【SIDE:魔物軍リーダー】リポップ ―最強の魔物― その4
【SIDE:魔物軍リーダー】
魔物の襲撃も終わりかけた学園。
大魔帝のダンジョン領域と化した学び舎。
その頂点に立っていた男の部屋――学長室では異界より舞い降りた魔族と、魔物の中ボスとの会談が行われていた。
一匹は飄々とした猫魔獣で異邦人。
自由気ままに生きる異世界の大魔族。
大魔帝ケトス。
戯れに行動する魔猫にして、憎悪の魔性である規格外の化け物だ。
そしてもう片方は――。
死と再生を繰り返し、人間と長年戦い続ける魔物達。
その一つの群れのボス。
ただ北へ向かう。
本能に刻まれたその目的を果たすため、人間へと転生した学長の男――ヒトガタ。
三十代半ばの無機質な男。
かつてヒトガタと呼ばれた魔物は、初めて目にするタイプの相手に困惑を示す。
悠然と蜂蜜ティーを味わうモフ猫に目をやったのだ。
ふふんとしたドヤ顔。
太々しい顔。
偉そうな顔も、瞳も、髯も、全てが自信に満ちている。
『せっかく君の分の紅茶もこの私が淹れたんだ、飲んだらどうだい?』
「ええ、では――失礼して」
促され、そこでようやく男は初めて紅茶に手を伸ばした。
まるでこちらが客人なようだと男は思った。
実際、このダンジョン領域では既に来訪者扱いなのだろう。
断る理由もない。
それに、動揺を紛らわせるために飲み物を口にする。
それは極めて人間らしい行動だった。
正しくあり続け、模範的な人間を目指し化ける彼――。
人間へとリポップした男にとっては、人が取るだろう行動をトレースすることは、落ち着く行為でもある。
蜂蜜入りの紅茶を口にして、ヒトガタは少しだけ瞳を膨らませた。
甘かった。
けれど口当たりもいい。
異世界の魔王に仕えていると思われるこの魔猫は、執事としてのスキルも相当に高いのだろう。美味しいと世辞抜きで思える、至上の紅茶だった。
だが、驚いた理由はそこだけではない。
蜂蜜に込められた魔力が濃厚すぎるのだ。
「これには、魔力回復効果があるのですね」
『ああ、そうらしいね。私は魔力が枯渇する事なんてないから分からないけれど、魔力が減ってしまう存在にとっては、回復アイテムとしての効果もあるそうだ。魔王城のコンビニ……は分からないか、万物を扱う眠らずの店では、私の淹れた紅茶がお小遣い稼ぎの特別価格で販売しているぐらいだからね』
枯渇しない魔力。
それが正しいのなら、消耗戦すらもこの大魔族には無駄だと言う事だ。
「魔力が枯渇しない?」
『私の力の源は憎悪。愉快な事にどの世界でも同じ、知恵ある生き物が存在する世界は憎悪で満ちている、大なり小なりね――だから生物が存在する限り、私の魔力は無限に湧き続ける。故に魔力に困ることなどない――とても便利だろう?』
便利だと口にするわりに、黒猫は少しだけ悲しそうに尻尾を振っていた。
細める猫の瞳には、何が見えているのだろうか。
分からなかったが。
とても綺麗な色だとヒトガタには思えていた。
乾いた薄い唇に潤いを与え、男は淡々と呟いた。
「その話は分かりました。けれど、この会話の意図が分からない。合理性に欠ける。先ほどからワタシたちは雑談ばかりをしております。いったい貴方は何をしたいのでしょうか。目的が掴めません」
言葉を受けた大魔帝ケトスはヒゲをうねうね~、しばし考え。
うにゃん。
『目的か。まあ、最終目標はまだ見ぬグルメを回収しようとしている――そうなるんだろうけど、もっと根本的な理由を付けるとしたら。要するにね、暇なんだよ――私は。だから私の世界とは関係のない魔の存在である君との会話を、余興としているのかもしれない。まあ、君に配慮せずに言葉にするのなら、意味なんてない退屈しのぎになるのかな。この世界も、私の世界も、どちらに来ても同じ――前よりは気楽になったけど、魔王様の眠る今はとても寂しいんだ』
目線を紅茶に降ろし、学長の男は涼やかな顔のままで言う。
「魔王様――あなたの主、ですか――ワタシはワタシの主を知りません。自我と呼ばれるモノが生まれた時には既に、主の記憶などありませんでした。おそらく、元よりそのような知識は不要と与えられていなかったのでしょう」
魔力を補充する紅茶を味わいながら、男は瞳を細める。
「仕えるべき主人、偉大なる方を迷うことなく慕える貴方が少し――羨ましいです」
『ぶにゃはははははははは! 良い主を持ってしまって申し訳ないねえ! 自慢するようですまないねえ! けれどまあ、私のご主人様はあまりにも偉大だからね! この忠義は絶対! 迷うことなどないのである!』
デデーン!
