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【SIDE:サメ牙神父ヴァルス】 嗤う魔猫 【SIDE:軍服男ウォールス】その2



【SIDE:サメ牙神父ヴァルス】



 恐怖に駆られたサメ牙男は孤児院跡を駆ける。

 走る廊下。

 修道士たちが祈りを捧げていた女神像は煤にまみれて、黒く淀んだ微笑を浮かべている。


「くそ……っ、くそくそ!」


 冷たい。

 冷たい。

 心も足の裏も冷たい。


 ――死にたくない。死にたくない。死にたくない!


 女神像の裏。

 外界から遮断された闇の奥。

 隠し通路を抜けた先に、ここはあった。


 身寄りのない孤児たちを囲う院に、ひっそりと続く昏い道。

 悲鳴も叫びも助けも届かない細い道。


 カビさえも生えない、死んだ道。

 冷たい道。

 こわい道。


 孤児院だったここに何故そんな場所があるのか。

 おそらく。

 少し世情と事情を知る者ならば、すぐに察した事だろう。


「誰だ――っ!」


 オバケの気配がした気がして。


 サメ牙男ヴァルスはバッと振り返る。

 暗闇が怖くて、何度も何度も振り向いてしまう子どものように。


 裸足の足音は一つ。

 気のせいだ。


「んだよ、脅かすんじゃねえよ……っ」


 ギリリと奥歯を噛み締めて。

 男は手を翳す。

 誰も入れないように戒めていた結界を解除し、ギィィィと扉を開ける。


 重い鉄板が動くような音。

 ギシシ、ギシシシ。


 ああ、開いた。

 壊れた笑みを浮かべて、サメ牙男は息を吐く。


「ああ、父様母様。よかった、ちゃんと仲良くやってるじゃねえか」


 安堵した様子で、サメ牙神父は部屋にズズズと入り込む。

 踏み込む絨毯の感触。

 扉を閉めていたからだろう、少し冷たい空気がスゥっと外に向かい流れていく。


 部屋には家具が並んでいた。

 ごく一般的な家の、普通のインテリア。

 後から中に入れたモノだからだろう、部屋のサイズとは不釣り合いで――けれども男にはそれが分からない。

 普通が分からないのだ。


 床に広がる魔法陣の灯りを頼りに進む。

 そこにはサメ牙神父が家族の団欒と呼ぶ空間がある。


 朽ちた大きなソファーには手を繋いだ夫婦。

 動かず、語らず。

 自分を殴ったりしない、ミイラが二体。


 ソファーの真ん中に座り、ミイラの肩に頭を寄せて――ようやく落ち着いた。

 ギシギシと、ソファーの音を聞いて。

 サメ牙男は瞳を閉じる。


 乾いた骨の手。

 動かぬ骸の手を操りサイドから互いに自分を抱かせて――サメ牙男は安堵する。

 ずっと夢見ていた仲の良い家族。

 裏切らない家族。

 自分を孤児院に入れたりなどしない、家族。


「ここが――不死の実験施設だって知ってたわけねえもんな、父様。自分が永遠の若さが欲しいからって、俺様を刻んだりはしないよな、母様」


 聖書を開いて、神に祈りを捧げる。

 どうか。

 ……。

 そこまで祈って、思い出す。

 思い出せないことを、思い出す。


 かつての自分は何を祈っていたのだろうか。

 ひっかき傷だらけの壁を見て。

 こびりついた古い肉片の跡を見て。


 ああ、そうか。

 やっと壊れた心が思い出す。


 十年。二十年。三十年。

 或いは百年、二百年。

 老いず、死なず――飢えと渇きの中でここで扉が開くのを待ち続けた。


 開かない扉を見ながら祈り続けた。


 ――何を祈ってやがったんだ。俺様は――。


 父も、母も来なかった。

 迎えには来なかった。

 けれど、あの男はやってきた。


 教皇と名乗る男は自分をここから出してくれると言った。


 それが自分の不老不死の力を利用しようとしているだけだと知っていたが、救いを伸ばしてくれなかった者達よりもマシだ。

 教皇の手駒となった男は働いた。

 出してくれた恩を返すために動いた。


 それは清く正しい物語の筈だ。


 助けられて、助けられたことを感謝し報いているのだから。

 どこにも矛盾はない。

 自分を助けなかった大人たちを、どうして助ける必要がある?


