とある臨時職員の日誌 ~闇~【SIDE:鑑定士ハザマ】結末編
【SIDE:鑑定士ハザマ】
聖女マイルが連れてきた謎の黒猫――大魔帝ケトス。
異世界の魔がここに顕現。
目にしたことも無いような豪奢な玉座の上で微笑し、皇帝のように鎮座していたのだ。
紅き瞳を光らせて。
黒猫は言った。
『でも――自爆は無駄だよ。時間稼ぎにもならないし、そもそも私の気分が悪くなる。遠慮してくれたまえ』
告げる――それだけで膨大な魔力が室内を満たした。
ズゥン――ッ!
豚さんマークの重力が、聖女を守ろうと前に立つ鑑定士ハザマの身体を圧迫していく。
「っく……な、なんだいこりゃ!」
『重力魔術さ。ま、部下の力を借りた初歩魔術だけどね。へえ、あの豚君の力を借りた魔術は小回りが利いて良さそうだ』
今度からはもっと使ってみようと、モフ毛をぶわっとさせ――くはははははは!
ヘンテコな猫ダンスをし始める。
鑑定士ハザマはギリリと歯を食いしばり、重圧に耐えながら考える。
遊ぶように舞う黒猫だが――これはふざけているのではない。
本当に、あまりにも力の差があるせいでこの戦闘も戦闘ではなく、児戯にしか感じないのだろう。
猫魔獣、大魔帝ケトス。
その余裕な顔を睨んで、ハザマは周囲を観察する。
聖女は、無事だ。
どうしたらいいのか、混乱しているようであるが――まったくの無傷。
おそらく、この猫魔獣は聖女に害をなすつもりはないと考えられる。
けれど。
それは今のところは、という前提だ。
これからどうなるかは全く分からない。
猫のように気まぐれに、不意に首を刎ねてしまう――そんな危うさをこの猫は持ち合わせているのだ。
鑑定結果の底に沈んでいた、闇。
憎悪。
闇。
憎悪。
背筋が凍りつくほどの昏い感情を、この猫魔獣は小さな器で抱え込んで膨らんでいるのだ。
いつ、破裂するのか。
ぞっとした。
ハザマは大きく息を吸い、決意する。
グググググググググ。
まるで見えない獣に、上から押しつぶされているようだったが――。
「まだやれる……ッ!」
『あれ? まだ動けるんだ。んー、加減が難しいしこれ以上は強くできないし……あー……魔力があるとまた自爆されちゃうから――悪いけど、この辺の力を全部食べちゃうね』
言って、大魔帝を名乗る黒猫は亜空間に肉球を突っ込んで。
ぷにぷにぷに。
猫の目にも似た宝玉を支える杖を取り出し――禍々しい魔道具を掲げ。
にゃはり!
紅き瞳を輝かせ詠唱を開始する。
『魔力――吸引。詠唱開始――我を知らぬ世界よ、我こそがケトス。汝等も知らぬ魔猫が一柱。その身、その魔力。全てを我が肉球の中へ――』
揺れる世界に広がる闇。
黒いモヤモヤが玉座の後ろから広がっている――。
一見するとただのモヤモヤにしか見えない黒い霧の正体を掴めず、ハザマは跳ねるように後退する。
その一瞬をつき。
黒猫はモフモフな毛を膨らませて、闇の中で光る魔杖を頭上へと掲げた。
《とあるネコちゃんの魔力泥棒》
人間の耳では聞き取れない魔術文字が、空に刻まれる。
異界の文字か。
杖から広がる魔法陣が、無数の影猫を召喚していく。
その魔法陣の規模は。
十。
「十重の魔法陣……っ! そんな、バカな……ッ!」
『ふむ、この世界でも十重に届く領域の術者はあまりいないと見えるね。いい反応をありがとう』
神話の中ですら登場しない魔術の領域が、周囲に展開している。
黒猫の影がギラギラギラギラ、回り続ける。
黒猫の影は二足歩行になって、にょき!
わっせわっせ!
周囲の魔力を具現化させて、主であるドヤ顔黒猫へと献上し始める。
魔力を奪う術式だと判断したハザマは施設の緊急装置を始動。慌てて相手を強制転移させようと手を翳し――。
「術式発動! 対象を侵入者と認識。個体名、大魔帝ケトスを強制退去……強制退去!」
学園に儀式魔術として登録されているルール。
校則魔術を緊急処置として発動するが――間に合わない。
――いえ、レジストされた!?
