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【SIDE:魔物軍リーダー】リポップ ―最強の魔物― その2



【SIDE:魔物軍リーダー】


 魔物に襲われる学園。まだ若き人間達が集う地を管理する責任者の男――ヒトガタは静かに心を揺らしていた。

 戦況情報が集まるこの一室。

 学長室には今、二人の人間と一匹の猫がいた。


 かつてボスと呼ばれた学長の男。人間味の薄い静かな顔立ちを崩さず、彼は考える。


 この中に人間は何人いるのだろうか。

 と。

 秘書である女性は紛れもなく人間だ、これはいい。

 けれど――。

 学長の男は考える。


 ――自分は人間にカウントされるのか? いや、そんなことはどうでもいい。それよりも――。


 今考えるべきは、コレ。


 猫。


 黒き獣、猫魔獣がヒトガタを睨んでいた。

 人に化け、人として生き――人として中から学園を崩そうと目論んでいた男の前に、コレはいた。


 コレと思ってしまうのは、猫だと分類していいのか判断できなかったからである。

 それもその筈だ。

 コレは全てが規格外だった。


『勝手に邪魔をしているよ。っと、ああ、私の声は君にしか聞こえていないから気を付けておくれ。このお姉さんには可愛らしいネコちゃんの声にしか聞こえていないって事さ』


 とてとてとて。

 黒猫は我が物顔で学長室を歩き、スゥっと瞳を細める。

 何かを見つけたのだろう。


『へえ、魔物の分際でなかなか良い暮らしをしているみたいじゃないか。この紅茶、貰うからね。それと――おや、これは……そうか。なるほどね』


 かつてヒトガタと呼ばれていた魔物のリーダー、学長はごくりと息を呑む。


 ――何に、気付かれた?


 人も出入りするこの部屋に重要なモノなど置いていない。

 では、なぜあれほどに真剣な顔を――。


 紅き瞳の真ん中。

 黒目をデラデラデラデラ、その瞳は――まるで獲物を見つけた獣のようにまん丸に広がっている。


 シリアスに顔を鋭くさせる学長の男に、黒猫は片耳を下げて猫口を上下させる。


『ああ、すまない。緊張はしないでおくれ、君と話がしたくて来ただけだからね。話をするには紅茶やお菓子が必要だろう? だからそれを探していてね』


 言って、黒猫は魔力で浮かべた体を客用のソファーに降ろし。

 ほんの一瞬だった。

 刹那の間に、獣は行動を開始していた。


 コトコトコトコト。

 高密度な魔法陣のコンロを召喚し、お湯を沸かして既に注いでいたのである。


 ――ばかな! 時間操作魔術……っ?