 少年は、祈りを捧げる。

 大人の身体となった今でも、祈りを捧げる。


 かつて子供だった男は何度も見た。

 たくさん見た。

 色々な手を見たのだ。


 助けを求めて伸ばした自分の手を。

 届かなかった手を。

 立ち入り検査だとやってきた役人たちの大きな手を。

 助けてくれると思っていた手を。

 孤児院の施設スタッフから金を受け取った――醜い手を。


 子供の手は届かなかった。


 女神の肉を埋め込まれた子供は刻まれた。

 適合者を見つけるための作業。

 肉を抉り、骨を抜き出し。

 不死の力を得られたか確認する――作業。


 大好きだったウェールちゃんも刻まれた。

 少し間抜けで目が悪くて……けれども可愛らしい子だった。

 大丈夫。

 きっと父様と母様にはあえると思いますわよ。


 子どもなのに。

 そんな慰めができる。

 イイ子だった。

 イイ子だった。

 イイ子だった。

 イイ子だった。


「ああ。そうだ――祈らねえとな」


 サメ牙男は祈りの内容を思い出した。

 誰よりも世界を憂う顔で、心で。

 神父は世界に祈りを捧げる。


「どうか、神様女神様。お願いです――こんな世界なんて壊れてしまいますように……か」


 ウェールちゃんが醜い人間たちに向けた呪い。

 最後に送った言葉。

 切り刻まれる彼女の世界を呪うその祈りが、サメ牙少年にはなぜかキラキラ輝いてみえたのだ。

 その横で。

 サメ牙少年ヴァルスも刻まれた。


 痛かった。

 痛かった。痛かった。


 けれど、再生した。


 母に会うまでは。

 父に会うまでは。

 死にたくないと願っていたからだろうか。


 死んでしまったら、会えると言ってくれたウェールちゃんを嘘つきにしてしまう。

 それはきっと良くないことだ。

 あまりにも可哀そうな事だ。


 だから奇跡が起きたのだろうか。


 成功だと、大人たちは下卑た笑みで嗤っていた。


 女神の肉は少年に不死の力を与えたのだ。

 自分は適合者だったのだと知った。


 だったらあの子もきっと。

 少年は再生していく傷を拭い、血塗れの祭壇の上で夢想する。

 けれど。

 世界は残酷で、夢物語とは違う世界。

 甘いキャンディなんてないし、ましてやケーキなんてありゃしない。

 全てが幸せになるのなら、神に祈る人間など出現しないだろう。

 少年の願いは踏みにじられた。


 大好きだったウェールちゃんは二度と動かなくなっていた。


 歳を取らなくなったのは十八になった頃。

 既に研究のために何度も刻まれて、人という生き物が醜い怪物にしか見えなくなっていた頃だ。


 それも今はもう昔の話。


 今を蠢くヴァルスは考える。

 自分は両親と再会した。少しミイラになってしまっていたが、罵詈雑言も漏らさないし、殴ってこないし、これはこれで幸せだ。


 だから。

 ウェールちゃんの代わりに神に祈りを捧げよう。

 世界に彼女の祈りを届けよう。


「世界が滅びますように。二度と悲しみが起きないように。誰も泣かなくていい幸せな世界になりますように」


 世界が滅んでしまえばいい。


 殺戮の神父の真なる平和への祈り。

 それは歪んでいたが、誰よりも純粋な願いだった。

 どんな聖職者よりも、清い祈りだった。


 そして、祈る姿は一人ではない。

 滅びを祈り伸ばすその手を掴む大いなる影が、一柱。


 両親と呼ぶミイラに抱かれ敬虔な祈りを捧げる神父。

 純粋な平和を願う神父。

 かつて心まで刻まれた孤児の願いを、心優しい女神がどうして見捨てられようか。

 ここにまた。

 壊れた女神が顕現する。

 人を愛し、裏切られ人を呪った女神の残滓が現われる。


 壊れた男のその肩を、美しい翼持つ女神が抱きしめる。


 女神を纏いし神父の広げる聖書が――神話領域の力を発揮し、世界を覆う。


 祈りは力となって発動する。

 魔物が次々と生まれだす。


 リポップポイントと呼ばれる場所に、新たな魔物が誕生する。

 意思もなく、中央に向かい続ける魔物。

 女神と少年の祈りより生まれた――使者。


 彼等は進む。


 大陸の中央。

 世界の真ん中。

 今は魔導学園と呼ばれる最終防衛ラインの奥にある、女神の心臓を握りつぶすため。


 夢の中。

 美しい女神が語るのだ。世界を滅ぼす方法を。

 世界を平和にする方法を。

 皆が幸せになる方法を。


 それは石の聖母と同じ顔。

 おそらく。

 切り刻まれ、世界を呪う女神――大いなる導き。

 その亡霊ともいえる憎悪の残滓。


 女神の亡霊は暗躍する。

 愛する世界を取り戻すため、様々な者の運命を操り糸を引く。


 かつて少年だった神父は願う。

 かつて女神として世界を支えていた神は願う。


「世界が平和になりますように――」


 そこに人間は要らない。

 一度、リセットしよう。

 世界をリポップさせるのだ。


 奉納された女神の心臓を握りつぶし――溜まった呪いを解き放とう。


 誰よりも敬虔な顔で、神父は滅びを祈り続ける。

 朽ちて優しくなった両親に肩を抱かれ、幸せの中で――。