と、珍妙なポーズを取り――効果音すら魔力で発して黒猫は上機嫌。
魔王と呼ばれる存在を褒められたと感じたのだろう。
「貴方は、やはり――よく喋る方なのですね」
『そうかな? 私はごく平均的な量しか口にしていない。私が無駄にお喋りなんじゃなくて、君が無口なだけだと思うけれどね』
言って、黒猫も紅茶をズズズズズズ。
学食のチェックが終わったのだろう――フンフンフンと少しネコの鼻息を濃くして、モフモフな尻尾をブワブワブワ!
にゃは~ッ!
瞳をギンギラギンに膨らませ、赤ペンと、丸い赤い文字でグリグリと書きなぐったメニュー表を、闇の亀裂の中に仕舞い込む。
闇の亀裂の正体はおそらく――アイテム収納空間。
一瞬見えたのは、無造作に積まれた魔道具だ。
伝説級を越えるマジックアイテムが山のように積まれた、コレクション用の空間なのだろう。世界を軽く数十単位で葬れるほどの宝物庫を所持しているのは確実か。
けれど。
男の興味はそこではなく、目の前。
グルメを夢見て不敵に笑うネコの方に向いていた。
口が、意識とは離れていた。
「学食で、何を召し上がるのですか?」
何故か、そんな言葉が漏れていた。
きっと。
黒猫が本当にワクワクしている様子が手に取るように分かって、では、この猫は何に期待しているのか。何を見つけたのか。何に赤く丸を付けたのか。
気になってしまったのだ。
こんなこと初めてだと、ヒトガタは真顔のままで猫を見る。
猫は答えた。
『とりあえずはとろとろ卵のオムライスかな~。こちらの世界の鳥肉の味も気になるし。って、ちゃんとチキンは使われてるよね? 私、オムライスにはちゃんとチキンが入ってるヤツじゃないと満足できないんだけど』
「使われていると思いますよ。安価で栄養がありますからね」
自然と、笑みと共に言葉が口を伝った。
なぜだ。
なぜ、心臓がこれほどまでに高鳴っている。
ただ会話をしているだけなのに。
『あれ? 君は食べたことがないのかい?』
「ええ、トマトが苦手なので……ケチャップも、だから注文は避けています」
ヒトガタは思った。
なんでこんな会話をしているのだろうと。
なんで、口が勝手に動くのだろうと。
不思議だった。
かつての仲間達はどれほど語り掛けても無口だった。
まともな答えを返してくれなかった。
けれどこの魔猫はどうだろう?