『ただほんのちょっと先の未来から、湧くはずのお湯を拝借しただけだ。そんなに驚くことかい?』


 驚くべきことだとこの猫は知らないのか。

 それが神話領域の魔術の極みにある技術だと、知らずに容易く行使しているのだろう。


 ――格が、違う。


 時間にして三秒も無かった。

 けれど、コレは既に行動を完了していた。


 取り寄せていた学長室のティーセットを勝手に広げて、お客様気分でドテリ――午後のティータイムをこれでもかと味わっていたのだ。

 むっちゅむっちゅむっちゅ。

 ジャムが間に挟まれたクッキーや、チョコチップが塗されたクッキーをバーリバリバリ……貪る咀嚼音が響く。


 ここにいる中では唯一純粋な人間――。

 秘書はクッキーを食べる音でようやく気が付いたのだろう。


「ふふふ、学長ったら。ネコちゃんとお話ですか? こんな緊急事態に、やはりいつだって冷静で頼りになりますね」


 秘書は理知的な顔を少しだけ緩め、ソファーに座る猫に目をやった。

 ネコはルルルニャーン♪

 と、まるでただの猫のように甘えた声を上げている。


「それにしても……可愛らしいネコちゃんですね――この戦闘状態です……負傷した誰かの使い魔が紛れ込んだのでしょうか」

「かわいらしい、猫? 君には、見えないのか?」


 静かなる学長の問いに、秘書は少し怪訝そうな顔を浮かべる。


「なにがでしょうか?」

「そうですか。いえ、いいんです――」


 ああ、彼女には見えていないのだと学長は察した。


 我が物顔でソファーを占拠するこのネコ。

 甘えた声で鳴く猫。

 その頭上には。


 ギラギラギラギラ――闇が嗤っていた。


 それは魔力。

 それは直視できないほどの闇。

 純然たる力の塊。


 憎悪だ。


 ドクン、ドクン。


 目を合わせただけで死を意識してしまう程の憎悪。背筋も血も凍る程の、悍ましき魔力が浮かんでいるのに。

 人間という脆弱な存在には、この闇を感じ取ることができないのだろう。


 学長の男は思った。


 自分が井の中の蛙ならば、これは山だ。

 いや、山の上に浮かぶ空。

 宇宙のように広大で先のない暗闇が、ギラギラギラ――川の中で漂う蛙をじっと眺めているのだ。


 器が違う。

 次元が違う。

 これは絶対に逆らってはいけない存在だ。


 ――と。

 学長の男は考える。


 自分は殺されるのだろうと。


 もし戦いとなったら、秘書である彼女も巻き込まれる可能性が高い。

 彼女は無関係だ。

 人間に対する愛情などないが、尽くしてくれる人の無駄な死はみたくない。


 学長の男は、秘書に目をやり――。


「すまないが。君はマダムサンディの援護に回ってください――この猫は、ワタシの方で適切に対処をしておきますので」


 穏やかに命令を告げる。

 その声音は静かで理知的で、まるで若者に道徳を諭し教える教師のような声だった。


 声そのものは三十代の男の声だ。

 けれど酷く老成していた。

 威圧感はないのに、逆らい難い雰囲気を纏っているのだ。


 それこそが彼の能力。

 扇動の力と合わさった結果。

 今の地位にまで忍び込むことを可能にしていたのだろうと、彼自身は思っていた。


 魔物に襲われる中でのその発言に、秘書は少しだけ困惑を示す。

 いつもは必ず傍にいてくれ、どうか考える時に漏らす言葉に返事をして欲しい――と、寂しそうに訴えていた男だったのに。

 だから秘書は尋ねていた。


「え? ええ、構いませんが……学長お一人で大丈夫なのですか? 学園の要で功労者であるあなたを失うわけにはいかないのですが――」

「ワタシはいつだって間違った行動をしなかっただろう? それに外には護衛もいる。マダムサンディもワタシと同じぐらいに重要な人材です、失いたくはない。どうかこのワタシを信じてください。これは必要な事なのですから」


 そう言って、学長の男は優しく微笑んだのだ。


 優しく微笑むときは逆に頑固なのだと、長く彼に仕える女は知っていたのだろう。

 秘書は、お辞儀を残し転移魔法陣を展開する。


「それでは行ってまいります。学長、どうかお気をつけて――」


 シュインシュインシュイン。

 学内のみで有効な、転移の魔術が発動した。


 猫は見ていた。

 命を守ろうとした男の行動を――。


 ◇


 二人きりとなった学長室で、男は考える。

 また殺されるのだろうと。

 リポップしたらまたやり直し。

 けれど、その前に目の前のコレについての情報は可能な限り入手したい。


 声が震えそうになる。

 こんな感覚は初めてで、かつてヒトガタと呼ばれた男は困惑する。

 それでもなんとか、声を絞り出していた。


「初めまして、力強き方――ワタシがこの学園の長。あなたが御存知である通り、此度の襲撃を目論んだ魔物達のボスとなっております」

『おや? ワタシは人間でーすってされたら面倒だなあ、とか思っていたんだけど。素直だね』


 反応が珍しかったのか、猫は男に興味を持ったようだった。


「気付かれているのならウソをつく必要など、ないでしょう。合理的ではありません。いざとなったらあなたは人々の記憶すらも改竄する力があると考えられます。ワタシがいなかった者として、世界を書き換える事とて可能なのでしょう。だから、否定しても無駄なのです。どうでしょうか?」


 黒猫はモフ毛をぶわっと膨らませて。

 興味津々そうに丸い猫口を蠢かす。


『へえ! 機械みたいな考え方をするんだね。それなのに人間の死を嫌って遠ざけた。ふむ、面白そうだから殺さないであげるよ。今のところはね。君があの秘書を救った事への褒美だと思ってくれていいよ。にゃははははは、感謝してくれたまえ』


