【SIDE:魔物軍リーダー】リポップ ―最強の魔物― 結末
【SIDE:魔物軍リーダー】
異界の邪神、大魔帝ケトスの支配領域となった学園の中。
闇に包まれた太々しい猫は自説を語る。
悠然と語るその姿は神そのもの。
常闇にはただ紅いネコの瞳が二つ、まるで満月のように輝いていた。
その姿は変貌している。
まるで巨獣のようなネコの化け物が、闇の中に鎮座していたのである。
それが本気となった憎悪の魔性の姿なのだろうか。
『我こそが大魔帝ケトス。これぞ百年前の聖戦にて最前線で戦いし姿。喜ぶがいいヒトガタよ、我は汝を気に入った。汝とまともに話をしてやろう。我こそがケトス。人と魔と猫魔獣。異なる種族の魂を内包せし、魔王陛下の剣なり』
クハハハハハハハハハハ!
哄笑が世界を揺らす。
人々も魔物もこの世界さえも、全てを蟻にたとえる彼の話は続くのだろう――。
大魔帝ケトスは言葉を再開した。
『さて、話を続けるとしよう。人間よ、魔物よ。二つの心を内包せし哀れなる魂よ――。おまえ達は――蟻同士の戦いを眺めその行く末に一喜一憂し、本気で義憤を起こし、本気で心を動かされるというのか? どうでもいいと感じたであろう。中にはそうではなく、蟻の戦いにすら興味を持つ変わり者もいるだろうが――ぐふふ、まあ少ないであろうな。つまりはそれを言葉にすると……どうでもいい、そうなってしまうのだ』
どうでもいい。
それが、この化け物の紛れもない本音なのだろう。
言葉を受けて。
かつてヒトガタと呼ばれた魔物のボス――人間としてリポップした学長の男は考える。
魔王と呼ばれるコレの主人が関わる世界以外は、全てが小さき世界の話。
蟻と同じ。
ムシケラと同じ。
全てが詮無き事。
この魔猫にとっての世界。それは主人である魔王だけを示す言葉なのだろう。
憎悪の魔力に中てられながらも、ヒトガタは言う。
「どうでもいい、ですか。なるほど。やはり次元の桁の違う貴方は――神のような超越された思考をお持ちなのですね」
紅い満月が半分に割れ、巨獣は言葉を漏らす。
『ほぅ、我を責めぬのか? この世界も所詮は脆弱なる虫たちの戯れ合い。魔王様のお目覚めを待つ我の退屈しのぎの散歩道。我が肉球の前で行われる、小さきムシケラの遊戯に過ぎぬ。我はそう言ったのだぞ――?』
「合理的な考えは嫌いではありません。それに、事実であるのなら仕方のない話でしょう。貴方にはそう思うだけの力がある。そして、この世界は――もはや主神の消えた終わる世界。貴方ほどの存在が本気となる程の価値はもはやない、そう判断されてしまっても当然です」
ヒトガタの目の前では、満月が二つ。
煌々と照っていた。
『ヒトガタよ。やはりお前は、少し変わっているな。毛色が違う。愉快で可笑しい魂の色だ。あまりいなかったタイプである。少々、いや、だいぶ興をそそられる――』
空気が少しだけ変化する。
『貴様に一つ訊ねたいのだが、構わぬな?』
「ええ、構いませんよ」
どうせ断ったとしても心を探られる。
あまりにも大きな相手の前では、拒絶するだけ無駄なのだ。
『今の貴様には、理解できているだろう。我は魔王様以外の世界の流れなど、さほどしか興味はない。そう、ほんのちょっとだけの興味しかない。誤解はするでないぞ? 故にこそ、正直に漏らせば、どうでもいいと心のどこかで考えているのだ。本当だぞ。別に自分に言い聞かせるように、念入りに繰り返しているわけではないからな? この世界に棲む命の事なんて我、ぜんぜん気にしていないのだからな!』
くわっ!