敵といってもいい存在であるのに、こうして会話とやりとりができている。
これが殺される前の会話。
戯れの時に過ぎないと分かっていても――魔物のボス、ヒトガタとして会話ができている。
それが、なぜだろうか――男には嬉しかった。
キラキラキラと、世界が蠢いていた。
黒猫のふわふわな毛が、揺らいでみえる。
鼻の頭が熱くなって、雫が頬を伝った。
魔物のボスとして誰かと会話をする。
ただそれだけで涙が零れていたのだ。
流れる涙を拭おうともせず。
まっすぐに前を見たまま淡々と男は言った。
「失礼しました。人間の身体とは不便ですね。脆弱で醜く、心という不確かで合理的でない感覚が揺れるだけで、こうして生理的な反応を起こしてしまうのですから」
『えぇ……? ちょっとドン引きなんだけど……可愛いオムライスを持った女の子に素敵な御猫様に会えて感激で御座います! って嬉し泣きされるならまだしもさあ……男に泣かれてもあまり嬉しくはないんだよねえ、まあ泣きもできない男もどうかと思うけれど――』
ジャムクッキーをむっちゃむっちゃし、黒猫は続ける。
『君さあ、完全な人間になろうとするあまり、ちょっとありえないくらい純粋な存在に転生しちゃっているんじゃないかい?』
問われた男は考える。
「人間とは協調性を武器とし、群れで生きる存在。個であり複数、複数であり個。互いに助け合う優しき心を持つ存在。脆弱な身でありながらも実力も体格も、魔力も勝る筈の我等魔物を滅ぼす集団生物。その心が正しくあることを美徳とする美しい心の生き物。彼らをトレースすると、こうなってしまうのですが――違うのでしょうか?」
うわぁ……と、猫はジト目を作る。
『そんなに綺麗な生き物じゃないと思うけれどね。どうやら君は――魔物でありながらも、誰よりも綺麗な人の心を持ってしまったようだ』
頬を濡らしたまま淡々と紅茶を啜る男を見て。
猫は、はぁ……と肩を竦めてみせる。
『それに――さっきから殺される前提で君は心を動かしているようだが、何か誤解をしていないかい? 少なくとも今の所はっていう前提条件があるけど。私は別に、君を狩るつもりはないよ』
「我々は人間の敵なのにですか?」
事実。
今日、今この瞬間も――どこかで何人かの死者は出ているのだろうから。
人間となった彼は、人間の死を悲しむ能力も手に入れていた。
自分とは関係のない存在が消えたとしても、悲しいと感じるのだ。
けれど。
北へ向かうという本能。
強制的に行動を制限される、呪いともいえる衝動には逆らえない。
魔物のボスとして、魔物達を北へと扇動するように動かされ続ける。
そんなヒトガタのココロを読んだ様子で、黒猫はふむ……と息を吐く。
そうして。
次の瞬間。
『ああ――君は、可哀そうな生き物だね』
ぽつん、と。
まるで闇に雫を垂らすように、猫は言った。
耳と心が、ざわざわとした。
男の魂は揺れた。
ゾクリとするほどに甘い紳士の声音が、男の魂に絡みついていたのである。
目の前に居るのはネコの筈だ。
図々しく、太々しい顔の猫。学食のメニューに本気で心を躍らせる無邪気なネコ。
けれど。
今、目の前にいるコレは違う。
まるで神父や牧師のような壮年。
静かで、けれど酷く蠱惑的な――ぞっとするほどに穏やかな声の紳士が、そこに佇んでいるように見えるのだ。
ネコの口が、紳士の言葉を紡ぎ出す。
『辛かったのだろうね。悲しかったのだろうね。誰からも褒められることなく、誰からも認められることなく延々とリポップし続け、戦い続け――ああ、君は本当に頑張ったのだろうね。ああ、偉いね。けれど、悲しいね――寂しかったんだろうね』
ざわざわざわ。
心の奥。
今まで気にもしていなかった部分を、ネコの声が侵食していく。
――精神汚染? いや、違う。この男はただ思った言葉を口にしているだけだろう。
死と再生の中で疲れきった男。
滅びすらも望む男にとって、それはずっと聞きたかった言葉だったのだろうか。
頑張ったのだ、と。
誰かに認めて欲しかった。