 言葉の通り嗤う黒猫は動かなかった。


 肉球輝くその手をそっと振り下ろすだけで、男の首は簡単に飛ぶのだ。

 けれど動かない。

 脈動する憎悪の魔力を頭上に浮かべたまま、ただ静かにクッキーを味わっていた。

 静かな顔に殺意はない。


 それが逆に、恐ろしかった。


 男は言う。


「貴方は何者なのですか?」


 それを聞きたかった。

 これほどの存在だ。

 主神や創造主。神話規模の存在だという事は間違いない。


 最強だと思い込んでいた女――聖女マイルよりも上、明らかに桁が違う存在だからである。

 ならばこそ。

 かつてヒトガタと呼ばれた男は考えていた。


 もしや、この黒猫こそが我が創造主なのではないかと。

 そんな疑念が浮かんでいたのである。


 この猫の放つ独特な空気。

 達観した様子は神そのもの――それほどに圧倒的な存在にみえるからだろう。


 北へ向かう本能を刻み込み、リポップし続ける性質を与えた惨い存在。

 もしコレが父たる絶対なる魔なのだとしたら。

 恨みを吐くべきか。

 それとも頭を垂れ付き従うべきなのか。


 男には分からなかった。


 その心すらも紅き瞳は見透かしているのだろう。

 黒猫はネコの眉を困らせ語る。


『残念ながら――私は君の父じゃない。まあ、もちろん母でもないけれどね。ああ、そうそう失礼した。そういえば自己紹介がまだだったね』


 ジャムクッキーを貪っていたネコはチペチペと自らの肉球についたジャムを美味しそうに舐め上げた後、ゆったりと腰を上げる。

 首に付けた魔獣登録証が、ギラリと輝いていた。


 そこには能力が記入されているが、フェイクだろう。

 ならば、臨時職員で鑑定士のハザマは既に、この黒猫の眷属になっていると想定するべきか。


 処分される筈だった女、戦場の猟犬ハザマ。

 国から口封じの抹消を命じられていたあの女性を憐れみ、同情から救ったのは――失敗だったか。

 けれど男は使い捨てにされる女をどうしても見捨てられなかったのだ。


 それは彼が善人を演じていたからだ。

 学長となるほどの人格者を、この器で演じ続けていたからだ。


『ハザマ君を救っていたのか――ふむ、君は不思議だね。君という存在が人間なのか魔物なのか、よく分からないよ。魔物のボスなのに、まるで人間よりも人を救っているように見えてしまう。正しき人間に化けるために、誰よりも正しき聖人となってしまう――皮肉だね』


 また心を読まれた。

 ならば。

 内心ではこの悍ましくも狂おしい闇に怯えているのだと――知られているのだろう。


 怯えとは裏腹。

 学長と呼ばれる魔物の長は、涼やかな顔で端正に――薄い唇を動かしていた。


「貴方は、どこまで心を読めているのですか」

『さあ、どうだろうね。まあいいだろう、そんな細かい話は――』


 心を読めてしまう絶対的な能力すら、些事なのか。

 男はますます身構えた。

 ただ静かで端整な顔のままで、怯えたのだ。


『まずは君のダンジョン領域を上書きしてしまった無礼を詫びようじゃないか。にゃはははは! まあ、正直に言うと、これっぽっちも悪いとは思っていないけれどね! さて、いつまでも勿体ぶっても仕方がない。我が名を明かそう』


 戯れを捨て。

 不意に顔を引き締めた様子で、黒猫は言う。


『魔の王たる君。偉大なる御方が名付けてくださった我が名。粛として耳にするがいい』


 遊戯を捨てた影響だろう。

 立ち上がった。

 ただそれだけで周囲を重圧で圧倒していた。


 ゴウゥ――!


 ――……っ。……っ、なにもされていないのに……――うまく……息が、できない。


 魔力重圧が学長の男の心臓を軋ませているのだ。

 それは器の差の影響。

 座る事を止めた。それだけで周囲にこれほどの威圧を与えるのだ。


 そんな者が偉大なる御方と崇める存在がいる。

 ぞっとした。

 けれど同時に納得した。


 ああ、世界は広いのだと。リポップと死を繰り返す世界だけではない空間が、外の世界には広がっているのだと。

 妙な希望が、彼の胸の中に感動を刻んでいたのだ。


『どうやら実力の差を理解してくれているようで助かるよ。もし攻撃して来たらどうしようかと思っていたんだ。私は手加減というモノが苦手でね。君達脆弱なる存在に触れる時は――、そう、アレだよ。蝶の翅がもぎ取れないように、ゆっくり……そっと――不慣れなハサミで掴んでいる気分になる。いつも少し困ってしまうんだ』


 穏やかな憎悪を囁き漏らし、黒猫は肉球をパチンと鳴らす。


 ざぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!


 顕現したのは――直視できないほど強力な魔道具。

 輝く王冠。

 燃える外套。見た事も無い宝石がちりばめられた豪奢な玉座。

 そして。

 まるでネコの瞳のように光る、猫目石を彷彿とさせる禍々しい魔杖。


 どれか一つでも世界を変えてしまう程の秘宝。

 世界の流れさえ壊せてしまう程の神器なのだろう。


 猫はまるで軍人が制服を纏うかのように厳かに、それらを装備し――黒き獣毛と牙を蛇鱗のように輝かせ言葉を紡ぐ。


『初めまして、人間の器に転生した魔たる存在よ。人の器で蠢く邪悪なる魂よ。我が名はケトス、大魔帝ケトス。人々は畏怖を込めて我をこう呼ぶ。殺戮の魔猫――と』


 底の見えない闇が、この世界に顕現していた。

 かつてヒトガタと呼ばれた魔物のボスは思い知らされた。


 コレこそが最強の魔物。

 魔物として生を受けた者の頂点に立つ、魔。


 そして同時にこう思った。


 これは。

 俗世に顕現していいレベルの闇ではない――と。



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