その間に、もはや影の魔猫による魔力吸引は完了していた。
全ての魔力が失われていたのだ。
その効果範囲は――この学園か。それとも大陸か。国か。世界そのものか。
黒猫の影が、術を発動させたハザマの身からも魔力をペチペチと奪っていく。
「うぐ、あがぁ……っく……聖女様、逃げて……っ」
『いや、だから……別に私は彼女に害を加える気はないんだって』
すさまじい規模の神話領域の魔術を放っているのに、黒猫はぽりぽりぽり。
モフモフな頬毛を掻いてジト目を作っている。
はぁ……とため息をつき、魔法陣を解除。
玉座から降りてトテトテトテ。
戦う気はないとばかりにゆったりとした口調で、猫は言う。
『分かったよ。目的がないだなんて言ってしまったことは謝る。君はそれを嘘と判断してしまったんだね? まあ嘘だと思ってしまったのなら、こうして警戒してしまうのも無理はないか。確かに……まったく目的がないわけでもないんだ』
「やはり……聖女様が、目的なのか……っ?」
それだけはなんとしてでも……。
シリアスに顔をきつく尖らせる彼女とは裏腹、黒き魔猫は肉球をビシっと膨らみの分かる角度で翳し!
ででん!
『ならば聞かせてやろう! ならば見せてやろう、人間の娘よ! 恐れ戦け驚嘆せよ! 刮目するがいいのである! これこそが我が偉大なる計画の全貌よ!』
言って、大魔帝を名乗る猫は一枚の絵画を魔術で描き上げて見せる。
まるで稀代の巨匠が描いたかのような油絵。
聖堂に飾られている宗教画を彷彿とさせるタッチの絵なのだが――。
そこに描かれていたのは……。
燃えるように紅いマントと、輝く王冠。
それらを装備し悠然とモフ毛を靡かせるスマートな黒ネコが、豪華なベッドで眠る人物の前に、大量のご馳走を並べる一枚絵。
『そう! いかに脆弱なる人の子とて、これで理解できたであろう! くくく、くははははははは! 我の最終目的は! この世界のグルメを持ち帰り、お休みになられている魔王様に献上する事。すなわち、目覚めの儀式なのニャ!』
くわっとネコ目を見開き、デデーン!
ビシっと玉座の上にあんよを乗っけて、前脚の肉球を掲げ、変なポーズを取る黒猫が――聖女と鑑定士の目の前にいた。
ポカーンとする人間二人の前。
パタパタパタと、外套を靡かせる大魔帝ケトスの表情は真剣そのもの。
『くははははは! まだ分からぬと言った貌だな。ならば言おう。敢えて言おう。理解するまで告げてやろう! 我はこの世界のグルメ全てを喰らい尽くし、美味しいものがあったのなら魔王様に作って差し上げるのニャ!』
翳す肉球の角度を更に変えて、デデーン!
ちょっと頭の王冠がズレ落ちかけて、それをポンポンと肉球で叩いて直して。
ででーん!
『これぞ――! 偉大なる魔王様、そろそろ甘えたいので極上グルメの山で目を覚ましてくださいね♪ 作戦なのである!』
それは、この魔猫にとっては誰にも告げていなかった大作戦。
異界の魔王を目覚めさせるための計画だったのだろうが。
その手段はどう考えてもギャグそのもので。
鑑定士ハザマは更に、ぽかーん。
「え? いやいやいやいやいや、あなたほど強力な魔族が、グルメなんかのために動くわけないでしょう!?」
言葉を受けて、魔猫はふーむと考え込み。
先ほどまでの猫の戯れを捨て。
まるで教え諭す神父のような穏やかな声で、静かに瞳を細める。
『そうは言うが人間の娘よ。興味のない世界の人間や魔物のために動く事に何の利があるというのだ? そなたは庭で生活する蟻の動きに、いちいち心を動かすというのか? しないであろう。それと同様だ――この世界の生き物に心を動かすよりも、実際に食べておいしいグルメを優先させることの方にこそ利があると思わぬか? 何がおかしいというのだ?』
正論なような、違うような。
ハザマは自らの顔の傷跡を撫でながら困惑中。
「えーと、大変申し訳ないんだけど……その言葉を鑑定させて貰っても?」
『ふむ、いいだろう――ただし、我に追加の焼魚さんを持ってくると約束するならニャ!』
ハザマは虚偽鑑定の術式を相手の承諾を得て発動。
これは相手が承諾さえすればどんなレベル差があっても発動する、真偽を確認する鑑定魔術の応用スキル。
その結果は。
全部、真実。
つまり。
この魔猫は、どうやら眠りについているらしいご主人様である魔王を、グルメの力で再臨させようと密かに企んでいる、ということだ。
グルメで目覚める魔王など聞いたことがないが――実際、この大魔族はグルメに釣られてやってきたわけで。
ハザマ女史は――困惑顔のまま、ぽつり。
「え……マジでただグルメ目当てで滞在してるんだ、あんた……。しかも、これほど強力な大魔族がブリの照り焼きに釣られて召喚て……どーなってるの?」
つい、敬語ではなくいつもの口調で彼女は言い。
大魔帝ケトスは悪びれる様子もなく、偉そうに言う。