誰かに感じて欲しかった、共感して欲しかった。
それこそが侘しさの正体だったのだろうか。
そこでようやく男も気が付いた。
寂しさに共感してみせた、この黒猫も同類。
大魔帝ケトス。
強大なるこの存在も、憐れな魂なのだろう――。
と。
けれど。
告げた後、猫はそれをすぐに失礼な言葉だと思ったのか。
まるで紳士のような気配のまま、穏やかに口を開いた。
『いや、悪かった。すまない、考えるより前に言葉が漏れていたよ、今の無礼は詫びよう』
紳士の言葉と気配はすぐに消え、目の前には先ほどの猫がいた。
チペチペチペと肉球についたジャムを舐め。
猫耳をモフりと動かす猫だ。
『さて、戯れも終わりだ。君と話が出来て、私は楽しかったよ。少しだけだけどね。けれど、このままというわけにはいかないだろう』
そうして。
空気が、少し変わった。
被る王冠を整え。
まるで王者のような品格を纏い。
黒猫は淡々と、語ったのだ。
『どうやら君は誤解しているようだ。いつだって人間側が正しいと誰が決めたんだい? 異世界から召喚された存在が人間側に協力するなんて、誰が決めたんだい? 君達が人間族の民間人の命を奪ってしまっているように、人間達も罪もない魔物を狩っている。どちらかが一方的に惨殺しているのなら、私は私の信念に従い違う行動をとっていただろう。極端な話をするとね――君達の事情次第では、私はそちら側についたって良かったんだ』
順番が少し違っただけ。
そう付け足した大魔帝ケトス。
その言葉を受けてヒトガタは考える。
「つまり。あくまでも貴方は臨時教員ハザマ個人に味方をしているだけであって、人類すべての味方というわけではないと?」
『ああ、そうなるね。この世界で起こっているのは悲しい事に――戦争だ。どちらも民間人を殺している。戦う意思のない無辜なる命を奪っている。惨い殺戮を行っている。魔物は残酷だ、人間だって残酷だ。そこに違いなどありはしない。と、まあここまでは建前かな』
苦笑しながら猫は言葉を区切る。
そして。
明らかに空気を変えて、猫は言った。
『言い方を変えるとね――我が魔王様に関係のない世界の戦争なんて、私にとってはどうでもいい事なんだ』
静かな声音だった。
穏やかで、ゆったりとしていて――けれど、ぞっとするほどに冷たい声。
ざぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
いつのまにか室内はネコの闇で包まれていた。
大魔帝ケトスが本音を語る。
それだけで周囲が闇に覆われたのだろう。
深く昏い黒色世界の中で、紅い瞳だけがギラギラギラと輝いている。
まるで神のような無表情で。
ネコは口を蠢かす。
『この世界で生きる君達にとっては、失礼な話だと自覚をしているけれどね――それでも私は、こういう時はこう例えている。これもやはり失礼な例えだとは思うのだが。本音なんだよね』
「例え、ですか。聞かせてください――ワタシは貴方の思考に興味があります」
猫は。
嗤った。
『君達は――庭に棲みついた蟻同士の縄張り争いを見て、本気でどちらかに加担しようなんて思うかい?』
それは高みからムシケラを眺める存在の、紛れもない本音だったのだろう。
ネコの言葉は、まだ続く。
けれど、男の思考は一瞬止まっていた。
いや、世界が止まっていた。
男も世界も。
観測したのだ。
これが、この世界の運命の分かれ道であると。
ヒトガタは感じていた。
おそらく。
自分の運命は、世界の運命は――気まぐれなネコの肉球に転がされ導かれる道の行く末は――この猫の言葉と、返す自分の答え次第で変動するのだろうと。
どちらにしても。
魔物のボスとしてのヒトガタの物語はもうすぐ終わるのだ。
――終わる。
終わる自らの物語を確信しながら。
誰よりも人間であり続けた男は、前を見た。
猫を見た。
紅き瞳に、ココロも目線も奪われていた。
――ああ、この方がワタシを終わらせてくれるのだ。
ただ静かに、ネコの言葉に耳を傾けたのだ。