 たとえ偽りだとしても。

 これが幸せだ。


 ◇


 秘密の部屋から出てきたヴァルスは、気が付いた。


 軍服男のウォールスが隠し通路の前。

 昏く微笑する女神像の前で待っていた。


 軍服男は淡々と呟く。


「また祈りを捧げていたのか」

「たりめえだろ、神父が祈るのは普通の事だろうが?」


 それはそうなのだが。

 軍服男ウォールスはしばし考え。


「ところで何故おまえがここにいる、さっき出たばかりではなかったか?」

「うっせーな、またあの糞ネコにやられた……だけだよ」


 ウォールスの眉が、ぴくり。


「また大魔帝ケトスにあったのだな?」

「ああ、そうだよ。その大魔帝ケトスってのかどうかは知らねえが、糞ネコだ。たぶん、そいつだろうよ」

「教皇様からのご命令だ――ヤツは放置しろ」


 言われて、ビクりと心が跳ねる。

 ぶるぶると揺れる拳を握り、サメ牙男は言う。


「はぁ? どういうことだ、殺さなくていいってのか!?」

「正しき導きによれば、奴は数日中に消える。大魔女と接触したのは確実。故に、先も正しく導かれている――そういうことだろう」

「あのなあ! 分かるように説明しろって、いつも言ってるだろう。てめぇの脳ミソはチェリーパイか!? なんで俺様が分からねえって事を、分かってくれねえんだよ!?」


 サメ牙男の理不尽な訴えに、武骨な武人はゆったりと語る。


「飼い主の残した言葉に従い、強制帰還させられるらしい」

「魔術による制約か」


 サメ牙は考える。

 あの糞ネコが、飼い主の言う事をちゃんと聞くだろうか。


「導きとのズレが生じてるのは知ってやがるだろう? 本当に、アイツは近日中に消えるのか?」


 どうしても導きが信じられない。

 こんなこと、今まではなかったのに。

 妙な焦燥感がヴァルスの心臓を撫でている。


「異界の伝承によると、大魔帝ケトスは主人を何よりも愛する魔猫。跳ねて飛んでとびついて、真っ先に碑文を読むだろうと教皇様は仰っている。我らが教皇猊下――あの方には全てが見えていらっしゃるのだ」

「わっかんねえな。なんで碑文を読むと強制帰還させられるんだ」


 根気よく、丁寧にウォールスは語る。


「碑文の一部を改竄すればいいだけのこと。アレは本物の異界の魔王が遺した碑文、一文だけ書き足したとしても――気付かれることはない。奴は従う。疑う筈がない、木を隠すなら森の中という言葉を知っているだろう?」

「知らねえが?」


 ……。

 と、ウォールスは頭を抱える。


 苦悩する男の顔を眺め、ニヒィ!

 子どものようにケラケラと笑い、サメ牙男はバシバシと武骨な男の背を叩く。


「まあ、いいわ。むずかしい事は全部てめえに任せてやるから。安心しろよ!」

「押し付けるな」

「なーんか、色々悩んでたのがバカバカしくなってきたわ。放置すりゃアレが消えるんなら待つだけで俺様達の勝ちなわけだろ? バーカ! バーカ! 糞ネコのバーカ! ヒャハハ!」


 偉そうにガハハハと嗤い。

 神父はまるで宿題から解放された子どものような顔で言う。


「んじゃ、俺様はもう一回市場に行ってくるからなぁ。マジで腹減っちまってるんだよ。なんかあったらよろしくぅ!」


 言って、サメ牙神父は転移陣を展開。

 影を渡り移動する。


 闇を隠す美しい女神像。

 かつて残虐な実験が行われた呪われし道。

 忌まわしい場所に残された軍服男は、息を吐き。

 そして。

 闇の奥に潜んでいた獣をじろり。


「そこにいるのだろう、憎悪の怪物よ」


 黒刀を構え。

 抜刀の吐息とステップを心臓に刻み――ウォールスは言った。


『おや、サメ牙くんには気付かれていなかったのに――君にはバレていたか』


 大魔帝ケトス。

 それは――影から現れた。



【SIDE:軍服男ウォールス】



 とてとてとて。

 愉快な肉球音を立てて、それは悠然と進む。

 誰も入る事の出来ないサメ牙神父の聖域に、図々しくもその黒き身を進めているのだ。


 笑顔の形に猫の口を刻んでいるが――背後に漂う魔力はおぞましく膨大。

 部屋を見渡し。


 キィィィィン!


 赤い瞳を輝かせ、好奇心に尾を震わせ獣は早口で語りだす。

 

『いやあ、あのサメ牙君を散々揶揄って、何度も何度も殺してやるため。遊びのためだけの下調べにアジトに来たんだけど――まさかヴァルスくんが女神憑きだったとはね。しかも、魔物達を無意識に生み出した魔を統べる王だったとは。こりゃ本当に驚いた、計算外というか予想外というか――いやあ、世の中って複雑なんだね』


 ウォールスの目の前で、ネコは我が物顔で秘密の部屋を歩き回る。

 鑑定の魔術と、あれは……過去視の魔術か。


 黒刀を構えたまま、男は考える。


 ここでヤル……か。

 いや。

 敵うまい。


 戦意高揚の魔力を這わせながら、ウォールスは言った。


「貴様、どこまで見た――」

『まあ、全部かな』


 事も無げに言って、魔猫は嗤った。



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