奇跡を運ぶ者 【SIDE:軍服男ウォールス】その1
【SIDE:軍服男ウォールス】
黒刀をカチャリと鳴らし――落ち着かない様子で軍服男は待っていた。
相方で友で、バカだが大切な男。
サメ牙神父のヴァルスの帰りを、いつもの孤児院で待っていたのである。
つい腕を組んでしまう。
指でトントンと叩いてしまう。
ウォールスは考える。
――はたして、上手くいくのだろうか。
大魔帝ケトス。
異界の大魔族の協力は得られた。
実際。
既に教皇によってなかば強制されていたウォールスの契約は、あの魔猫の魔力によって解除されている。
力も魔力も、そしておそらく僅かな同情も本物だ。
きっと、ヴァルスの契約も解除してくれるだろう。
けれど。
不安もある。
大魔帝ケトスが土壇場で気が変わり裏切るのではないだろうか。
そういう類の不安――。
……。
ではない。
黒き獣は並々ならぬ魔力を使い顕現させた秘密の部屋。
ニャンズキッチンなる珍妙な空間の中から、うにょーん♪
モフモフな耳。
偉そうで長いひげをぶにゃっとさせて、顔を出し。
『ねえねえ! ウォールスくん! ヴァルスくんてさー! 魚とお肉とー! どっちが好きだと思うー!?』
「……たぶん、肉だと思うが……なぜ、いまそんな話題を?」
訝しんで、眉をぎゅーっと軋ませ怖い顔をするウォールス。
そんな男の顔を見て、魔猫はぶにゃははははははは!
『そんなの、おいっしい夕ご飯のメニューをどうするか! それを決めるつもりだからに決まっているじゃないか!』
そう。
不安なのはこの魔猫のコレだ。
「理解できん」
『くはははははははは! 我が叡智を理解するにはまだまだ修行が足りないようであるな! 我こそがケトス、我こそが魔王陛下に愛されしモフモフ大魔帝! おいしい夕食を楽しみにする者なり! と、ここまで言えば――どうだろうか。もう、分かったね?』
頬と胸のモフ毛を、ドヤァァァァァァァァ。
世界最強で最恐の魔猫は偉そうに、ん? ん?
まるで自慢するヴァルスのごとく、ほめろー! ほめろー!
と、瞳を輝かせている。
人生であまりしたことのないジト目を、再び作ってしまう。
長く筋張った。
大人になった武骨な手を額にあてて、軍服姿の抜刀剣士はため息を漏らす。
「いや、だから――なぜヴァルスに……素直に話を聞くよう説得するのに、夕食を?」
『美味しいご飯を食べながらの方が商談の成功率が上がるって、知らないのかい?』
ドヤ顔を受けて、ウォールスは考える。
たしかに。
あのバカは食事も好きだろうが……。
問題はそれだけではない。
ちらりと目線をやり、魔猫に問う。
「で――南の学園の聖女を、なぜ連れてきた」
秘密の部屋とやらの中。
大魔帝ケトスには当然劣るが、この世界で最強を名乗っていいほどの力ある存在が、ふんふんふ~ん♪
と、鼻歌を奏でながらトントントン!
ニンジンやブロッコリーを刻む、包丁の音が響いている。
この力。
正真正銘の聖女教師、マイル女史であろう。
「あの者、本物の聖女であろう。学園に軟禁状態にされていると聞いていたが、連れてきて大丈夫なのか?」
『大丈夫。大丈夫。直属の上司の学長くんはもう私の眷属だし、大魔女には味方の契約を交わしてあるし、それになによりこの国で一番偉い金赤女帝さんにも許可を貰ってきたからね。書類上は問題ないよ?』
さらりと言ってのけたが。
この世界の主要人物、ほとんどが既に魔猫の肉球に落ちている――。
そういう宣言でもある。
――大魔女や金赤女帝はともかく。あの常勝無敗、堅物と噂される学長を眷族に?
軍服を靡かせウォールスは考える。
聖人然たるあの男は謎に満ちていた。
全てに平等で、公平で――人望の厚い強敵。
指揮官として優れ、本人自身も異界の魔導書を操る実力者。
教団でも重要人物、危険な相手として警戒されていた。
確かに、近年になって妙な動きが増えていたが――。
あの男にも何か、裏が?