っと、満月を拡げ繰り返しているのだ。
きっとそうなのだろうと、ヒトガタは、ふむと頷く。
なれど、と満月を細め巨獣は言う。
『それを否定する、間違っていると責める人間は必ず出るだろう。人という存在は、無条件に人間こそが優先され、助けられるべき存在だと勘違いしている節があるからな。実際――そう考える神もいるのだろうが、我は違う。さて――そこで貴様に問おう。人間こそを最優先に助けるべきと思想する者達に、我はどう答えを返すべきか。どう返せばヤツらを納得させることができるか。ヒトガタよ、汝の意見を述べよ。我を説得してみせよ。我を納得してみせよ』
闇の中で巨獣ケトスの瞳が、ギラギラギラ。
まるで遊戯を楽しむ顔で、かつてヒトガタと呼ばれた男の顔を眺めている。
どう答えを返すのか、楽しみにしているのだろう。
試されているのだとヒトガタは思った。
実際にそうなのだろう。
静かに瞳を閉じ。
男は思考する。
大魔帝ケトスの考えを追っているのだ。
そして。
答えを思いついた。
「ならどうしてお前は庭の蟻を助けていなかったのか――? そう、逆に聞き返すのではないでしょうか」
巨獣となっていた黒猫の耳がピョコンと立つ。
悪くない反応なのだろう――。
『ほぅ――愉快な答えだ。続きを述べよ、耳を傾けてやろう』
ヒトガタと呼ばれた男は考える。
闇の中、手を伸ばすと現実の空間と繋がる。
探すのは――蜂蜜入りの甘い紅茶。
魔力回復が目的ではない。
思考する脳を加速させるため、糖分を送るべく紅茶に口をつけたのだ。
甘いと感じる。それはとても心地が良い感覚。
味覚、それも人間となったことで手に入れた能力の一つだ。
揺れる波紋に目をやり、思考を整理し……話を続ける。
「貴方にとって人間や我等魔王陛下の眷属ではない魔物は――どうでもいい蟻の如き存在。目の隅に映る塵芥と同じ価値しかないのです――故に助ける価値もない存在だと思っている。けれど貴方は気まぐれです。そして、一定の価値観に従って行動しているように思えます」
言葉が次々と浮かぶ。
喋らずにはいられなかった。
「貴方は、ワタシが秘書を戦闘に巻き込むまいと逃がした行為に興味を持っていた。そこにヒントがあったのではないでしょうか? 貴方は人も魔物もムシケラだと思っているが、他者を助けるムシケラには興味がある。何があったのかは知りません、けれど――誰かを助けるという行為自体が貴方にとっては特別な儀式。価値ある行為だと認識していると想像できます。故に――他者を助ける者に興味を引かれる、人助けという行動そのものに一定の敬意と好感を持っているのではないでしょうか」
納得をさせなくてはならない。
合理的に、この黒猫の思考を言葉にする必要がある。
だから無口だった筈の彼の薄い唇は、雄弁に語る。
「つまり、逆説的に言えば、庭の蟻すら助けていなかった人間を助ける義理もない。そう相手に自覚させるために、聞き返すのです。どうして助けを求めるお前は庭の蟻を助けていなかったのかと――、お前は助けを求める前に、助けを求める誰かを助けたのかと問うているわけです。そしてもし実際に助けていたのなら、一定の慈悲を与えるのではないでしょうか。ワタシはそう考えます。どうでしょうか?」
答えに満足したのだろう。
巨獣はヒゲをぴんぴんに鋭くさせ、好奇心で全身の獣毛を膨らませる。
『ほぅ、なるほどな! ぐはははははは! 良いぞ、良い! 人を助けぬ我を責める者が現われた時は、今の方便を使わせて貰うとしよう! ――さて、ヒトガタよ。汝は我に言い訳を用意させた、これで貴様を助けても問題は無かろうて』
まるで異界童話で語られる伝説の猫。
樹の上で笑う猫のように――嗤っていた。
『ヒトガタといったか。我は汝を気に入った。故に肉球を伸ばそう――その魂、その洞察力。全てが面白く興味深い。ああ、汝を滅ぼすのはやはり止めよう。壊してしまうくらいなら、我の部下にしてしまおう』
言って、返事を待つことなく大魔帝ケトスは肉球を鳴らす。
ざざざざ!