『だから言っただろう! 我はグルメにしか興味がないのでな! まあ――この世界ではの話だけれどね。故に、この世界のゴタゴタには干渉する気はないんだよ、良くも悪くも異邦人ってわけさ。理解して貰えたかな? 自爆を選ぶほど、聖女様に恩を感じているお姉さん』
明らかに規格外の強さを誇る黒猫の目的と心を知って。
勝手にマジになって暴走してしまったハザマが、なんとも困った顔をしてしまった事は言うまでもないだろう。
「なんつーか。あはははははは! わ、悪かったね……てっきり聖女様の命を狙っているもんだとばかり……ごめんよ」
ばつが悪そうに聖女に目をやるハザマ女史に、当事者であるマイルはうふふふと花の笑み。
守って貰えて嬉しそうにしているご様子。
「これは! あれですね! わたくしを取り合って、お二人が戦い合っていたのですね!」
少々鼻息を荒くし、むふーっと微笑む聖女を見て。
鑑定士と大魔帝はジト目でじいぃぃぃぃぃぃ。
大魔帝はハザマの耳元に近寄って。
ヒソヒソヒソ。
『ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……彼女って、いつもコレなのかい?』
「ああ、コレさ……悪い子じゃないんだけどね。そう悪い子じゃないんだよ……」
『にゃるほどね……』
だからこそ、困ってしまうタイプでもある。
それは明確な欠点ともいえるのだが。
そんな不器用な所も、ハザマ女史にはある意味で好感を抱けるポイントとなっていた。
完璧すぎる聖女だったら、たぶん守ってやろうなどとは思っていなかっただろうと、ひねくれた自分を彼女は自覚していた。
「あー……こんなんでも本当にウチじゃ大事なお人なんだ。あたしも昔助けて貰ったことがあるしね――力になってやりたくて……少々、気を張り過ぎていたようだ。本当に、すまなかった。軽くいってしまうようで悪いけれど、どうか許しておくれ」
『いや――まあ、私も悪かったよ。もしかしたら定番イベができるかもしれないって、ちゃんと鑑定妨害をしなかったせいもあったからね。まさか見られるとは思っていなかったんだよ――君の鑑定能力は誇れるべきところがある、大魔帝を視た力として今後の自慢にするといい。なーんてね! にゃはははははは!』
聖女マイルのムフフフな笑顔がちょっぴり不気味だったからか、二人はその共通意識の下で同調し始めていた。
「あんた、グルメを探しているんだろう? とりあえず、収納魔術にあるもんを全部持って行ってもらっても構わないよ。あたしが各地から集めた酒のつまみだ。それなりに種類は揃っている。詫びだと思ってくれれば、こちらは助かる」
言って亜空間を開き――酒のつまみを全部提供して謝ったのが功を奏したのか。
『んじゃ、遠慮なく――』
亜空間の中に上半身を突っ込んだのは、大魔帝ケトス。
足をうにょーんと伸ばし。
モフモフしっぽをファサファサ♪
ガサガサゴソゴソ。
そのフワフワな毛を膨らませた大魔族は、やがてズボッと半身を抜きだしてドヤァァァァァ!
『くははははははは! 思わぬ収穫である!』
両手いっぱいに掴んだツマミを入手し、ホクホクな笑顔を作っている。
そのまま室内で寛ぎ始めたので、どうやら怒ってはいないらしい。
彼が告げた通り――この世界のことなど本当に些事に過ぎないのだろう。
そう確信したハザマが、ほっと胸をなでおろした。
次の瞬間。
魔術メッセージが、校内に響き渡る。
『緊急呼び出しです。マイルさん! もうお時間ですけれど、あなたの姿が見えないというのはどういうことですか! あまりワタクシの血圧を上げさせないでください!』
「まあ、マダムサンディですわ! 大変! わたくし、すぐに行かないと……サンディ先生の血圧がまた悪化してしまいますわね。ケトスちゃんはどうします?」
問われた大魔帝は微笑んで。
『私はもう少しここに居るよ。ハザマくん、かな? 戦闘をさせてしまった彼女の体調を見てあげようと思う。この後、いつのまにか倒れてました! ってなっても後味が悪いからね。夜になったらいつもの神殿にいる、おいちい夕ご飯を頼んだよ!』
「分かりましたわ。ではハザマ先生! うちのケトスちゃんを宜しくお願いいたしますわね。それにしてもサンディ先生……あんなに怒りっぽいだなんて、カルシウムが足りないのかしら。合流する前に小魚でも持って行った方が――……」
慌てて転移魔法陣で出勤する聖女教師マイルを見送りながら――。
鑑定士と黒猫は息を吐く。
小魚を渡したらたぶんブチ切れられるだろう――と。
聖女は去ったが大魔帝ケトスはまだ室内に残っている。
どうやら。
聖女のいない場所で話がしたい、ということなのだろう。
その理由ももちろんハザマには理解できた。
あの能天気が一緒にいると、進む話も進まないからだろう。
「さて――で、あんたはあたしに何を聞きたいんだい? 迷惑をかけたからね、答えられる範囲なら答えるよ」
『それは話が早くて助かるよ。君とはいい関係が作れそうだ』
悪い子じゃないんだけど、確実に話が逸れる――その共通認識が、二人の間に妙な連帯感を生んでいたのである。