訝しむウォールスの顔。
武人として思いを巡らす男を見て――魔猫は穏やかな口調で言う。
『君達に事情があるように、彼にもちょっとした事情があった。ただそれだけの話だよ。あまり詮索はしないであげておくれ』
「すまない、あなたの仲間を深く詮索する意図は、ない」
分からないと言えば、これもそうだ。
この魔猫は時折に――ぞっとするほどの優しさをみせる。
静かな微笑を覗かせる。
昏く黒い獣毛の中に包まれたくなってしまう程に、蠱惑的な声を出すのだ。
魔猫としての魅了能力なのだろうか。
ただ黒い世界の中。
奥へ奥へ。
沈んで。
そのまま深淵の中で安らいで――。
心まで呑み込まれ――。
思わず伸ばしてしまいそうになる手を抑え。
ウォールスは言う。
「それで、彼女は?」
連れてきた理由を説明されていない。
『ふっふっふ、マイルくんこそが秘密兵器なんだよね~』
「たしかに、常人ではない魔力と力を感じるし、その……美人であるが――」
軍服ウォールスは真剣に考える。
導きの女神教には、聖女の職業にまで上り詰めた者はいなかった。
だからスキルを把握しているわけではない。
もしや。
料理に聖女的な神聖パワー? を混入することができるのだろうか。
なにかあると考えるべきだろう。
大魔帝が助力を願う程の、スキルが――。
答えを待つウォールスに、魔猫は自慢げにモフ毛をふふん!
その口が動き出した。
『何を隠そうこの子こそが――!』
言葉を待ち。
ごくり――と軍服男ウォールスは息を呑む。
『家庭料理の達人なのだよ!』
しばし待って。
寡黙な武人は眉を顰め。
「達人とは?」
『言葉通りの意味だよ? たぶん、私の次に料理が得意なんじゃないかな? いやあ、あのブリ照りは最高だったなあ~』
ムフフ~と口元を抑えて、上を向き。
魔猫はじゅるりと舌なめずり。
「……」
駄目だ、このネコ。
そう漏らしてしまいそうになる息を噛み殺し。
もはや無言のまま、頬をヒクつかせて軍服男はギリリと奥歯を噛み締める。
考える事を止めて。
ウォールスは黒刀に魔力を注いで、鍛冶スキルを発動し。
研ぎ研ぎ研ぎ。
研ぎ研ぎ研ぎ。研ぎ研ぎ研ぎ。研ぎ研ぎ研ぎ。
トギトギトギ。トーギトギトギ。
単純なルーティンで気を静めているのだ。
現実逃避ともいうが。
気配を感じたのだろう。
ひょこりと秘密のキッチンから顔を出し。
聖女が言う。
「まあまあ、大変。ケトスちゃん、この人、どうしたんです?」
『さあ?』
「ふふふ、でも――丁度良かったかもしれませんわね。包丁の切れ味が悪くなっているの、ごめんなさい、ちょっとお借りしますわね」
言って、聖女は膨大な魔力による魔法陣を展開。
鍛冶スキルで生み出した台を乗っ取り。
料理包丁を研ぎ研ぎ研ぎ。
むろん。
普通の存在なら他人のスキル領域の乗っ取りなど、まず不可能。
こんなくだらない事に聖女の力を使うとは。
確実に大魔帝ケトスの仲間だと息を吐く武人、ウォールスの頭の上からニョキっと顔を出し。
件の魔猫が、うにゃうにゃと猫口を上下させる。
『ねえねえ! ハンバーグでもミートボールでもどっちでもいいけど、副菜のにんじんは短冊切りにしておくれよ? 私、あれを先端からガジガジ食べるの好きなんだよね~』
「短冊? ふふ、あの願い事を記す紙の形でしたね――もう、ケトスちゃんたら、注文が多いんですから!」
『にゃははははは! 注文ではなくグルメへのこだわりと言って貰いたいね』
魔猫と聖女。
二人の強者はまるで――我が家で寛ぐ団欒のような顔で、あははははは!