獣毛と同じように魔力すらも、ぶわぶわっと無尽蔵に膨らませているのだ。
影を操る魔術が発動されているのだろう。
ズズズズ、ズズズズズズズ。
周囲と世界が、ネコの影に侵食されていく。
ヒトガタの意識が、猫に汚染されていく。
大魔帝ケトスの闇。
影の中の世界に包まれ覆われていると気が付いたのは、既に侵食された後。
――もはや、逃げられないか。
それでも拒絶しなかったのは、既にヒトガタの意識がこの魔猫に奪われつつあったからだろう。
初めて魔物として、まともに会話をしてくれた存在として。
惹かれていたのだ。
魔術師の言葉でいうのなら、魅了状態。
魂を魅入られていたのだろう。
影の世界の中で声がする。
『おそらく汝は創造主によって、行動を制限されている。本能や魂を魔物の中ボスとして囚われ、この世界に固定されているのであろうな。故に永遠にリポップする。永遠に動き続けるようにインプットされている。故にこそ、我は汝の支配を奪ってみせよう――さあ、無限に続くリポップという輪から逃れよ、ヒトガタよ。我と共に常闇の夢を見続けようぞ』
猫は男の返答を聞くことなく、魔法陣を展開させる。
魔術式は――契約の強制書き換え。
主の切り替え。
魔物の中ボスとして設定されたヒトガタという魂を、大魔帝の部下としての魂として塗り替えているのだろう。
契約の書き換え。
その魔術儀式の中で、魂がこの膨大な魔力を抱く魔猫――大魔帝ケトスと繋がったのか。
ヒトガタの意識が沈んでいく。
闇の中。
奥へ、奥へと――。
◇
現実ではない世界。
大魔帝ケトスの影の中の世界。
夢と現実のはざまにある幻術の楽園の中。
人型と呼ばれボスとして創造された男は、闇の海の中で影を見た。
黒き魔猫の頭上。
憎悪の塊が、ギシリ。
神獣を彷彿とさせる化け物のフォルムが、見えたのだ。
これはおそらく、大魔帝ケトスの心の一面。
浮かび上がる魔族の影が、禍々しい咢を蠢かす。
ぐははははははは!
哄笑を上げるその影は、魔族としての彼なのだろう。
『ああ、楽しみだ。人間と魔物と、どちらの事情が正しいのか。どちらも狂っているのか、どちらも間違っているのか。どちらも正しく歩んでいるのか――ああ、楽しみだ。北には――王都には何がある。南には――リポップポイントには何がある。ああ、楽しみだ。我は知りたし、汝らの世界に漂う悲劇を喜劇を、戯曲を。我は知りたし。魔王様に贈る物語を、記録を、あの方が望む話を我は拾い集め続けよう。ああ、我はどちらにより力を貸そうか。どちらを潰してしまおうか。どちらを壊してしまおうか。どちらを救ってみせようか。魔王様なら、ああ、あの御方ならどうするのであろうか』
繋がる魂の中。
夢と現実の狭間。
大魔帝ケトスの魔術世界の中。
別の気配が浮かんでくる。
黒猫の影が、呆れたように――けれど揶揄うように言う。
『んにゃ? にゃーんか、珍しく君が前に出ているね。この器も心も魂も、ぜーんぶ私のモノなんだから、あんまり前に出てこないで欲しいんだけど。ていうか、それに正直さあ、君ってかつて人であった私でもなく、自由に愛され生きるネコの私でもないし、存在が認知されてないぐらい地味だよね~。プププー!』
その横で。
酷く端正な――冷たい美貌の紳士の影が、苦笑しながら言う。
『私は君達の遊びが行き過ぎない限りは止めないよ。魔王様が自由であれと望まれているからね。好きにすればいい。それに、そうだね――面倒になったら。欲しいものと惜しい命だけを掻き集めて、全部壊して帰ってしまってもいいんだし』
『お、いいね~。それ賛成! ぶにゃははははは! まあ、気楽にやろうよ気楽にさ』
嗤う人間とネコを見て。
神獣のような姿の影が肩を落として、げんなりと言う。
『貴様らは……どうして、そう雑で気まぐれな発想にしかならんのだ……』
三つの紅い瞳が、ギラギラギラと輝いている。
それぞれが、膨大な心の魔力を抱えている。
人とネコと魔。
異なる性質の心と魂が、同じ器の中で存在している。
それぞれが憎悪の魔性として覚醒し。
それぞれが魔王と呼ばれる主を慕い。
それぞれが世界を呪い恨み続けているのだろう。
魔性としての核が三つあるということだ。
それが、この規格外な魔猫の強さの秘密の一つでもあるのだろう。
そんな深く悍ましい魔性の放つ魔力。
影の世界と闇の中。
魔族としての神獣の影が妙に冷静になって、はぁ……とため息をつき。
ジト目で言う。
