈るように、ネコ手を合わせて世界全体に広がる程の魔法陣を展開する。
世界の全ての自我ある生命を包む、光。
神話規模の魔法陣だ。
私が何を見せたいのか、何を見せられるのか知らない人間達は息を呑む。
魔物達も、なぜ自分が生まれたのか――その答えを知りたいのだろう。
魔導書を強く抱いたヒトガタ君。
かつて魔物の中ボスだった男、人間へと転生した学長も静かに瞳を閉じた。
英雄たちの亡霊はなぜ自分たちが死ぬこととなったのか。
なぜこの戦いが始まったのか。
その真実を知るだろう。
未練を残したままの彼等にも、知る権利はある筈だ。
大魔女も、金赤君も瞳を閉じる。
『大いなる導きよ、かつて主神だった憎悪よ。私の準備はできた。そちらは?』
「いつでも――」
舞踊の魔道具を顕現させ。
かつて楽園で舞っていた天女の姿で、大いなる導きは――美しく輝いた。
踊りを通じ。
舞を通し。
主神の眷族ともいえる、この世界全ての魂と心をシンクロさせるのだろう。
『それじゃあ――行くよ!』
世界に、異界の魔猫の生み出した魔力が――広がった!
◇
その日、一日。
人間達はそれぞれにそれぞれの場所で、佇んでいた。
今頃、彼らの意識の中ではかつて人間に殺され――身も心も切り刻まれた女神の心と記憶が流れている。
一日という時の中に凝縮された記憶の奔流を、追体験しているのだ。
声が、聞こえてくる。
ああ、なぜわたくしを殺すのですか?
刻むのですか?
これほど愛していたのに。
これほど尽くしていたのに。
ああ、我が子らよ――どうしてわたくしを裏切ったのですか?
人間達の見ている記憶が、私にも流れてくる。
対象はこの世界全体。
私も分類するのなら、自我のある生命だからだろう。
人間としてこの記憶を見ているのか、魔族として見ているのか、ネコとして眺めているのか。
私には分からなかった。
けれど。
見えてくる。
女神は主神。
人とは違う強大な存在。
殺され滅び、遺骸を残酷な魔道具として使われても――意識は存在していた。
女神は見ていたのだ。
人間達を。
その醜さを。
女神の加護が失われた世界。
戦争はすぐに始まった。
人々は人々同士で戦いを始めたのだ。
薄れていく意識の中。
女神は白く細い手を伸ばしていた。
我が子らよ、どうか――争いを望まないで下さいと。
主神として。
女神として。
愛する世界を眺めていた。愛する世界に手を伸ばしていた。
その手すらも、刻まれた。
不老不死を得る実験。
そのためだけに刻まれ、いつの日か女神という形を保てなくなり――意識は消えていった。
何十年と経ったのだろう。
彼女が漂っていた場所は――。
無。
なにもない世界。
意識なく漂っていた場所に青い焔が見えた。
誰かの憎悪だった。
揺れる焔。
それが人間の心だと気が付いた女神は、手を伸ばし続けた。
女神はある日気が付いた。
同じように殺され刻まれる少年の中で、思い出したのだ。
実験体ヴァルス。
女神の残滓は全てを理解した。
もはや自分は、人間を憎悪し呪う存在になり果てていたのだと。
そして。
少女を失い世界を呪い平和を祈る少年の願いに――共感した。
女神に憑かれた少年の物語が始まっていた。
いつか私も見た。
サメ牙ヴァルスの物語を見た。
世界に裏切られ。
身も心も斬り刻まれた女神と少年の物語。
世界を滅亡させる魔物の誕生。
全ての因となっていた人間達の醜さ。
私が見ている彼らの物語を、人間達も見ている。
魔物達も見ている。
追体験する彼等の頬には、大粒の涙が流れていた。
魔物も泣いた。
人間も泣いた。
けれど私は泣かなかった。
きっと。猫となった私には泣き方が分からないのだろう。
そう。
わからない。
わからない筈なのに。
どうしてだろうか。
人々が佇む静かな世界――静寂に包まれた美しい世界。
誰もいない世界を独り占めしながら歩く私の視界は――。
僅かに。
揺らいでいた。