そんな変人強者二人に挟まれて。
はぁ……。
ウォールスの憂鬱なる吐息がまた一つ、大きくなった。
◇
料理の香りが孤児院を満たし始めた頃。
影がざわつき、魔力が走り。
ウォールスの眉がピンと跳ねる。
大魔帝ケトスもそれなりに真剣な顔に切り替わっている。
『帰ってきたのかい、彼』
「ああ。もうすぐ――ここに顕現する筈だ。本当に、大丈夫なのだろうか」
あの短気を落ち着かせることが、先決か。
考える武人の前。
影が揺らめき、魔法陣が展開される。
影の魔法陣から這い出てきたのは、ウォールスの友。
サメ牙神父こと、殺戮のヴァルス。
武人の緊張とは裏腹に、牙をキシシシと輝かせて男は言う。
「ただいまー! 今帰ってきてやったぜ、ウォールス、喜べよぉ! なんと、三毛猫からヤキトリを二切れも恵んで貰ってきてやった――って、なんだてめえら」
『おや、おかえり。お邪魔しているよ』
大魔帝ケトスの言葉を聞いた途端。
空気が変わる。
キィン……ッ!
三日月刀を顕現させたサメ牙男ヴァルスの三白眼が――尖る。
瞬時に展開される殺意と敵意。
「糞ネコ、てめえ、ウォールスになにかしてやがったら――殺す! してなくても殺すがなぁああぁぁぁ!」
短気はやはり短慮なままに攻撃を仕掛けてきた。
ある意味信頼した通りだが、これはまずい。
「待て、ヴァルス!」
「待たねえよ! こいつ、俺様に呪いをかけやがった――っ、人を殺せなくなる呪いなんていう、くっそくだらねえもんを掛けてくださって。何のつもりだ! とっとと解きやがれ!」
三日月刀を構えて、影を渡るサメ牙神父。
友の攻撃を、地を薙ぐ黒刀で受け止めて――ウォールスは唸る。
「落ち着け、バカヴァルス。今のこの方は敵ではない。教皇のかけたあの契約を解除して貰うために――」
「うるせえ、うるせえ――うるせえ!」
完全に頭に血が上っている。
ウォールスは焦った。
もし、魔猫の機嫌を損ねたら――友にかけられた教皇からの契約、その破棄は不可能となってしまう。
やっぱりやーめた♪
と、この気まぐれな魔猫ならば言い出す可能性も低くはないのだ。
スゥっと――ウォールスは息を吸う。
周囲の音が消える。
踏み込む足先に、多重の魔法陣が回転し始める。
戦意高揚のバフスキルが発動する。
身体能力を高め、魔力を高め。
一撃一閃の技で。
止めてみせる――!
「ヴァァァアアアアアアァァァルス! 貴様は、貴様は、貴様貴様きさまはぁぁぁぁぁあ! どうして、いつも話を最後まで聞かんのだ!」
「てめえ、本気でやる気か? いいぜ、こいよ。ぐひ、ぐひゃははっはは! このクソ魔猫の手に落ちたってんなら、目が覚めるまで切り刻んでやるぜ!?」
対するサメ牙ヴァルスも影に波を起こし、闇影の三日月刀を召喚し。
瞳を細め、唸る!
「おもしれえ、おもしれええぇぇ!」
「参る――参る、参る――!」
瞳をぐるぐる、狂戦士状態になったウォールスが友のための刀を振るおうとした。
その瞬間。
二人の頭上に光り輝くフライパンが顕現し。
がごん!
「もう! なにやってるんですか! お夕食の前に喧嘩をするなんて、駄目ですよ!」
ピっと人差し指を立てた聖女マイルであった。
達人同士の戦いにいとも容易く介入し、鋼での攻撃魔術を放ったのである。
ペンペンペン。
戦意を失わない二人の頭を、フライパンが追従する。
「おいこら、てめえ! そこの糞女! 超イカした男同士の戦いに茶々入れやがるなんて、なに考えて……――っ!」
「ヴァルス……! いいか、聖女には手を出すなよ! 全てが終わるぞ!」
大魔帝ケトスの性格上。
ここで聖女に怪我をさせたら全てが終わる。
おそらく、この魔猫はこの場で容赦なく二人を惨殺する。
何事もなかったかのように肉球を鳴らし、ヴァルスとウォールスを虚無の塵へと変換してしまうだろう。
バカで短気な相方を本気で止めるべく、ギロっと睨むウォールス。
その顔が僅かに揺らぐ。
バカでどうしようもないサメ牙が、普段は絶対にしない顔をして聖女を眺めていたのだ。
――なんだ、この顔は。
こんな顔は知らない。
悩むウォールスの前で、サメ牙男は立ち止まったまま。