『だいたいなあ……貴様らはただ思考ベースが切り替わっているだけで我と同一の存在。同じ心と魂であろう? 責任を全て我に押し付けようとしているだけではないか? そもそもだ。そういうことばかりしているから、我等は魔王様に、都合のいい時だけネコのふりをして逃げるのは悪い癖だと、注意されてしまうのではないか? というか、いつも思っているのだが。暴走するのは毎回貴様らのどちらかであり、我は関係ないであろう? 普段から大人しく魔王様のお目覚めを待つ我は、とばっちりであるのだが?』
猫と紳士の影はじぃぃぃぃぃぃ。
『まあ、そういう見解も』
『あるかもしれにゃいね~』
互いに顔を見合って頷き。
阿吽の呼吸のように――同時に、何事もなかったように闇の霧となって消えていく。
図星をつかれて逃げたのだろう。
人とネコと魔。
三つの魂と心。それらが合わさって大魔帝ケトスなのか、それとも大魔帝ケトスという巨大すぎる魂が、負担を減らすために三つに分かれているのか。
答えは分からない。
けれど、ヒトガタは宇宙のように広がる魔に目を奪われていた。
『あいつらめ自分の魂の中で逃げるなどという器用な事をしおって――まあいい。ともあれ魔たる我の考えは決まっている』
先ほどまでの茶番などなかったような神々しい顔で。
影の獣はギシリと息を吐く。
『ヒトガタよ、お前の哀れな魂は、拾う価値のある魂だ――我の目の前で、秘書といったか女の命を守るなどとは、随分とまあ生意気ではないか。ああ、生意気だ。生意気だ。生意気であるから、壊すのは惜しい。惜しいから、仕方あるまい。我が手駒としてしばらく使ってやる――ヒトガタよ、終わらぬ死と再生に苦しみ怯える憐れなる魂よ――我は汝に肉球を伸ばそう』
かつてヒトガタと呼ばれた男は考える。
本当に、解放されるのだろうか。
ドクリ、ドクリと人間としての心臓が鳴る。
そんなヒトガタを見て、人間としての大魔帝ケトスが浮かび上がってくる。
『君も疲れたんだろう? 君に永遠の嘆きと憎悪を与えた存在に、仕返しをするチャンスをあげようじゃないか。一緒においで――君に反逆の力を与えよう』
深い闇の底。
深淵へと誘うような甘い紳士の声が、ヒトガタの耳朶をぞくりと揺らす。
それは、ヒトガタの創造主。
名も知らぬ存在への下剋上を誑かす、邪悪なる誘い。
そして最後に。
くははははははははは! と、変なポーズを取るネコの声が響き渡る。
『にゃははははは! なんか君は新しいタイプの存在だからね、君となら一緒に楽しく遊べそうだし。うん! きっと魔王様も気に入るだろうし、その合理的な考え方は魔王様を守るための頭脳となってくれるだろう! どうせ断っても無理やり眷族化するし、この私が誘ってるんだから別にいいよね? んじゃ、そう言う事で――やっちゃうね~!』
『な! こら貴様! せっかく我が格好よくビシっと支配権を奪ってやろうと思っていた所であるのに!』
『君が格好つけてチンタラしてるのが悪いんじゃないか。んじゃ! 支配権の塗り替え、完了させちゃうよ!』
無邪気なネコの手が、無理やりに男の手を掴んでいた。
ぷにっとした感触が、ヒトガタの指に触れる。
その肉球は遊びを欲する戯れに満ちていた。
おそらく。
三つの心と魂の中でこの猫としての感情が一番強引で、強力なのだろう。
拒めなかった。
名も知らぬ創造主よりも、この大魔族の甘い声は魅力的だった。
ヒトガタは思った。
この方こそが最強の魔物。
この方こそが望み続けた光。
希望。
そう。
真に仕えるべき御方なのだと――ヒトガタは自ら望んで手を伸ばした。
「ああ、あなたこそがワタシの救世主。長年求め続けた我が主。どうか――末永くあなたのお傍に」
ネコの肉球が、男の手を掴み返す。
その瞬間。
ヒトガタを蝕んでいた創造主からの呪いが、砕けて消えた。
代わりに、大魔帝ケトスの部下としての情報が魂に記入されていく。
『さあ、これで君も魔王様の眷属だ。私は君を歓迎しよう』
かつてヒトガタと呼ばれ、北を目指し続けた男。
人間へとリポップした男。
人へと転生した男は――学園が滅ぶはずだった今日という日に、大魔帝ケトスの眷属となったのだ。
◇
悪戯魔猫は二つの味方を手に入れた。
滅ぶはずだった命が、魂が――魔猫の気まぐれで救われていく。
臨時教員の女。
かつて魔物だった男。
彼等が滅んで次のステージに進むはずだった世界の歯車が、軋んでズレて、もはや誰も知らぬ方向へと進み始める。
主神を失い終わりへと進む世界。
壊れ行く筈だった終わる世界。
その運命の歯車は、既に大きく切り替わっていた。