いや、立ちすくんだまま――三日月刀を落とし。
言葉を漏らした。
「どうして……おまえがここにいる」
三日月刀を拾い上げる事もなく。
ただ茫然と、その三白眼を見開いて――言葉も瞳も揺らして。
友は聖女を眺めていた。
聖女もまた、フライパンを操る魔術を止めて。
呆然と。
まるでヴァルスと同じような顔をして――唇を震わせた。
「あら、あなたは――あれ……おかしいですわね。わたくし……あれ? あなた――どこかでお会いしたことが……」
聖女は大きなメガネと大きな胸を揺らし。
考え込んでしまう。
息を呑み込んで、阿呆で間抜けな筈の友――ヴァルスが真剣なまなざしを向け。
言う。
「ウェールちゃん……なのか?」
友が漏らした言葉に、ウォールスは驚愕した。
その名に、覚えがあったのだ。
同じ施設に居て。
同じく刻まれ――そして、廃棄されたはずの……少女の名。
言われた聖女もハッと口元を抑えて――。
「もしかして、あの泣き虫だった、ヴァルス……くん?」
全てを思い出したかのような顔で、聖女の唇は言葉を漏らしていた。
ヴァルスもまた。
聖女の漏らした言葉で確信したのだろう。
彼女こそが、あの時、手から零れてしまった一人の少女。
命。
世界を呪う最後の言葉を残し――二度と動かなくなっていた、大好きだったウェールちゃんだったのだと。
「なんで、どうしてだよ――ウェールちゃんはあの時、死んでたんじゃ」
「あれれ、あれれ。わたくしもなんで……いままで、忘れていたのかしら……」
風が、吹いた。
外気が入り込んだのだろう。
死の気配に包まれていた孤児院を、温かい風が揺らす。
一筋の光が、男の頬を濡らしていた。
涙だった。
聖女の瞳も濡れていた。
「ふふ……っ。泣き虫のままなのね。ヴァルスくん」
「バ――な、泣いてなんかねえっての! ただ、ちょっとアレだ! アレ……あれだって……」
言葉を失って。
二人はしばらく泣いていた。
――なんだ、これは。
ウォールスは動揺する。
こんな奇跡が、あるはずがない。
世界はもっと残酷で、何の光も無い世界なのだと知っていた。
だから、これはなんなのだ。
ウォールスは考える。
微笑する煤にまみれた女神像。
魔猫の輝きにより、本当に――微笑んでいるように見えるようになった石の聖母の前。
突然の再会。
奇跡の出逢いに、かつて死の砦と化した孤児院は騒然とした。
なぜ死んだと思っていた少女が生きていたのか。
なぜ聖女として生きていたのか。
それは分からない。
けれど。
ウォールスは思った。
なぜ魔猫が聖女を連れてきたのか。
なぜ、彼女に料理を作って貰い、ヴァルスの帰りを待っていたのか。
これが全て計算だとしたら。
はっとした。
ぞっとした。
ぞくりとした感覚が背筋を走ったのだ。
――なんだ、この魔猫は……大魔帝とは、ここまで何手も先を見て行動してしまう程の賢人なのか!?
いやしかし。
偶然などありえない。
これがもし偶然ならば、神よりももっと何か強大な存在が奇跡を与えたとしか思えない。
故にこそ。
ウォールスは震えた。
この魔猫は全てを、知っていたのだろう。
ウォールスは見た。
恐る恐る見た。
尊敬と動揺の眼差しを向け、神の如き手腕で再会を演出した大魔帝ケトスを。
魔猫もまた。
この奇跡の再会を目にし――きっと。
あの穏やかな微笑を浮かべて。
『???????? ぶ、ぶにゃ……?????????』
……。
は、いなかった。
頭上にハテナを魔力で浮かべて。
肉球に汗を滴らせ。
器用に両手を組んで、うにゃーん? と首を傾げている。
次の瞬間。
ウォールスの。
剣の道を究めた先で手に入れた、知ることのできない答えを見るスキルが発動する。
本来なら、ヴァルスとの戦闘中に発動する筈だったのだが。
ともあれタイミングよくスキルは発動した。
この魔猫、そんなこと計算に入れてなかったよ――と。
……。
ウォールスは悟った。
つい、ジト目をしてしまいながら。
魔猫と二人に目をやったのだ。
これは、魔猫の持つ尋常ならざる幸運値による奇跡。
運命の流れを都合よく引き寄せるほどの豪運。
単なる偶然なのだな――と。




